珠玉の音楽に囲まれて

オーディオのこと、音楽のこと、思いついたまま記していきます。
by 横浜のVienna Acousticsファン

鶴見川~旧東海道~境川、70kmのポタリング

2014-11-29 06:52:16 | その他
3連休の最終日は、長丁場のポタリングに挑戦でした。拙宅は鶴見川と境川にそれぞれ近いこともあって、いずれは二つの川を結んだポタリングを実現したいと考えていました。鶴見川はこのブログでもウォーキングの話題で紹介しました。境川は横浜市の西側を流れる川で、上流は東京都と神奈川県の、下流は横浜市と藤沢市・大和市の境界に位置しています。鶴見川は東京湾へ、境川は相模湾へそれぞれ注いでいます。まず鶴見川を下り、東海道を使って藤沢へ向かい、最後は境川を北上する70kmのコースを組んでみました。

新横浜近くの日産スタジアムです。この日、天候は下り坂でした。どんよりした雲から時折日差しが覗く、そんな1日でした。


途中、新羽の西方寺に寄りました。横浜市の名木古木に指定されているイチョウを見るためだったのですが、時期が早過ぎました。同じイチョウでも右手前は黄色が鮮やかですが、左奥の名木の方はまだ青々としています(汗)。太いイチョウの方が紅葉が遅いのでしょうか。1月に咲く蝋梅も落葉はまだの様子でした。それもでしっかり蕾を見てきました。冬を通り越して春を先取りした気分です。


河口が近づいてきました。奥のタワーは三池タワー(TVの電波塔)で、鶴見川から眺める風景は、個人的にも気に入っています。川幅も広くなるこの付近ではボートの練習も見かけます。ボートのスピードは自転車といい勝負でした。


鶴見駅付近で鶴見川から離れ、国道15号を使って横浜方面を目指します。相鉄線の天王町駅あたりからは旧東海道を使いました。所々に松が植えられていて、それらしき雰囲気が演出されていました。鶴見から藤沢までは特に長く感じられました。


素直に進むのであれば国道1号をひらすらでいいのですが、赤鬼さんから旧東海道を薦められていたこともあり、そちらを選びました。分岐するところでは、このように丁寧な標識も出ていました。


地図では平坦でも実際は異なります。川に沿ったサイクリングロードはアップダウンはありませんが、普通の道は山あり、谷ありです。権太坂と聞いて箱根駅伝を思い出される方もいるでしょう。この坂を含むコースは各校のエースが揃う花の区間です。今さら引き返すわけにもいかず、ゆっくり登りました。


品濃一里塚です。普段の生活ではまず接点はありませんが、これもポタリングの楽しみの一つです。


品濃一里塚を過ぎてからは先を急ぎたかったこともあり、国道1号主体に切り替えました。渋滞の印象の強い原宿交差点ですが、さほどでもなかったです。戸塚区の広さを実感しつつさらに進みます。


長い坂を下ってようやく境川に到着です。そこは藤澤橋となっていました。ここから再び川沿いのルートを走ります。


何やら怪しい建物が・・・。現在は大学の図書館になっていますが、かつては横浜ドリームランドのホテルでした。その横浜ドリームランドも閉鎖して10年以上が経ちました。横浜とは言え奥まっていますし、ディズニーランドのような訴求力はなく、必然だったのかも知れません。戸塚区から分かれた泉区に住んでいたこともあり、何度か子供を連れていきました。子供は勿論、難しいことも分からずにはしゃいでいましたが。


しばらく進むと県営いちょう団地に入りました。この辺りも昔住んでいた借り上げ社宅から近く、懐かしさを覚えます。名の通りいちょうが見事です。


さらに北上して国道246号を横切りました。ここまで来ると自宅は近いです。


最近ガラケーを卒業してスマホに移行しました。アナログの地図で十分と思っていましたが、現在地を把握できる利点は大きいと思いました。拡大縮小の操作にまだぎこちなさはありますが。


70kmの距離感を実感できたことは良かったです。お尻が悲鳴を上げていましたが、想定内だったとも言えます。尾道から今治までのしまなみ街道も視界に入ってきました。境川のサイクリングロードがしっかり整備されていることも判りました。湘南方面に行って富士山を見たり、鎌倉の古刹を訪れたり、プランが広がる予感です。
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晩秋の横浜から

2014-11-23 12:34:17 | その他
3連休の初日、横浜地方は好天に恵まれました。横浜からオーディオや音楽、その他の話題を発信していますが、いかにも横浜らしい場所の紹介は多くありませんでした。拙宅のある横浜北部はどちらかというと渋谷・東京方面へのアクセスが便利で、乗り換えを要する横浜・関内方面は遠ざかりがちです。この秋は、オーディオ交流や登山などで週末が埋まっていましたが、たまには地元でまったりもいいと思いました。向かったのは山下公園、港の見える丘公園方面です。観光ガイドに出てきそうな風景ではありますが、色づいた木の葉と青空のコントラストに、港横浜の良さを再認識した次第です。

この日は家内と息子もそれぞれ出かける用事がありました。鶴見の蕎麦屋、登茂吉で天せいろを食べ、解散後は銘々、川崎方面、横浜方面へ向いました。私は京浜東北線で関内まで移動し、山下公園方面へ。街路樹のイチョウが見頃を迎えていました。


シルクセンターの対角にある北欧料理店のスカンディアです。もう創業して半世紀になるそうです。プライベートでも会社でも使ったことがあります。2Fはここぞ、という時にお薦めです。


関西方面の日帰りの山に使える、カジュアルな一足を探していました。スイスのブランド、マムートの横浜店です。元はロープのメーカーでしたが現在は幅広く登山グッズを展開しています。結局、トレラン兼用の一足を手に入れました。山を走るなんて狂気の沙汰だと思っていましたが、先日の氷ノ山で大会を目の当たりにしました。老若男女、楽しんで走っている姿を見て感心しましたが、1日に70kmも走ると聞いてやはり尋常じゃないと思い直しました。私自身は山を走ることはありませんが、靴自体は目的にピッタリでした。今朝、近所の尾根道を歩きましたが、いい感触でした。


マムートストアから山下公園は目と鼻の先です。海と空の青さが目に沁みます。


山下公園から見たみなとみらい地区方面です。ベイブリッジもランドマークもインターコンチネンタルホテルもまだ四半世紀の歴史ですが、すっかり横浜の顔になりました。


一方、こちらは古くからある横浜の顔です。ホテルニューグランドのリニューアルから早いものでもう10年になります。スパゲティナポリタンの発祥と言われています。そのお隣は、昔はザ・ホテルヨコハマ(通称ザヨコ)だったのですが、ノボテルを経てモントレ横浜になっています。バブル崩壊後の苦難を乗り越えたり、乗り越えなかったり。ホテル経営も大変なんですね。左奥は主役を降りて久しいマリンタワーです。


海に面した山下公園は海抜ゼロメートルです。ここから港を見晴らせる丘までは、坂や階段を登らねばなりません。観光地だけあって山下公園から港の見える丘公園への案内はしっかりしていました。


フランス山を登ってしばらくすると海の展望台が待っています。まさしく「海を見ていた午後」となりました。歌が作られた当時は、勿論ベイブリッジはなく、もっと素朴な風景だったはずです。さて貨物船は見えていたでしょうか。ここまで登ると山下公園ほどは人が来ませんので静かな時間が流れます。学生時代に行ったバルセロナの丘の上の公園も、こんな雰囲気だったような憶えがあります。


オーディオ系のブログで、須賀敦子さんに関する展示の記事を知りました。港の見える丘公園の奥にある神奈川近代文学館で、展示が催されています(11月24日まで)。須賀さんは兵庫県の芦屋・夙川で生まれ育ち、その後東京、パリ、イタリア、そして再び日本で過ごしました。波乱万丈のその人生を時系列で追うような展示でした。このところ神奈川と兵庫間の往復が続いていることも、行くきっかけになったように思います。須賀さんは還暦を過ぎて出したエッセイで有名になりましたが、69歳で他界されました。向田邦子さんと同い年で文章にも似たような香りがあるとか。これから読んでみたいと思っています。


文学館の近くに木々の間からベイブリッジを覗くスポットがありました。陽の色が徐々に変わってきました。


有料でしたが外人墓地が公開されていましたので中に入ってみました。夕陽を受けて少々しんみりとした雰囲気です。ここから元町・中華街駅までは足で下るものと思っていましたが、近くのアメリカ山と駅がエスカレータで直結されていました。逆に言えば、手軽に外人墓地まで登れることになりますが、ここは自分の足で登ることを勧めます。


日が短くなりました。冬至より前の方が日没は早いそうです。それでも早めに元町・中華街駅を離れたこともあって、地元に戻ってもまだ夕景が見えました。少々寄り道して大山・丹沢方面が見晴らせる高台に向かいました。見事なシルエットを見て、神戸もいいけどやはり横浜もイイ!となりました。
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チューバホーンさん宅、訪問

2014-11-21 05:58:08 | オフ会
翌16日は先日お越しいただいたチューバホーンさんのお宅を訪問しました。この日も好天に恵まれました。西武新宿線は個人的にも懐かしい路線です。学生の頃、横浜に住んでいながらも、飲んで帰れないことがありました。そんな時、転がり込んだのが、中井、鷺ノ宮、武蔵関にあった先輩、同輩の下宿でした。高田馬場で急行を逃したこともあって、各駅停車に乗って懐かしさを感じながら最寄駅に向かいました。この方面を訪れるのは7月のヒデさん訪問時の集合以来です。4か月ぶりでしたので道はしっかり憶えていました。


オーディオシステムは2階の日当たりのいい洋室で組まれていました。大きい窓が2枚、とても開放感のあるお部屋です。床は板張りで特に絨毯類は敷かれていません。システムの主役は、タンノイのランカスター。いわゆるビンテージ品です。長辺方向に交差法で配置されています。これまで交流を重ねてきましたが、自分の前でクロスする配置は実は初めてかも知れません。オールドタンノイは過去にGRFさんIさんのお宅で聴かせていただきました。年代の違いも音に影響するのでしょうが、他の機器との組み合わせ、セッテングでも変わる印象があります。


上流の機器です。デジタルはラックスマンのSACDプレイヤーのフラッグシップ機D-08をお使いです。この日はサウンドパーツのプリアンプで聴かせていただきました。下段に見えているのはお馴染みサウンドデザインのSD05で、さらにその奥はルボックス/スチューダーを彷彿させる、ソニーのCDプレイヤーMS-1です。


アナログはロクサンのXERXESです。私のアナログ導入時の候補の一つでしたが、結果的に店頭で聴く機会がありませんでした。ようやくお宅訪問で叶ったわけです。調整はお知り合いの方に委ねたそうです。アームの指掛けがありませんね。メープル色が部屋やラックともマッチしていました。


こちらはモノラル2台のパワーアンプです。すみません、メーカーを失念しました。後日、チューバホーンさんから連絡がありました。quad405でした。ステレオアンプをモノラルに改修しての2台使いです。こちらも年季が入っています。


チューバホーンさんはクラシック、特にロマン派以降を好まれているそうです。クラシックは勿論、ご配慮もあってジャズヴォーカルや懐かしい邦楽もかけていただきました。先日、拙宅でかけた曲やアーティストのお返しもあって、まるで会話を楽しむが如くの選曲でした。こちらは気に入ったCDのピックアップですが、あっ、女性ヴォーカルばかりですね(笑)。何故か、1976年に関係する楽曲も多かったです。荒井由実、中島みゆきが台頭した時代です。春夏秋冬に合わせたユーミンのベスト盤、音がいいとの評判です。みゆき節の方はアナログで。私も好きな「夜風の中から」をかけていただきました。


さてランカスターの音です。私にはビンテージSPというより、現在のSPと言われても違和感ない印象を受けました。この方面はあまり詳しくありませんが、同じビンテージでもランカスターは時代が新しいようです。同軸2WAYは現在のタンノイにも通じますね。音はIさんの方向ではなく、GRFさんの方向に近いと思いました。上流の機器の影響でしょうか、細かい音、ニュアンスが表現されていてます。トルク感は求めていないと想像しますが、それもで緩い音ではありません。サン・サーンス3番の第二楽章(レヴァイン&ベルリンフィル)では、穏やかながらも濃密な空気に包まれました。

そして交差法です。SPのセッティングについては過去、相当な試行錯誤があったそうです。現在とは真逆の短辺配置の平行法もやられたのですが、ようやく位置・向き共に落ち着きました。リスナーの前で交差するということは、敢えてSPの逆サイドへ音を放っていることなりますが、それでも通常通りの定位が得られるのは面白いです。調整にはシューベルトの歌曲を使っているようです。左右のSPの間隔はかなり広いですね。SP間隔の広さがそのまま音場の広さにつながっていて、マーラーを中心にお好きな交響曲を楽しんでいる理由がよく分かりました。

音楽を聴く以外にも、ビンテージ、オーディオ歴、クラシック音楽、オーディオ交流と話題を変えつつお話できたのも楽しかったです。南面からふんだんに入る陽光の移ろいを感じながら、穏やかな午後の時間を過ごせました。チューバホーンさん、ありがとうございました。
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一諾千金の怠け者さんを招いて

2014-11-16 23:45:45 | オフ会
この土日は連続でオーディオ交流です。昨日15日は拙宅に一諾千金の怠け者さんにお越しいただきました。一諾千金の怠け者さんは同じ神奈川県にお住まいで、先日のファイルウェブミーティング in Tokyoでもご一緒させていただきました。私より10歳ほどお若いのですが、アルテックのエンクロージャーやホーンを使って、オールホーンのシステムを組まれています。一方、ソース側にCDプレイヤーではなくLinux系のPC、Cuboxを使用している点は、拙宅とも共通です。要するに調整しろの大きいシステムを扱われていて、HNにあるような"怠け者"ではないのは確かです。

このところ、パッとしない天候の週末が続いていましたが、ようやく好天と重なりました。掃除、買い物も順調に捗って、一諾千金の怠け者さんを最寄駅まで迎えに行きました。


近所のオーガニックレストランでまず腹ごしらえです。繁盛していたのはいいのですが、若干厨房の回転に影響があったようです。予定より50分ほど遅れてのオフ会スタートとなりました。


お若い一諾千金の怠け者さんを意識してポピュラー志向で組んでみました。それでもレストランや音楽再生の合間の会話で、クラシック志向が高まっていることが判りました。今振り返ると、もう少しクラシック比率を上げてもよかったですね。


70~80年代の洋・邦のポップスにも関心があると伺いました。丁度お生まれになった頃の曲ですから、一諾千金の怠け者さんご自身はリアルタイムでの接点はないはずです。それでもこの時代のポピュラーソングに共通する質の高さを、感じられているようでした。これは大変嬉しい話です。中島みゆき、ユーミン、竹内まりや、小田和正、サザン・・・皆さん現役ですから、歳を重ねた現在の歌声は知られています。アナログレコードに封印されたフレッシュな声を聴くと、そのギャップに皆さん驚かれます。そして「若い!」となります。


一諾千金の怠け者さん自身はCuboxによるデジタル再生に注力し、アナログはペンディング中とのことでした。それでもかつてご自宅にあったレコードを持ってきていただきました。何と御父上が聴かれていた盤だそうです。1枚目はカーペンターズの『Now and Then』です。何十年ぶりに針を落としたことになるのでしょうか。まさにこの行為そのものが、Now and Thenといった感じです。さすがに盤質の問題がありチリパチノイズは避けられませんでしたが、カレンのヴォーカルの厚みに引き込まれます。73年ですからアナログしか無かった時代の音です。


続いて2枚目も有名なアーヨ、イ・ムジチの『四季』です。この有名な『四季』をアナログで聴くのは、世田谷のOさん宅訪問以来2度目です。電解水で洗って聴きたいという衝動を抑えつつ、冬の第一楽章を聴かせていただきました。こちらもチリパチノイズの奥に垣間見るヴァイオリンの音色に、アナログならでは艶、伸び、響きを感じることができました。交流がなければ、拙宅のDelphiに御父上の盤が乗ることもなかったわけで、少々不思議な感覚で聴かせていただきました。この盤、中古レコード市場で出回っていると期待しているのですが、どうでしょうか。


数曲、聴いていただいた段階で、SPが消える音場の話題になりました。意外だったのは一諾千金の怠け者さんがお使いのオールホーンシステムの音との相似性です。一諾千金の怠け者さんはジャズよりクラシック志向が強く、ドライバーなどもその方向に変えてきたそうです。音場の広がりも大事にされていて、拙宅の音に通ずる部分が感じられたとのことです。まだ想像ですが、拙宅よりSP間隔は広く、リスニングポジションからSPまでの距離はずっと長いでしょう。仮に両SP内に音場が形成されたとしても、広さを感じられると予想しています。

一諾千金の怠け者さん、次はこちらからの訪問楽しみにしています。音場だけでなく、Cuboxの使いこなしも興味津々です。
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丹波、高源寺

2014-11-09 23:46:58 | その他
8日土曜日、丹波の高源寺に行ってきました。書写山吉備路に続いて西方の古刹シリーズ第3弾です。紅葉で有名な寺ですが、アクセスは大変悪かったです。マイカーか、観光バスで訪れる人が殆どですが、私はローカル線、ローカルバスのぶらり旅を決め込んでいました。兵庫の交通は圧倒的に東西方向が手厚く、南北方向はずっと手薄になります。できればこちらにいる間に、南北方向に走るローカル線に乗ってみたいと思っていました。電車の方は計画通りに進んだのですが、バスは当てがはずれました。行き当たりばったりもぶらり旅の楽しみではありますが・・・。

高源寺の一帯は加古川の源流域でもあります。加古川駅から北に延びる加古川線を乗り継いで、拠点の柏原を目指しました。まず乗ったのは、西脇市行きです。西脇というと駅伝の強い西脇工を思い出します。西脇市、谷川とつないで、更に福知山線で一駅行くと柏原です。谷川へ向かう途中、日本へそ公園という変わった駅がありました。経度だけでなく緯度でも日本の中心にあるという場所なのでしょう。


柏原で高源寺方面へ向かうバスと接続するはずだったのですが、時刻表を見て唖然としました。9時には柏原に着いていたのですが、お昼までバスがありません。既に廃止された路線だったようです。高源寺HPのアクセスマップには記されていますので、これは苦言を呈せねばなりません。レンタサイクル、タクシーなど選択肢がよぎりました。時間帯も早かったので歩き始めたのですが、すぐに無謀であることにづきました。結局、隣の石生駅で断念、タクシーで現地近くまでワープです。運転手さんも同情してくれたのか、予算金額の範囲で少々先まで運んでいただきました。


それでも高源寺は先の先でした。タクシーを降りたのは青垣地区入り口で、さらに8kmほど歩かねばなりません。歩き始めて1時間半、ようやく高源寺に到着しました。道中の人の少なさとは一転、家族連れ、カップル、年配のご夫妻で賑わっていました。入口の風景もいい感じです。


ここは天目楓と呼ばれる葉が小さい楓が見どころです。開祖が中国での修行の後、丹波に持ち帰ったそうです。写真からも葉の小ささぶりが伝わるでしょうか?


苔むした石段に落ち葉の絨毯。これも秋のお寺の魅力ですね。


石段を上がるとまずは山門が迎えてくれます。この様子であれば新緑の頃も美しいでしょう。ワールドカップの最中に訪れた書写山、園教寺を思い出しました。


山門の奥にある仏殿です。紅葉との組み合わせが見事です。高源寺の背景は岩屋山で、登山コースも整備されています。近くに千ヶ峰という是非登りたい山もあるので、来春の再訪もありかと思っています。


樹木によって紅葉の進み具合にばらつきがあるようでした。全面、真っ赤は確かに見事でしょうが、カラフルな紅葉もまたいいものです。


岩尾山に向かう登山道に少し入った地点からの三重塔です。


寺の入り口付近まで下りて、上方を振り返ると、ご覧の光景です。色合いの妙に見入ってしまいました。歩いてきた甲斐がありました。


高源寺を後にして青垣地区のバス停を目指します。バスを逃すと大変なことになります。バス停に向かう途中での加古川のスナップです。下流域では広大な加古川ですが、丹波のこの地域ではかなり狭いですね。


この日は、パラグライダーがひっきりなしに上空から降りてきていました。珍しく着地する様子を見ることができました。田畑や河川敷を利用して皆さん上手に降りていました。丹波一帯を見下ろしながらの飛行は、さぞ爽快だったことでしょう。


帰りは福知山線でのそのまま尼崎に出て、新大阪から新幹線に乗って横浜へ戻りました。篠山を過ぎてもしばらくは丹波らしい田舎の風景が続きましたが、三田辺りから急に開けてきました。三田、宝塚、西宮など名前先行で知っている場所を、実際に確かめながらの移動も面白いです。三田側から六甲を見るのは勿論初めて。これはこれで新鮮な風景です。


暦の上ではもう立冬が過ぎ、冬の入り口となっています。8日はさほど寒くありませんでしたが、高源寺の楓が散り終わった頃、丹波地区も冬を迎えることになります。
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