和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

本屋に行く。

2013-04-29 | 本棚並べ
高速バスへの見送りの帰りに、本屋さんへ。
1年ぶりかなあ。そこの地方出版コーナーで、
伊藤一男著「房総沖巨大地震 元禄地震と大津波」(崙書房出版)があるかどうか確認しに寄る。ありました。一冊買う。
古いのを持っているのですが、これは2012年1月再版第6刷。
著者紹介の箇所に
1946年(昭和21)生まれで、2005年(平成17)死去とあります。

ついでに
PHPアーカイブスとある
PHPスペシャル5月増刊号「心に響く100の言葉」500円も買う。
ついつい、もう一冊
季刊誌2013年春号Kotobaも買ってしまう。
こちらは特集「本屋に行こう」
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刊行された暁。

2013-04-28 | 本棚並べ
池田彌三郎・谷川健一対談「柳田国男と折口信夫」(岩波同時代ライブラリー)を読む。読めてよかった。三面鏡に顔をつっこんで、柳田・折口をのぞき見しているような不思議な気分。対談がそのままに池田・谷川お二人に反射してゆくような、広がりと奥深さを味読できました。うん。今回は、ちょっと、すくい取るような引用はやめときましょう(笑)。


古本が届く。
BOOKじのん(沖縄県)に注文した
岩波文庫「一遍上人語録」大橋俊雄校注

420円+送料80円=500円

大橋俊雄校注のこの本は持っていなかったので注文しました。
この岩波文庫は「付 播州法語集」。


谷沢永一著「紙つぶて 二箇目」(文藝春秋版)をひらいていたら、
本棚の「紙つぶて 自作自注最終版」へと手がのびます。
その「まえがき」の最後には、こうあったのでした。

「・・この大冊が破格の厚志によって刊行された暁、私にとってもはや思い残すことはなにもないのである。  平成十七年十月 」

うん。ひらいていると、これ一冊があれば。
などという気分にもなるのでした。でも、
それも忘れて、他の本に目移りしてゆくのだろうなあ。
とりあえず、こうしてブログに備忘録がてらの書きこみ。
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会えなかったら。

2013-04-26 | 前書・後書。
池田彌三郎・谷川健一対談「柳田国男と折口信夫」(岩波同時代ライブラリー)は、買ってあったのですが、読まずに本棚で眠っておりました(笑)。
それを取り出してきて、パラリとめくっております。

そのはじまりは、谷川氏からはじまっております。

谷川】 私と柳田国男との最初の出会いといえば、戦時中に氏の本がたくさん出た時に、買っておいたということでしょうか。ただ、私の年ごろからいって、抽象的・理念的なものにあこがれる時代でしたから、あの穏やかな、抽象性のすくない文章に対して、どうも興味をそそられないで、たいして詳しくは読みませんでした。
池田】 学生のころですか。
谷川】 旧制高校の学生でした。・・・(p3)

谷川】 ・・・・三十歳をとうに通り越してしまった、ある日でした。以前に文庫本で買っておいた『桃太郎の誕生】を、取り出したのです。これが衝撃を私に与えた。・・・そして、以後、柳田のものを読みはじめました。(p5)
・・・この本は私にとっては思い出の深いもので、ずい分のちまで再読するのをためらったものでした。開けたら、火傷をするような気がしたものですからね。私は、最近は柳田さんにずいぶん厳しいことも書きますが、ほんとうのところは、柳田さんに会えなかったら、結局は私の思想は入口が見つからず野垂れ死したのではないか、と思っています。その意味で幸福でした。(p6)

ついでに、谷川氏の「あとがき」も、すこし引用。

「・・・柳田と折口は、私がもっとも尊敬する学問の大先達だからである。こうした先達のことを知りたいと思うのは、自然の欲望である。むしろ彼らが実生活にみせる不幸や破綻やつまずきが、私のような凡人にも勇気を与えるのである。尊敬しない人びとの生涯をいくら知ったところで、それは私に勇気を与えないだろう。柳田の生涯は語らない部分に興味があり、折口の生涯は語った部分に関心がある。・・・」(p221)
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架空世界。

2013-04-25 | 短文紹介
曽野綾子氏の
産経新聞2013年1月1日の「正論」欄の文が読めました。
ということで、そこからの引用。
真ん中ごろにこうあります。

「現在のマスコミ、主にテレビは、人間社会の実態を伝えるという厳しく辛い作業からどんどん離れて、架空世界を作ることに狂奔している。子供の数は減っているというのに、番組上は子供番組じみた表現がどんどん増える。・・・」

うん。こういう視点で、今年はテレビを楽しむことにいたします。

はじめのほうにはこうありました。

「現在の日本人は、本質的に優秀な人びとなのに、見るも無残な幼児性に冒されている。元々能力のない人たちなら、幼児的であっても仕方がない。しかし私から見ると、日本人は実に知能も道徳性も高い人たちなのに、その幼さは病的というほかはない。」

そして昭和6年生まれの曽野さんは
ここにメスをいれるのでした。

「その理由はいくつか思い当たるのだが、戦後の日本人を大きくダメにした日教組的教育が人間というものの現実を正視し把握しなかったのと、戦争中の日本人の生き方を鋭く批判したはずのマスコミが実は勇気がなく、無難な理想論に迎合して、そうでないものに対して思想弾圧までしたところにあるのだろう、という気はしている。・・・」

うん。この年頭随筆がテーマとなって、
曽野綾子・金美齢対談「この世の偽善」(PHP)は、はじまっていたのでした。
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ブロックを積む人。

2013-04-24 | 短文紹介

曽野綾子・金美齢対談「この世の偽善」(PHP)に
こんな箇所がありました。

曽野綾子】 ええ。ものづくりというのは、とどのつまり辛抱なんです。私は若い頃から書くことが好きでした。作家になってからほとんど一年も休まずに書いてきて、いつの間にか五十八年になります。正確に数えたことはありませんが、書いた量は四百字の原稿用紙で十五万枚以上になるでしょう。計算すると六千万字なんですね。私は書く職人になっていたわけです。怠け者なので、ほんとは毎日寝ていたいと、しじゅう思い続けてはいましたが(笑)、職人としての辛抱はあったのだと思います。いいえ、辛抱できる性格なしに長い作品は書けないんでしょうね。いつか小説家の仕事は何に似ているかと人に聞かれて、考えたらブロックを積む人に似ていました。ブロックを積む職人さんは四角いものを積むでしょう、私も毎日毎日四角い升目を埋めるし、ああ、これは同じだなあと。(p80~81)
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高い杉の木の上に。

2013-04-23 | 短文紹介
いとうせいこう著「想像ラジオ」(河出書房新社)を読む。
5章まであり。1章と3章と5章がラジオの発信者の語り。
2章と4章とが、その噂ばかり聞くのに、
どうしても「想像ラジオ」を聞けない受信者の話。

たとえば、第1章には

「それがこんなことになっちゃった。高い杉の木の上に引っかかって、そこからラジオ放送始めるはめになった。思いもよらない事態ですよ。いまだに狐につままれたみたいな気分で、お互いわけわかんないですよね。杉の木?引っかかるってなんだよ、的な。」(p12)

いっぽう、第4章には

「ザグレブ市? それ、どこだっけ?」
「クロアチアの首都」
 ・・・・
「そのザグレブの中心部にある政治の施設の庭に糸杉の木があって、今年の夏、その木の上に夜ごとたくさんの人の青い魂があらわれるって噂をそのブログの主は聞いたって言うの。・・・・」(p116~117)


想ー像ーラジオー。

定本柳田國男集第21巻をひらいていると、
「火の昔」の中の「盆の火」という文が思い浮かぶのでした。

「詳しいことはまだ判って居りませんが、我々日本人の御先祖の霊が、毎年日を定めて高い所から、来られるといふ信仰を持って居たやうであります。それ故に送る時はとにかく、迎へる時はきまって高い所に道案内の火、つまりは航海の灯台のやうなあかりを上げようとする習慣が古くからあったわけです。・・・・しかしこの風は今日ではもう田舎にしかありません。私は大正九年の盆の頃、ちやうど流行感冒のはやったあとで、東北の海岸地方をあるいたことがありますが、どの村もどの村も、この灯籠の柱が数多く並んで立って居るのを峠の上から見て、非常に淋しく感じました。昼間はこの柱の先に白い布を、空から降りて来る人たちの目じるしに下げておいて、夜はそれを燈籠のあかりと取りかえることにして居るのであります。」

もうひとつは、
「村と学童」の中の「祭礼と幟」のはじまり

「幟(のぼり)は夏の初め秋のなかば、村に入って行く者の気づかずには居られない、最もさはやかな快い印象を与えるよい見ものであるが、これを祭の日に立てるようになった起りは、まだ考えて見た人が無いらしい。・・・・」


気になったのは、
いとうせいこう著「想像ラジオ」の最後に
参考文献として2冊をあげていたことでした。

東北農山漁村文化協会・編「みちのくの民話」(未来社)
大橋俊雄・校注「一遍上人語録」(岩波文庫)

う~ん。一遍上人語録がどう関係するのか?
たしか、本文には、それらしき引用箇所はなかったはずなのに。
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搦め捕られた。

2013-04-22 | 本棚並べ
曽野綾子著「人間関係」(新潮新書)の最後でした。

「・・先日、日本で金美齢さんにお会いした。すると最近の若い世代は、将来何になりたいか、という質問に対して、『セレブになりたい』と答えるのだという。
・・・・バフェット氏を見ても、現実に手で対象を触る人だけがほんとうの仕事をする。触った時にざらざらか、冷たくて手袋が欲しいか、それとも火傷するか、その体験がある人だけが、人生でしっかりした足がかりを作るだろう。・・」(p186~188)

ここに登場している金美齢さんといえば、
曽野綾子・金美齢対談「この世の偽善」(PHP)のことなのでしょうね。
対談では、金さんの次の言葉からはじまっておりました。

「『現在の日本人は、本質的に優秀な人びとなのに、見るも無残な幼児性に冒されている』と曽野さんが2013年の元日付『産経新聞』 にお書きになったのを読んで、思わず『同感!』と膝を打ちました(「年頭にあたり、幼児性と画一性脱し強い国家に」)・・・」

さてっと、産経の古新聞は、とってある。というか、そのままに置いてある。元旦の新聞をさがして、もうすっかり忘れているので読み直してみることに。

ところで、今日発売の「オール読物」。
文藝春秋九十周年特別編集とあり、
「作家の手紙」の特集なのでさっそく手にしました。
そこに山本一力氏が
曽野綾子氏の封書について書いてる。

「六十五歳のいまだ、親友Oと深く交わって・・すでに二十年以上も前のことだが。・・毎週一度、読了したばかりの新刊本をOと仕事帰りの喫茶店で批評しあった。ある夕、Oが曽野綾子さんの話を始めた。『彼女は神様に愛されている作家だ』こう切りだしたのは、Oもわたしもキリスト教(新教)だったこともある。Oはまことに敬虔なクリスチャンで・・・Oの勧めがきっかけで、わたしも曽野さんの随筆を読み始めた。そしてたちまち、正鵠を射た内容に搦め捕られた。『今週は凄いぞ』わたしからOに切り出した随筆は、講演料に関する一文だった。・・わたしの話を聞き終えたOは、得たりの表情になった。『彼女は信念に照らして正しいと思えば、返り血を浴びるのもいとわないんだよなあ』Oの目には深い尊敬の色が宿されていた。ときが過ぎるなかでも、曽野さんの随筆は週刊誌、月刊誌、全国紙と読み続けてきた。・・・」(p164~165)

おっと、このあとに曽野さんからの封書の話がひかえているのですが、ここまで(笑)。
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やっと届く。

2013-04-21 | 本棚並べ
4月7日に注文してあった
いとうせいこう著「想像ラジオ」(河出書房新社)が昨日やっと届く。
今日読んでいる。
今年の新年の新聞で知った
織田正吉著「笑いのこころユーモアのセンス」(岩波書店)が
購入できないなあと思っていたら、
今月になって岩波現代文庫の一冊となっておりました。
さっそく注文して夜届く。
あれ、
織田正吉氏は曽野綾子氏と同じ1931年生まれなのだ。
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幼稚になって。

2013-04-20 | 本棚並べ
曽野綾子著「人間関係」(新潮新書)に、こんな箇所。

「現に最近のテレビでは、ドラマの筋も会話もあまりにも幼稚になってきて、典型的すぎる『悪人』以外は、皆が善良な人物ばかりになってしまった。いい人のお話さえ放送しておけば、社会から文句を言われることがないからテレビ局も安心なのである。」(p152)

うん。文章も幼稚を、どのように捕えてゆくかが、これからの文章論の主題?
などと思ったりするのは、注文してあった古本が届いたからなのでした。

相原書店(横浜市神奈川区斉藤分町)
注文の古本は
「定本柳田國男集 第二十一巻」(筑摩書房)
 500円+送料340円=840円

これは、昭和37年版。
函にオレンジの紙カバーがかかっています。
そこには、男女の児童がジャンケンしている絵と、
その下には、こうあります。
「広く深い民俗の知識を幼ないものの世界に託して
やさしく愛情をこめて語り説く心あたたまる一書」

うん。この第二十一巻は
 
 こども風土記
 なぞとことわざ
 火の昔
 村と学童
 村のすがた

以上が載っている巻なのでした。
私が持っていたのは、
昭和45年以降の新装版なので、
内容は同じでも、函や装丁の具合が、
古いほうがりっぱです。
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身の上話。

2013-04-19 | 短文紹介
曽野綾子著「人間関係」(新潮新書)が届く。
最後に「本書は『新潮45』連載、『人間関係愚痴話』(2011年6月号~2012年7月号)を改題の上、まとめたものです。」とあります。

曽野綾子氏ご自身の経験を叩き台にして、微妙な意見の細部に踏み込んでおります。ご自身の経験が狂言まわしの役目を果たして語りたいテーマを浮き彫りにしていきます。
なにしろ「私は自分の身の上話をするのも、他人から身の上話を聞くのも、好きではなかった。」(p130)という方が、ぎこちない身の上話をしてゆくのですから、しばらくつきあっているうちに、しだいに現代日本人の意識を紐解いてみせてくれるのでした。

本題にはあまり関係ないのですが、こんな箇所があります。

「私はまだ若い頃、初めて女流文学者会というところで、宇野千代さんという美人の大先輩にお会いした時、緊張していたこともあって、たった一つのことしか記憶しなかったのである。それは宇野さんが、『この会で、病気の話をするのはよしましょう』とおっしゃったことだった。その一言で私はすっかり宇野さんという方が好きになった。」(p170)

さて、その前の方には、自分の体の具合を語っております。

「私はほとんど毎朝のように体中が痛い。両方の足首を骨折してから時々こういうことが起きるようになった。しかし世間には、便利な薬があって、それを一錠飲みさえすれば、痛みは約三十分で治まる。その間に私が立ち働けば、それが運動になって私の痛みは消える。」(p131)

また、野田総理を語った箇所では、

「人は独自の人生観をもち、それを自分なりの表現で語れねばならないのだということは、国家とか組織とかを代表する立場になった人には必須のものだろうと思う。それが国際関係であろうと人間関係であろうと、『関係』というものの存在する場で闘う基本的な戦闘力だ、ということだ。」(p88~89)


うん。最後にここも引用。

「八十歳、九十歳になると、ほとんどの老人が何も喋らない。・・・
だから私は食卓では、できるだけ喋るようにしている。くだらないことならできるだけくだらなく、くだらなくても興味を持ち、くだらないと認識しつつ喋ることが大切だと感じている。それができなければ、老いぼれなのである。
喋らなければ会話で行き違いを生じることもないのだが、会話は人間であることの計測器だとしみじみ思う。うまく喋れない人、会話を大切に思わない人、怒りながら喋る人、自分が喋る相手の心をほとんど推測しようとしない人は、皆気の毒だ。」(p162)
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この世の偽善。

2013-04-18 | 本棚並べ
曽野綾子・金美齢対談「この世の偽善」(PHP)を、
私はワクワクしながら読みました。
副題は「人生の基本を忘れた日本人」。
対談でわかりやすく、読みやすい。

先に「曽野綾子自伝 この世に恋して」(ワック)をまとめたということもあってか、個々の事例に拘泥することなく、大きな枠組みで、話が弾んでいきます。題名にもなったキーワードは、後半に集中しているように読めました。

「反日」と「反戦」と、どちらも同じ観念の軽薄さを含んでいると読めるのが、目からウロコ。女性ならではの発想が、読者を奮起させるのじゃないかなあ。たのしく対談を聞いた気分にひたれました。
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常陸坊海尊。

2013-04-17 | 本棚並べ
「新編柳田國男集」(筑摩書房)第八巻の解説は長谷川四郎。
その解説の1ページ目に

「・・学童疎開は悲劇であったろう。
 この悲劇の最たるものは、たぶん、
 秋元松代氏によって書きこまれて
 演劇となった
 『常陸坊海尊』ではないだろうか。
 疎開学童二人のうち一人は
 戦争が終って国許である東京へ
 呼び戻されてかえっていくが、
 もう一人は親類縁者知人などが
 ことごとく空襲で死亡したのだろう。
 迎えにくる者は一人もなくて、
 そのまま疎開先の村に住みついて
 とどまることになる。・・」


気になるなあ。読んでいないので、
古本を注文。
古本屋は林語堂(青森・近江屋忠兵衛)
「常陸坊海尊・かさぶた式部考」(講談社文芸文庫)
 300円+送料120円=420円なり

うん。戯曲なので、なんなく読めました。
カバーの後ろに、こうあります。

「海尊と名乗る法師が村々を懺悔し流浪するという東北の貴人伝説を背景に、学童疎開し孤児となった啓太の罪の生涯を描く田村俊子賞、芸術祭賞受賞『常陸坊海尊』・・・」

また、柳田国男にもどろう。
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未着本。

2013-04-16 | Weblog
4月7日にネット書店hontoへ注文の
いとうせいこう著「想像ラジオ」が、まだ入荷してないようです。
このhontoさんは、入荷して出荷作業中となっても、
1~3日かかったりすることがあったりします(笑)。
むろん、よい面もあるわけです。

そういえば、
1月12日から4月7日まで東京国立博物館で開催されていた特別展
「飛騨の円空 千光寺とその周辺の足跡」を観にいかなかったのは残念。
ついついいつでも行けるなあ、と思っていたのがよくなかった。
あらためて、パンフレットをひらき、
円空彫刻を想像してみることに。
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二箇目。

2013-04-15 | 短文紹介
注文してあった
谷沢永一著「紙つぶて二箇目 コラムと断簡」(文藝春秋版・1981年6月)が届く。


ふるほん上海ラヂオ(京都市北区)
 300円+送料80円=380円なり

函入りで、箱の裏には「著者より」という文が書かれておりました。
その最後を引用してみたい。


「書物談義が単なる紹介や褒貶に終ってはならない。
 批評は一本調子の評価である前に、
 謙虚で誠実な情報伝達の奉仕であるべきだと私は考える。」



うん。私はこの本を持っていなかったので嬉しい一冊となりました。


函から出して、パラリとひらくと、
「絶対ソンせぬ十冊の本」(関西大学広報委員会)という短文がならんでいる。
その10冊目の最後にラ・ロシュフコオ著「箴言と考察」を取り上げてこう書かれております。


「人間性を剔抉して最も奥深く踏み込んだ残酷の書。読書の痛苦は、この薄い一冊と沈黙の対話を続ける忍耐に尽きるかも知れない。」


うん。「箴言と考察」は読んだはずなのに、
すっかり忘れておりました。
これが目につくというのは、
谷沢氏の言葉が、再読の機縁となるのかも。

私が読んだのは内藤濯訳の岩波文庫でした。
いまは、どんなのがあるのだろう。

現在の岩波文庫は二宮フサ訳。
角川文庫は吉川浩訳。
白水社は関根秀雄訳。
と、あるようなのでした。
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もう一冊。

2013-04-14 | 本棚並べ
定本柳田國男集第21巻の「村と学童」を読んでいるところなんです。
ときたまあるのですが、同じ本をもう一冊買いたくなることがある。
今回も、第21巻を古本屋へと注文。

「村と学童」は、学童疎開をしている小学校5~6年生にも読めるように書いているのだそうですが、私にちょうどいい(笑)。
この本のよさを、いちいち、説明するのは、なんとも支離滅裂になりそうで、面倒なので、もう一冊ストックしておくことに、話がまとまらなくなったら、最後には、いつでも、本を手渡せるようにと、人にあげるために用意しておくことに。

もちろん。もらった人が、読む確率は、かぎりなく低いということは、私の経験からも、わかる(笑)。うん。それでも自己満足のためのストック。

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