和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

きれいな空き地。

2008-01-31 | Weblog
2007年9月2日に、このブログで「詩とは『庭』?」と題して書いたことがありました。サッカーはサッカー場でおこなわれるように。野球が野球場を必要とするように。ドラエもんのマンガに広場が欠かせないように。詩にも庭が必要じゃないのか?と思ったわけです。
そう思っているだけで、展望がひらけて、
先方の先達の背中が見えたりすることがあるのですね。
そういう本の出会いとして、上田篤著「庭の日本人」(新潮新書)を読みました。
この新書で、たとえばこんな言葉に出会えました。
「そうだ。俳句をあじわう境地は、庭をあじわう境地にちかい。庭とどうようTPOだからだ。しかもいい俳句になると、そこにおもいがけない驚きがかくされている。・・」(むすび・p185)

そういえば、
田村隆一が亡くなった後に、大岡信が書いた追悼詩の最初の方にこんな言葉があったのを思い浮かべたのでした。

  田村さん 隆一さん
  あんなに熾(さか)んだつた猿滑りの花の
  鮮やかくれなゐも 薄れてしまつた
  蝉時雨に包まれてあんたが死んだ1998年も
  たちまち秋に沈んでゆく

  頭の中にきれいな空き地をしつらへて
  そこで遊ぶ名人だつた隆一さん
  あんたは頭のまんなか 小さいやうで広大な
  空き地にまつすぐ 垂直に
  高い棒を立てて遊んだ芸達者
  ・・・・・・・
  ・・・・・・・
             ( こほろぎ降る中で ーー追悼 田村隆一)


ところで、上田篤著「庭と日本人」の最後のページの言葉を引用したくなりました。
「その鎮守の森研究で、建築学者・都市計画家としてのわたしの興味をひいたのは『参道』だった。緑のトンネルを通りぬけていく古い参道のたたずまいに、しばしばことばにならないほどのショックをうけた。なぜこんなに感動をおぼえるのか?いったいだれがこんな空間をつくったのだろうか?
それがいまかんがえるとタマだった。鎮守の森や参道にはタマがあるのだ。だからこそ西行も伊勢神宮で『何事のおはしますをば知らねども、忝さに涙こぼるる』とよんだ。こうして鎮守の森の調査研究をつづけていくうちに、参道は、土地の神さまをまつる地元の人々がつくり、まもってきたものであることをしった。またそのデザイン原理は、巨石、森、山、太陽などの遥拝行動であることもわかった。そして日本人がこの天変地異のはげしい日本列島で生きていくためには、自然の強い力=超自然力を身につけること、つまり鎮魂しなければならないことも諒解されてきたのである。そういう長年の思いを『日本の庭』についてかんがえてみたのが本書である。」

うん。私は上田篤氏の本を読むのは初体験でした。
ここに庭について考えて来た方がおられる、という嬉しさ。
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「庭と日本人」。

2008-01-28 | Weblog
自分のところには、縁側もないし庭もない。
ということで、「庭」には縁がないのですが、
上田篤著「庭と日本人」(新潮新書・2008年1月20日発行)を、たのしく読みました。それをどういえばよいのかなあ。
司馬遼太郎・河合隼雄というお二人が、私のなかで、つながったような気がしました(お二人の名前は新書にでてきません)。まだまだ、いろいろな人とのつながりが用意されており、読みすすみながら、わくわくするのでした。

「ではなぜ庭か?
人間に生きるエネルギーをあたえる空間は建物ではなく庭、すなわち自然だからだ。庭の木であり、草であり、花であり、苔であり、虫であり、鳥であり、わたる風であり、さしこむ日である。それらは自然であり、一休のいう虚空だ。その虚空のひとつに月がある。満月になればじっさいに月のエネルギーが、つまり月の引力が海の潮をよせてくる。名月の夜は大潮なのだ。そこで芭蕉は深川芭蕉庵で、月の庭をみてくちずさんだ。『名月や門にさしくる潮頭』明治の作家の幸田露伴はこの句を解説して『空には満々たる月があり、門には潮がみなぎり・・・東京湾の潮は、秋夜には七尺ふくれる』といっている。」(p134 )


昨年の夏から庭について、興味があったので、この新刊の新書に、その渇きを癒してもらえたのでした。よい本に出会えました。よかった。
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書斎。

2008-01-28 | Weblog
書斎ということで、

 雑誌「WILL」2008年2月号の渡部昇一・日垣隆対談。p42
 山野博史著「本は異なもの味なもの」(潮出版)。p24
 八木秀次監修「精撰尋常小学修身書」(小学館文庫)。p86
 
 最初の雑誌は、渡部昇一氏の書庫が語られております。
 つぎの本には、柳田國男の書斎についてのエピソード。
 最後の本には、本居宣長の「せいとん」が取り上げられてます。

 
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かむろ坂。

2008-01-27 | Weblog
昨日。杉山平一の詩「退屈」を引用したのでした。
今日。東京新聞2008年1月27日の「東京歌壇」を見たらこんな歌があります。

古里のかむろ坂行けば米屋酒屋八百屋今もありみな同級生
             青梅市 大根田匡世

これは佐々木幸綱選の最初にありました。選評は
「故郷は変わったという歌が多い中、この作者はなんと幸福な人だろう。『かむろ坂』は各地にあるようだが、不動前駅に近い品川区の坂が有名。」

ちなみに、東京歌壇の岡野弘彦選のはじめはというと

 眼と口は空洞なれど子を抱ける埴輪の母の表情やさし
          杉並区 堀内清三郎

【選評】題材も良いけれど、何よりも表現に感性の豊かさが感じられる。幼い者にむごい仕打ちをすることが多い現代に、この古代の優しさがほしい。
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退屈。

2008-01-26 | Weblog
杉山平一の詩が、はじめて視野にはいったのは、石垣りん著「詩の中の風景」(婦人之友社)でした。そこでは杉山平一の詩「退屈」が引用され、その詩についての解説が書かれておりました。へ~。こういう詩があるんだ。とその時に思ったわけです。その詩を引用する前に、ちょいと寄り道。

村上春樹著「走ることについて語るときに僕の語ること」(文芸春秋)の最初の方に、こんな箇所がありました。まず村上さんは書いております。「走るときにはだいたいはロック・ミュージックを聴いている。たまにジャズを聴くこともある。しかし走るリズムにあわせることを考えると、伴走音楽としてはロックがいちばん好ましいような気がする」(p28)
そしてこう書いておりました。
「僕は今、五十代の後半にいる。・・自分が冗談抜きで五十代を迎えることになるなんて、若いときにはまず考えられなかった。・・若いときの僕にとって五十代の自分の姿を思い浮かべるのは、『死後の世界を具体的に想像してみろ』と言われたのと同じくらい困難なことだった。ミック・ジャガーは若いときに『四十五歳になって【サティスファクション】をまだ歌っているくらいなら、死んだ方がましだ』と豪語した。しかし実際には彼は六十歳を過ぎた今でも【サティスファクション】を歌い続けている。そのことを笑う人々もいる。しかし僕には笑えない。若き日のミック・ジャガーには四十五歳になった自分の姿を想像することができなかったのだ。若き日の僕にもそんなことは想像できなかった。僕にミック・ジャガーを笑えるだろうか?笑えない。」(p33)

こうして、寄り道したあとに、詩「退屈」を。


    退屈   杉山平一

 十年前、バスを降りて
 橋のたもとの坂をのぼり
 教会の角を右に曲つて
 赤いポストを左に折れて三軒目
 その格子戸をあけると
 長谷川君がいた

 きょう、バスを降りて
 橋のたもとの坂をのぼり
 教会の角を右に曲つて
 赤いポストを左に折れて三軒目
 その格子戸をあけると
 やつぱり長谷川君がいた


こう書いた詩人・杉山平一氏のことが、最近興味があるのでした。
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アンネの木。

2008-01-26 | Weblog
読売新聞1月25日に「アンネの木 延命」という記事。
ブリュッセル=尾関航也という署名があります。
興味深いので引用しましょ。

まずこう書かれております。
「『アンネの日記』で知られるユダヤ系ドイツ人アンネ・フランクが、ナチスの迫害を逃れて暮らしたオランダ・アムステルダムの隠れ家の裏庭に立つクリの木について、アムステルダム市当局は23日、伐採計画を撤回し、今後少なくとも5年間は延命を図ると発表した。」
うん。「隠れ家の裏庭に立つクリの木」は、アンネが隠れ家の屋根裏の採光窓から眺めるのを楽しみにしていたものです。「2006年に伐採計画が浮上して以来、世界中から反対の声が上がっていた。」とあります。

その木は、というと
「推定樹齢150~170年で、衰弱して立ち枯れに近い状態。高さ約22メートルの大木のため、幹が折れた場合には隣接する博物館を押しつぶして大惨事になりかねない」というので伐採される予定でした。
今後どうなるのかというと、
「今年5月末までに木の周辺に鉄製の柵を建て、安全を確保したうえで、木が完全に枯れてしまうまでは保護を続けることで合意したという。柵の建設費約5万ユーロ(約780万円)や、今後の木の手入れにかかる費用は寄附金で賄う。」


ちょいと思い出したのですが、2002年「文学界」5月号に
特集「漱石・鴎外の消えた『国語』教科書」というのがあり、
興味深かったのは全調査「高校『国語』教科書掲載作品一覧」。
それを見ていたら、田村隆一の詩「木」があったことでした。
へ~。田村隆一の詩が高校の教科書に掲載されたのだ。
と思ったことがあります。その詩はどこかで読めるでしょうから、
ここでは「田村隆一 ぼくの人生案内」
(文庫になってます。光文社・知恵の森文庫)
のなかの言葉を引用してみます。

  20歳くらいまでは、すべてが初体験、
  未知との遭遇だ。
  それが日常化していくのが30歳くらい。
  そして40歳までは経験を具体化して、
  持続させて、楽しいことも辛いことも
  ストックしていく時代。
  人生の勝負は40歳から60歳だと
  ぼくは思っている。
  ストックをどう活かすか、
  そのストックがものをいうかいわないか、
  そこでやっと花開き、実を結ぶ。
  そういう
  木のような存在に
  なってほしい。
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コタツ族。

2008-01-25 | Weblog
夜になると、
冬眠状態のコタツ族といたしましては、
本も読まずに、コタツで寝たりしております。
本を読まないと、読みたい本のことを考えます。
こうして書くと、まず読まずに終るような予感(笑)。


富士正晴編「伊東静雄研究」は
杉山平一からの視点で読み始めれば、私のまずは読み始めの切り口がつかめるような気がしました。それにしても、関西系の詩人たちが私には気になります。どうして惹かれるんだろう。杉山平一は詩を書いて映画評論もありますので、それも気になります。映像表現と言語表現との着眼点を、あるいは、竹中郁→杉山平一の流れで辿れるのじゃないか。音読ということでは、伊東静雄のことが気になります。伊東静雄の朗詠を聞いている方々の回想文を並べてみたいなあ。絵画的と音楽的との比較。ということで、伊東静雄と杉山平一とを読み比べられたらなあ。

今年は、新美南吉の詩から、長短の童話を読んでみたいなあ。
と思っているのですが・・・。
しぐさ。狐の習性などと童話との関係などが気になるのでした。

うん。こうして、冬眠コタツ族のつぶやきばかり。
まずは、コタツから立ち上がり「一月」に挨拶しなくっちゃ。
「歳月 人を待たず」。ということで、一月も残りすくなくなりました。
よいしょっと。


  寒雀    新美南吉

 雪隠(せっちん)にこごみて、
 窓より見れば、
 裏の雑木(ぞうき)に氷雨(ひさめ)けぶれり。
 かかるとき、
 睾丸に手をやりてみれば、
 ちぢかまりて
 梅干のごとし。
 思念(おもい)またかくのごとくして、
 寂しさしじに深まれり。
 せめてはそこの寒雀、
 やよ、ちちと鳴けかし。
 ちちと鳴けかし。


新美南吉(1913~1943)は、29歳で亡くなっておりました。

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また読む。

2008-01-21 | Weblog
もう一度読み直そうと思いながら、そのままになっている本がありますよね。
最近は梅田望夫著「ウェブ時代をゆく」(ちくま新書)がありました。

とりあえず、こうして書きながら、読み直してはどうだろうと、思ったわけです。
最初の方にこんな箇所があります。ちょっと長めに引用。


「私は『ウェブ進化論』の書評や感想をネット上で二万近く読み・・・
私はネット上に溢れる感想を毎朝読みながら、ネットの『あちら側』に作られたプライベート空間(第五章)上にノートを取り続けた。再読したい書評・感想を出典とともに転記した。それだけでも、一日に四百字詰め原稿用紙で二十枚から三十枚、ときには五十枚を超える分量になることもあった。私の本を読み、私が読んだこともない思想書や哲学書を想起される方も多くいたので、そういう本はその場でネット書店に注文し、本が届けば、なぜ私の本とその本が読者の中で結びついたのか考える時間をとった。そして、転記した長い文章の肝ともいえるフレーズを抽出し整理した。こうした一連のプロセスに、累計一千時間以上かけた。そして今思うのは、『あちら側』に作ったこのノートこそ、私が今後も知的生産活動を続けていく上での最も大きな財産になったということである。「群集の叡智」とは・・・・『もうひとつの地球』に飛び込んで考え続けた『個』の脳の中に顕れるものなのだ、私はあるとき強くそう直感した。『新しい脳の使い方』の萌芽を実感した瞬間でもあった。ネット空間と『個』の脳とが連結したときに、『個』の脳の中に『群集の叡智』をいかに立ち顕れさせるか。この部分は確実に人間の創造性として最後まで残っているところのように思えた。・・・誰もが自由に表現すればそれが不特定多数に届く『総表現社会』では、私たち一人ひとりがネット上でどういう生き方をするかによって、『もうひとつの地球』の未来の姿を大きく変え得るのである。」(p17~19)

序章にこう書かれて、この本ははじまっているのでした。
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新春の福袋。

2008-01-20 | Weblog
最近の新書は、バラエティに富んできておりますね。
ということで、ここでは、新書の古典とは。ということを、ふっと思ったわけです。
たとえば、梅田望夫著「ウェブ時代をゆく」(ちくま新書)に
梅棹忠夫著「知的生産の技術」(岩波新書)と
渡部昇一著「知的生活の方法」(講談社現代新書)とが出てくる箇所がありました。
ちょいと、その登場箇所を引用してみます。
「まずは言葉の定義も含め、四十年近く前に書かれたがじつに今日的な同書を下敷きにすることで、現代の『知的生産』の豊饒な可能性を考えてみたい。個人が、しらべ、読み、考え、発見し、何か新しい情報を創出し、それをひとにわかるかたちで書き、誰かに提出するまでの一連の行為を、梅棹は『知的生産』という言葉にこめた。ただ『頭がいい』とか『記憶力がいい』ということも生産を伴わなければ意味がなく、『本を読む』という高度に知的な行為も、アウトプットがないならば『知的消費』に過ぎず『知的生産』ではないのだと梅棹は言い切った。」(p146)

そういえば、文藝春秋2008年2月号。日垣隆氏の連載「新書の一点賭け」が最終回とあります。ちっとも読んでいなかったのですが、最終回というので読んでみました。
こうはじまっておりました。

「最終回にあたり、例外をお許しいただきたいと思います。」
うん。何か気になって読みたくなるでしょう。私がそうでした。ではひき続いて引用。
「最近刊行された『新書』のなかから選ぶという連載趣旨から一度だけ外れます。日本語で書かれた数ある新書のなかで、私自身にとって人生の転機と言えるほど影響を受けたものは、理科系では岡田節人(ときんど)『からだの設計図』、文科系では清水幾太郎『論文の書き方』です。基礎科学の奥深さに目覚め、『からだの設計図』を読んだ直後にTBSラジオから依頼のあったサイエンス番組を即座に引き受け、今も続いています。後者『論文の書き方』が出版されたのは半世紀も前ですが、初めて熟読したのは二十歳になったばかりの夏でした。ここで『論文』とは・・『知的散文』という程度の意味です。【文章を作るのは、思想を作ることであり、人間を作ることである】という一文に、まず衝撃を受けました。【天才は別であろうが、私たちの場合は、書くという働きを行った後に、漸く読むという働きが完了することが多いようである。】――この一文に接するまで、率直に自分はただの莫迦だと思っていました。他人が言ったり書いたりしていることを理解するのにとても時間がかかるうえ、何らかの形で書かなければ読んだことを消化できなかったからです。・・・もう一つ、今も座右の銘にしている言葉が、この本のなかにあります。【本当の批判というのは、一度は自分が渦に巻き込まれて、溺れそうになって、悪戦苦闘、そこから辛くも身を解き放つ場合に初めて成り立つのであろう。犬の遠吠えのような批判では、文章の勉強にはならない。まして、内容の勉強にはならない。】文筆業に就いてからおよそ二十年間、私が批判対象にしたものは、例外なく【一度は自分が渦に巻き込まれて、溺れそうになって、悪戦苦闘、そこから辛くも身を解き放】ったものばかりです。この本に、心から感謝しています。」(p390~391)

もどって、梅田氏が語る二冊目。渡部昇一の新書をとりあげた箇所。
「1976年のベストセラー『知的生活の方法』は、私の『生きるために水を飲むような読書』の最初の一冊目だった。この本が多くの人にどう受け止められたのかは知らないが、当時高校生だった私の心に強く残ったのは、『知的生活を送るにはお金がかかるものなのだな。働いて稼いでうんと資産を作らなくては、満足な知的生活を生涯送ることってできないんだな』という刷り込みであった。・・・・」(p158)本文はこれからが本題なのですが、ここまで引用すればよいでしょう。


月刊雑誌「WILL」2008年2月号は新春特大号と称して、「新春特別対談24ページ」が掲載されております。題して「渡部昇一vs日垣隆 史上最強の知的生活の方法」。ちょうど、梅田氏が刷り込まれた問題がテーマになって、話題が広がっておりました。

ということで、それを引用したくなるのですが、ここまで紹介すれば、それでもういいですよね。2008年を彩る新春対談にふさわしい読み甲斐があります。それは。新春の福袋ですので、開いて読んでのお楽しみ(笑)。
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草田男の背中。

2008-01-19 | Weblog
レビュージャパンというネット書評の場があります。
そこの総合bbsに「背中」についてのスレッドがあるのです。
本来ならそこに書き込みたい主題なのですが、ここに書きましょ。

昭和42年刊の「定本中村草田男全句集」(集英社)によりました。

 夏雲観るすべての家を背になして

 雲を背に立つ母の辺へ泳ぎつきぬ

 月負うて帰るや月の木々迎ふ

 負うて行く銀河や左右(さう)へ翼なす

 冬富士や背中かゆくて吾子恋し

 回想裡の人亦雪の窓を背に

 重き荷負へるままに道辺の子夏花(こなつばな)

 教師は負ひ生徒は対(むか)ふ秋の風

 学と詩と背骨二本の凍(し)み易く

 
 海と砂炎天の猫斑(ふ)を背に

 海からの荷や負ひし馬冬日に走す

 行く馬の背の冬日差はこばるる

 雪負うて倉へ戻りし猫おそろし

 

 

 

 
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日本人の『正統』

2008-01-18 | Weblog
文芸春秋2008年2月号の蓋棺録(がいかんろく)は、多田道太郎氏からでした。書き出しはこうです。
「フランス文学者の多田道太郎は、専門を超えて日本文化・風俗についての鋭い批評を展開し、多くの読者を驚かせた。旧制高校時代、ドイツに敗れたフランスは人気がなかった。多田は『ならばフランス文学をやってやろう』と仏文科に進学。ところが戦後は『サルトルだカミュだと仏文学が大流行』フランスについて口にするのも嫌になり、『パチンコとストリップの評論を始めた』という。1924(大正13)年、京都に生れる。・・・・」

そういえば、司馬遼太郎さんへの追悼文のなかで、私は多田道太郎さんの文が一番印象に残っております。これは三浦浩編「レクイエム司馬遼太郎」(講談社)に入っております。

え~と。以前興味深く読んだことがあった、多田道太郎著「しぐさと日本文化」をあらためて見てみました。
たとえば「見たて」と題する箇所にはこんな言葉がひろえます。
「いつか山口県の鍾乳洞を見て、おどろいたのは、奇怪な形の一つ一つに『見たて』がついていたことであった。たけのこといわれるとなるほどたけのこに見えてくる、といった具合である。アメリカの、これに似た鍾乳洞には、たしか鯨の口という一つのシンボルしかなかったと思う。あらゆるものを何かに『見たて』て、また見たてられてはじめて、おもしろいと思って納得する心性は、われわれ日本人にはなはだ色濃い。さまざまの事物を抽象によって整理するヨーロッパ的傾向にたいし、私たちは、物と物とをつなげる連続によって納得する好みがある。そこから連想能力の活発という特性もでてくるであろうが、それとは裏腹に、抽象と分析を『肩がこる』と称して遠ざける傾向もうまれてくる。『見たて』やたとえを好む具象的なものにたいする生き生きした興味を養う。リースマン教授は日本文化の中でもっとも注目すべきものとして、食堂の『実物模型』をあげたが、これも、具象への好み、具象による納得という心性とふかくかかわっている。ーーーというふうに考えてくれば、今日にいたるまで、影の部分、『裏』の文化としていやしめられつづけている具象的身振りが、あんがい、日本人の『正統』として、見なおされる日がくるかもしれないのである。」

ここからズレるかもしれませんが、杉山平一著「三好達治」(編集工房ノア)の最初の方に、『諷詠十二月』の、『九月』の項で、「わが国人の漢詩の妙、面白さを紹介、解説するところに・・」として引用している箇所が気になりました。
それは
「詩中に引用故事のふんだんなるは漢詩文の一大特徴にして、これあるが為に頗(すこぶ)る簡潔凱切(がいせつ)なる比喩象徴を連用し重畳(ちょうじょう)するを得、ために感受速度の敏活軽捷を極めたる快感をも計り得る訳合であって、その省略と快速との利便は殆ど他の文学に比類を見ない特殊の美的根元をなしてゐる。」
こうして引用したあとに、杉山平一氏はこう書いておりました。
「これは、漢詩のウィットによっていかに感受性をめざませ、省略と快速によって一挙に簡潔に世界をつかまえるかを、よく伝えており、比喩象徴こそ他の文学に比類を見ない特殊の美的根元、と喝破した・・・」(第一章「機知と比喩」p20)


「しぐさの日本文化」から、もう一箇所引用しておきます。
それは「しゃがむ」を取り上げた箇所です。

「会田雄次氏は『日本人の意識構造』という本の冒頭で、日本人のうずくまる姿勢の分析を試みている。アメリカ人は、危機に際して子供を守るのに『仁王立ち』になるのに対し、日本人は子供を抱き寄せ、抱きしめてうずくまる防衛姿勢をとる、という。この着眼は大へんおもしろい。『腰抜け一歩手前』というアメリカ人のうずくまる姿勢に対する評価には賛成しがたいが、それはともかく『姿勢』にたいする見方の多様性、国民による解釈の多様性におどろく。そして日本の女が危機にのぞんで咄嗟にうずくまるというのがおもしろい。人は危険にさらされたとき、その人のなじんだ基本的姿勢に立ち戻るものなのである。敵に『背中』を向けて『うずくまる』。その『背中』はやはり大事な『腹』をかばうということもあろうが、私流にいえば『しゃがむ』ところに、民族の根ぶかい習慣をみとめずにいられない。言うまでもなく、これは相手にさからわず、相手の力を受けながす姿勢なのである。」

ここで、私なら背中をすぐに思うのですが、背中じゃなくて、しゃがむという姿勢を見ている多田道太郎氏の着眼を思うのでした。

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寒満月。

2008-01-17 | Weblog
中村草田男句集「長子」を読み、草田男の他の句集を読んでみたくなりました。ということで、「定本中村草田男全句集」(集英社)というのが、とりあえず手に入りましたのでチャレンジ。これ昭和42年刊とあります。この本には、以降の句集「美田」「時機(とき)」は含まれておりません。ですが、私がまず読むには手頃だと思いましたので、一応目を通してみました。ということで、印象に残った句を並べていきたいと思います。

いまは冬ですから、それにまつわる句を引用したいのですが、
それは後回しにして、とりあえず初対面の全句集の手ごたえという収穫がありましたので、それから。
蝉というのが、句集に散見しました。まずは蝉の句から。

  永久(とは)に生きたし女の聲と蝉の音と    p238

  今への恋情蝉聲櫛の歯と繁し          p323

  回想自ら密度に誇り法師蝉           p331

  幼きをみな蜩どきの縞模様           p364

  国の勢ひは山々へ退き蝉の寺          p366

  空からきらきら雀の涙か蝉の尿(しと)か    p398

  行きつぐ一里ひぐらしの刻早や過ぎぬ      p246

  山頂の丘や上なき蝉の聲            p220

  鳴く蝉は海へ落つる日独り負ひ         p170

  会へば兄弟(はらから)ひぐらしの聲林立す   p60



 
  文字知らざりし頃の鳴聲青蛙          p390


  冬の蝿ちりあそぶごと吾子の詩句        p292


  文字の上意味の上をば冬の蝿          p331


それでは、冬についての句で、私が気になったのは冬空でした。


  深雪降らしていま憩ふ空月と星         p385

  父母未生以前とは祖国寒満月          p213

  寒風に未来を問ふな臍(へそ)に聞け      p224

  寒くたのし鋏切る音針落つ音          p167

  冬富士や背中かゆくて吾子恋し         p148

  息白しいつまで残る明星ぞ           p145

  非力者を嗤ひし人に天(そら)寒し       p134

  机上冬父も欲りしは湧く力           p127

  群鷗に暮れ寒星の乱れなく           p99

  青空に寒風おのれはためけり          p66

  寒星の数を琴の音爪追ひに           p65

  負うて行く銀河や左右(さう)へ翼なす     p224


気になった句

 病友に文缺きて何の月の詩ぞ           p199

 坂の上(へ)ゆ夏雲もなき一つ松         p73

 馬多き渋谷の師走吾子と佇つ           p81

 年頭の灯台白しと報(つ)げやらむ        p97

 年頭の灯台白きを見て足りぬ           p97

 道の木に柿実るあり道遠し            p179

 寒の暁(あけ)ツイーンツイーンと子の寝息    p226

 響爽かいだだきますといふ言葉          p244 


私には、はじめて読む草田男体験というのが、ありました。たのしかった。
こういう時は、とりあえず記録しておくに限りますよね。
残りの句集も読んでみたくなりました。
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最近養老孟司。

2008-01-14 | Weblog
毎日新聞2008年1月6日の「今週の本棚」で、養老孟司さんの書評が読めました。中村哲著「医者、用水路を拓く」(石風社)について書いております。
まずは、その最初と最後を引用してみましょう。
「著者はもともと医師である。二度ほど、お目にかかったことがある。特別な人とは思えない。いわゆる偉丈夫ではない。最初にお会いしたとき、なぜアフガニスタンに行ったのか、教えてくれた。モンシロチョウの起源が、あのあたりにあると考えたという。その問題を探りたかった。自然が好きな人なのである。そのまま、診療所を開く破目になってしまった。・・・」
「同時に思う。やろうと思えば、ここまでできる。なぜ自分はやらないのか。やっぱり死ぬまで、自分のできることを、もっとやらねばなるまい。この本は人をそう鼓舞する。若い人に読んでもらいたい。いや、できるだけ大勢の人に読んで欲しい。切にそう思う。」

というわけで、若くはないのですが、書評のメッセージのままに、さっそく本を注文してみました。まだ本はとどきませんが、それについての話をしたくなりました。

月刊雑誌「Voice」2007年12月号には、養老孟司さんの連載「解剖学者の眼」が最終回でした。題して「議論している場合か」。その最後はこう終っております。

「大切なのは教育で、教育は議論ではない。子供と付き合うこと自体である。食糧難を心配するなら、過疎地に住み、自分で畑を維持すればいい。資源が心配なら、間伐をし、木を植えることである。やることはいくらでもある。言葉で議論している場合か。・・」

これでちょいと、養老さんの対談を読みたくなり古本で「ニッポンを解剖する」(講談社)を買いました。ここには中村哲さんとの対談も載っているというのです。

それで、対談を開くと最初がリービ英雄さんでした。
まずそれに興味をもちました。
すこし引用。

【養老】万葉集を翻訳されて、何年くらいになるんですか?
【リービ】・・2004年に、こういうちょっと変わった本(「英語でよむ万葉集」岩波新書)を出したんですけど、非常に初歩的な、批評自然のレベルでいわれたのが、『これを読んで、初めて「万葉集」がわかった』ということです。喜ばしいと同時に、世界的に見て、少し奇妙な現象かなと思いました。
【養老】それが日本ですね。日本の特徴の一つは、自分たちのことについて客観性が乏しいことですから。でも、こういう本が出版されるようになったということは、時代が追いついてきたのかもしれませんね。


まあ、こんな風にはじまっておりました。
そういえば、とどんどんと脱線してゆきますが、戦前はどうだったかの好例がありました。「諸君!」2008年2月号に昭和13年の東京帝大学生調査というのが載っておりました(p137)。そのリスト「古典の愛読」の最初が万葉集(417)で、つづいて論語(135)ファウスト(123)新約聖書(115)源氏物語(100)古事記(78)徒然草(55)。ちなみに括弧内の数字は人数。
古典の愛読では、万葉集が2位を三倍も人数で差をつけておりました。私に思い浮かぶのは司馬遼太郎氏の「学生時代の私の読書」という文でした。その最後にこういう箇所があったのです。
「あとは、軍服の生活でしたから、ただ軍服時代二年間のあいだに、岩波文庫の『万葉集』をくりかえし読みました。『いわばしる たるみのうへの さわらびの もえいづるはるに なりにけるかも』この原初のあかるさをうたいあげたみごとなリズムは、死に直面したその時期に、心をつねに拭きとる役目をしてくれました。」

「諸君!」の「古典の愛読」のそばには「崇拝人物」というリストもありまして。
興味深いので、これも引用してみましょう。
西郷隆盛(262)吉田松陰(109)ゲーテ(99)乃木希典(88)楠正成(71)野口英世(59)寺田寅彦(51)ヒツトラー(47)パスツール(39)ベートーベン(37)。

いつの時代にも、ベストテンにはヒットラーみたいなのが紛れ込むのでしょうなあ。
などと思いながら引用してみました。

え~となんでしたっけ。そうだ養老さん。
養老孟司著「ぼちぼち結論」(中公新書)の最後の題は、「結論は一つ」というのでした。こちらの新書は中央公論に連載していた最後の分を入れてあるということです(まだ、私はちゃんと読んでいないのでした)。つまり2001年から7年にわたった連載で、中公新書の「まともな人」「こまった人」につづく三冊目の連載最終の分なのだそうです。
まったく、ちっとも読んでいないのに、こうして書いてしまうのでした。
今年もこんな感じで書き込みをしてゆくのだろうなあ。
ということです。ご勘弁ください。


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小説音痴。

2008-01-13 | Weblog
自分は小説が読めないのでした。
ということで、それに賛成してくれるご意見が読めると嬉しくなります。小説を読まなくとも、それなりに存在理由があるのだと、励ましをもらった気分になれる(笑)。
さて、谷沢永一著「生き方通」(PHP研究所)という新刊が出ているというので、検索してみたら、なあんだ、以前出た「一生のうちにすべきこと、しなくていいこと」(PHP研究所・新書サイズ)の改題改訂とあります。う~ん。確かそれなら買ってあって、読まずにホコリをかぶっているはずだというので、ちょいと見渡すと本棚にありました。それで、あらためて改題してでも出るような本なら、ひとつ読んでみようと思ったわけです。どうも一月そうそうのものぐさで恐縮です。けれども、読んでみると2ページ完結の箇条書きスタイルが連なった一冊です。一月に人生の先達の有意義なご意見を拝聴したという味わいをもちました。そう。気軽にスラスラと読めちゃうのがなによりのよさ。

ということで、ここに、すこしその楽しさをお裾分けしようと思うのでした。
そのまえに、そうでした。小説を読まなくてもいいよ、という箇所を引用しておきます。

「『近代人が喜びとしている快楽のうちで、ギリシャ人が知らない快楽はふたつしかない。すなわちタバコと小説を読むことである』とピエール・ルイスがわれわれをからかうようにしていった。・・・18世紀に近代小説が生まれ、19世紀に至っては小説の全盛時代となった。それからというもの、洋の東西を問わず、小説が読書の牽引力として働いたのであった。しかし現代はもはや小説が読書の主流ではなくなった。歴史および社会思想の分野で表現力が発達し、従来の堅苦しい裃(かみしも)がとれて、読ませる叙述が一般化した。哲学も我が国では新しく明晰な翻訳が出はじめている。小説のお株を奪うように、ノンフィクションが範囲を広げつつある。図書館や書店が分類に苦しむほど、ジャンルが多様化して興味を惹くようになった。現代は書物のバラエティーが頂点に達している。こういう時代に何を読むべきかを選びだすのはむつかしい。昔は権威あるシリーズものに頼ればよかったが、今はすべて自分の判断に従うしかない。以前は荘重な本を読むだけでも教養があったが、当今は何が現代にむいているかを個々に見分けなければならぬ。つまらぬ本にひっかかったらお金と時間の無駄である。・・・」(すべきこと「本を読む」p22)

この本には「人間通の幸福論」とも小さく題名の脇に書かれております。
それでもって、「まえがき」は「幸福な人生をおくりたい。」とズバリはじまっております。そして「幸福になるためには人とつきあうことが楽しいという心境にならなくてはならない。それは意欲をふるいおこす元気によって可能である。引っこみ思案をやめて、一歩二歩踏みだす気持ちで交際を求めてゆく。そのうち次第に慣れてくるし、コツがわかってくるであろう。人生の幸福は人間関係に熟するか否かにかかっている。それは汗水たらさねばならぬほどの難業ではない。要は微妙なコツである。・・・」

この微妙なコツを、一話が見開き2ページで、なんともスラスラと書き記しておりまして、お正月の気分がぬけない私にとって、今頃読むのに何ともうってつけなスラスラ本なのでした。

では、お正月の気分にふさわしいとしたら、こんな箇所はどうでしょう。

「一般になんらかの感動が湧きあがるのは、こちらのほうに悩みや疑いや迷いがあって、それを解決できない状態にある場合が多いのではなかろうか。そこへきっぱりとした何物かが示されたとき、その感動はとくに大きいと思われる。感動にはそれを可能にする条件が準備されているのではなかろうか。・・・・自分が大切な話題をもちかけているときに、相手がほとんど反応を示さない場合の当惑は処理しがたい。感動は相手に対する畏敬の念から生まれる。感動しない人は周囲の人から敬遠されるであろう。相手に対する理解の確かさから感動が生まれる。」(すべきこと「感動」p27)

どうでしょう。新年にふさわしい言葉じゃないですか。
せっかくですから、もう一箇所引用。

「人間がいちばん興味をもつのは人間である。・・・・『人間に興味をもつ』とは、その人の長所を見出して評価する眼力を意味する。そのためには人を尊敬する姿勢を身につけなければならない。人を見る目がない人は、必ずまわりの人を軽蔑している。いったん人を見下したら、その人の美点は目に入らないのである。人間には、『やる気』というものがある。書類のどこにも書いてないが、確かにある。人間を評価するには、その『やる気』があるかどうかを見抜けばよいのである。」(p83)


人を見抜くよりも、まずは自分の『やる気』なのですが、
今年はなんとしても頑張ってこのブログを続けるぞ。
ということで、本年もよろしくお願いします
(まあ、なんともおそい新年の挨拶になりました)。


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谷内六郎。

2008-01-12 | Weblog
夕飯など、ダラダラとテレビを見ながら、食事をします。
昨日1月11日NHK20時の「迷宮美術館」に「谷内六郎が夕焼け雲に込めた思い」というコーナーがありまして、ちょいと図録で見かけない絵などがあったりして、興味深く見ておりました。

ということで、今回は谷内六郎で、思い浮かぶことを並べてみます。
寺田寅彦著「柿の種」を読んでいたときに、これは私には谷内六郎の絵を思い浮べるなあという文章がありました。まずはそれから。

「『二階の欄干で、雪の降るのを見ていると、自分のからだが、二階といっしょに、だんだん空中へ上がって行くような気がする』と、今年十二になる女の子がいう。こういう子供の頭の中には、きっとおとなの知らない詩の世界があるだろうと思う。しかしまた、こういう種類の子供には、どこか病弱なところがあるのではないかという気がする。」(岩波文庫・p85)

これなど、谷内六郎の初期の絵を、私などつい思い浮べてしまいます。
マドラ出版の本に「谷内六郎 北風とぬりえ」があります。
表紙はというと、大木の下に電話ボックスがあり、夜でボックスの中が明るい。
そこにはキツネが受話器をもって電話をかけている。電話ボックスの明かりで、暗がりに浮かび上がる大木の幹が、ぼやけたように明るんでいるのでした。

この本の書評を、川上弘美さんが書いており、印象が鮮やかでした。
今回はそれを引用したかった。

「子供のころ、谷内六郎の描く『週刊新潮』の表紙がこわかった。そしてそれは、宮沢賢治の童話を読むときのこわさと、同じ種類のものであった。児童文学と呼ばれるものの大概をわたしは愛読したのもだったが、どうしても賢治だけは読めなかった。なぜか。そこには理路整然というものがなく、子供の世界の模糊としたさまが描かれていたからである。そこには善も悪もなく、淋しさや暁の幽(かす)かな光のようなものだけが、世界の方向を決めていたからである。子供を子供の世界に放り出しても、子供は困惑するばかりなのである。子供があかるい歓びを感じるのは、子供の世界を整理し方向づけ、はげましてくれるものだ。子供はその中ではじめて、守られているように感じる。現実の子供の世界の隙間から噴き出す悪夢と無秩序を、見ないですむと感じる。子供が大人になること。それはたぶん、世界の無秩序を自分の中で飼い馴らすことが上手になること、なのだ。・・・子供にとって、真実であり身近である、渾沌。大人になって、谷内六郎がこわくなくなった。歓ぶようになった。狐が電話ボックスで電話をかけている『夜の公衆電話』というような絵を正視できるようになった。それはけれど、『童心』を蘇えらせるという意味は持たない。大人になって。渾沌に慣れて。渾沌を見ないふりができるようになって。そこではじめてわたしは、世界の無秩序の美しさを、子供のころにはあまりになまなましくて味わえなかったその美しさを、固定してくれたことに、感謝や賛嘆を示せるようになったのである。・・・」(川上弘美著「大好きな本」朝日新聞社・p105~106)
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