和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

『ノウサギ日記』

2024-05-05 | 前書・後書。
キチンと本を最後まで読まない私なのですが、
これはもう直しようがないと思っております。

この前、古本で買った
高橋喜平著「ノウサギ日記」(福音館日曜日文庫・1983年)は
函入りで、表紙は子ウサギが後ろ足で立っている写真。
うん。いいね。本の最後には50ページほどの河合雅雄氏の解説。
この解説を読めただけで私は満腹。
また、そこだけでも再読してみたいのですが、
とりあえずは、解説からすこし引用しておきたくなりました。
二箇所引用。最初はこの箇所。

「動物好きの人は、世の中にはごまんといる。
 犬や猫をペットにして飼っている人は、何百万人におよぶだろう。
 しかし、高橋さんのような日記をものした人は、
 ほとんどいないにちがいない。

 なぜなら、高橋さんはたんなるペット好きなのでなくて、
 心からの自然愛好者――ナチュラリストだからである。

 この日記を見て感動を覚えるのは、
 ナチュラリストとしての高橋さんの人柄であり、
 動物に対する視点のたしかさ、
 すぐれた科学的な観察眼がもたらすものである。

 そこには、自然に対する温かい心と動物に対するやさしさとともに、
 動物の生態に対する鋭い目と洞察があり、独自の解釈が行なわれる。
 これこそナチュラリストの本領だといわねばならない。 」(p268~269)


さてっと最後に引用する箇所は、
この長い解説の終わりの箇所にあたります。
そこでは、今西錦司の「都井岬(といみさき)のウマ」に触れて
河合さんは読んだときの感想を記しております。

「この著作は、毎日のフィールドノートをそのままに写したようなものである。
 動物社会学の創始者である今西さんの最初の動物記であるから、
 期待に満ちた心躍らせてページをめくるうちに、しだいに
 速度が落ちてくる。そして、なにがなんだかよくわからなくなってくる。」
                          ( p308 )
このあとに、その今西氏の文を数行引用して説明しておりました。
そのあとでした。

「このごろの動物の行動に関する論文を読むにつれて、
 今西さんがこのとほうもない文体によってなにを主張し、
 なにを訴えようとしていたかが、ますます明瞭になてきたと思う。

 動物の行動や社会関係を表わすのに、最近は厳密で正確な数量的表現と、
 それにもとづく分析が要求される。2分ごとの行動をチェックし、
 それをまとめて個体の行動型を表記するといったことが、
 普通のレベルで行われている。

 このことはもちろん、非難されるべきことではない。
 しかし一方、科学的な精密さ、分析のメスの鋭さを競うあまり、
 いのちをもった動物の生きいきとした行動や生活のしかたが、
 どこかへ押しらやれてしまう、という状況が濃厚である。

 科学哲学者として著名なイギリスのホワイトヘッドが、
 最後の講演を行なったさい、『 精密なものはまやかしである 』
 とぼそっといって壇を降りたという話を、
 鶴見俊輔さんが書いておられたのを思い出す。
 彼は、分析のいきすぎが全体像を見失う危険を警告したのであろう。」
                   ( p309~310 )

そして、いよいよ解説の最後です。

「『都井岬のウマ』は、科学の進歩が、生物の実像を失わしめる
 危険があることに対する予言的警鐘として、重要な意味を
 もっていると、今にしてつくづく思うのである。

 『ノウサギ日記』は、『都井岬のウマ』と同列の作品であるといえる。
 その意味で、この旧(ふる)い日記が現在に登場する価値の重さに
 あらためて思いおよぶのである。 」(p310)


はい。私はこの解説をめくってもう満腹。
本文を読まずにスルーしちゃういつもの私がおります。
ひとまず、本棚に置いて、つぎこそは・・・。

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そこで福田恆存が考えた。

2024-03-04 | 前書・後書。
昨日の朝注文した「福田恆存の言葉」(文春新書)が
昨日の午後6時過ぎ届く。ありがたい。
あとがきは、福田逸氏。そのはじまり

「・・本書は東京・本駒込にあった三百人劇場に於いて
 昭和51年(1976年)3月から開講された、『三百人劇場土曜講座』の
 第一回から第八回までを収録した。・・・

 福田恆存らが結成した現代演劇協会傘下の劇団『雲』が
 前年分裂し・・稼ぎ頭だった俳優たちが、ごっそり抜けた・・

 殊に三百人劇場という建物の維持に苦労したわけである。
 そこで福田恆存が考えた企画の一つがこの『土曜講座』で・・

 毎回二人の講演を行い、恆存が後半を受け持った。ちなみに、
 第一回の客員講師は小林秀雄、
 第二回が田中美知太郎、
 以下会田雄次、矢島鈞次、藤井隆、
 高坂正堯、林健太郎、山本健吉と続いている。・・・・

 ・・・いわば、四苦八苦、あの手この手で劇場維持と
 劇団昴の公演継続に邁進したわけである。『土曜講座』は
 いわばそれらの嚆矢(こうし)となったわけだ。 」(p217~218)

次に、この講演がCDになっていたことを紹介したあとに
CDのよさと利点を指摘したあとに、

「 活字を追うという行為には、立ち止まって考えたり、
  読み直したりできる利点もある。読者に沈思黙考
  する機会も与えられるのではあるまいか

 ( ただし、現在は音声配信サービス『LisBo(リスボ)』
   で、この連続講演を聴くことはできる )。 」(p219)


はい。何か、こうしてあとがきやまえがきを引用させてもらっていると
よく、本の帯に書かれた紹介文を、あえて私がつくっているような
そんな気がしてきたりもします(笑)。

ということで、『はじめに 古びない警句』浜崎洋介の
それこそはじまりの箇所を引用しておきます。

「 本書に収められた福田恆存の講演は、
  昭和51年の3月から、翌昭和52年の3月までの
  1年間のあいだになされたものである。

  年齢で言うと、63歳から64歳の福田恆存による講演
  ということになるが、脳梗塞で福田が倒れるのが、
  その4年後の昭和56年であることを踏まえると、
  記録として残されたものとしては、これが
 『 福田恆存(つねあり)、最後の講演録 』
  だと考えてよさそうである。 ・・・・    」(p3)


つぎは、ゆっくりとでも、本文を味わえますように。

 
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2冊の震災本。前書・後書。

2024-02-28 | 前書・後書。
安房郡の関東大震災を語るときに、
『安房震災誌』と『大正大震災の回顧と其の復興』の2冊が
材料の宝庫でした。

『安房震災誌』の編者・白鳥健氏の言葉を紹介しておくことに。

「 終に私(白鳥)が安房郡役所の嘱託によって、
  本書の編纂に干与したのは、震災の翌年のことであったが、
  当時は各町村とも、震災の跡始末に忙殺されてゐた・・・・

  若し此の小さき一編の記録が、我が地震史料の何かの
  役に立つことがあれば・・・    」と凡例の最後に記しております。

また、安房郡長・大橋高四郎氏は、『安房震災誌』が完成した際には
前安房郡長という肩書で「安房震災誌の初めに」を書いております。
その最後にはこうありました。

「・・本書の編纂は、専ら震災直後の有りの儘の状況を記するが主眼で、
  資料も亦た其處に一段落を劃したのである。

  そして編纂の事は吏員劇忙の最中であったので、
  挙げて之れを白鳥健氏に嘱して、その完成をはかることにしたのであった。

  今編纂成りて当時を追憶するば、身は尚ほ大地震動の中にあるの感なきを得ない。
  聊か本書編纂の大要を記して、之れを序辞に代える。  
           大正15年3月     前安房郡長 大橋高四郎    」


ここには、もう一冊の『大正大震災の回顧と其の復興』からも引用。

 『 編纂を終へて  編者 安田亀一 』(上巻・p978~989 )から
 そのはじまりを引用しておきます。

「千葉県の大震災に何の関係もない私が、その震災記録を編纂することになった。
 而してそれが災後8年も経ってゐる(引受けた時)ので、
 その材料の取纏めや当時の事情の一通りを知る上に、
 多少の苦心なきを得なかった。それにも拘わらず私は、
 このことを甚だ奇縁とし、且つ光栄とするものである。

 あの当時私は大震災惨禍の中心たる帝都に在って、
 社会事業関係の仕事に従事してゐた。
 しかも救護の最前線に立って、一ヶ月程といふものは、
 夜も殆ど脚絆も脱がずにごろりと寝た。
 玄米飯のむすびを食ひ水を飲みつつ、
 朝疾くから夜遅くまで駆け廻った。

 頭髪の蓬々とした眼尻のつり上った垢まみれの破れ衣の人々が、
 右往左往する有様や、路傍や溝渠の中に転がってゐる焼屍体の臭気が、
 今でも鼻先にチラついてゐる。

 電車で本所の被服廠前を通るにも、
 私は心中に黙祷することを忘れないのである。

 そんな関係で、ここに大震災の記録を綴ることは、
 何か知ら私に課せられてゐる或る義務の一部を履行するやうな気がしてならない。」  
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プロの読み手。

2024-01-30 | 前書・後書。
安岡章太郎著「犬をえらばば」(講談社文芸文庫・2013年4月10日)。
注文してあったこの文庫が、今日届く。

この文庫の最後は年譜でした。その年譜の最後。
『 2013年(平成25年)1月26日、老衰により逝去。享年92。 』

さてっと、この文庫解説は小高賢です。
うん。その解説を引用したいのですが、ここは回り道。

藤原智美著「文は一行目から書かなくていい」(プレジデント社・2011年)
から引用。

「説得力のある文章を書くためには、
 誰に向けて書くのか、つまり読み手の想定が大切です。
 読み手が複数いる場合は、全員ではなく特定の一人に絞ること。

 できるだけ具体的に読み手の顔を思い浮かべたほうが、
 当たり障りのない内容から一歩踏み込んだ表現ができて、
 文章の説得力も高まります。  」(p29)

この次のページに、編集者が登場しておりました。

「プロの書き手は、その点で恵まれているのかもしれません。
 読者の前にまず編集者というプロの読み手がいるので、
 原稿用紙に向かえば否応なしにその顔が思い浮かびます。
 まず編集者を納得させることができるかどうかが第一関門になるわけです。」
                        (p30)


はい。それでは、講談社文芸文庫の小高賢氏の解説。
まずは、その最後から引用。

「 編集者として私が、お宅へ伺いだしたのは、
  安岡が60歳すぎてからである。
 『第三の新人』の仲間が、それぞれ病気がちになってきた頃である。
 『だんだんおもしろいことがなくなって、結局、原稿に向かっているのだ』
  と、ときおりつぶやいていた。友人との時間がなくなってきたことへの
  寂しさがあったのかもしれない。

  多くの友人の弔辞を読み、見送った安岡章太郎は
  2013年1月26日午前2時35分、家族に囲まれて自宅で亡くなった。
  ・・・・     」(p233)

 あとになりましたが、この小高賢氏の解説のはじまりを、
 最後に引用しておくことに。

「 本書(「犬をえらばば」)の刊行は、
  1969(昭和44)年1月。ちょうど、東大の入試が中止となった年である。

  自筆年譜には、その前後、小説があまり書けなかったとある。
  そのかわり、数多くのエッセイが執筆され、また、
  『志賀直哉私論』などの作家論の他に、文芸時評、評論、
  さらには対談・旅行記・紀行・ルポ・時評・翻訳など、
  他ジャンルへ旺盛な越境がはじまっている。・・・

  いわゆる『第三の新人』のなかで、安岡ほど
  小説だけでなく、幅広くいろいろな領域に
  積極的に立ち向かった作家はいない。・・・・

  ・・・後年の作品の厚みは、こういうプロセスを経て
  次第に獲得され、深められたものであろう。
  いいかえると、ものを見る幅と重層性が生まれ、
  
 『流離譚』『大世紀末サーカス』『果てもない道中記』『鏡川』
  につながった。またみずからの足跡を繰り返し訪ね、掘り下げる作業が、
 『自叙伝旅行』から『僕の昭和史』となって結実する。・・・・・・

 『 一見みおとしやすい日常的な卑近な現象から、
   ものごとの本質に迫ってゆくところに、安岡の
   軽妙な認識力があることだけはうたがいがない 』(平野謙)・・

  小島信夫に『 そのうち彼は急速に大人になった。
         それは旅行記やエッセイという「方法」でである。 』
  という鋭い観察がある。小島のように、
  この時期の多方面への跳躍が、後年の仕事につながった
  と考えるほうが自然だろう。・・・ 」(p220~p224)

はい。『編集者というプロの読み手』が書く解説というのが
これなんだなあと、そんなことを思いながら解説だけ読みました。
 
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地方的東京人。地方的文化人。

2023-12-30 | 前書・後書。
注文した扇谷正造著「諸君!名刺で仕事をするな」(PHP文庫)古本届く。

扇谷正造氏は、1913年(大正2年)宮城県生まれ。
巻末の著者紹介には、1935年朝日新聞入社~1968年退社。
この単行本は、1975年(昭和50年)に出版されておりました。

扇谷氏が退職されてからの講演などが掲載されているようです。
ここには、旧版の「序に代えて」を引用してみることに。

「肩書とか会社名などというものは、いわば風袋(ふうたい)で、
 風袋をとったところに、人間の真価がでてくる。
 ビジネスマンの勝負は、だから、ほんとうは
 『 定年で会社を辞めてから 』ともいえるかも知れない。」

退社しての扇谷正造氏の意気込みが吹き込まれているような一冊。
序に代えてには、こうもありました。

「『 名刺で仕事をするな 』というのは、
 今からちょうど40年前の昭和10年、私が朝日新聞に入社した時、
 いわれたことばである。編集局長は、あとで社長になった
 故美土路昌一氏で、このことばは、たしか、美土路さんの提言
 ということであった。以来、40年、私はいろいろな人に会い、
 さまざまな本を読んだが、ビジネスマンのことばとして、
 これにまさるものはない。と思っている。  」

パラリとひらくと、第三部『千年樫の下に』という半自伝的な箇所に
ひかれるものがありました。それについても「序に代えて」にあります。

「考えてみれば、私のような人間は、≪ 地方的東京人 ≫とか
 ≪ 地方的文化人 ≫というのだそうである。

 青少年時代を地方ですごし、長く東京生活をやっていても、
 その≪根≫は、生れ故郷にしっかり結びつけられている
 人間というわけである。すると、自分の人間形成というものは、
 いったい、どういうところから来ているのだろうか・・それもまた、
 いま地方からでてきて、東京や大阪などに働く若い人たちに
 何かの参考にならないだろうか、という思いが、第三部をまとめさせた。」


はい。私は題名のみ、昔から存じていたような気がします。
けれども、この本を手にとったのは、これがはじめてです。
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門松とツリー。

2023-12-14 | 前書・後書。
ネット「日本の古本屋」で名前検索をしていると、
解説だけの本までも、検索にひっかかってくれて、
はじめて知る人の本の検索に私にはとても有難い。

たとえば、『 吉田光邦 』の名で検索すると、
中央公論刊「日本絵巻大成」の第8巻「年中行事絵巻」がひっかかる。
その最後の解説を吉田光邦氏が書いているとわかる。とっても有難い。

日本絵巻大成全20巻には、巻末解説をいろいろな方が書かれているけど、
吉田光邦氏が書いているのは、この第8巻のみ。この機会にさっそく読む
(のちに絵巻大成は、続編も追加されているようです)。

それはそうと、「日本絵巻大成」には、毎回の月報を宮本常一が書いており、
月報をまとめ、「絵巻物に見る日本庶民生活誌」(中公新書)として出てる。
中公新書のは、以前にたのしく拝見したことがありました。

はい。日本絵巻大成第8巻の月報から、今回は引用してみることに。

「・・・町家の前に門松が立てられている。・・・
 興を覚えるのは、宮廷や貴族の門の前には立てられていない。

 これは、民衆の間にのみ見られる習俗だったのだろうか。

 門松は正月の神を迎えるための木ということになっており、
 この絵巻では松が立てられているが、土地によっては
 ツバキ・サカキ・シイなども用いられている。
 東京都府中市では笹竹のみを立て、松は用いていない。

 門松を立てるのは、日本のみではなく、中国の北部などにも見られ、
 そこではモミを立てているようであり、中尾佐助氏の『秘境ブータン』
 によると、ブータンでも門松を立てている。
 ただし、これは二本ではなく数が多いようである。

 日本では、門松のほかに、家の中に拝み松というのを立てるところが多い。
 東北などでは広く、これを見ることができるが、もとは奈良・京都付近の
 農家でもみなこれを立て、その松を拝み、その前で正月の酒を汲み交わした。

 そうすると、キリスト教におけるクリスマスツリーとたいへん近いものになる。
 これはモミ・ツガを主とするが、北欧の古い農耕儀式がキリスト教に結びついた
 ものと故渋沢敬三先生は言っている。

 これは優れた指摘であり、正月に松を立てることは、
 どうやら広く世界各地に見られた習俗のようである。 」

 ( 「日本絵巻大成」第11回配本・第8巻 月報11の、p1 )
 ( 「絵巻物に見る日本庶民生活誌」中公新書では、p214∼217 )
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職人像への切り口。

2023-12-01 | 前書・後書。
注文の古本・吉田光邦著「日本の職人像」(河原書店・昭和41年)届く。
とりあえず本が手許に届けば、もうそれだけで安心して読まなくなる私。

けれどこの本の『あとがき』だけは、しっかり引用したくなりました。
テレビ東京だったか、外国人が、日本の職人さんへ数日間弟子入りして
その家庭などで食事をしたりして帰ってゆくという番組がありますよネ。

たまにしか見ないけども、思わず心持ちが緩むようで印象に残っております。
「日本の職人像」の「あとがき」を読むと、そのテレビを思い浮かべました。
ということで、ここに本の『あとがき』の全文を引用しておくことに。


「 河原書店主からこの書のおすすめを受けたのは、わたくしが
  三度めの西アジアの旅から戻って、報告書を書いているころであった。

  西アジアでわたくしはずっと手工業の技術を調べてつづけていた。
  陶工、金工、木工・・・それらの仕事に従う人びとは、みなわたしが
  これまで接してきた日本の職人たちと全く同じ人びとであった。

  自分の仕事、技術に誇りをもち、しかも貧しい暮らしに甘んじながら
  うすぐらい工房で黙々と終日働きつづける人であった。

  彼らはこの異邦の旅人に、こまかに工程を語り、自分の作品を見せ、
  時には食事まで用意してくれる。その細やかな心づかい、
  人間はどこへ行っても人間であった。

  そんなことを考えながら、もういちど日本の職人像をたしかめようと、
  すこし歴史的な経過を追ってこの書物を書いてみた。


  すでに職人論を二冊ほど書いている。
  それらとはまたちがった資料と視角で構成したのが本書である。
  
  貧しく寂しい暮らしに閉じこめられつつ生きてきた
  日本の職人たちに、関心をよせられる方は、

  小著『日本の職人』(角川)、『日本技術史研究』(学芸出版社)を
  合わせて参照していただければ幸いである。

  最後にこの書の出来上るについての河原書店の方がたの
  お骨折に御礼申し上げる。

                  1966年5月  吉田光邦 」


ちなみに、発行所河原書店住所は、京都市中京区高倉通三条下ルとあります。


  
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茶の湯の、銘道に云はく。

2023-11-23 | 前書・後書。
本をひらかないと、書くことがないなあ(笑)。
あらためて、本の前書き後書きをひらきます。

生形貴重著「利休の逸話と徒然草」(河原書店)。
こちらも、なかなか読むきにならなくて、
それでも、徒然草のどの段を引用してるのか。
そういう、視点から興味の持続をはかります。

けれども、読む気がしないときは、
本のまえがきとあとがき。そこだけをめくります。
いい本は、そういう箇所をけっして疎かにしない。
ありがたいのは、最近そういうことに気づくこと。

ということで「利休の逸話と徒然草」の「はじめに」から
「茶道開祖とも位置づけられる村田珠光(しゅこう)」
その人の『心の文(ふみ)』からの引用をながめます。

「 此の道、第一悪き事は、
  心の我慢・我執(がしゅう)なり。

  巧者(こうしゃ)をばそねみ、
  初心の者をば見下す事、
  一段勿体無き事共なり。

  巧者には近づきて、一言をも歎き、又、
  初心の者をばいかにも育つべき事なり。・・・ 」

はい。この単行本で11行ほどの文なのですが、
ここを作者はどう書いていたか。

「 ・・『心の文』は、茶の湯におけるもっともすぐれた
  教育論になっていることを読みとるべきだと思います。 」(p14)

著者は説明をつづけておりました。

「 茶の湯に関わる者がもっとも陥りやすい『心の我慢・我執』、
  つまり、慢心と自由勝手な考えがこの道の大敵である事を
  まず述べています。

  そして・・つまり、巧者を妬んだり、初心者を見下したりすることが、
  もっともいけないこととして戒められ、巧者には教えを請い、
  初心者を育てなさいと述べています。・・・ 」

  
こうはじまって、『心の文』の最後の2行はどうだったか。

「 ただ、我慢、我執が悪き事にて候。
  又は、我慢なくてもならぬ道なり。
  銘道に云はく、
 『 心の師とはなれ、心を師とせざれ 』と、古人も云はれしなり。 」


はい。ここだけを読んで満腹感におそわれます。
全く、前書き後書きだけで私は読了の気分です。
それにしても、こんな本と出会えることの幸せ。
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もういくつ寝ると。

2023-11-17 | 前書・後書。
はい。11月も半分過ぎました。
堀田百合子著「ただの文士 父、堀田善衛のこと」(岩波書店・2018年)
の「おわりに」が思い浮かびます。そこから引用。

「 夏。
  暑い日が続くと、母の運転する車・・蓼科の山荘に移動します。
  初秋まで、ここで仕事をします。どこへも行きません。

  秋。
  山荘のベランダに黄葉、紅葉が降りしきるようになると、
  逗子の家に戻ります。
 『 もうすぐお正月ですね 』としきりに言います。
  なぜか、正月の行事や、おせち料理が好きでした。

  冬。
  毎年、年末になると、父は原稿用紙を折りたたみ、鋏を入れ、
  御幣を作ります。玄関に飾る若松に添えるためです。
  お供え餅には、半紙の代わりに父が原稿用紙を敷きます。
  書斎に新しい原稿用紙を用意して、父は新年を迎えます。 」               
                       ( p209~210 )

堀田善衛の本は、2冊くらいしか読んでいないのですが、
何か、堀田百合子さんの父のこんなイメージが印象深い。
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戦争を知らなかったオトナたち。

2023-08-18 | 前書・後書。
平成3年(1991年)生れの小幡敏(おばた・はや)氏の
新刊が気になったので購入する。

あとがきから引用。

「本書は・・連載『戦争を知らないオトナたち』に
 若干の修正を施し、大幅な加筆分と併せて一冊の書籍とした・・

 思い返せば、風変りなところのあった私は
 自分の生きる時代が信じられなかった。
 本当のものは昔にあるのだと信じた。・・・
 私はその確信を時代にぶつけて生きてきたのである。

 このとき、何故か私の脳裏にはいつも日本軍将兵が居た。
 どうやら私には、彼らが最後の日本人に見えた。・・・

 しかるに、彼らが私に笑いかけたことはなかった。
 その顔は硬く、悲しんでいるのか、じっとこちらを見つめては、
 くるりと背を向けられるような気がしてならなかった。

 ・・・・そして約半年間、一面識も無かった私の原稿に
 隅々まで目を通した上で心からなる激励と助言とを送って
 下さった長谷川三千子女史は本書執筆にかかる恩人であり、

 また、ともすれば塞ぎ込んだり苛立ったりしがちな私を気遣い、
 原稿の校正や表現の工夫にも協力を惜しまなかった妻智代は
 よき理解者であった。

 不肖な私を導いてくれた二人の女性に・・・    」(p263~265)


小幡敏著「忘れられた戦争の記憶」(ビジネス社・2023年8月1日発行)
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「新宮澤賢治語彙辞典」

2023-07-27 | 前書・後書。
もともと、本は最後まで読めなかったので、
その癖は、もう治らないとあきらめてます。
無理して、最後まで読んでも頭に残らない。

その癖して思うのは、贅沢な読書はしたいでした。

ところで、『宮澤賢治語彙辞典』というのがあります。
こちらは、宮澤賢治語彙辞典と、新宮澤賢治語彙辞典、
さらには、定本宮澤賢治語彙辞典(2013年)まである。
うん。何が何やらわからないままに、定本の辞典は、
一万円以上するので論外ということにして、ここは、
古本で「新宮澤賢治語彙辞典」を買ってみました。

ページ数は、本文が930ページ+索引139ページ=1069ページ

最後の方には、宮澤賢治語彙辞典の際の序も引用されておりました。
その旧版序文「本辞典を利用される方々へ」のはじまりを引用してみます。

「詩人、作家としては、日本ではもちろん世界的にもおよそ類例がないと
 思われる多種多様の語彙の駆使者、宮澤賢治 ・・・・

 その多彩さは、しかし、よく使われる『豪華絢爛』、『言葉の魔術師』、
 といったニュアンスとは一味ちがった、
 また古典派、教養派のもつ言語の多彩さとも一味も二味もちがった、
 それはなんと言ったらよいのか、
 
 彼らの書物臭や書斎の雰囲気を、感覚の偏差や文学臭を、
 まったく剥ぎとったと言ったらよいのか、はだかの言葉たちの
 無垢の実在感、即物性、リアリティー、軽快さ。

 例えば、天文、気象、地学、地理、歴史、習俗、方言、地名、人名、哲学、
 宗教、農業、化学、園芸、生物、美術、音楽、文学・・・等々の諸分野の
 名詞が、ごく自然に軽やかに繰り出されてきて・・・・・

 読者の意表をつく軽快さとうらはらに、やはり意表をつく
 それら名辞の難解さに、非常にしばしば眩惑されながら、
 この謎にみちた賢治世界の、いわば言語地理を、

 誰にもわかるような辞典のかたちにして作れないものかと
 私が思案しはじめたのは、もう20年も前のことである。・・・」(p922)

はい。これが「宮澤賢治語彙辞典」の序文のはじまり。
次に、「新宮澤賢治語彙辞典」の序のはじまりを引用。

「・・初版の刊行は1989年10月であった。ほぼ10年ぶりに、
 この「新宮澤賢治語彙辞典」は刊行されたことになる。

 ・・10年間・・思えば旧版刊行の翌日から、
 私は不眠症に襲われ、ずっと安定剤の世話になりつづけた。
 項目や説明の不備、不適切、錯誤、等々への不満足がしだいに募り、
 すぐにでも版元に絶版を申し入れたいほどであった。

 いっとう悔やまれたのは、一項につき幾通りもの生原稿を重ね、
 採用最終稿を上にして渡し、あとは校正まですべて編集部に
 委ねてしまったという私の無責任であった。・・・・・・・・     
  
                   1999年3月   原子朗 」


ちなみに、旧版序文には、こんな箇所もありました。

「例えば賢治得意のオノマトペの数々、
 それらが作品の中で果たしている
 音とイメージの感覚的役割をコメントしようと
 準備していた。そして他の形容詞や副詞等の取扱いと
 同じように、その頻度や種類、分布などを論じる工夫を
 私は考えていた。

 なんとかやりぬく自信もあったが、やはり断念した。
 未練も残ったものの、それらはまた別の機会にゆずることにした。」(p924)

「新宮澤賢治語彙辞典」をひらくのですが、こちらでも、
 宮澤賢治の、オノマトペは省かれておりました。残念。


はい。新・旧の辞典の序文を読んで、私はもう満腹です。
後はその都度、辞典を活用していけるように心がけます。


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風をたべ。朝の光をのむ。

2023-07-08 | 前書・後書。
私など、本を数行・数頁読んだだけで、
何だか、満腹で先へ読み進めなくなる。

などと、本を食べ物にたとえることがあります。
じゃあ、本を書く人にとってはどうなのだろう。

新潮文庫「注文の多い料理店」の目次をひらく。
最初は、イーハトヴ童話『注文の多い料理店』(全)とあります。

  序
 どんぐりと山猫
 狼森と笊(ざる)森、盗森
 注文の多い料理店
 烏の北斗七星
 水仙月の四日
 山男の四月
 かしわばやしの夜
 月夜のでんしんばしら
 鹿踊りのはじまり

目次は、そのあとにも続いておりますが、
とりあえず、私が読みたかったのはここまで。

序をひらくと、こうはじまっておりました。

「わたしたちは、・・・
 きれいにすきとおった風をたべ、
 桃いろのうつくしい朝の光をのむことができます。

 ・・・・
 これらのわたくしのおはなしは、
 みんな林や野はらや鉄道線路やらで、
 虹や月あかりからもらってきたのです。  」


ちょっと思うのですが、林や野はらはわかるのですが、ここで
どうして鉄道線路なのだろう?鉄道ファンの『鉄ちゃん』だから?
まあ、それはそうとして、序からの引用をつづけます。

「 ですから、これらのなかには、
  あなたのためになるところもあるでしょうし、
  ただそれっきりのところもあるでしょうが、

  わたくしには、そのみわけがよくつきません。

  なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、
  そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。 」

はい。つぎは、この序文の最後になります。

「 けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、
  おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、
  どんなにねがうかわかりません。

       大正12年12月20日    宮沢賢治         」


こんな序文があったなんてね。さて、この序文をどう読めばよいのか?
この新潮文庫の最後の方には、井上ひさし氏の6ページほどの文があり、
そのはじまりは、こうありました。

「 宮澤賢治の『正しい読み方』、あるいは『正義の鑑賞法』など
  あろうはずがない。読者はそれぞれ自分の背丈に合わせて、

  この稀有の詩人にして世にも珍しい物語作家の創ってくれた
  世界で、たのしく遊べば、それでいい。

  解説は、だから、これでおしまい。これから書くことなどは、
  蛇足も蛇足、蛇の足の先の、爪の垢同然の、余計な付足しである。 」

こうして
「 つめくさはマメ科の多年草でずいぶん根が長い。・・・ 」
話しをはじめ、その長い根にひっかかるように宮澤賢治が浮かびあがります。


うん。新潮文庫の序と、解説とを引用しただけで、満腹感。





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そぎ落とされた言葉の情報。

2023-07-07 | 前書・後書。
はい。まえがきと、あとがきと、それしか読んでこなかった
私みたいな者には、その箇所が充実した要約だったり、
問題提起だったりするのは、なんだか得した気分になります。

古本で、山極寿一の本が安かったので購入。
『はじめに』だけを読むのでした(笑)。

「 今、わたしたちの暮らしはとてもいそがしくなっている。
  それは世の中にたくさんの情報があふれていて、それを
  取り込もうとして人々がいつもスマホやインターネットに
  向かい合っているからだ。

  まるで人とつきあうことはそっちのけで、
  スマホばかりつきあっているように見える。

  でも、たくさんの情報を集めても、
  たくさんの人と仲よくなれるわけではない。

  むしろ、まだ顔も知らない人から相談をもちかけられたり、
  いろんな誘いがあったりして、目の前のことができなくなる。

  さまざまな情報が乱れ飛ぶので、なにを信用していいかわからなくなり、
  不安にかられる。知らない人からやっていることを非難されたり、
  自分の行動をどこかでだれかが見ているような気がして不安になり、
  落ち着かなくなる。

  ・・・・情報は変わらないけれど、生き物はつねに成長して
  変わっていく。今日の自分は昨日の自分ではないし、
  明日もちがった自分になるはずだ。好みも変わるし、
  友達との関係も変わる。そのなかで、自分というものを
  保ち続けるのはなかなか難しいことなのだ・・・・    」

すこし飛ばして、そのあとにこんな箇所がありました。

「 言葉は世界で起こるいろいろな出来事を抽象化し、
  簡潔に伝えるための道具だ。・・・・

  でも、言葉は情報にはならないものをたくさんそぎ落としている。

  たとえば、怒りや悲しみにはいくつもの種類や程度の差があるのに、
  それは言葉ではなかなか表現できない。

  怒っているように見えても、
  ほんとうはだれかに助けてもらいたがっていたり、
  けんか腰に見えても仲直りしたがっているような態度は、
  その場に居合わせなければ理解することが難しい。

  しかも、人間は人間だけで暮らしているわけではない。
  虫や鳥や動物と、植物とだってさまざまにつきあいながら
  日々の暮らしを豊かにしている。

  言葉を使わずに、イヌやネコと、ときには
  植木鉢の花と会話することもある。
  それはたがいに生き物だからこそ、感じ合うことのできる
  コミュニケーションなのである。

  そして、人間が自分を他人の反応によって自覚するように、人間は
  ほかの生き物の反応によっても人間であることを意識できるのだ。

  とくに、人間とはいったい何者であるかを知るためには、
  人間以外の生き物とつきあってみる必要がある。

  ネコを定義するためにはネコ以外の動物を知らなけらばならないように、
  人間を定義するためには人間との境界域にいる動物を知ることが
  不可欠になる。

  そこでわたしは、ゴリラの国に留学することにした。・・・   」


はい。本文は、そのゴリラのお話になっているようですが未読。

山極寿一著「人生で大事なことはみんなゴリラから教わった」(家の光協会)



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Hanada8月号

2023-06-27 | 前書・後書。
月刊Hanada8月号「安倍晋三元総理一周忌大特集号」。
最後のページ下の「編集長から」に

「 この一年、安倍総理のこと思わない日はありませんでした・・・
  編集しながら、改めて、いろいろなことを思い出してしまう。・・ 」

はい。特集を組んでいただき、ありがとうございます。
私のように、すぐに忘れてしまう者には有難いかぎり。

ここでは、巻頭随筆を紹介。
渡辺利夫の巻頭随筆「新・瘦我慢の説」、
この回は、朝鮮への言及でした。

①イザベラ・バード『朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期』講談社学術文庫
②グレゴリー・ヘンダーソン『朝鮮の政治社会―渦巻構造の分析』サイマル出版社
③シャルル・ダレ『朝鮮事情』平凡社東洋文庫

の3冊の引用を重ねながらすすめております。
とりあえず、3冊からの引用のあとに、渡辺氏はこう記します。

「政治文化の伝統という拘束からみずからを解き放つというのは、
 そう簡単なことではない。1948年に独立した国家が大韓民国である・・

 この国の・・荒々しい権力抗争は、
 李朝時代のそれを彷彿させるようになお激しい。
 歴代大統領の末路は、日本などでは想像さえできないほどの悲惨さである。

 李承晩(イスンマン)は失脚して亡命先のハワイで客死。
 朴正煕(パクチョンヒ)は側近により暗殺、
 全斗煥(チョンドウファン)は反乱事件の首謀者として死刑判決、
 盧泰愚(ノテウ)は懲役十七年、
 廬武鉉(ノムヒョン)は投身自殺、
 李明博(イミヨンパク)は懲役十七年、
 朴槿恵(パククネ)は弾劾を受けて大統領を追われた・・・ 」

「 ・・・左派エリートたちは、
  韓国は『間違って作られた国』だと考えていると
  李栄薫(イヨンフン)は『反日種族主義―日韓危機の根源』
  のなかで指摘している。そうに違いない。

 『過去史清算』とか『積弊清算』とかいう物言いは、そういう
 彼らのセンチメントを政治用語化したものなのであろう。・・・   」

ちなみに、巻末随筆はというと平川祐弘氏の「詩を読んで史を語る」
こちらの連載は、もう14回目です。


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文庫版とワイド版

2023-06-22 | 前書・後書。
司馬遼太郎著『街道をゆく』の「モンゴル紀行」と「南蛮のみち」を
古本で注文してあったのが届く。

はい。『街道をゆく』は古本で、本のサイズが選べるのがうれしい。
単行本と文庫本と文庫本のワイド版とがあり。私はワイド版を選ぶ
( なんだか、岩波文庫のワイド版が思い浮かぶのでした )。

うん。買うとほっとして読まないことがある私です。
とりあえず「南蛮のみち🈩」をパラリとひらく。
パリからはじまっているようです。

「 彼女が案内してくれた小ぶりなレストランは、
  ホテルから徒歩で十数分の街角にあった。・・・

  私はむかしから食事量がすくない。
  それに未経験の食べものへの冒険心にとぼしいために、
  同席者に快感をあたえることができない。

  せっかくパリにきてステーキでもないのだが、
  ともかくもその小ぶりなのを注文した。

  この短(たん)を、須田画伯がつねにうずめてくれた。
  この夜も時差や旅の疲れというものは画伯の食欲には無縁らしく、
  おどろくばかりの多い量の食物を、みなが食前酒を飲みきらないうち
  たいらげてしまった。

  もっとも自己についての認識は詩的で、
  極端に食が細いと信じておられ、
  そうでもないですよ、といったりすると、
  犬が噛みつくような勢いで否定される。・・・  」(p12)

はい。須田画伯がゆく。
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