和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

新刊「これからの・・」

2016-03-31 | 書評欄拝見
毎日新聞「今週の本棚」3月27日に
(魚)さんが小さい書評をしておりました。
荒木優太著「これからのエリック・ホッファーのために」
(東京書籍・1620円)。
うん。気になっていたので
ついさっきネット注文することに。
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相も変らず。

2016-03-30 | 前書・後書。
小林秀雄著「本居宣長」。
そのはじまりの方に、こうあります。

「物を書くといふ経験を、いくら重ねてみても、
決して物を書く仕事は易しくはならない。
私が、ここで試みるのは、相も変らず、
やつてみなくては成功するかしないか
見当のつき兼ねる企てである。」


うん。小林流の節回し。
これにイカレておりました。
冷却期間が経ち、あらためて、
あの時読んだのは何だったのか。
いま読み返すとどうなのか。

今度は初版本に黄色い線をひきながら
読んでみます(笑)。
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あなたは詩を書くか?

2016-03-27 | 本棚並べ
読売新聞3月27日の「本のよみうり堂」
書評欄に月本昭男氏の書評で
藤井貞和著「日本文学源流史」(青土社・4200円)
が載っておりました。

そこにこんな箇所がある。

「江戸時代は鎖国を掲げてはいても、
引き続き欧州の知識と文物が導入される
『新しい時代』であった。
それを知りながら、鎖国を
『のほほんと受け止め』、
かたくなに偏狭な国粋主義を守ろうとした
本居宣長は作家として凡庸であった、
と著者の眼には映る。・・・」

おいおい。
本居宣長は作家じゃない。
作家として扱ってはいけないのじゃないですか。
ということで、著者には興味がありますが、
この本は絶対に買わないことにします。

それはそうと、
河合隼雄著「未来への記憶」(下・p135)を
ひらく(笑)。
そのケレーニイが登場する箇所を引用。

「そうしたら、また急にケレーニイが
『あなたは詩を書くか』と言うんです。
ぼくは詩ってのはどうも読むのも苦手なほうなので、
『詩はぜんぜんわかりません』と正直に答えました。
そうしたら、『文献はあまり読まなくてよろしい。
日本の神話を繰り返し繰り返し読みなさい。
何度も何度も読んでいたら、あなたの心に自然に
詩が生まれてくる。それを書いたら、
それが最高の論文である』と
ケレーニイが言ったのです。それでぼくは
『詩は書けないけれど、まあ、がんばってやります』
てなことを答えて、それで別れたのです。」

うん。おもむろに、本棚で埃をかぶった
小林秀雄著「本居宣長」をとりだす。
この本のはじまりは、こうでした。

「本居宣長について、書いてみたいといふ考へは、
久しい以前から抱いてゐた。
戦争中の事だが、『古事記』をよく読んでみようとして、
それなら、面倒だが、宣長の『古事記伝』でと思ひ、
読んだことがある。それから間もなく、
折口信夫の大森のお宅を、初めてお訪ねする機会があつた。
・・・・・帰途、氏は駅まで私を送つて来られた。
道々、取止めもない雑談を交して来たのだが、
お別れしようとした時、不意に・・・・」



小林秀雄著「本居宣長」は
のちに、新潮文庫で上下巻として出ており、
文庫の下巻では、小林秀雄と江藤淳対談が
最後に載っておりました。そこからも引用。

江藤】今度刊行された『本居宣長』をお書きになり
始めてから完成されるまで、十年ぐらいかかっている
のでしょうか。

小林】十一年半ですって・・・・。
勝手にやっているうちに、そんな事になったんです。
碁、将棋で、初めに手が見える、勘で、これだなと直ぐ思う、
後は、それを確かめるために読む、読むのに時間がかかる、
そういう事なんだそうだね。言わば、私も、そういう事を
やっていたのだね。・・・・

・・・・・・・・

小林】 ぼくは『古事記伝』を読んだ後の感動が残っていて、
何とかその感動をはっきりさせたいという気持ちがあった
んですね。それは戦争中の事です。
・・・・・
江藤】そうすると、宣長の著作では最初に
『古事記伝』をお読みになったのですね。

小林】そうです。『古事記』をしっかり読もうと思い、
どうせ読むなら『古事記伝』で読もうと思った。

江藤】それもやはり、勘のようなものですか。

小林】それは、勘ではない。


はい。しばらく身近に
小林秀雄著「本居宣長」を置いておくことに、
学生時代以来かもしれない(笑)。
うん。本居宣長は作家ではない。
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ジャスト・トーキング(言葉だけ)。

2016-03-25 | 短文紹介
WILL五月号届く。
「ご報告」という用紙が入っている。
花田編集長が他社にて新雑誌を手がけることになり、
WILL編集長をやめるそうです。
後任は立林昭彦氏。
「ご報告」には、こうあります。

「立林新編集長は文藝春秋在職中に『諸君!』編集長を
つとめ、硬派の雑誌を8万部にまで伸ばし、その後
『文藝春秋』編集局長を歴任したベテラン編集長です。」


さてっと、さっそく
「蒟蒻問答」をひらく。
堤氏のこの言葉を引用。


「・・トランプ現象を生んだのは、
他ならぬオバマじゃないか。
世界最大の軍事力と経済力を持った
大国アメリカが、対外的にも対内的にも
停滞してしまった。すべてはオバマの
優柔不断の為せる業だ。彼は
ジャスト・トーキング(言葉だけ)で、
何もしない、できない。
これに国民がイラついて、強い指導者に
見えるトランプに飛びついている。
まあ、今回の大統領選を見ていると、
アメリカン・デモクラシーの末路を感じるねえ。
民主主義を生んだアテネの末路も、
あんな具合じゃなかったのか。」(p86)
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うな重で、DVD観賞。

2016-03-24 | 地域
昨日は、
鶴岡へ行った3月19日を撮ったDVD観賞。
妻のお父さんとお母さんを呼んで、
うな重を取り寄せての観賞会。
4人だけですけれどもね(笑)。

そうして、一日が過ぎました。
夜には、DVDを送ってくださった方から
電話がある。
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震災学入門。

2016-03-22 | 書評欄拝見
産経新聞3月20日の読書欄。
河田惠昭氏の書評で
金菱清著「震災学入門」(ちくま新書)。
書評のはじまりが

「防災研究の専門家として、
大変重要な情報の提供に感謝したい。」

書評の最後は

「原因の一つに、わが国ではメディアによって
写真や映像で死者の姿が直接伝えられなかった
ことがある。東日本大震災がどれほど悲惨な
災害だったか、流された市街地、難破した大型船、
火災などの光景や2万2千人という死者・行方不明者数
だけで伝わっただろうか。・・・」

ちょっとよくわからないのですが、
とりあえず、購入してみることにします。
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記念写真。

2016-03-22 | 道しるべ
20日午後鶴岡駅から戻ることに。
特急電車に、まだ少し余裕があり、
鶴岡駅前で、記念写真。
それを、昨日プリントして
棚に並べてみる(笑)。

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山形へ。

2016-03-18 | 地域
今日の夕方から
18日、19日、20日まで山形です。
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山本七平の本棚。

2016-03-16 | 本棚並べ
さくら舎から
山本七平著「精神と世間と虚偽」が出ていて、
気になるので注文。それが届く。

最後のページをひらくと
こうありました。

「本書は文藝春秋『諸君!』に連載の
『山本七平の私の本棚から』(1982年6月~1985年8月)
を再構成し、まとめたものです。・・・」


買ってよかった(笑)。
ひとの本棚を覗くたのしみ。
本のお話を聞ける喜び。
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3回目のシネ。

2016-03-15 | 産経新聞
国会議事堂前で
「安倍首相死ね」と叫んだ大学教授がいたことは
安全保障法案でのヒトコマでした。

最近は、それが気になる一回目。

二回目は、ブログ上で
「保育園落ちた日本死ね」。
この匿名の文を野党議員が、安倍首相に知らないのですかと
詰問しておられる。

曽野綾子氏が3月13日の産経新聞一面に
文を載せておりました。その最後を引用。

「このブログ文章の薄汚さ、客観性のなさを
見ていると、私は日本人の日本語能力の衰えを感じる。
言葉で表現することの不可能な世代を
生んでしまったのは、教育の失敗だ。
表現力はもっとも平和的な武器である。
外交でも論戦を闘わす方が、
空爆で相手を吹き飛ばすより穏やかだ。
子供たちに毎週作文を書かすと読むのが大変だからと、
作文教育を怠ってきた面はないのか。
SNSに頼り、自分の思いの丈を
長い文章で表す力をついに身につけなかった成人は、
人間とは言えない。」

うん。この文を読んだからでしょうか。
「つなみ 5年後の子どもたちの作文集」を
本屋で買いました。

さてっと、「死ね」のタガがはずれてしまった。
そんな感じがしました。
3回目を、嬉々として野党議員が
朗読し、マスコミが堂々と拡散させる日が
ないことを願っております。
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本屋で雑誌を。

2016-03-14 | 地域
地元の本屋さんで
雑誌購入。

文藝春秋4月号

歴史通3月号

文藝春秋4月臨時増刊号
「つなみ 5年後の子どもたちの作文集」
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まなびとあそび。

2016-03-13 | 前書・後書。
久保田正文著「百人一首の世界」の「序に代えて」は
題して「まなびとあそび」。
その1ページ目に、

「法律学者の穂積重遠博士の、
百人一首類書に関する蒐集は
有名な話である・・・」

と穂積重遠氏の名前が登場しておりました。
うん。「新訳論語」「新訳孟子」だけじゃない(笑)。

それにしても百人一首。その文化の奥深さ。
そして、その楽しさ。
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彼れを知り己れを知れば。

2016-03-12 | 短文紹介
産経新聞の3月12日産経抄は
「『あんな人(菅直人氏)・・・」
とはじまっておりました。

うん。ここは一面コラムを読んで
もらうことにして。
私はおもいつくままに。

「彼れを知り」ということで
最近話題だった彼を知ることに。

雑誌「WILL」4月号に
宮崎謙介衆院議員の不倫・議員辞職騒動
についてありました。

門田隆将氏のコラムでは

「宮崎氏は、早稲田高等学院という付属高校から
早大商学部にエスカレーターで進み、就職した
大手生保を一年で辞め、転職した企業も一年で
辞めている。」(p26)

蒟蒻問答では

堤】 かつて宮崎は、いまは議員の
加藤鮎子(加藤紘一の娘)と結婚、婿入りしたけど、
三年にして離婚した。これも女出入りが原因だ。

だけど宮崎の場合、問題は国事に奔走する身で
ありながら育児休暇とは何事か、だ。妻と合わせて
五千万円の歳費が出る。ベビーシッターを雇えば
済む話じゃないか。

宮崎や奴の問題提起自体を支持する政治家らは、
『民に先んじて憂え、民に遅れて楽しむ】、
つまり先憂後楽という公職にあるものの持つべき
ノブレス・オブリージュ(高貴なる義務)が欠落
しているのです。しかも、それが誰も反対のできない
育児休暇という名目に隠れて罷り通る。・・・


久保】 ・・宮崎は女房や子供がそんなに大事なら、
育児休暇の間、議員の職を辞して育児に専念し、
子供が大きくなったら再び立候補して国民に信を問う
のが筋道でしょう。本来、政治家とは自己犠牲を厭わず、
国家・国民に奉仕する者たちが就くべき職業です。
ところが、奴の行為は育児休暇という大義名分に隠れて、
『私』のために『公』を犠牲にするということなのです。
しかも堤さんのおっしゃるとおり、それを教え諭すべき
先輩議員たちは、ただただ世論から育児休暇という
大義名分に反対という烙印を押されては大変、と
首をすくめるだけ。宮崎というアホな男の取るに足らぬ
女性スキャンダル問題よりも、
こっちのほうが遥かに深刻ですよ。(~p264)

ということで、
宮崎謙介衆院議員のことを
忘れても読み直せるように、このブログに採録
しておきました。

さて、もどって
今日の産経抄でした。
その後半最後を引用することに

「・・(23年)この年12月、再びお話を聞いた
菅野(典雄)村長は、菅氏の四国霊場八十八ヵ所巡り
再開に憤っていた。『菅さんよ、首相を終えたなら
お遍路じゃなく、被災地の仮設住宅を歩くのが
普通じゃないか』。にもかかわらず、
菅氏は昨年10月には、自身の10年間のお遍路の記録を
まとめた著書をのんきに出版した。
俳人の長谷川櫂さんの『震災歌集』に収められた
一首の短歌が頭にこびりついて離れない。
『かかるときかかる首相をいただきて
かかる目に遭ふ日本の不幸』。
事故対応をめぐっては政府、国会、民間、東電の
各事故調査委員会がそれぞれ検証し、
報告書をまとめている。どれも労作だが、
政治家の言動と責任への追及が共通して甘かった。」


「彼れを知り」といえば、
佐々淳行著「彼らが日本を滅ぼす」(幻冬社)に

「私は、学生時代の菅直人氏をよく知っている。」
とはじまる箇所があります。
以前にもこのブログで紹介したような気がしますが、
すぐ忘れるので、「彼れを知る」ための例として引用。

「菅直人総理も、あの第二次反安保闘争の学園紛争
花盛りの当時、バリケード封鎖された東京工業大学の
輝ける闘争委員長だった。
三派セクトには属していなかったようだが、
東工大学生たちを反安保闘争にかり立てる名アジテーター
であったことは間違いない。当時、警視庁警備第一課長で
機動隊運用の責任者だった私は、学長・加藤六実氏の要請で
同大学付近に出動・待機していた間に、ラウンドスピーカー
を通じて流れてくる彼のアジ演説を耳にしたものである。
加藤学長は、『あの菅という学生には手を焼いております。
彼がアジ演説をすると、すぐ500人くらい集まって騒ぐ
ので困っております』と、窮状を私に訴えていた。
・・・当然ゲバ棒や投石による全共闘の抵抗があって
検挙者も出たが、その中に菅闘争委員長の姿はなかった。
現場で警視庁の警備公安の幹部たちが、
『我々は、菅のことを【四列目の男】と呼んでいるんです』
と言う。・・・・
『機動隊が検挙活動に入ると、横隊だと三列目までは
手が届くんですが、四列目となると手が届きません。
彼はいつも四列目より後ろにいて、逃げ足が速いんで
捕まえられないのです』
なるほど、三回にわたる検挙活動で菅委員長を
捕まえることができなかったわけがわかった。
政界入りは、婦人有権者同盟の市川房江さんの選挙に
関わったことがきっかけとなり、三回も落選したが、
四回目となった1980(昭和55)年の衆院選で初当選を
果たしている。当初は社会民主連合で社会党会派に属して
いた・・・・」(p140~141)


ところで
「彼れを知り己れを知れば、百戦あやうからず。
彼れを知らずして己れを知れば、一勝一負す。
彼れを知らず己れを知らざれば、
戦う毎(ごと)に必ずあやうし。」

この言葉は孫子なのだそうです。
うん。孫子を読まなきゃ。

 
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斑目マンガ。

2016-03-11 | 産経新聞
産経新聞3月10日の
「阿比留瑠比の極言御免」は
「原発事故、斑目マンガの衝撃」と大文字。

その文のはじまりは

「一読、ここまで赤裸々に実態を明かしていいのか
と衝撃を受けた。原子力安全委員長として
平成23年3月11日の東電福島第一原発事故対応に
かかわった斑目春樹氏が、インターネット上で
公開している自作マンガのことである。」


最後は、こんな箇所も


「15日未明に菅首相が東電の清水正孝社長(当時)を
官邸に呼んで、福島第一原発からの全面撤退を止めた
という『都市伝説』も明確に否定している。
官邸政治家らが緊張の面持ちで見守る中、清水氏が
『撤退などしません』とあっさり述べる姿を描いた
作品のタイトルでは、こう強調されている。
『総理が撤退を止めたということは絶対にありません』
この後、菅首相が東電本店に乗り込んで
『撤退などしたら東電はつぶれるぞ』とぶった
大演説に対しては、斑目氏は手厳しく・・
マンガを通じ、当時の官邸の右往左往ぶりと
その後の自己正当化・美化のありようを
改めて思い出した。」
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震災五年目の甘さ。

2016-03-09 | 産経新聞
曽野綾子氏が
産経新聞に連載している「透明な歳月の光」。
その3月2日と3月9日が
震災から五年の報道の仕方に対し、
緊張感を吹きこんでくれております。

うん。産経新聞を購読されていない方のために
すこし3月9日から紹介しておきましょう。

「震災アンケートに思う」となっております。

「私は学生時代から『アンケート』というものが
嫌いだった。」とはじまります。

文の半分から後を引用してみます。

「つい最近見た、震災5年のアンケートの中には、
やはり人間の心理に対して詰めが甘いと思うものも
残存していた。トップに上げられているのは、
復興が『予想より早いか』から『何年遅れているか』
という設問である。しかし『予想』なるものの
基準がないから、『自分の思い込みより』早いか
遅いかで、随分結果が違う。地元の人たちでさえ
『想定外』と言った規模の災害に対して、
どれだけで復興するか、そもそも正確に予想できる人
は少なかったはずだ。
地震後1年半たってもまだ壊れたコンクリートの
巨大な破片がぶら下がったままの廃虚に住んでいた
ハイチの人たちの暮らしを知っている者は、
日本だって災害後、数年はまだ廃虚のまま、
幹線道路も切れたままだろうと思いかねないから、
今の状態を『予想より早い』と思ったかもしれない。」

うん。後半は全部引用しちゃいましょう。

「かつての住まいに戻らない、という被災者たちの
一番多い理由は、『放射線が気になる』である。
しかしそのグループの人たちに対しての
『除染で放射線量が下がれば、意思は変わるか』
という設問には、『線量が下がっても戻らない』
が実に67%にも及んでいる。
再建の資金がないことや、人間関係が変わって
しまったことが『帰郷』の意志をくじく理由にも
なっているだろうが、実は人間はそれくらいの
大きな災難には、生涯に一度や二度は遭うもの
なのである。
むしろ若い人たちには、人生はいかに備えても、
必ずこの程度の大きな危機には遭う、という
当然の運命を、義務教育のうちからしっかり教えて、
それに耐える精神を作ることが社会と文科省の義務だろう。」

うん。そういえば、こんな調子で、
震災直後から、曽野綾子さんの言葉が響いておりました。
たとえば曽野綾子著「揺れる大地に立って」(扶桑社)
副題は「東日本大震災の個人的記録」とありました。
その本が思い浮かびます。
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