クーたんとココ君のお家

燕尾服を着た女の子クーたんと神戸から来たやんちゃ坊主ココ君の小さなドラマ。

飛んでいる

2012-03-21 06:31:55 | ネコ
朝刊を取りに、1分程玄関を出て部屋に戻るとくしゃみの連発。今日は朝から花粉が嵐のように、猛烈に飛んでいる。こんな日はねこ達のように、大人しく部屋の中で過ごすのが一番良い事は分かっている。それが出来ないのが世のならい。お昼前に駅ビル迄雑誌を買いに行こうと思っている。
車の窓を締め切り、鼻の中に油薬を塗り、エァコンを止めて出掛けるが、少しの隙間から敵は入って来る。
今週が花粉飛散のピークだと報道されているが、20年来の付き合いの花粉症だが、再来週からのお花見もゆっとりと散策は出来ない。

お彼岸だけど

2012-03-20 06:54:01 | ネコ
今日はお彼岸の中日。しかしキリスト教徒の我が家は無関係。単なる春の休日。しかし、春分の日の最初の満月後の日曜日がイースター、復活祭である事は日本ではあまり知られていない。中には洗礼を受けている人でも知らない方もいるだろう。そして、気象庁が発表する「春一番」は立春から春分迄に吹く、最初の南よりの大風の事を言う。今年は寒く、関東では春一番が吹かなかった。
只、夜明けは確実に早くなっており、今朝も6時には外灯を消した。日中も春の日差しが廊下に入り、クーとココは廊下で、全身に「春」受けながら昼寝を楽しんでいる。気温が上がらぬ今年は、春の花も遅れているのが少々気になるが。だがまもなく春本番、桜も咲きだすだろう。今年も深大寺の桜のトンネルを見に行くとしようか。

ふるさと

2012-03-19 06:29:32 | ネコ
息子とクーはここつつじヶ丘で生まれ・育った。逆に家内は長野県の塩尻、ココは神戸で生まれ・育った。両方とも水が美味しい場所。このつつじヶ丘も50年前、引っ越したばかりの頃は、110戸全所帯に地下水の美味しい水が配られていた。世田谷から移り住んだ時には、この美味しい水に感激したものである。その水も今はない。市営水道になり、一昨年からは都営になった。市営の時は夏は冷たく、冬は温かで、その味も軟水のまろやかさがあった。都営に移管されると混合水となり、只飲めるだけの「水」となってしまった。味も無い。
僕達が故郷を懐かしく思い出すのは、「水」の味もある。神戸に父に連れられて帰ると、歩いて5~6分の所に水が沸いていた。この水も美味しかった。綺麗なバケツに汲んでおき、浜から帰るとひしゃくで飲んだものである。神戸の水は六甲山の伏流水。ミネラルも豊富。だから船人に愛されていた。美味しい水を口にすると何故か「ほっと」する。
機械的に処理された水でなく、元々の美味しい水を飲みたいと思うこのごろである。

悪戯坊主

2012-03-18 06:10:14 | ネコ
昨深夜の事。クーとココは夜食を食べ終わり、パソコンの近くで寛いでいた。クーはラックの最上段に、ココはモニターの前で。クーがラックから飛び降り、パソコンのおんぼろ椅子に上がり、置いてあった市役所からのパンフレットの匂いを嗅ぎ始めた。当然それを見ていたココも後に続く。カーペットの上から「ぼくも乗る」と言う顔。しかし場所は狭く、2ニャン一緒では無理がある。ココは床から椅子に手を掛けて立ち上がり、クーの膝を1舐めし「クーちゃんもっと奥に行ってよ」と。突然舐められたクーはビックリし「何よ」と言う顔で、ココの頭にパンチを出した。怯んだココは一瞬後ずさりをしたが、それでもクーの隙を伺う。かれこれ10分程椅子の取り合いをしていたが、クーがココにその席を譲り、茶の間の毛布の上に去った。クーが去ると椅子に上がったココは、袋の匂いを嗅ぎ、袋の紐を取ろうとして遊んでいたのだった。

昨日は

2012-03-17 06:41:22 | ネコ
昨日も水疱瘡のコーを預かった。コーは薬が良く効き、お昼前にはコックリと寝てしまった。お昼のワンタンも2口程食べて、また夢の中に。嫁が向えに来ても眠ったまま。ココはそんな孫の様子に、静かに近付いて様子を見ている。「これじゃぁ悪戯しないね」と分かり、普段のようにカリカリを食べ、お昼寝も。
ママが次に来た時は、弟のマーも一緒。マーの顔を見るとココは食卓の奥に逃げ込んだ。危険人物登場だと悟った。マーは元気に揚げせんべを食べ、サイダーを飲み、部屋の中で遊び始めた。その様子はココと全く変わらない。30分ほど遊び家内に「お家に帰りなさい」と追い返された。それから少し経つと、階段を駆け下りる大きな足音が居間にも響いて来た。兄弟喧嘩が始まったようだ。2ニャンも耳をそばだてる。
元気一杯の弟が普段負けている兄に挑んだのか?。
そんな元気な子育ては、若い時しか出来ないのだ。
今日は雨、また二人の足音が響き渡りそうな我が家である。

兄弟相和し

2012-03-16 06:09:05 | ネコ
今朝は目覚めの1揺れ。4時20分に一寸大きく揺れた。僕の布団で一緒に寝ていたココは、揺れが始まると足元に潜り込んだ。これも大震災で学習した事。
昨日の夕方、クーが水を飲みに流しに上がると「ぼくも」とココも上がった。兎に角お姉ちゃんに付いて行きたい。この家に一緒に暮らして5年経つのに、クーを実の姉のように慕って付き纏う。最近ではクーも諦めたのか、2ニャンの距離が縮まり、写真のような光景が見られるようになって来た。クーも「このお水冷たくて美味しいよね」と言うように一緒に水を飲み、一緒にカリカリを食べ、同じ部屋で寝ている。勿論、1日1回は運動会が行われ、負けそうになったクーが八つ当たりのパンチを出す事もあるが、5年と言う時間は2ニャンに取って無駄ではなかった。
お日様一杯になる今日は、暖かな廊下で一緒にお昼寝をする事だろう。

受難の日

2012-03-15 06:28:53 | Weblog
昨日は朝から夜迄受難続きの1日であった。
朝は猛烈な杉花粉に襲われ、くしゃみの連発と鼻水が垂れ続け、可愛いニャンブログを見ていても、数分おきにテッシュを取りに立たねばならなくなり、パソコンの上にテッシュ1箱を置いた。孫を預けに来た嫁は完全防護で花粉症用のマスクもしっかりと身に着けていた。花粉を甘く見た僕は、昼ご飯を食べた後ついにダウン。
孫は水疱瘡と分かり元気が無い。ほっぺが赤い。大人しいからココは「コー君どうしたの」と言う顔で様子を見ていた。悪戯されないから、何時ものようにお昼を食べ、廊下でお昼寝も。
最後は地震。6時過ぎの地震では津波注意報も。宮古の漁師さんのブログを見ると、注意報が発令された1時間半位、船を沖に出し非難したと言う。彼にとっては船だけが財産。大津波を乗り越えて守った。家は流され、先日の祈念日には、子供と共に家の場所に立ち、祈りを捧げていたのが印象的。そして、地震警報で起こされた。銚子で5強の地震。つつじヶ丘も3。
今朝も花粉は飛んでいる。ブログを書いている目の前にはテッシュが置いてある。今日も花粉に悩まされる事だろう。昨日のような受難の日にはなって欲しくないのだが。

今日は受難の日?

2012-03-14 06:11:29 | ネコ
昨日の夕方、嫁から電話が。「コーが幼稚園で熱を出した」と言って来た。今朝も発熱していたら、預かりとなりそうである。幼稚園に上がった頃に比べれば回数は大分減って来た。そして5歳のお誕生日を過ぎた頃からは、「兄」としての自覚も出て来て、預かっていても静かに過ごす事が多くなった。
しかし、我が家のニャンズはその顔を見ただけで敬遠する。昔、悪戯された事が記憶の中に染み付いている。今日はクーとココにとっては受難の日となりそうである。

春の日差しの中で

2012-03-13 06:15:58 | ネコ
昨日の日中我が家の廊下は、春の日差しが差し込んでいた。こんな日はクーもココも廊下でのお昼寝と決めている。一寸早めのお昼を食べると、揃って廊下へ。クーは洋服箪笥の上に置いてある籠ベッドに入り、少しだけ毛繕いのお化粧をすると猫丸になって寝てしまった。クーの後に付いて来たココもその下の座布団の上でお昼寝。その体を春の日差しが包む。寝顔が何とも可愛らしくて、カメラを取り出してはシャッターを押す。
家の中で過ごせば外敵に襲われる事も無い。安心して寝ていられる。それが家猫の強み。福島の人々に見放された猫達の顔には、鋭い剣が出来ている。絶えず命の心配をしなければならないからだろう。人にも心を閉ざす。このワン・ニャンだって東京電力に慰謝料を請求したいだろう。
春の日差しの中での思いは複雑である。

前進の日

2012-03-12 06:27:54 | ネコ
昨日で忌まわしい大震災から1年が経った。地震発生時は昼寝の最中。ソファーから体は起き上がったが、激しい揺れで立ち上がれなかった。首を捻って台所を見ると、家内がクーの体を抑えていた。ココは食卓の下に潜り込み安全確保。書棚のテレビが前後に激しく揺れ落下寸前。抑えたくても体が言う事を聞かぬ。真にパニック。テレビを押さえたのは、揺れが収まり始めてから。その間1分位。長く感じた。高層ビルではパニックになった方も多かっただろう。1年経っても昨日の事のように思い出す。昔、関東大震災の直後東の空が赤く燃えていたと、母が話すのが実感になった。当時母は、150㎞離れた甲府に住んでいた。母には生涯忘れない出来事だったのだ。
去年の大震災の事は心にしまって、今日からは物心共に前を向いて前進して行こう。それが犠牲となった方への供養になるからだ。
でも、原発は廃止しなくてはならない。電気も節約し、無駄を省けば明るい希望が見えてくる。