和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「大工は生木で家を建てない」

2018-06-30 | 書評欄拝見
新潮45の7月号に掲載されていた猪瀬直樹氏の
言葉が、印象に残る。

「始めたのは64歳なんだけど・・・
最初は家の周りを300メートル走っただけで
ハアハア息切れしていた。でも次第に・・・」(p110)

そして、この箇所。

「ぼくは作家で、植木屋さんとか、大工さんのカテゴリーで、
手に職を持っているから何歳になっても働くことができる。」
(p111)


そうそう、外山滋比古氏の文は、
一箇所一箇所の言葉がレンガのようで、
まるで、LEGOを組み立てるようにして、
ひとつのLEGOを持ってきて、あたらしく
別に組み立ててみたくなる、楽しみがあります(笑)。

外山滋比古著「新聞大学」(扶桑社)に
「読書・書評」と題した文があります。
そこから引用。

「出たばかりの本、ゆっくり読む時間もなく
急いで書いた書評はどうしても歪みがある。
『大工は生木で家を建てない』と言うが、
書評は『生木』のようなもの。
時がたてば、変質する。」

そして、外山氏は、
ときどき引用するあるエピソードをもってきます。

「イギリスの『タイムズ・文芸附録』は
世界的権威のある書評専門週刊誌である。
あるとき、目覚ましい企画を立てた。
25年前の同誌の書評をそっくりそのまま
再録したのである。もちろん書評はすべて無署名であった。

おもしろい、というか、驚くべきことが明らかになった。
25年前に、絶賛された本が、
いまはほとんど忘れられているかと思うと、
つまらぬ本だとされた本が有名になったりしている。
要するに、書評のいのちは25年ももたないということである。」
(p80~81)


はい。ほんとうは、もっと
「新聞大学」からの引用をしたいのは、やまやまですが、
そのテーマが大きすぎて、私には手に負えない、あとは、
この「新聞大学」で、研鑽を積むことといたします(笑)。

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米朝会談。

2018-06-29 | 短文紹介
雑誌「WILL」2018年8月号のはじまりは「米朝会談の核心」。
国際政治学者坂元一哉氏。談話のようです。9頁。

そこからの引用。

「声明の文言が北朝鮮を厳しく追い詰めるものでないのは、
トランプも『弱者』である北朝鮮に寛容の精神で臨んでいる
からであり、現時点では国際政治のリアリズムに沿って
事が進んでいると見るべきでしょう。
 共同声明は板門店宣言の焼き直しに過ぎないとの指摘も
ありますが、南北会談は『弱者』同士の話し合いです。・・」
(p39)


「北朝鮮のような独裁国家の外交は、トップが相手のトップと
大方針を明確に決めてからでないと事務方は動きにくい。
後で『それはトップの意向と違う』『勝手に動いた』となれば
怒られるだけでは済まないからです。」(p40)

「北朝鮮への経済制裁は、
北朝鮮が『完全な非核化』を実行しない限り続きます。
北朝鮮は『完全な非核化』の曖昧さに乗じて時間稼ぎを
するのではないかと心配する向きもありますが、
『完全な非核化』の意味を解釈するのは
『強者』であるアメリカに他なりません。
北朝鮮がそんな意味ではないと、言い立てたとして、
経済制裁が続くだけです。」(p41)


これ以降、さらに読ませますが、
どうぞ、雑誌を立ち読みしてでも、
読んでみてはいかがでしょう(笑)。

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オレオレ「社会の木鐸」詐欺。

2018-06-28 | 朝日新聞
外山滋比古著「新聞大学」(扶桑社)に
「振り込みサギ」への言及があります。

「少し、話は違うが、国を挙げて、
振り込みサギの警戒をしているのに、
いつまでたってもなくならない。
それどころか、被害の額が大きくなっている。
おもしろいことに、関東、首都圏のほうが、
京阪神に比べて、はるかに被害が大きいという。」
(p139)

これは、「広告」と題する箇所にありました。
ここに、こんな箇所もあります。

「・・新聞が考え出した広告の最新のスタイルは
記事と見まごう広告である。多く、全面広告である。
走り読みしている読者は、普通の記事として読み出す。
しばらくして、広告記事とわかって、多くは
いやな気持になる。ダマされたとハラを立てる人もある。」
(p136)


「新聞大学」に「社会の木鐸(ぼくたく)」と題した文もある。

「木鐸とは、
『・・・『社会の指導者』の古語的表現。
新聞は社会の、(世論を導くもの)〈「明解国語辞典」〉」
(p192)

『新聞は社会の木鐸』

「つまり、新聞は自ら社会をリードしていく
エリートであると言っているようなもので、
指導性、教育性を巧みに表明したものである。」
(p192~193)


辞典の解釈によれば、
新聞というのは、
「社会の指導者」で「世論を導くもの」であるらしい。


う~ん。「朝日新聞や毎日新聞などは社会の木鐸である」
と簡単に信じてしまう方と、オレオレ詐欺被害者との、
類似点について、どうしても考えてみたくなる(笑)。

オレオレ詐欺の手口については、
よく解説されていますが、手口が巧妙になってきています。
たとえば、新聞でも一面、社会面、家庭面、声欄、歌壇俳壇と
新聞紙面のどこからでも関連しているような手口が
オレオレ詐欺に見られる多人数主義の傾向と合致します。
その世界で完結してしまえば、詐欺は完璧。
そこにある世界を、そのままに信じ込ませる語り口。
他に相談するという発想が起こる前に完結する世界。

ということで、外山滋比古著「新聞大学」では

「とにかく、
併読紙を持つか持たないかは大きな問題である。
軽い気持ちで、もうひとつ新聞を
購読するなどということは考えにくい。
やはり、ものの考え方にかかわってくる。
ひとつの新聞しか見ていなければ、
その新聞の考え方、見方、価値観に、
しばられるという自覚もなくしばられている。」(p170)


この言葉などは、そのままに、
オレオレ対策の処方箋。そう、私は思います。
ということで、
中年以降は、オレオレ対策の
知的処方箋として「併読紙」をもつこと。

外山滋比古著「新聞大学」には
その大学院にもふれておられます(笑)。

「併読紙を持つことで、
新聞大学に学ぶものは、大学院へ進むことになる。・・・
一紙だけでは得られないものがあることを
発見できるのが、新聞大学の大学院である。・・・
併読の読者は、真の新聞読者であるということができる。
国際競争力のある知性を育むことも可能であるように思われる。」
(p170)


ふ~っ。
「新聞大学」は奥が深い。

「しばられるという自覚もなくしばられている」のは、
朝日新聞の購読者。それにオレオレ詐欺被害者。
「他の人はいざ知らず、私は、しばられてなんかいない」と、
きっと、朝日新聞の購読者の方々は笑うのだろうなあ(笑)。


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骨太の散文。

2018-06-26 | 短文紹介
1923年生まれの外山滋比古氏。
楽しく読ませていただいているのですが、
スラスラ読めるのが曲者で、
きちんと咀嚼していない読者が私です(笑)。

ということで、
外山滋比古著「新聞大学」(扶桑社)を読み返す。

外山氏は言います。
新聞は少なくとも学校の国語の教科書より進んでいると。

「・・少なくとも、学校の国語の教科書より進んでいる。
学校の国語はいまなお、かつての文学偏重から脱し切れていない。
小説の切れ端を並べるけれども、
骨太の散文がほとんど見られない。
美文、名文を尊重する伝統が
いまもことばの力を殺(そ)いでいるように思われる。

新聞は幸いにして、文学国語の弊をまぬがれている。
現代日本語を代表するのは新聞であると言ってよい。」(p28)

はい。読み返していると、
外山滋比古氏の文が、その「骨太の散文」
たらんとしているように読めくる。

つぎに「文学離れ」とある箇所を引用。

「さすがに新聞である。
読者の変化をいち早くとらえて、紙面を変化させた。
連載小説に見切りをつけ、だんだん少なくし、
とうとうなくするところまであらわれたが、
読者は少しも騒ぐことはなかった。
文芸時評もいつしか見られなくなったが、
それを惜しむものは少なかったのであろう。
なくなったこと自体に気づかなかったのである。
文学離れでは、新聞は先駆的であったと言ってよい。

文部科学省が、国際競争力に欠けるというのを理由に、
国立大学の文系学部、学科の再編廃止を求め、
各国立大学長あてに通達を出した(2015年6月)。

・・・・・・
ところが、実際には、この問題を取り上げて、
批判する新聞はひとつもなかったのである。
新聞はとっくに、同じようなことをしていたからであろうか。」
(p72~73)


「小説に代わるものとしては、
エッセイがあるけれども、エッセイは、
小説以上にすぐれたものを書くのは難しい。
随筆と言われたころからすぐれた書き手が少なかった。
かつての寺田寅彦のような書き手が何人かあらわれれば、
新聞文芸の花が咲くことになるであろう。
いまは、その準備の時であるかもしれない。

新聞大学の読者としては、
それを待つ間、第一面の下のコラムで
代用するほかないかもしれない。・・
文学的関心をこのコラムだけで満足させることはできないが、
本格的エッセイが確立するまでの間、
コラム頼み、は仕方がないかもしれない。」
(p73~74)


はい。
「美文、名文を尊重する伝統がいまも
ことばの力を殺いでいるように思われる。」

という視点に驚きながら、
ほとんど見られない「骨太の散文」を
外山滋比古氏は書き始めておられました。
美文でも名文でもなく、スラスラ読める。
けれども、外山氏の文には骨がある(笑)。




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私(曽野綾子)は証人である。

2018-06-25 | 産経新聞
今日。産経新聞6月25日の特集に
「時代を映す正論 45周年」とあり。
曽野綾子氏の文が載っておりました。
そのはじまりは

「この正論がスタートした45年前頃の空気を知る人は、
今や少なくなってしまっただろう。・・・・
その頃の総合雑誌を調べれば、中国または北朝鮮が
理想の国家形態に近いと書いた人たちの文章を、
容易に発見することができるだろう。」

あとは、はぶいて、
中頃から曽野さんの文を引用。

「マスコミとそこで働く一部の人は
非常に臆病だった。・・
常に何かを恐れて、書き手の内容を検閲したがった。
当時、私の文章はしばしば部分の訂正を迫られ、
それを拒否すれば掲載されなかった。
・・・・・
私は心の中で、このような
臆病なマスコミの言論弾圧が続いた時代を、
『戦後日本の表現の暗黒時代』だと思っている。
・・・・
その頃、日本のマスコミの暗い潮流と
闘ってくれた、ほとんど唯一の報道機関が
産経であったことの、私は証人である。
・・・
もし産経の存在がなければ、
世論の潮流はどこへ流れていたかわからない。
・・・・」

こうして、文の最後はというと、

「しかしこれで安心することはできない。
社会や思想の濁流や雪崩は、
ちょっとしたきっかけでも起きる。
それに持ち堪える社会の基盤を、
戦後のマスコミの中で、
新聞社としての産経は唯一
その任務を果たして来た。
将来もその危機に耐える組織で
あってほしいと願っている。」


けっこう、曽野さんの文を読んでいると、
このようなことは、そのつど語られております。
繰り返しになっているなあと、思います(笑)。



ここで、岸田衿子さんの短い詩を引用。


   一生おなじ歌を 歌い続けるのは

  一生おなじ歌を 歌い続けるのは
  だいじなことです むずかしいことです
  あの季節がやってくるたびに
  おなじ歌しかうたわない 鳥のように




つぎは、小川榮太郎氏の文から引用。

「世論への強大な影響力のある『嘘』に対して、
『それは「嘘」だ』と言い続けることが、
なぜ日本の言論人たちにはこんなにもできないのか。

民主主義の基盤を破壊し続けている
巨大な構造物であるマスコミを、
ほとんどの言論人が容認し、
その偽りの構図に乗って、
したり顔の論評をする人たちばかりが、
主流派メディアに登場する。

朝日が狂気というより、
この構図が狂気なのである。

朝日が異常であろうとも、
異常なもの、嘘に対して
言論人・知識人が
堂々とこれを告発すれば、
ここまで異常な言論を
のさばらせることはなかっただろう。」

(月刊Hanada2018年7月号・p49)



「歌いつづける」
「言い続けることが」
そして、
「私(曽野綾子)は証人である。」







   
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人の言葉の散りやすさ。へびと風との逃げやすさ。

2018-06-24 | 詩歌
古本を買うようになって、
安心して、本に線を引く。

新刊だと、きれいすぎて、
大切にし過ぎて、線を引く
のに躊躇しておりました(笑)。

古本だと、頁がきれいでも
安心して、線を引けます。
そうして、新刊も線を引けるようになりました。

さてっと、
この頃、寝ながら本を読むのを覚える(笑)。
これだと、線を引くのが面倒になり、
そのため、後でどこにあったかと言葉を探すときに
それが見つけ出せなかったりします。
やっぱり、私には線を引くのが性に合っているらしい。

いつから、意識しだしたのだろう?


板坂元著「考える技術・書く技術」(講談社現代新書)を
読み返していたら、こんな箇所がありました。

「わたくしは、勉強のつもりで読むときは、
手もとにかならずダーマトグラフの黄色い芯の
ものを置いてからはじめる。芯の太い色鉛筆でも
かまわないが、芯が減ってきたとき紙を一段
くるくると剥けば新しく芯が現われる
ダーマトグラフの方が、ナイフを使わなくてもよい
ので便利である。・・・」(p68)

私の本には、この箇所に黄色い線が引いてありました。
きっと、これを読んでから気にしだしていたのでした。

今回思い浮かべて、黒色のダーマトグラフを買いました。
こちらは、メモ用に、広告の裏の白紙に大きく短く
書くために買いました。


はい。ぬり絵のようにして、
本に、黄色い線をひいていく。
時に、新聞に黄色い線をひく。
色を塗らないと、ぬり絵は出来上がらない。


ということで、本の小道具ブログ(笑)。
せっかくですから、詩を引用。


    古い絵   岸田衿子

 木の実の重たさをしるまえに
 話をはじめてはいけません

 実のそとを すべる陽
 実のなかに やどる夜

 人の言葉の散りやすさ
 へびと風との逃げやすさ
 
 手のひらに
 うす黄いろい実をおとすのは

 あの枝ですか
 神の杖ですか

 かすかな音をきくまえに
 話しをはじめてはいけません




そうそう、古本でも、未だ、
詩集には、線はひけません。

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「客観報道」と、「編集へのお手紙」。

2018-06-23 | 手紙
え~と。
どこから話しましょう(笑)。

文芸春秋の雑誌「諸君!」の最終号は
2009年6月号でした。その巻頭随筆である
「紳士と淑女」では、最後に「読者へ」として

「なお、三十年にわたって、
ご愛読いただいた。『紳士と淑女』の筆者は、
徳岡孝夫というものであった。」

こう締めくくっておられました。
現在。その徳岡孝夫氏は
雑誌「新潮45」の巻頭随筆「風が時間を」を
執筆しております。
その今月号2018年7月号では、
アメリカに渡って大学のゼミの講義をうけている内容の
ことがでてきております。時代は戦後十五年のことです。

はじまりは、

「私を最も手古摺らせたのはShort Story Writingのゼミだった。
つまり短編執筆である。ただ文学のゼミではないので小説ではなく、
ノンフィクションの書き下ろしである。・・・・
それだけではない。書いた原稿を売ってそれが掲載されれば
ゼミの点数になるという。・・・

ただ書くための手引きはあった。Writer’s Guideという本。
原稿を求めているアメリカ中の出版社の名、誌名、住所、
どんな原稿を求めているか、原稿料まで列挙され、
それが一冊の本になっている。・・・・

私は書いた。『日本』をネタに書きまくって送った。
だが私の原稿は一本も採用されなかった。
戦後十五年、日本はエキゾティシズムより
『昨日の敵』のイメージが濃かった。

しかし米国の新聞社、出版社が多数の取材記者を雇うことなく、
外部からの協力とその内容を調べるという身軽な行動で
成り立っていることは分かった。」

そして最後に、日本について
書かれておりました。ちょっと、読み過ごしたくなる
のに、重要な箇所だと思っております。


「当時の日本では新聞に意見や情景を書こうと思えば、
その新聞社に勤務する記者が原稿依頼に来るか、
または記者の手で書かれる以外に手がなかった。

進んで雑誌に寄稿しようと思ってもメディアは有名人に
すでに執筆依頼するか自分の記者に取材にいかせて、
いわゆる『客観報道』をしてしまっていた。

それに比べて米国の業界はずっと開けていた。」


この最後の
「いわゆる『客観報道』をしてしまっていた。
それに比べて米国の業界はずっと開けていた。」
とありました。
ここから、外山滋比古著「新聞大学」(扶桑社)
にある「投書欄」という文が思い浮かびました。

それを引用。

「外国の新聞は日本に比べると概して
読者の投書がすぐれている。
だいいち、投書、などと言わない。
編集への手紙(Letters to the Editor)
と呼ばれることが多い。
・・・素人ばなれした文章もある。
いずれにしても、レターである。エッセイなどと
気取らない。反対、攻撃の叫びではない。
やさしくあたたかい文章が見られる。
アメリカの新聞は、少し味わいが欠けるように
感じている日本人もいるようだが、
それは誤解である。アメリカの〈編集への手紙〉にも、
びっくりするような良い文章が見られるのである。

 ・・(ひとつ紹介されておりました省略)・・

日本の新聞の投書は、どうしたことか、
騒々しかったり、むやみに攻撃的だったり、
自己主張がむき出しであったりする。
書いている当人は得意かもしれないが、
読者には、おもしろくないものが多い。
もっと多くの人が大人の文章を書くように
ならなければいけない。・・・」(~p102)



はい。「編集への手紙」というのですね。
うん。手紙なんだね。
いいなあ。「エッセイなどと気取らない」(笑)。




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わが家の愛読者。

2018-06-22 | 短文紹介
ネットで古本を検索していると、
ときどき、非売品というのがある。
これなど、つい買ってしまう。

「菊池寛誕生百年記念
  逸話に生きる 菊池寛」(文芸春秋社・非売品)

この本の最後の方に、
菊池寛夫人による、回想があったのでした。


そういえば、池島信平に「『わが家の愛読者』と共に」
という短文があるので紹介。
それは、山本周五郎についての文でした。

「山本周五郎全集の月報に何か書けと頼まれたが、
別に特別なことが思いつかない。毎号、皆さんが
書いてしまって、何もつけ加えることがない。

そこで、わが家の大愛読者の拙文を添えることにした。
作家にとっても、出版社にとっても、古い愛読者ほど
ありがたいものはないので、その意味で、これは私の
駄文より少しはマシかもしれない。
(因みに原稿料は、全部、彼女に呈上する予定)」

こうして、以下3頁が彼女の文なのでした。
これがまた、古くからの読者としての矜持を感じました。


ちなみに、菊池寛も、池島信平も、
どちらも、奥さんより先に亡くなっております。


当然、奥さんが先に亡くなるケースもある。今月発売の
「新潮45」7月号の特別企画「熟年婚、成功と失敗」。
この最初が猪瀬直樹氏の文でした。
そのはじまりは

「5月16日、画家で女優の蜷川有紀との婚約パーティーを
開きました。・・『カップルは、128歳』で、
ぼくが71歳、彼女は57歳。」

そこで、猪瀬氏は、こう書いております。

「なぜ、同世代の男たちが『老人クラブ』みたいに
なってしまうかというと、やはり仕事がなくなるからだと思う。
・・・でもみんな元気で、まだ働きたいと思っている。
ぼくは作家で、植木屋さんとか、大工さんのカテゴリーで、
手に職を持っているから何歳になっても働くことができる。」

「体内年齢」も書いておりました。

「じつは先日、病院に行ったとき、タニタの計測器で
『体内年齢』を測ってもらったら、51歳だった。
実年齢より20歳も若いんだよ。筋肉量が多く、
基礎代謝量が高くなるほど、『体内年齢』は
若くなるらしい。体脂肪率もBMI標準値だった。

なぜ『体内年齢』が若いかというと、
ランニングを日課にしているからだろうね。
始めたのは64歳なんだけど、
いま月に最低50キロは走っている。

きっかけは副知事時代、仕事が多忙で
メタボになり、人間ドックで血糖値が
高いと警告されたから。
『糖尿病になって失明したら、作家として
の仕事ができなくなりますよ』
と言われて、反省して走り始めた。

最初は家の周りを300メートル走っただけで、
ハアハア息切れしていた。でも次第に
筋肉がついてきて、1年3ヶ月後には
東京マラソンを6時間40分で完走するまでになった。」
(p110~111)

オノロケも引用。

「出会ったのは2年前。知り合いの紹介だったね。
彼女は、もともとぼくの本をよく読んでくれていた。
・・・それに偶然、前の妻と血液型も誕生日も同じで、
これはもう運命だと思った。だから出会って30分で、
この人だと決めた。」(p109~110)


ただただ、拍手。

思い浮かべるのは、江藤淳が66歳で亡くなっており、
亡くなる前年に慶子夫人を癌で亡くしておりました。


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併読紙である。

2018-06-21 | 道しるべ
外山滋比古著「新聞大学」(扶桑社)が
文庫に入ったと広告で知る。この機会に
未購入のままだった単行本を、古本で注文。
はい。価格11円。送料349円とのこと。
それが届く。

以下は、「ひとつでは多すぎる」と題した文から引用。


「戦前、地方では、新聞を読むのはいわばエリートであった。
一般に、新聞を見ることもなく一生を終えた人がどれくらい
いたかわからない。それだけ、生活にゆとりがなかったと
言えるかもしれないし、知的欲求が小さかった、ということもあろう。

新聞はひとつ取っていれば充分である。
そう思っていた人が多かったとき、
もうひとつ別の新聞を取る人たちが、
戦前、大正時代から存在したのは
注目されなくてはならない。併読紙である。

その地方でも、同じ比率で併読紙の読者がいたのではない。
大部分のところでは、新聞を取らない家庭が大部分であった時代でも、
たとえば、京阪神、関西では、併読紙をもつ読者がかなりいたらしい
のは注目される。そういう背景にして、
日本のジャーナリズムはまず関西から展開した。

東京は首都であると威張っても、文化度では、
関西に及ばないかもしれない。ことに周辺の
農村部では新聞読者は少なく、
併読紙など考えることもできなかった。

 ・・・・・・・・・・

とにかく、
併読紙を持つか持たないかは大きな問題である。
軽い気持ちで、もうひとつ新聞を購読するなど
ということは考えにくい。やはり、
ものの考え方にかかわってくる。

ひとつの新聞しか見ていなければ、
その新聞の考え方、見方、価値観に、
しばられるという自覚もなくしばられている。

併読紙があれば、いやでも、
新聞の持っている個性、傾向などが目に入るはずで、
それによって、読者は新しい知的個性を育むことが
できるはずである。」

そして、この章の最後は
こうしめくくられておりました。

「ひとつでは多すぎる、というプリンシプルにしたがえば、
併読の読者は、真の新聞読者であるということができる。

国際競争力のある知性を育むことも
可能であるように思われる。」(p168~170)


ほかにも、
ハットさせられる箇所があり、
きれいな古本で、買ってよかった(笑)。
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京都の夏。

2018-06-20 | 短文紹介
京都の古本屋さんから
堀口大學の詩集「東天の虹」(彌生書房)を買う。
送料共で480円。函入りでした。

この詩集の最後の詩を引用。

   ご時世

  天下の形勢
  変りなし

  物は高いが
  詩は安い



有難いことに、古本も安い(笑)。
うん、せっかくなので、この詩集から
詩をもうひとつ。


    念じていれば

  雲をつかむような思いも
  
  念じていれば
   
  詩に凝(こご)る



さてっと、古本で注文してあった
池島信平著「雑誌記者」(中央公論社・単行本)が
届く。送料共695円。装幀・花森安治。
表紙カバーはというと、
机上に、鉛筆・ペン・Peace(たばこ)・手帳・メガネ
ポケットウイスキー(VAT69)・懐中時計・クリップ
インクツボ・それにライターみたいなマッチ箱(?)、
携帯の鉛筆削りらしきもの。
用紙の角を手でちぎってあり、その断片に
題名と著者名と出版社名が記載。

それらを、上から写真撮影した表紙。
「暮しの手帖」の表紙でおなじみの感じですが、
花森氏が思い描く編集者の机が簡潔に、
表現されておりました。

ちなみに、中公文庫にある
池島信平著「雑誌記者」には解説があり、
その解説は、今日出海。

はい。この解説から適宜引用。

「菊池寛氏が文藝春秋も大きくなる一方で、
今年から社員を公募すると言って、確か文化学院
だったかの教室を借りて入社試験を試みた。その日の夕方、
『どうだ、君に出来るか』
と菊池さんは自分で考えた試験問題を私に見せた。
なかなかむずかしい問題だ。
『これを皆んな出来た奴がいるんだよ』
そんな俊秀の池島が入った時、入社一番先に
彼は私に親しげに話しかけて来たのが
因縁のそもそもだった。・・・」

解説の最後には、京都の夏が登場しており、
そこを引用。

「私が眼が悪くなった時、
東京ではどうしても癒らず、
京都の病院へ行く羽目になり、
彼がつき添って京都まで行ってくれたものである。
そして入院の手続きやら、・・・・
そして約半年の入院生活中、
必ず毎月見舞いに来てくれた。

京都の暑さに辟易して、着くと直ぐ
上りの列車に乗って帰ろうかと思ったよと言いながら、
終日枕頭に坐って、面白い話をしてくれ、
看護に疲れた妻を連れて、飲みにも行ってくれた。
いま思い出しても、池島の明るい笑顔が浮かび、
涙さえ出そうになるのである。
・・・・
京都に入院中私の妻を連れて、貴船の料亭といっても、
あの急流に板を渡した納涼大衆の飲み屋で、
鮎を御馳走してくれるのだが、
京都の町家の連中と同じく、
池島も料理が出る前に汗に塗(まみ)れた
アンダーシャツを川で洗い、
手すりに乾しておき、
裸で一杯飲んでいるうちに乾くという
趣向を喜んでいたと、妻はよく思い出しては笑っていた。」


はい。今日みたいに一日中雨の日は、
こんな夏の一日を想像してみたくなります。
とくに私は汗かきで、暑い日はすぐに肌着が
ビチョビチョになるタイプでして、
こんな風にして、一杯やるなんて、
最高の贅沢なんじゃないかなあと、
夏の一日を思うわけです。


せっかく、京都がでてきたので、
今月発売の「新潮45」7月号の
特集「こんな野党は邪魔なだけ」
から八幡和郎氏の文を引用。
そのはじまりから

「安保法制で国会が荒れた3年前から、
現在にいたるまで、京都市民のかなり多くは、
テレビ報道の動画や新聞報道の写真を見て、
複雑な気分になりっぱなしである。

福山哲郎立憲民主党幹事長など
京都選出の旧民主党系の議員たちが、
共産党の幹部と一緒に演説したり、
乱闘国会での武闘派として醜悪に歪んだ顔で絶叫し、
政府を口汚くののしるのを見せられているからである。
とくに、共産党との共闘については、
裏切られたという思いが強い。

なにしろ、京都では、
日本共産党との戦いというのが、
政治における最大の関心事なのである。
京都の政治地図は他都道府県とまったく違ったものだ。
なにしろ、日本でいちばん共産党が強い都道府県なのである。

・・・・・・・
また、京都府知事選挙や京都市長選挙では、
共産党系候補vs.非共産党系候補の熾烈な争いが
毎回、繰り広げられている。

・・・・
なぜ、共産党がかくも強力かといえば、
大学が多く人口の約1割が学生だとか、
教員が多いというのも理由だ。それとともに、
革新府政が長く、他の都道府県では考えにくい
分野に共産党が進出していることもある。・・・」
(p24~25)

そうか。京都の夏。そして政治。


コメント (2)
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思考をシャットダウンさせる野党パワー。

2018-06-19 | 短文紹介
池島信平著「編集者の発言」(暮しの手帖社・昭和30年)。
この古本が昨日届く。
そう、池島信平氏の安い本を購入してます。

この「編集者の発言」は、装本が花森安治。
表紙カバーは白地に鉛筆が五本。
さらに背表紙に鉛筆が一本描かれているので、
合計6本の鉛筆が並んでいる構図。
表紙の題字も著者名も花森氏の筆致です。

まずは、p10をひらくと、こうあります。

「編集者の仕事は・・・朝の新聞をひらく時から、
すでに開始しているのである。
新聞は雑誌編集者にとって、プランの泉である。
この問題をこの角度から扱ってみよう。
この事件はまだ新聞では突っこみが足りぬから、
この辺まで追ってみよう。
この企画を新聞は見落しているから、
当然われわれがぶつかろう。・・・」


ところで、昨日は「新潮45」7月号発売日。
その特集は「こんな野党は邪魔なだけ」。
この特集のタイトル。
よく言ってくださいました(笑)。
この特集のタイトル。
言えそうで、言えないでいる雑誌は多く。
マスコミのコメンテーターなら、なおさら。
よく言ってくださいました。
「王様は裸だ」と新潮45が言ったわけです。
はい。読んでみました。

ということで、
「新潮45」7月号から引用。
特集のはじまりは阿比留瑠比氏。
題して「卑怯はどっちだ『枝野幸男』」
まず引用。

「安倍晋三首相と野党四党首による
党首討論が約一年半ぶりに行われた五月三十日
・・・安倍首相自身が討論中に明らかにしたように、
枝野氏が事前に提出した質問要旨は
『国家の基本政策』という一行だった。
にもかかわらず、枝野氏は割り振られた
討論時間十九分を全部、森友、加計両学園問題に
費やしたのだった。枝野氏にとっては、
モリ・カケこそが国家の基本政策だった
ということなのか。・・」(p21)

いろいろと引用したいのは、
やまやまですが、あとちょっと。

伊藤達美氏のはじまり

「よく『安倍一強』と言われるが、
いまはすべての政党が弱体化した
『全弱の政治』ではないのか。

自民党は、数では圧倒的優位にあるものの、
安倍首相に比する政治家はおらず、
有力な後継者も見当たらない。
一方の野党は、烏合離散を繰り返し、・・
野党の不甲斐なさ、弱さ・・・
・・・・
国会論戦は目を覆いたくなるほど低調である。
メディアを通じて華々しく報道されるのは、
いわゆる森友・加計問題などの追及だけで、
わが国の平和と安全を脅かす最大課題である
北朝鮮の核開発、核ミサイル問題に関し、
政権与党の向こうを行く政策を作ろうと
国会論戦に臨んだことがあっただろうか。
民進党籍の無所属の会、立憲民主党、国民民主党の
野党勢力がこの問題について、どんな政策を持っているのか、
まったく見えてこない。」(p32)


そうそう。
この頃、テレビに顔がある。
辻元清美氏をとりあげているのは
角田朋子氏でした。
女性の書き手なので女性差別といわれる
心配はまずなさそう。
その角田氏から見た辻元氏はというと

「若い世代の人は知らないだろうが、
清美にも一世を風靡した時代がある。
2001年、国民の熱狂的人気に支えられ、
野党が手を焼いていた小泉純一郎・元総理を、
国会で『ソーリ、ソーリ』と12回も連呼し、
視聴者を飽きさせない鋭い質問で、清美は一躍時の人となった。
翌年には鈴木宗男の疑惑を果敢に追及、
『疑惑の総合商社』というキャッチ―なネーミングセンスを披露し、
マスコミから大いに重宝された。
・・清美も、天国から地獄の道を歩むこととなる。
秘書給与流用がスクープされ、議員辞職後、
詐欺罪の有罪判決を受ける事態となるのだ。

しかし、日本の野党勢力は人材不足なのか、
結局辞職から3年程度で彼女は政界に戻ってくる。
・・・・・
私の思考をシャットダウンさせる清美パワー、
本当に恐ろしい子!・・・」(p45)

う~ん。思考なんて、させないぞ。
「思考をシャットダウンさせる野党パワー」。

特集企画。月刊雑誌でよみがえる新たな思考。

最後は、温故知新。池島信平氏の、
さきの、言葉をもってくることに。

「新聞は雑誌編集者にとって、プランの泉である。
この問題をこの角度から扱ってみよう。
この事件はまだ新聞では突っこみが足りぬから、
この辺まで追ってみよう。
この企画を新聞は見落しているから、
当然われわれがぶつかろう。・・・」




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「タイトル」「リライト」朝日新聞。

2018-06-18 | 前書・後書。
塩澤実信著
「文藝春秋編集長 菊池寛の心を生きた池島信平」(展望社)
には、あたらしい「まえがき」がありました。
その「まえがき」の最後を引用。

「池島が『文藝春秋』編集のよりどころとしたのは、
『話』編集部で体得した菊池寛ゆずりの目標がハッキリし、
読者にもすぐ諒解できるタイトルのトピック主義。
アメリカの『リーダーズダイジェスト』から学んだ
シューガー・コーテッド(糖衣)編集法だった。

『リーダイ』は、・・・どのような筆者の文章も、
読者の理解度に合わせてリライトするのが、鉄則となっていた。
それゆえ、編集者は『リーダイ』の読者の理解力、
求めている線に従い、読者の身になって
記事を整理したのである。

『難解の部分は書き直し、冗長な部分は削り、
曖昧な部分はシャープにする』方法だった。
池島編集長が『リーダイ』の編集法とともに
思い切って採用したのが、ノン・フィクションだった。
この鉱脈の発見と発掘は、
戦後『文藝春秋』飛躍の最大の弾みとなった。

同類他誌が、むずかしい議論と空疎なイデオロギーに
こだわって誌面を狭くし、いたずらに敷居を高くして
いるとき、事実に即した一等資料の活字化は、
読者の幅をケタはずれに広めたのである。
・・・・・」(p3)


はい。このまえがきの箇所は、
本文目次では

『文春』上昇気流にのる・・・・210
 「リーダイ」に学ぶ
  読者の鉱脈をつかむ
  ・・・・


ここあたりだなと、見当をつけて
その章を読んでみる(笑)。


どうしても、思い浮かべてしまうのは、朝日新聞でした。
朝日新聞の「読者にもすぐ諒解できるタイトルのトピック主義」
朝日新聞の「どのような筆者の文章も、読者の理解度に合わせてリライトする」

うん。うん。
「タイトル」と「リライト」の朝日新聞。
負の部分のみ意識的に肥大した朝日新聞。

「事実に即した一等資料の活字化」から、
「事実に即した」を黒くボカしてゆくことで
「むずかしい議論と空疎なイデオロギーにこだわって
誌面を狭くし、いたずらに敷居を高くしている」
ここへと戻ってゆく朝日新聞。

この塩澤実信氏のまえがきを読んでいると、
マイナスの実例としての朝日を想起します。
今こそ、月刊雑誌の活躍の時だと思います。
そのつもりで、月刊雑誌を購読しています。
それにしても文藝春秋は買う気が湧かない。
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墨痕の芳名録。

2018-06-17 | 本棚並べ
古本で注文。塩澤実信著
「文藝春秋編集長 菊池寛の心を生きた池島信平」(展望社)
それが届く。

なあんだ、塩澤実信著「雑誌記者池島信平」の再出版です。
けれども、こちらの方が読みやすそうです(笑)。

「池島信平を励ます会に出席したメンバーの見事な芳名録も
加えた上で、上梓していただく運びとなった。」

とあり、本文のはじまりに、
その墨痕あざやかな芳名録が載っておりまして、
人名の多さも相まって、ぐっと身近な感じです。

墨痕の芳名録を載せたあとに、
こうありました。

「司会は、『暮しの手帖』の花森安治、
発起人代表が岩波書店会長小林勇、
文春OB永井龍男、ガク友代表林健太郎、
野次馬代表大宅壮一、
寄稿家代表小泉信三、
作家代表吉川英治、
評論家代表小林秀雄、
PTA代表佐佐木茂索、
バー友代表川口松太郎、
花束贈呈高峰秀子等々・・・・
約二百名出席という賑々しさであった。
・・まず司会の花森が、
『文藝春秋新社は菊池寛賞という、
すぐれた仕事をした者に与える賞があって、
僕や扇谷君なども貰っておりますが、
いかなる厚顔無恥なる文藝春秋といえども、
自分のところの社員には賞をやれないから、
そのかわりに信平の仲間が、
この会を開いたものであります』
と言って、爆笑をよんだ。」

はい。評論家代表の小林秀雄氏の
挨拶がいちばんつまらなく感じられます。


それはそうと、
塩澤実信著「雑誌記者池島信平」は
文藝春秋から単行本。そして文春文庫。
とでておりましたが、どちらにも
最後に司馬遼太郎氏の「信平さん記」が
載っていました。
この再出版の、本のあとがきには
それに加えて塩澤さんへ司馬遼太郎からの
単行本の読後感をしたためた文までもが
掲載されているのでした。こうして、
再出版本では、奥行きが加味されており。
本棚に置けば、ときに取り出してみたい。
愛着本としたい。熟成感があるのでした。

ということで、
もし塩澤実信著「雑誌記者池島信平」を
読もうとする方がおられるのなら、
「文藝春秋編集長 菊池寛の心を生きた池島信平」(展望社)
の方を私はお薦め(笑)。

ちなみに、ネット古書で送料共527円で私は購入。
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次は私の番。

2018-06-16 | 産経新聞
6月16日の産経抄を読み。あらためて、
6月15日の産経新聞をひらく。

6月15日一面は
「安倍晋三首相は拉致被害者家族らとの面会で
深く頭を下げ、問題解決への決意を示した」
とあり、頭を下げる首相の写真が掲載され、
印象に残ります。

記事の中からも引用しておきます。

「首相は面会で、
日朝首脳会談の時期や場所などについては
『機微に触れる』として一切明かさなかったが、

『私は北朝鮮にだまされない。
1994年から拉致問題に取り組んできたが、
何度もだまされてきた。北朝鮮のだましの手口は分かっている』

と強調した。
拉致問題に加えて核・ミサイル問題の
包括的な解決が、経済支援の前提条件になる
との認識を重ねて示したという。

また、12日にシンガポールで行われた
トランプ米大統領と北朝鮮の金正恩
朝鮮労働党委員長の米朝首脳会談について

『トランプ氏は、私が拉致問題に関して
伝えたことを率直に金氏に言ってくれた。
次は私の番だ』

と説明した。・・・」(一面記事より)

15日の産経新聞総合欄。
「阿比留瑠比の極言御免」では、10年前の
20年6月の安倍晋三の講演を紹介しておりました。
以下はその引用。

「安倍首相は20年6月の都内での講演で、
北朝鮮におもねるような政策を唱える国会議員らを
こう強く批判している。
『政府以外の人たち、特に有力な国会議員は
政府より甘いことを言ってはいけない。
政府より甘いことをほかの議員が言ってしまえば、
北朝鮮はその甘い意見に乗って
【有力な国会議員がこう言っているじゃないか。
ここまで下りてきて当然でしょう。さらに譲歩しなさい】
ということになる。これは交渉の常識だ』
・・・・・
拉致問題をめぐっては11年12月、
外務省の槙田邦彦アジア局長(当時)が
自民党外交部会で、こう言い放ったことがある。

『たった10人のことで日朝国交正常化交渉が
止まっていいのか。拉致にこだわり
国交正常化が進まないのは国益に反する』

これも批判を受けたが、後に別の
外務省幹部から意外なことを告げられた。

『あれはもともと、
(外相時代の)河野氏のセリフだった。
槙田氏はそれを引用した形だ』

・・・・」


河野洋平氏の過去と現在とを、
今日の産経抄(6月16日)では、
あらためて、きちんと列挙して、
読者への理解を助けてくれています。

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読書随処浄土。

2018-06-15 | 本棚並べ
昨日、注文してあった古本届く。
池島信平著「歴史好き」(三月書房)。

これがまあ、文庫本のサイズでハードカバー。
頁厚みが3センチ。表紙は紺の布張り。しかも函入。

うん。これが送料共257円。有難い。

さてっと、パラパラ読み。
目次の前半に、色々お名前が並び。
その短文を、順次めくってゆくと、
「文藝春秋」とは池島信平なんだ。
そう、疎い私にも理解し始めます。

まあ、それはそれ。
「色紙について」と題された小文から
すこし引用。

「色紙について・・・・
集めるつもりなら、何十枚でも集められるのだが、
あるのは一、二枚、菊池寛氏の筆で『読書随処浄土』
というのが、本好きだった菊池さんらしい文句だし、
これは、わたくしも気にいって、大切にしている。」(p109)

「現代の文士は、例外もあるがみな筆の文字はダメである。
万年筆で字を書きすぎるし、筆墨の教養から遠いところに、
現代文学の隆昌があるからである。」(p110)

小文「色紙について」は、どう終わっていたか?
というと、こうでした。

「今東光、丹羽文雄さんは、達筆だし、早かった。
立ちどころに、十枚くらいは、コナしてしまう。
傍にいてそれを見ている、わたくしたちは、
『さすがに、坊主出身は、塔婆(とうば)を
書きつけているから、うまいものだな』と、
ひやかすのである。」(p111)


ちなみに、菊池寛といえば、
わたしに、「サザエさんうちあけ話」(姉妹社)の
妹と菊池寛氏のエピソードが思い浮かびます。
その箇所は、長谷川町子さんが
先生宅へ通い出した妹に、根ほり葉ほり聞く場面にあります。

「ききますと、かまわない方で、
オビを引きずりながら出てこられる。
時には二つもトケイをはめていられる。
汗かきでアセモをポリポリかかれる
胸もとがはだけると・・・・」(p25)

このイメージが鮮やか。

もどって、この本の、菊池寛と題する小文に、
このエピソードを裏づける言葉がありました。
せっかくですので、引用しておきます。

「・・『私の日常道徳』という小文がある。
大正十五年に書いたものだから、先生が
三十八歳の時の随感だが、いま読んでみても
実に立派である。」

そして『私の日常道徳』の部分を引用しております。
その中にありました。

「私は往来で帯がとけて、歩いている場面などよくある。
そんな時注意してくれると、いつもイヤな気がする。
帯がとけているということは、自分が気がつかなければ平気だ。
人から指摘されるということがいやなのだ。
そんなことは人から指摘されなくてもやがて気がつくことだ。
人生で重大事についても、これと同じことが言えるかもしれない。」
(p61~62)


なるほど「読書随処浄土」というのは、
こんな、なのかなあと、思い描きます。

せっかくなので、菊池寛と題する小文の
最後の方を引用しておきます。

「『ぼくは今度の戦争勃発を煽ったことはないが、
戦争がはじまってしまえば、一国民として祖国の
勝利を願い、そのように行動するのは、当然のことだし、
それを今でも誇りと思っているね』
といい、さらに昂然と、
『ぼくのような自由主義者を追放するなんて、
アメリカの恥辱じゃないか』と言い放った。
しかし、敗戦が、菊池さんに与えたショックは大きかった。
・・・・・・
『キミ、昔の人が、石が浮んで木の葉が沈む時代、
といったが、本当に現代はそうした時代だね』
戦後の気違いじみた世相を見て、
菊池さんはそう慨嘆したが、
わたくしはただうなずくだけで答えようもなかった。
先生のために、何も出来ない自分を悲しむだけであった。
そして、時代の急転回、歴史というものの酷薄さを、
わたくしは眼前に見る思いをした。」(p62~64)


そして、池島信平の戦後『文藝春秋』のはじまり。

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