山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

行き止まりになってしまった道

2018-10-26 22:01:43 | 出会い・近隣

 わが家に隣接する道路の奥がいつの間にか通れなくなった。以前なら、Uターンできて通行はできていたが、今年になって通る人がほとんどいなくなって道路を雑草が占拠してしまったからだ。隣の地所は地主が草刈機で刈っていたが、今では90歳に迫る高齢者となり草刈りが止まってしまった。そのぶん、わが家が境界の草刈りをやっている。ただし、道路までは手が届かないうえに奥は空き家になっている。

            

 いつも通路になっていたわが家の畑への道もなくなってしまった。ということは、いずれわが家の畑も同じようにむかしの風景に「もどる」可能性があるということだ。過疎地の現実がここでも目の前に出現したということでもある。

 髙村光太郎は「僕の前に道はない。僕の後ろに道はできる」と叫んだ。それを援用すれば、「オイラの後ろに道がなくなった」状態だね。

 

 「もともと地上には道はない。歩く人が多くなればそれが道になるのだ」と魯迅は口をかみしめた。道は補修する努力をしないと元に戻るということだ。魯迅は「希望とは地上の道のようなものだ」と喝破した。希望は向うからはやってこないのだ。私的な精神論だけだと、光太郎のように戦時体制の先鋒に突き進んでいく。魯迅のように社会的な視野を忘れなければ希望を共有していくつながりが形成できる。

 そんなことを想いだしながら、まずは目の前の道路をきれいにしていく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする