和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

議事録なし「井戸端会議」。

2012-04-30 | 短文紹介
読売新聞の「地球を読む」(2012年4月30日)に御厨貴氏が「公文書管理」というテーマで書いておりました。「記録残さぬ風土 戦後から」とあります。

興味深いので引用。
「公的な会議体の議事録や記録をどうやったらちゃんと残せるのか。」と言うのがはじまりでした。つぎに「3・11を契機に作られた多くの新設の公的な会議体におけるその点の甘い管理が、今問題になっている。」

明治はどうだったか。

「明治10年代から20年代にかけてこの国のインフラストラクチャーの根幹を決定した、首都東京の改造計画については、驚くほど公的会議体の議事録がきちんと管理保存されている。」

戦前はどうだったか。

「『戦前の内務省は地方出張をしたら詳細な記録を残すことになっていたのですよ』と、国土庁次官を務めた・・下河辺淳さんから聞いたことがある。」

御厨貴さんの認識は、どうだったか。

「内閣官房における臨時組織の記録は、絶対に消えてなくなるという共通了解が、私たちの間にはあった・・」

そして、終戦後の敗戦国で「大量の公文書を焼却した」ことから以降の、戦後に触れて。

「今日の3・11の議事録・記録問題を、短視眼的に捉えてはならない。たまたま発覚したこの事実の根は、とても深いのだ。」

こうして、御厨氏は
大切な指針を示すのでした。

「後世に残すためのアーカイブ化と言うと、ずっと後の歴史家のために、なぜ今の決裁に忙しい我々がという官庁諸氏の不平不満が聞こえてくる。そうではないのだ。今の決裁や決定を明快に行うためにも、記録や議事録という同時併行的によりそうブツの存在が必要なのだ。そう、今やっている自分を、もう一人の自分がじっと眺めているとでも言おうか。そしてそうした記録や議事録は、そう遠くない将来、同様のコトがおきた場合、まさにすぐさま応用が利く成果をもたらすはずだ。」

さりげなく、具体的な言葉の指摘も挿入します。

「日米関係を調査研究するとなると、今でもまずはアメリカに飛ぶことになろう。外交文書を含め公文書へのアクセスが早くできるし、最新のモノまで入手できる。日本はここでもたつく。もたもたしているうちに、『日本はアメリカに2度負けるのだよ。現実の交渉で、そして2度目は歴史の検証で』と・・・宣(のたも)うたある高官の姿を、今も忘れることができない。」

うん。ほとんど引用してしまう(笑)。
でも、大切なツボをおさえられたような心地よさがあり、
これは何を置いても、話題にすべきと愚考するわけです。
御厨さんの文の最後は、こうでした。

「公文書を残し、アーカイブ化していくことが、政治と行政、各省庁間、官と民とを、いずれは太く強く『つなぐ』結節点になる。この国の文化変容をも迫る時間をかけた取り組みを、今こそ我々は粛々と進めていかねばなるまい。」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年経(へ)にし後は。

2012-04-29 | 短文紹介
外岡秀俊著「3・11複合被災」(岩波新書)について、
著者は、VOICE5月号で、こう語っておりました。
まず、インタビューでこう質問されたのでした。
「・・『震災本』は山ほど出ましたが、全体像を的確にまとめた本は案外ありませんね。」
これにたいして質問に答えるかたちで外岡氏が語っております。
「・・阪神・淡路大震災のときに、関東大震災について一般向けに平易に書かれた本を探したんですが、吉村昭さんの『関東大震災』が文庫になっていたぐらいで、あとは専門家や調査報告書ばかり。70年も経つというのに、なぜこんなに本がないのかと驚きました。過去を参考にしようにも、比較しようがなかったんです。あれから十七年経って、去年の3月にまた大きな震災が起きたときも、これを読めば阪神・淡路のときのことがだいたい伝わる、という本はなかった気がします。だから今回こそ記録として残さなければ、と思ったのが、この本を書いた動機です。人間の記憶はほんとうに頼りないもので、残したいと思っても、なかなか残らない。・・・」(p91)

思い浮かぶのは、方丈記のこの箇所。

「昔斉衡(さいかう)のころとか、大地震振りて、東大寺の仏の御頭落ちなど、いみじき事ども侍(はべ)りけれど、なほこの度(たび)にはしかずとぞ。すなわち、人みなあぢきなき事を述べて、いささか心の濁りもうすらぐと見えしかど、月日重なり、年経にし後は、ことばにかけて言ひ出づる人だになし。すべて世中のありにくく、わが身とすみかとのはかなくあだなるさま、又かくのごとし。」(岩波文庫p24)

現代語訳

「昔、斉衡のころとかに、大地震が揺れて、東大寺の大仏のお首が落ちたりなどして、たいへんなことがいろいろありましたけれど、それでもやはり今度の地震には及ばないということである。その当座は、だれもかれも、この世が無常であり、この世の生活も無意味でつまらないものだと、述べて、いくらかは欲望や邪念にとりつかれた心の濁りも弱まったように思われたが、やがて月日がたち、幾年かが経過した後は、もうそんなことを言葉に出して言い出す人さえいないありさまだった。」
(三省堂・新明解古典シリーズ8 大鏡・方丈記 監修桑原博史。p241)

うん。大越健介著「ニュースキャスター」(文春新書)のあとがきにあるところの
高村薫さんの言葉「私たちに必要なのは、東日本大震災についてきちんと言葉にしていくことだと思います。」(p235)

うん。指摘することは簡単なのだけれども。
まあ。これからなんだ。と、いうことなんでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

共に悲しむ者が。

2012-04-28 | 短文紹介
ちっとも、読みすすんでいないのですが、
柳宗悦著「南無阿弥陀仏」(岩波文庫)がたのしい。

たとえば、平成24年3月11日発行の
岡野弘彦氏の歌集「美しく愛(かな)しき日本」(角川書店)の
題名についての疑問が解けた気分になったりします。
「南無阿弥陀仏」を読んでいると、理解したような気分になったところの、その引用。

「『悲』とは含みの多い言葉である。二相のこの世は悲しみに満ちる。・・・だが悲しみを悲しむ心とは何なのであろうか。悲しさは共に悲しむ者がある時、ぬくもりを覚える。悲しむことは温めることである。悲しみを慰めるものはまた悲しみの情ではなかったか。悲しみは慈(いつくし)みでありまた『愛(いとお)しみ』である。悲しみを持たぬ慈愛があろうか。それ故慈悲ともいう。仰いで大悲ともいう。古語では『愛し』を『かなし』と読み、更に『美し』という文字さえ『かなし』と読んだ。信仰は慈みに充ちる観音菩薩を『悲母観音』と呼ぶではないか。それどころか『悲母阿弥陀仏』なる言葉さえある。」(p88~89)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伯父の口ぐせ。

2012-04-27 | 短文紹介
私は寝るときは、すぐに寝てしまうので、本も短いのに限ります。
いまは、岩波書店の「こころに響いた、あのひと言」を置いてあります。
これは、新刊として買いました。

そこに、池内紀さんの「人生はされどうるわし」という3ページの文がありました。「母方の伯父の一人だが、兵庫県龍野市(現・たつの市)で町医者をしていた。」とはじまっています。その伯父さんのことが書かれているのです。
すこし飛ばして引用。

「私が知ったころは、多少とも変わり者の町医者だった。ドイツ文学とやらを学んでいる甥が気に入ったようで、訪ねていくと診察をうっちゃらかし、いろいろ話してくれた。そもそもあまりハヤらない医者であって、患者は長年かよっている人ばかり。その数がしだいに少なくなっていく。待合室に本が積み上げてあって、当人もたいてい本を開いていた。顔を合わせるなり、『いま何を読んでいるか』とたずね、こちらが答えるより先に自分の見っけものを話し出し、ながながと講釈をする。日ごろ相手がいないとみえて、上機嫌で自説を披露したりした。そのうち、きまってゲーテの話になった。」

こうしてドイツ語でゲーテの詩を朗読するのだそうです。

「・・・伯父はそれを『人生はされどうるわし』と訳した。そして『されど(ドッホ)』がいいのだと力説した。さまざまなことがあれ、ともあれ人生はすてきだ、といった意味であって・・・・」

「ゲーテがおもしろくなりだしたのは、それから20年ばかりしてからである。少しずつ勉強して、自分なりの評伝を書き、『ファウスト』の新訳にとりかかった。そのころ『龍野のおじさん』をめぐって、へんなことが耳に入り出した。患者の見分けがつかず、まちがった処方をする。散歩に出たきりもどってこないといったことだ。やがて医院を閉め、息子のもとに引きとられ、数年後に死んだ。」

さてっと、短文の最後の3行を引用して終ります。

「うき世の暮らしのなかで、ふと気持が萎えかけたときなど、伯父の口ぐせが頭をかすめる。目を輝かせて『ドッホ』を口にしていたようすが浮かんでくる。このところ自分にも、『されど』の意味が少しわかってきたような気がしてならない。」

うん。寝る前に読んで、この伯父さんが夢に出てくるような、そんな印象を残すのでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ストラディバリウスの日本。

2012-04-26 | 短文紹介
注文してあったCDが届き、
数日前から聞いております。
千住真理子の「日本のうた」(EMI)。
プロデュースは千住明。

最初に聞きおわった際に、
その後の静けさに、重さを感じられました。
わきでは、道路の車の騒音があるのに。

さて「日本のうた」は全12曲。
赤とんぼ・故郷・荒城の月・椰子の実・もみじ・浜辺の歌・宵待草・この道・早春賦・月の砂漠・初恋・夕焼け小焼け。

私にここちよかったのは、早春賦。
ですが、また聞くうちにかわってゆくことでしょう(笑)。
月の砂漠は、聴きながらドラマを見ているような気にさせられました。

CDケースにあるパンフによると、
千住真理子さんの言葉が最初に書かれておりました。
東日本大震災にふれておられます。
その短い文の後半の箇所を引用。

「『日本のうた』は今の私たちにとって日本の魂そのものだ。日本の歌にあるのは『かけがえのない日本そのもの』であり、失ってしまったもの、失ってない心も、歌には残されている。だから私は日本の歌を弾きたい、と思った。・・・大切な、愛する日本を、美しい日本を取り戻すために、様々な努力をしていきたい。今私は愛器ストラディバリウスで、日本の歌の魂をかなでたい。I love Japan!」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柳宗悦と一遍。

2012-04-25 | 短文紹介
まいど、ザルで水をすくっているような読書なのですが、
釈徹宗著「法然親鸞一遍」(新潮新書)の一遍の箇所をぱらぱらとめくっていたら、そうか一遍はまず柳宗悦の本を読まなきゃ。と教えられました。ちょうど古本が手にはいったので読み始めたところ。

ふるほん上海ラヂオ(京都市北区)の新着情報で注文
柳宗悦著「南無阿弥陀仏」ワイド版岩波文庫
本代300円+送料80円=380円なり。

これが、わくわくする一冊。
文庫解説は、今井雅晴とあります。
その解説で、今井氏はこう書いておりました。

「私事であるが、かつて一遍上人の思想をどう把握するかで苦慮していた私は、思い出して本書をひもとき、急な坂道を初めはずるずると後には転げ落ちるように、本書に引き込まれた。その時の驚きと感動は今でもありありと思い出すことができる。」(p341)

それで今、本を読める喜びを味わっています。
という、途中報告。
つまり、いまだ読了せず。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キャスターとドライバー。

2012-04-24 | 短文紹介
大越健介著「ニュースキャスター」(文春新書)に、奥さんのことが書かれていて、そこを、もう一度読み直し。

タクシーの運転手との受け応えがあった箇所で、奥さんが出てきております。タクシーといえば、松平定知氏のことを思い浮かべたりします。ちなみに、松平氏は磯村尚徳氏と、いとこだそうですね(検索で知りました)。磯村氏はこの新書に、憧れの人として登場します。

第6章「野球少年、キャスターとなる」の「タクシードライバーにたしなめられる」という箇所です。印象に残る箇所となっているのは、そこに奥さんが登場しているからなのかもしれません。そういえば、この新書のはじまりは、就職した息子さんの話でした。さてっと、引用。

「そのころ、妻は体調を崩しがちだった。三人の息子たちの子育てにてんてこ舞いなのに、夫の助けはほとんどあてにならなかった。政治記者などという仕事は、まともに休みは期待できないし、仕事に出て行ったら最後、夜中まで帰ってこない。・・・・妻は私をしだいに責めるようになった。私の多忙をではない。妻は私の本質的な勘違いをわかっていた。私は、どこかに感謝の心を置き忘れ、鼻持ちならない空気を身にまとうようになっていたのだと思う。妻はたびたびそのことを指摘し、私は言われておもしろいはずがなく、妻との関係は険悪になっていった。しかし、彼女の体調悪化がいよいよ深刻となり、やつれて倒れ込むことが増えるにつれ、さすがに鈍感な私も気づくようになった。・・・タクシードライバーの手厳しいひと言は、そんな時に私に投げつけられた。」(p109~110)

ちなみに、後半のコラムに、その後の奥さんが登場しております。

「五十の坂を越えて」とはじまり、家で紅白歌合戦を見るというコラムでした。

「成人した三人の息子たちは、彼女なのか友だちなのか、年越しは誰かと外で迎えると言う。いきおい、カミさんと二人の大晦日の夜、ということになるが、この人は夜も八時を過ぎると起きていられず、こたつの中でコテンと寝てしまうので、今年の紅白は、一人で見ることとなった。・・・・家内は予想通り爆睡状態となり、いよいよおひとりさまの世界である。・・新潟の知人からもらった地酒の一升瓶が年越しの相棒である。」(p211~212)

この引用したコラムに、「五十男は守備範囲」うんぬんという言葉がありました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五十男の守備範囲。

2012-04-23 | 短文紹介
大越健介著「ニュースキャスター」(文春新書)を読んでいます。
この新書は、前半と後半とにわけられそうです。
午後9時からの「NHK夜9時の顔」を語る前半。
週一回の番組公式ホームページへ掲載されたコラムが後半。

はからずも、書くことと、ニュース番組で司会をすることとの差異を一冊で味わえるのでした。とりあえずは、書くことに言及している箇所を引用してみましょう。

後半のコラムのはじめに
「書くことが好きだということもあるが、それ以上に、伝えるニュースの重みや、取材で出会う人々の言葉の力を前にして、私は書かずにいられなくなる。」(p122)

まあ、こういう方がNHKニュースウオッチ9のキャスターをはじめた戸惑いを、臨場感を交えながら書かれている前半。

それについては、こんな箇所があります。
「私は普段、番組でスタジオの真ん中に座り、ニュースを読んだりしているので、アナウンサーと思われがちだが、そうではない。1985年にNHKに入局して以来、一貫して記者である。記者というのは、取材して原稿を書く人のことであり・・・」(p42)

そんな人が、キャスターをすることになった経緯を前半では知ることになります。
そこで、経験談やら失敗談やらが挿入されていくと、ついつい、
おかげで、これは夜9時のNHKを見なくっちゃ。という気分になります。
さてっと、書くことと話すことの違いをそれとなくわからせてくれる、こんな箇所も引用しておきます。

「キャスターのスタジオワークでもうひとつ大事なのが、『ゲスト』との対話である。最も多いゲストは、実は身内であるNHKの記者である。自分も政治記者時代などにずいぶん経験があるが、『取材は得意だし、原稿を書くのも上手だが、しゃべりは必ずしも得意ではない』という記者も多い。・・・スタジオでの解説がどうしても『話し言葉』になっていない記者は多い。スタジオは語りの場であるから、できるだけ自然な話しことばで進行されるべきなのだが、原稿を書く人という習性が邪魔をして、記者たちのトークの中には、書きことばの尾をひきずったような、特殊なことばがかなりある。たとえば、『このため』という接続語がそうである。・・・」(p52~53)
うん。もうちょっと引用をつづけたいけれど、長くなるのでこの辺できりあげてつぎにいきます。それからまた、全体から醸し出されるのは、「あとがき」にある、こんな箇所。

「震災から一年という節目を前にした三月はじめ、大坂・吹田市に作家の高村薫さんを訪ねた。・・・時事問題を平たい目線で扱うコラムを、私は愛読している。・・高村さんは・・『私たちに必要なのは、東日本大震災についてきちんと言葉にしていくことだと思います。言葉にするというのは、なにも記録するとかそういうことではなくて、起きたことを、目をそらさずに見ること。・・・』と・・・まさしく、今の私に求められていることだ。・・・目を覚まし、次に世代に残すべき社会を作り出すのはこれからだ。そのために言葉を語るのは、まさに私の仕事である。」(p234~235)

最後に、前半と後半とに出てきている場面を引用して終わりましょう。
前半ではp19。

「後に、いわゆる民間事故調(福島原発事故独立検証委員会・北澤宏一委員長)は、官邸中枢の政治家やスタッフへの詳細な聞き込みをもとに、事故の検証結果をまとめた報告書を発表している。報告書では、事故発生からの数日間は、東京電力も官僚機構も混乱の中で十分な情報を持ち得ず、原子力には素人の限られた政治家たち(当時の菅直人総理大臣を含む)が、場当たり的に事故対応にあたらなければならなかった事実を公表した。この例をはじめとして、本来信頼されるべき政府発表が、実は根拠が極めて薄弱なものだったことが次々に明らかになるたびに、その時の報道を担ったひとりとして、何とも言いがたい気持ちになる。・・・」(p19)

後半ではp226~227.

「情報過疎の中を、当時の菅総理をはじめ、原子力には素人の少数の政治家たちが、まさに綱渡りで危機対応に当たった。・・『まったく手ぶらで、何も(情報を)持たないで記者会見に臨んだ』という、その官房長官の発言に、われわれ報道機関も頼らざるを得なかった。ただちに健康に被害が出る状況ではないといいながら、後追いを繰り返した避難指示。放射性物質の広がりをある程度は予測できながら、公表が遅れた文部科学省のシステム・SPEEDI。あの時植えつけられた情報への不信は今も尾を引き・・・報道機関もその責任とは決して無縁ではない。」

ちなみに、大越健介氏は1961年新潟県寺泊町生まれ。
カミさんが出てきたり、「なあ大越君よ・・」と野球部の監督に語りかけられたり、その交際の守備範囲も楽しめる一冊となっておりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

井戸端会議の議員さんたち。

2012-04-22 | 短文紹介
ひさしぶりに、板坂元著「考える技術・書く技術」(講談社現代新書)を開く。そこに井戸端会議という言葉があったなあ、と思い浮かべたからでした。
では、引用。

「井戸端会議の達者な人は、情報量には乏しくないけれども、その整理・管理が自我流に頭の中に入っているだけなので、せっかくの情報が噂のレベルより先に進むことができない。・・つまり、井戸端会議の議員さんたちは情報を乱雑にとり入れて、その取捨ができないで、情報をプールする方法がきわめてまずいわけである。」(p86)

最近では、鮮やかに思い浮かぶのが「原子力災害対策本部での議事録なし」問題。
ネット検索して日刊ゲンダイでの、その箇所を以下に引用。

2012年1月23日 掲載
 民主党政権のデタラメが改めて俎上に上っている。「原子力災害対策本部」の議事録の問題だ。昨年5月に枝野官房長官(当時)が「議事録を取る場がほとんどなかった」と明かしていたが、“ほとんど”ではなく“まったく”作成されていなかったのである。
「原子力災害対策本部」は、総理大臣が本部長に就き、全閣僚がメンバーとなって、事故当日の昨年3月11日に設置された。除染の基本方針や避難区域、農作物の出荷制限など、原発事故をめぐる重要な決定をしてきたとされる。
 ところが、NHKによると、会議の議題を書いた「議事次第」を作っただけ。会議でどんなやりとりがあったかが分かる「議事録」は作っていなかったという。事務局を務めていた原子力安全・保安院の担当者は、NHKの取材に「業務が忙しく議事録を作成できなかった」と釈明している。
 しかし、公文書管理法は、政府の意思決定の過程を検証できるようにするために、重要な会議の記録を残すように定めている。議事録ゼロはあり得ないし、あってはならない。自分たちの失策が記録されると困るので残さなかったか、本当はあるのに誰がなにを話したかバレるとマズイので、なかったことにしたのではないか。どう考えても不自然だ。公文書の管理に詳しい名古屋大特任教授の春名幹男氏はこう言う。
「議事録を作成しないという重大事を、官僚の一存で決められるとは思えません。民主党は“政治主導”を掲げていたからなおさらです。菅総理か枝野官房長官の指示があったと考えるのが自然。恐らく、情報もなく、微妙な問題なので『フリートークでいきましょう』となったのでしょう。ただ、官僚の習性として個人的にメモを残しているはず。あとで大臣から『あれはどうだったかな?』と聞かれた時、答えられないと困りますからね。3・11以降、官邸がどう動いたのかは、将来、同じ過ちを犯さないためにも、絶対に記録しておくべき。議事録がないのは国民的な損失です」
 いったい、誰が「議事録」の作成を止めたのか、会議でなにが話されたのか。官僚の個人的なメモでもなんでもいいからかき集めて、真相を明らかにしないとダメだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

片づけの楽しみ。

2012-04-21 | 短文紹介
たまった新聞紙の整理。
まずは、呪文をかけてみる。
というので、この引用。

「若い人が新聞を読まなくなったといいますが、私にとって新聞を読むのはほんとうに楽しみなんです。椅子に座って大きな紙面を広げ、それぞれ編集された紙面を見ながら、その中で何が重要かそうでもないか、自分で考えて選ぶわけですからね。テレビには自分の選択がなく、あてがい扶持(ぶち)の情報を受けるだけですが、新聞を読むことはさまざまなことを考えたり、書くものを考えたりできます。」(曽野綾子著「人間の基本」新潮新書・p62~63)

この頃、横着になって、たまった新聞紙を一度に片づけようということは、はなから私はやらなくなりました。とりあえず、一日分の新聞をスリムにしてゆく。余分なページを取り除く。すこしでも厚みが減ると、何か片付けたなあ、という気分を味わえる(笑)。たいていは新聞の中ごろのページを、脂肪でもとるようにゴソッと取り除く。これ考える手間が省け、チラッと見るだけで何とも整理しているなあ、という気分にひたれる。それでもって、それなりの達成感。

そういえば、4月2日読売新聞に野口悠紀雄氏が書いておりました。
そのはじまりは
「片づけ本が何度もブームになるのは、根本的な解決策がないからだ。緊急の仕事を抱えておらず片づけに十分な時間を使えるなら、片づけに専念すればよい。問題は、仕事を持つ人には片づけに使える時間がないということなのだ。その制約の中でどうするか・・・」

うん。片づけに専念できるよろこび。というのがあるのだ。片づけが面倒だなどと、愚かなことを言ってはいけない(笑)。

野口さんはこうも指摘しておりました。

「人類は、情報を『捨てない』ことによって進歩してきた。情報を蓄積してきた文明は発展し、情報を残さない文明は滅んだ。だから情報について無責任に『捨てろ』というべきではない。マーフィーの法則に『書類は捨てた翌日に必要になる』というのがある。・・・」

本は貸した翌日に読みたくなる。
というのもありですよね(笑)。
え~と、楽しみはとっておきましょうと、
今日の古新聞整理はここまで(笑)。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

始めての招待。

2012-04-20 | 短文紹介
4月20日産経新聞一面。
「春の園遊会」が写真入りで載っており。
そこに「台湾の台北駐日経済文化代表処の馮寄台代表(大使に相当)も、代表として始めて招待された。・・」とありました。

産経の一面左には、千住真理子さんが「被災地に【日本のうた】を」という文を寄せております。すこし引用。

「私が『赤とんぼ』や『荒城の月』などの『日本のうた』を弾こうと思ったのは、去年の震災後である。それまで『日本のうた』はクラシック演奏家の弾くジャンルではないと思っていた。・・・それが昨年の震災以降、私の考えは百八十度変わった。・・・・早速、作曲家の兄である千住明に相談した。明兄もまた同じ想いであった。兄は『僕だけでなく、僕が尊敬する同業者にも声をかけよう』と何人かの日本を代表する作曲家の方々に声をかけ、賛同してくださった小六禮次郎氏、渡辺俊幸氏、服部隆之氏、朝川朋之氏、山下康介氏が加わり、『故郷』『もみじ』『この道』など『クラシック版日本のうた』12曲が完成した。それは単なる編曲にとどまらず、おのおののアーティストが魂込めて創作する『作品』として生まれ変わっていた。どの曲も昔ながらのメロディーが経年変化して厚みを増した、味わい深い名曲へと装いを新たにしていた。・・・この夏にも被災地へボランティア演奏に行こうと思う。まだ何も解決してはいない暮らしの中、どのようなメロディーが安らぎを与えるのか、私はまだ悩んでいる。」

まずは聞いてみようと、
千住真理子さんの「日本のうた」CDを注文することに。

以前、ネット書店の検索をしていたら、
財団法人日本消防協会編「消防団の闘い 3・11東日本大震災」(発行・近代消防社・2000円税込み)が出ているので、取り寄せました。300ページほどに各消防団の団長・分団長などの方々への聞き書きが丁寧に記録されております。「6県の消防団員(2市長含む)計63名に、震災後の平成23年7月から10月にかけてインタビューしたものをまとめたものである。」とあります。インタビューされた方の写真入りで、消防団歴と職業と年齢が入っております。40代がおりますが、中心は50代で、60代もおり、中には70代の方もいらっしゃる。本文は未読です。第4章には平成23年11月29日に天皇皇后両陛下のご臨席のもと「東日本大震災消防殉職者等全国慰霊祭」が執り行われた」とあるのでした。
そういえば、
2012年3月11日の政府の追悼式典での天皇陛下哀悼のお言葉のはじめに、

「・・1年前の今日、思いも掛けない巨大地震と津波に襲われ、ほぼ2万に及ぶ死者、行方不明者が生じました。その中には消防団員を始め、危険を顧みず、人々の救助や防災活動に従事して命を落とした多くの人々が含まれていることを忘れることができません。・・」というお言葉があったことをあらためて思い起こします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

端切れを集めて。

2012-04-19 | 前書・後書。
日下公人著「思考力の磨き方」(PHP研究所)
そのまま,話せば「歯垢の磨き方」と思われるかも(笑)。

さて、この本のあとがきに
「PHPの人とは付き合いが長い。
もう三十年になる。その間、本をつくるためにたくさん話したり書いたりしたが、不採用で捨てた端切れがたくさんPHPにたまっているから、それを一冊にしたい、という申し出があった。・・・・理由は何であれ端切れは端切れである。そんな端切れを集めてパッチワークにしたような本だから、論理と説明を積み重ねて何か新しいことを主張する本ではない。ブログかツイッターのような本である。それでも良いという時代が来たのかもしれない。」(p179)

あとがき、のさいごも印象深いので引用。

「何でもかんでも思いつくままの言い放題である。
いっていることの根拠は自分自身にあるものだけだから、読者もそのつもりになって、自分自身の判断で読み進めていただくしかない。出版不況というが、それは自分を出せない著者と自分を出さない読者の世界のことかもしれない。
そう考えると、文藝春秋をつくった菊池寛は【座談会】の発明者で、それは日本では定着したが、世界にはいまだに広がらないことが想起される。
なぜか、と考えると日本文化の伝統には連歌の会があるが、欧米には詩の朗読の独演会しかない。ブログやツイッターを人が集まって見せ合うと連歌の会になり、さらに発展すると座談会になると考えると、いまだに対談か討論かまたはインタビューしかない欧米は、これから始まる百鬼夜行、自由奔放、議論百出の末に【観念連合】で新理念を創出する時代に入れない恐れがある。
その点、連想ゲームにすぐれているためか、座談会ができる日本人は気楽なものである。したがって、新しい時代はこんなパッチワークみたいな本をつくるところから始まるのかもしれない。」

うん。本文の「思いつくままの言い放題」は、
ひとり堪能することにして、
それぞれが、読んでのお楽しみ。
ということにしておきます(笑)。
このパッチワーク本は、
随所に光る数行が散りばめられていて。
うん。今頃なら
どこかから飛んでくる、桜の花びらを
栞がわりに、数ページごとにはさみこみなくなる
そんなような一冊なのでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小口けずり。

2012-04-18 | 本棚並べ
この頃、
小さなダンボール箱に、数冊の本を入れておくようになりました。
本を読まないと、そんなことをしてます(笑)。
今日は本を読まないので、
最近のパソコンデスクに置いてあるダンボール箱の中身紹介。

 「丁丁発止」梅棹忠夫・鶴見俊輔・河合隼雄鼎談(かもがわ出版)
 「禮節」石原吉郎詩集(サンリオ出版)
 「日本を、信じる」瀬戸内寂聴・ドナルド・キーン(中央公論新社)
 「3・11から一年 100人の作家の言葉」(文芸春秋3月臨時増刊号)
 「敗戦日記」高見順著(文芸春秋)
 「揺れる大地に立って」曽野綾子著(扶桑社)
 「なみだふるはな」石牟礼道子・藤原新也対談(河出書房新社)


うん。この箱の本たちを補助線でむすびつけたいのでした。

ちなみに、
高見順著「敗戦日記」の単行本は、ネット古本屋で購入。

 往来舎(山口県山陽小野田市)
 500円+送料150円=650円

これが、面白いほどの線引きあり。
おかげで、まずは、その線引き箇所をパラパラとめくりました。
函入りだったのですが、けっこうな臭いもします。
本の天と地と小口に古いしみが出ており、
そんなことは、あんまり気にしないほうなのですが、
この本は、そんな私でも気になります。

今日、ハンドサンダーという
凹円曲部を紙やすりで削る道具があったので買ってきました。
説明に「平面・曲面の研磨が一丁でOK」
「ペーパーはマジックテープ付きなので取り替え簡単」
とあります。木製品の修理・面取り、木材の仕上げ加工に
使う道具らしいのですが、
本の小口のシミを削り取るのにもつかえそうです。
これが、1180円。うん。古本より高いけど。
おかげで、使ってみるとシミを削ることができました。
古本臭はそのままですが、
見た目は、それなりに、きれいになりました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

狂歌入門。

2012-04-17 | 本棚並べ
ネット古書店で検索してみると、
見城徹氏の著作の安いのがあり、さっそく注文。

見城徹著「編集者という病」(太田出版)
うん。きれいな古本です。

古本屋は「ろめろすぺしゃる」(東京都武蔵村山市)
先払いでした。
単行本190円+送料300円=490円なり。

まあ、とにかく本棚へ。

たしかあったはずの文庫本を家の段ボール箱に探していると、探し本は見つからずに、ああ、そういえば、という本が出てきました。

 なだいなだ著「江戸狂歌」(岩波書店・「古典を読む」24)

出久根達郎著「日本人の美風」(新潮新書)を読んで、狂歌をいつか読まなければと思って、そのままになっていたのを思い出し、この「江戸狂歌」を読了。ご自身の同人誌を始めた頃の経験を踏まえながらの江戸狂歌の盛衰史を、ところどころに狂歌を織り交ぜながらたどってゆくので、さらりと読めて、しかも読みごたえのある充実感が味わえました。

うん。一箇所だけ引用。

「彼らを見ると、ぼくはどうしても、同人雑誌を出すために集まった若い頃の仲間のことを思わずにいられない。何とおびただしい情熱が空費されていただろう。効率から考えれば、エネルギーを仕事に変えられず、熱にして逃がしてしまう出来の悪い内燃機関のようなものだった。そんなぼくたちの青春の馬鹿騒ぎに、彼らの姿が重なり合ってしまうのだ。」(p152~153)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評というのは面白い形式ですね。

2012-04-16 | 短文紹介
丸谷才一著「快楽としての読書 日本篇」が、
ちくま文庫の新刊として出たようです。
気になるけれど、丸谷さんの書評本は、
読まずにあるので、買わないことにします。
(まあ、こう自分で自分に言いきかせているわけです)
つぎに、本棚にある丸谷才一氏の書評本をとりだしてみる。


とりだしたのは、丸谷才一著「いろんな色のインクで」(マガジンハウス)。マガジンハウスで出している丸谷才一氏の書評本は、何となく買ってあります。最後にさりげなく書評索引・著者名索引・訳者名索引。そして初出一覧が付いております。
わきに新聞紙はさんである。忘れていたけれど、
この書評本への新聞書評でした。
毎日新聞2005年10月23日読書欄の
鹿島茂氏の書評です。
鹿島氏は、この一冊のけっこうをラーメンにたとえます。
各章ごとに、スープや麺やチャーシュー・煮卵・シナチクと比べながら、おもむろに味わいはじめるのです。
そして、鹿島氏は
「本書はなによりもまず、その編集の妙が光る本である。」と指摘しておりました。

それでは、鹿島さんがスープにたとえた
第一章「書評のレッスン」のインタビュー記事から、すこし引用

「書評っていうのは、面倒くさがり屋はダメですね。書き直すことがいやだといって、書きっぱなしにする人には向かない仕事です。・・場合によっては二、三回書き直すことも辞さないくらいの凝り性でないと書評書きに向かないんじゃないですかね。」(p26)

「書評というのは面白い形式ですね。新刊書を論ずるという形で、ふざけ散らした随筆を書くこともできるし、死んだ友だちの思い出話を書くこともできる。そんなふうに、自由自在な、いろんなものを入れることができる容器である以上、それを文芸評論の容器とすることも充分できる。」(p27)

「イギリスの批評は実際的なんですね。本という証拠物件があって、それについて、読者と批評家とが対話する。その会話の一つとして書評があるんでしょうね。」

「もう一つ、読み方についての注意というのが大事です。たとえばこの本は第一部はやめて第二部から読めとか、うんと長い序文がついているけれども、これはくだらないから読まないほうがいいとかね(笑)。これは非常に大事なことです。」(p27)

「ほかの人にもこの本をすすめたい、読ませたいという情熱があって、しかも技術がある場合、いい書評が成立するんですよ。」

そして、ここは鹿島さんも引用していた箇所なんですが、
私も引用します。

「書評というのは、ひとりの本好きが、本好きの友だちに出す手紙みたいなものです。・・・ところが書評というものはたんに文章だけで友好関係、つまり信頼感を確立しなきゃならない。それは大変なことなんですよ。その親しくて信頼できる関係、それをただ文章だけでつくる能力があるのが書評の専門家です。その書評家の文章を初めて読むのであっても、おや、この人はいい文章を書く、考え方がしっかりしている、しゃれたことをいう、こういう人のすすめる本なら一つ読んでみようか、という気にさせる、それがほんものの書評家なんですね。」


う~ん。私は第一章のスープだけで満腹(笑)。
ラーメンはすぐに食べないと冷めてのびちゃいますが、
本は、途中で本棚にしまっておける(笑)。
とここまで書いて、自分に駄目押し。
ちくま文庫の新刊は買わないことにいたします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする