和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

本はそういうものでもないんだ。

2015-07-31 | 道しるべ
「本の山の中」につづいて、今度は、
「戻ってゆくべき古里」です(笑)。


山田俊雄・柳瀬尚紀対談「ことば談義
寝ても覚めても」(岩波書店)から引用。

山田】 だって、高等学校で漢文もやらない。
    古典もやらない。
柳瀬】 そうなんです。
山田】 どこに戻ってゆくべき古里をもつのか
    というと、何もないわけですね。
柳瀬】 ぼくらが、漢文がなくなった世代ですから、
    もうほんとに徹底的に駄目ですね。
山田】 無駄かもしれないけれど、
    やる必要があるんだね。
    何が有用かということになってくるけれども。
    (p61)


ちなみに、柳瀬尚紀氏は1943年根室市生まれ。
また、引用をつづけます。


山田】 ・・ことばに関する財産をぼくらが
どれだけもっているかということです。
自分で覚えて、使えて、それでいつでも適切な
表現だという価値をもたせるのは大変な努力が
いるわけです。だけど、それをもし心がけるなら、
やっぱり古いものをたくさん読んでるということが、
どうしても必要なわけでしょう。
このことばは使える、このことばは使わない
というふうな、そういう見極めをつけて、
使えることばを増やす努力をしないと、
・・・・
だから、そういう点では、いわゆる言語改革なんて
うっかりやると、ろくでもない結果が出てくる。
国語辞典や漢和辞典を作っていて感じるのは、
明治時代のものと今の時代のものがあまりにも
違いすぎて、つながらないことです。・・・・
(p58)

ここに、
「明治時代のもの」と「今の時代のもの」
という比較がでてくる。


山田】 ただ、考えてみると、
自分の身辺に本を置かない若い世代の人って、
勉強のしようがないですね。
図書館に行けばいいなんていっても、
本はそういうものでもないんだ。
やっぱり自分の身の回りに置いてあって、
本の中に埋もれてなくては、
好きなときに好きなものが
自分の栄養にならないですね。
そのことを国語教育でも考えないと・・
(p59)



うん。「どこに戻ってゆくべき古里をもつのか」
それがないなら、自分で探しなさい。
と言われているような(笑)。
ただし、その微妙な探索の仕方を
対談で、教示してくださっておられる。
そんな微妙な醍醐味が印象に残る一冊(笑)。


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炎天をいただいて乞ひ歩く。

2015-07-30 | 道しるべ
昨日のブログは、
「本の山の中」という話題でした。
そのつづきになります(笑)。

句集のつぎに、思い浮かんだのは、
田中冬二の詩「書棚」。

その詩「書棚」の一行に、

「まだ見ぬ書物は僕にとつて あの大山系の処女雪である」


とあるのでした。
谷沢永一氏は、この詩について、

「本を読んで、何かに役立てようとか・・・
そんなけちな根性はない。ただひっそりと、
書物というもののありがたさ、輝き、重みを、
じっと精神の奥底に持ちこたえている。
そんな気持ちが、この詩には出ています。
私はこれこそ、詩というものだと思う。」
(「知的生活の流儀」PHP研究所・p159)


うん。詩を全文引用しましょ。


  書棚

僕は毎夜 書棚の下へ寝ることにしてゐる
万巻の書物に埋れている碩学者を夢みるためでもない
寝てゐて横着に書物をとり出してみるためでもない
また一冊一冊の内容を想つてみようといふわけでもない
何もない陋屋に 書棚だけが燦然と輝いてゐる
まだ見ぬ書物は僕にとつて あの大山系の処女雪である
さうして書棚の下に寝るといふことは
厳しいが慈愛ふかき父の側にねるやうに
僕にはたいへん心づよいからである


つぎに思い浮かんだのは、
谷沢永一著「紙つぶて【完全版】」(PHP文庫)
の解説・渡部昇一氏の文でした。
そのはじまりは

「平成7年1月17日午前5時46分、ドドーンという音と共に、
大地震が関西を襲った。・・・この時、この大地震帯の
真上にあった兵庫県川西市花屋敷一丁目二十四番地の
谷沢永一邸はどうであったか。
主人永一は午前3時頃から書物を相手に仕事をしていたが、
2時間半以上もの集中のあと、ほっと一息つくため、
食堂に出て一服吸っていた。書庫に入っていたままだったら
圧死した可能性がある。・・・」(p551)



「定本 種田山頭火句集」(弥生書房)には
最後に「種田山頭火年譜」がありました。
山頭火は明治15年生れ。昭和15年59歳で死去。

大正12年(42歳)東京にて関東大震災に遭う。熊本に帰る。
大正14年 三月、報恩寺にて義庵和尚を導師として出家得度す
(曹洞宗)。・・坐禅修行、肥後植木町在味取観音堂守となる。
大正15年 四月、山林独住に堪えかね味取を去る。
一鉢一笠の行乞行脚に上る。


 「大正15年4月、解くすべもない惑ひを背負うて、
  行乞流転の旅に出た」と書いたあとに三句


 分け入つても分け入つても青い山

 しとどに濡れてこれは道しるべの石

 炎天をいただいて乞ひ歩く


うん。そうすると、この炎天は、
関東大震災から、3年目の夏。
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本の山の中。

2015-07-29 | 道しるべ
山田俊雄・柳瀬尚紀対談「ことば談義
寝ても覚めても」(岩波書店)の
最初の方でした。

山田俊雄氏を柳瀬氏はこう紹介しております。

「先生の場合、お父様は国語学者(山田孝雄博士)
でいらっしゃるし・・」(p2)

山田】 ・・むしろ自分のいる場所が本の山の中ですから。
(笑)いや、古典を研究したり、まあ近代文学を研究する人も
そうだと思うんですけれど、自分のうちに書物の山が見えない
人たちは苦労するだろうなと同情しているんです。
一方で、ぼくらは、これはたまらんと思うほど本があるわけでしょ。
たとえば、『つれづれ草』ってどんな本ですか、と尋ねると親父が
なんか持ってきて、『これちょっと読んでごらん』と言う。
読んでも何だか分からない。すると『こっちにしろ』と
言われるけど、こっちも分からない。
そういう試しをされたことは、一、二遍しかないけど、
ものを聞くとすぐ本に行っちゃうわけです。
『ちょっと待ってろ』と。待っていると、
こんなに本を持ってきて、・・・・(p5)


この箇所が、印象に残ります(笑)。

話しはかわりますが、きれいな
「定本 種田山頭火句集」(彌生書房)
函入りが、300円ほどで買ってあった(笑)。

暑い夏は、句集がよく合う(笑)。
ということで、めくってみる。

そうだ、定本に出る「山の句」を
拾ってゆけば、スンナリと読み進められそう。
ということで、
山頭火句集の「山」の句に着目。
句集を開きながら、
「本の山の中です」というイメージを、
句集の「山」という言葉にダブらせて、
あちこちと、めくっておりました。
これが、今日の一冊。

そうすると、不思議と面白い。たとえば、
「分け入っても分け入っても青い山」を
「分け入っても分け入っても本の山の中」
という風に、私は読みかえて楽しみました(笑)。

こう前置きして、では、山頭火の句を引用。



 昼さめてどちらをみても山 (p236)
 昼寝さめてどちらを見ても山 (p55)


 山から白い花を机に (p68)
 山のしづけさは白い花 (p134)
 山はひそかな朝の雨ふる
       くちなしの花 (p261)

 分け入つても分け入つても青い山 (p8)

 また見ることもない山が遠ざかる (p12)

 すべつてころんで山がひつそり  (p14)

 物乞ふ家もなくなり山には雲   (p18)

 あるひは乞ふことをやめ山を観てゐる(p18)

 山のいちにち蟻もあるいてゐる  (p33)

 かすんでかさなつて山がふるさと (p35)

 ほととぎすあすはあの山こえて行かう (p36)

 焚くだけの枯木はひろへた山が晴れてゐる (p44)

 よい宿でどちらも山で前は酒屋で   (p55)

 山ふところの、ことしもここにりんだうの花 (p88)

 みんな出て征く山の青さのいよいよ青く (p103)

 播きをへるとよい雨になる山のいろ  (p108)

 人に逢はなくなりてより山のてふてふ (p118)

 日が山に、山から月が柿の実たわわ  (p126)

 しぐれて山をまた山を知らない山   (p144)

 育ててくれて野は山は若葉      (p206)


ハイ。このくらいで(笑)。
今日は、「種田山頭火句集」でした。

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知的要約の朝日。

2015-07-28 | 産経新聞
朝日の古新聞を貰ってきたので、
せっかくなので、7月14日 に掲載されている
衆院平和安全法制特別委員会の中央公聴会での
5人の有識者が語った新聞要約を比較してみることに。

ちなみに、5人の有識者とは、
与党推薦が2人。野党推薦が3人。

ここで、注目したいのは、
岡本行夫(外交評論家)の要約でした。

産経新聞ではこうです。

「1987年にイランの攻撃から商船隊を守る
国際護衛艦隊が組織された。護衛の対象の
7割は日本関係船舶だったが日本は
集団的自衛権行使にあたるとして参加を断った。
94年にイエメン内戦で96人の日本人が孤立したとき
救ってくれたのは独仏伊の軍隊だった。
85年、イラン・イラク戦争で日本人215人が孤立したが、
日本の民航機は『危険だ』と言って飛ばず、
トルコ政府が自国の2機のうち1機を日本人に充ててくれた。
2004年、日本のタンカーが自爆テロボートに襲われた。
身をていして守ったのは米海軍軍人と沿岸警備隊員だった。
法制の大きな意義は、外敵から身を守り合うコミュニティーに
日本も参加することにある。各国の善意と犠牲の上に
日本を守ってもらうことを良しとしてきた国のあり方を
転換できるかの歴史的な分岐点にいる。」

さて、産経のあとに、朝日新聞を読めば、
具体的・歴史的な判断材料は、見事に消さている。
きれいに消毒された、要約の怖さ。
朝日新聞の「注目!安保国会」での、
岡本行夫氏の要約全文はこうです。

「日本は、1980年ごろから変容した国際情勢に対応できなくなった。
日本と日本人を守るための集団的自衛権の存在を認めなったからだ。
世界が助け合っている時に『われ関せず』という態度をとり続けることは、
日本人の命と財産を守る負担を他の国に押しつけることを意味する。
我々は今、『それで良し』としてきたこの国のあり方を転換できるかどうか
の歴史的な分岐点にいる。」


安全保障の問題を、抽象化する際の朝日新聞の要約ぶり。
うまいなあ。でも、私は、決して真似はすまい(笑)。
抽象化の度合いが濃くなると、反比例して判断材料が希薄になる。
ここが、憲法論議へ集中させるための見事な伏線(笑)。
たとえば、朝日の要約の『それで良し』という言葉から、
どなたも『それで』が
「各国の善意と犠牲の上に日本を守ってもらうことを良しと
してきた国」へとつながってゆくとは、
朝日の要約だけからは想定外。
私には、どうしても、そうとしか読めない(笑)。



ここで繰返したいのは、
大学紛争の際の、手応えとして養老孟司の言葉。

「私の親は『朝日新聞』をとっていたが、
大学紛争以降、私自身は『朝日新聞』をとらないし、
読まないのである。それは朝日の人にも申し上げた。
紛争のときには、朝日が記事にするたびに、
紛争が深刻化したという思いがあるからである。
つまり新聞記者はある意味で紛争の当事者だったのだが、
その後始末はほとんど私たちがしたという思いがある。
・・そのとき以来の癖で読まない。」
(「こまった人」中公新書・p156)


困ったなあ。朝日の記事とは、何か。
うん。後始末をしない、紛争の当事者の言い分。


「それは朝日の人にも申し上げた。
紛争のときには、朝日が記事にするたびに、
紛争が深刻化したという思いがある」


どうか、養老さんの思いが、
この夏の正夢にならないように。


ちなみに、養老さんの言葉は、
養老孟司著「こまった人」(中公新書)から
引用したのですが、
この引用箇所は「奇妙なNHK・朝日騒動」
という文のなかからとりました。
その文の最後には、小文字で、
その頃の政治状況が紹介されております。
その小文字を引用すると、

【 2005年1月12日、『朝日新聞』は自由民主党の
安倍晋三議員、中川昭一議員の圧力によって、
NHKが2001年1月に放映した従軍慰安婦を扱った
特別番組の内容を改変したと報道、
安倍、中川両議員とNHKがこれに抗議した。
『朝日新聞』は、7月25日にも、この番組改変問題と
その取材過程についてあらためて報じた。】

この「奇妙なNHK・朝日騒動」は2005年の文でした。
その10年後の2015年。
この養老さんの文から10年たった、今年の夏。
従軍慰安婦問題は、朝日によって、どう要約されたか?
さてっと、朝日新聞の知的要約を覚えておられますか。






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ポキンの東京芸大。

2015-07-27 | 書評欄拝見
産経新聞の書評欄(7月26日)に、
作家・北康利氏が書評を寄せておりました。
本は、茂木健一郎著「東京藝大物語」(講談社)。
その書評の最後は、

「脳科学者、茂木健一郎が新境地を開いた
瞠目(どうもく)の一冊である。」


書評のはじまりは、

「著者が東京芸大の講師をしていた
2002年から5年間の、芸術家の卵たちとの
交流を描いた青春群像物語である。
2浪3浪当たり前という超難関校であるにも
かかわらず、就職率がとても低く、
芸術家としての成功率はゼロに近い。
・・・」


「ゼロに近い」といえば、
読売新聞の編集手帳(2015年4月7日)
が思い浮かぶ。そのはじまりは


「いきなり鼻っ柱をポキンと折られた
心地がした。彫刻家で、東京芸術大学の
学長をつとめた澄川喜一さんである。
ご自身が芸大に入学したときの思い出を、
かつて本紙で回想している。
当時の学長は入学式の式辞で述べたという。
『おめでとう。入学した170人は磨けば光る
原石である。このなかから一つか二つ、
美しく輝く宝石のような芸術家が生まれれば、
それでよい。ほかの168人は宝石を磨く
手伝いをせよ』ポキン・・・・。」

もどって、7月26日の産経では
石原千秋氏が芥川賞を受賞した
又吉直樹『火花』を、評価するのに
こんなふうに書いております。

「僕の評価はこうだ。
昨秋、新国立劇場デイヴィッド・ヘア
『ブレス・オブ・ライフ』を観た。
フランシス(久世星佳)の元夫であり、
マデリン(若村麻由美)の元恋人である
マーティンについて、この2人が時に激しく
ぶつかり合いながら語り続ける二人芝居である。
二人芝居の常道であり、ベケットの『ゴドーを
待ちながら』以来の趣向でもある。
若村麻由美の熱演にもかかわらずとても退屈だったのは、
どれだけ想像力を働かせても、肝心のマーティンに
まったく魅力が感じられなかったからだ。
『こんなつまらない男に振り回された2人は気の毒』
としか思えなかった。
『火花』はこれと同じだ。
要するに『蒲田行進曲』のパターンで、
お笑いコンビ『スパークスの徳永』が
『あほんだらの神谷』を慕い続ける話なのだが、
肝心の神谷にちっとも魅力がない。
『徳永さん、お気の毒』である。・・・」


こちらは、ポキンの芥川賞(笑)。

そういえば、WILL9月号の対談に
元文芸春秋社長・田中健五氏が登場。
そこから引用することに、

はじまりは

花田】 続く出版不況などで、いま出版界に
元気がない。雑誌界のリーダーとも言うべき
月刊『文藝春秋』も、精彩がありません。・・
(p240)

引用したいのは、ここかなあ。

花田】 健五さんは『諸君!』の初代編集長ですが、
これは面白かったでしょう。

田中】池島信平さんとしては売れなくていいから
やれという感じだった。要するに池島さんは戦後、
『文藝春秋』を生き返らせた自信があった。
でも『文藝春秋』が売れ過ぎちゃって、
ま、無茶ができなくなったというか、
言いたいことを言える雑誌が欲しくなったんでしょう。
加えて、当時の左翼一辺倒の思想的な状況があって
『諸君!』を立ち上げた。・・・・
まぁ、苦労はしましたね。有吉佐和子がふらっと
編集部に来て『手伝おうか』と言ってくれたんだけど、
今度の雑誌は小説が入らないんだと断った
こともあったなあ(笑)。
(p247)


うん。今日の名言。
「言いたいことを言える雑誌が欲しくなった」
「今度の雑誌は小説が入らないんだと断った」

さりげなく、こんな対談も載せてくれてる。
瞠目の、WILL9月号。
「現代を磨く手伝いをしてくれる」なんて、
キャッチフレーズをつけたくなる雑誌です(笑)。
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いまどきの高校生がかわいそうだ。

2015-07-26 | 朝日新聞
朝日の古新聞をもらって来る。
辛坊さんがラジオで指摘していた
7月11日(土曜日)の朝日新聞を見る。
なるほど、中国の東シナ海ガス田基地の記事なし。
その日の朝日の一面は、
「首相、9月訪中を検討」
「安保法案 憲法学者ら209人アンケート」
「『違憲』104人『合憲』2人」
中国の東シナ海のガス田基地16基の写真のかわりに
安保反対の抗議写真が一面左上。

7月15日の朝日一面は
「与党単独 きょう採決」
「安保特別委 民・維・共欠席の構え」
7月16日の朝日一面は
「安保採決 自公が強行」


7月23日の新聞一面は、読売・産経が
「中国ガス田開発12基新設」の大見出し。
「政府が写真公表」として写真入り一面。

朝日新聞の7月23日は、
一面右側上が大見出しで
「参院選合区 来夏から」。
その見出しより少し小さく
一面左上にガス田の記事。
写真も産経の3分の1以下の大きさ。


ふっ~。
報道の自由。購読の自由。
私にも出来る購読の自由。


そうそう。
7月24日の朝日一面。
右上の見出しが
「『考える道徳』重視」
左上の見出しが
「鶴見俊輔さん死去」

その日の文化・文芸欄に
上野千鶴子氏の寄稿文
「どこにも拠らず考えぬいた
 鶴見俊輔さんを悼む」。

そこから、すこし引用。

「『思想の科学』はもはやなく、
鶴見さんはもうこの世にいない。
いまどきの高校生がかわいそうだ。
鶴見さんは、このひとが同時代に生き
ていてくれてよかった、と心から思える
ひとのひとりだった。」


「『思想の科学』の誇りは
『50年間、ただのひとりも除名者を
出さなかったことだ』と。
社会正義のためのあらゆる運動が
わずかな差異を言い立てて互いを
排除していくことに、身を以て
警鐘を鳴らした。」


ここにある「互いを排除していくこと」
といえば、今度発売されたばかりの
WILL9月号の対談が思い浮かびました。
そこから引用。

「つまり私的な会合においては、
どんな発言も憲法で保障されているのです。
・・もちろん、公的なものや放送は別ですよ。
かつてスターリン時代のソ連は、友人同士の
会話であっても官憲が許さない発言をした場合、
密告されれば処刑されました。私信の開封で
処刑された人も多い。・・・

どういうわけか、左翼というのは基本的に
自分と違う意見や発言を許さない部分がある。
これまでもマスコミはやってきたことなのですが、
自分たちにとって都合の悪い発言を潰すために、
・・一種の威嚇攻撃を行っていると私は見ています。
・・これは絶対に許したらダメです。
私は一種のファシズムだと思っているんです。
マスコミによるファシズムです。」(p38)

こちらは、雑誌を購読すれば、
理解を深められます(笑)。
もどって、
寄稿文の最後も引用しておきます。

「鶴見さんはもういない。
もう高齢者の年齢になったというのに
心許ない思いのわたしに、いつまでもぼくを
頼っていないで、自分の足で歩きなさい、
とあの世から言われている気がする。」
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高齢者層が死に絶えると。

2015-07-25 | 道しるべ
鶴見俊輔氏の死亡記事を昨日見る。

近くの本棚にあるのは、
「同時代を生きて 忘れえぬ人びと」
(岩波書店・2004年)。
瀬戸内寂聴。ドナルド・キーン。鶴見俊輔
による鼎談でした。
その帯には
「はじめて実現した81歳トリオの鼎談」。
3人ともに、1922年(大正11年)生まれ。

本棚の、この本の隣には
瀬戸内寂聴とドナルド・キーン対談
「日本を、信じる」(中央公論新社・2012年)
その帯には
「ともに90歳を迎える二人が、大震災で感じた
日本人の底力、生きる意味、自らの『老い』と
『死』について縦横に語り合う
読めば元気の出る対談集!」とあります。

さて、出たばかりの「WILL」9月号。
そこに連載している曽野綾子
「その時、輝いていた人々」のはじまりは、

「我が家の日曜日は静かなものだ。
一面では、高齢社会に転じた現代日本の
典型的な一家の姿とも言える。
八十代以上が三人で暮らしているのである。
ただ私がまだ週末でも普段の日の半分くらいは
仕事をしているので、いつの間にかその日だけ
手伝いに来て下さるⅯさんという女性が、
夫婦二人だけの生活に加わるようになった。
彼女は九十一歳。しかし体はきびきびと動いて、
普通の家事はできる。お裁縫の仕事にかけては、
無能な私は足元にも及ばない。
・・週末に暮らす中で一番若い?のが、
八十四歳の私だ。次が八十九歳の夫。・・・」
(P121)

ちなみに、この雑誌にある、
石原慎太郎(1932年生れ)・百田尚樹(1956年生れ)
の対談に、こんな箇所が

石原】 ・・総じて政治家に歴史的な教養がなく
なってしまった。本当に歴史を知らない。

百田】 たしかに四十代や五十代の政治家の方と
話をしていても、韓国や中国の問題について
私が話をすると、
『え、そうなんですか!知りませんでした』と
驚かれる人が多くて、
『この人たち大丈夫かな・・・』と
不安に思う時が多々あります。
  (P42)




う~ん。
当ブログの2015年1月19日の引用を、
また、あらためて読み直したくなりました。
読むに、煩雑でしょうが、
以下にコピーしておきます。




産経新聞1月7日の曽野綾子連載
「透明な歳月の光」624回目。
はじまりは

「お正月には、何となくほろ酔い
遊び気分で、いい加減なことを言う
のも許されるような空気もあるので、
私は一つ予言をすることにした。」

ということで、
この文の終りを引用。

「・・日本語と言えば
『ヤバイ(やべえ)、かわいい、
すっごい、超・・・』ほか10言くらい
しか使えないタレントが平気でテレビ
に出て来るのだから、この文化の潮流が
日本に限って長続きするとは思えない。
先進的な国家というものは、自国語で
『読み書き語る』ことができる人が
国民の大部分であるべきなのだが、
その条件は今の高齢者層が死に絶える
と後が続かない。
つまりこの物質的文化の最盛期は、
オリンピックまでは保つだろうが、
その後はまもなく下降期に入ると
思われる。・・・」

はい。
「読み書き語る」高齢者層の方々の
言葉を聞く。それが、今年の
私の目標といたします。
ちなみに、曽野綾子氏は昭和6年生まれ。
大正から昭和ヒトケタ生まれぐらいまでの語り
を聞いて、今年一年充実して過ごせますように。
うん。「オリンピックまでは」。
 
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坊さんは、病を得たのであろうか?

2015-07-24 | 道しるべ
山口仲美著「すらすら読める今昔物語集」(講談社)。
その「はじめに」で、山口仲美さんは
この物語集は、複数の人で執筆したのではなく、
ひとりで書いたのではないかと推測しております。

これが印象深いので引用することに。


「『今昔物語集』は、平安末期に成立した。
だが、未完成の古典。作者は、作品を完成させずに、
あの世にいってしまった。だから、31巻から成る
のだけれど、途中の巻8、巻18、巻21の3巻には、
説話が集められていない。巻名だけがある。
それから、目次に説話の題名だけあって、
肝心の本文がないという説話もある。
こういう本文のない説話を除いても、
全部で1040話の説話が集められている。
おそらく作者は、1300くらいの説話を
集める予定であったのだろう。・・・・・
 ・・・・
残念ながら、作者は分からない。
いろんな説があるけれど、わたしは大寺院に
所属していた無名の坊さんという説が、
真実に近いように思われる。・・・・
坊さんは、寺院内にある身近な図書室によく
出入りした。たくさんの書物に目を通している
うちに、彼は一大野望を抱いた。
インド・中国・日本という三国の説話を集めて
書き記してやろうと。彼は構想を立て、
それに従って説話を集めては、一人コツコツと
書き記していった。一日一話ずつ書いていっても、
四年あれば、1040話の説話を書き記すことができる。
何人か複数の人で執筆しなければ書き切れないほどの
説話の分量だと考える人もいるけれど、
わたしはそうは思わない。
全くの創作説話を1040も書くのは、大変である。
けれども、『今昔物語集』には数多くのタネ本がある。
・・・これらタネ本を座右において、独自の筆を加え、
独特の魅力を放つ1040の説話を書いていったのである。
偏執狂的で、粘り強く、根気のある人なら、
一人で十分になしとげられる作業量である。
作者と思(おぼ)しき坊さんは、
毎日説話を書いては、数年間を充実して過ごしていたに
違いない。だが、もう少しで完成というところで、
作業は中断された。坊さんは、病を得たのであろうか?
それとも何かよんどころない事情で、
中断せざるを得なかったのであろうか?
・・・」(p5~8)
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いい質問ですね。

2015-07-23 | 道しるべ
今日、「WILL」9月号が届く(笑)。
うん。そうだったのかと、
頷きながら頁をめくったのは、
百田尚樹×石原慎太郎の対談。
中国の東シナ海侵蝕については、
櫻井よし子氏の文が懇切丁寧。

あれこれ引用していたのじゃ、
読んではくれないだろうから(笑)。
ここでは、蒟蒻問答から一カ所だけ引用。


堤】これも(6月)25日の『プライムニュース』に
東大の憲法学教授・石川健治が登場した。・・
例によっての議論を展開する石川に、番組の終盤、
視聴者から質問が出た。
『石川さんは安保法制は違憲だから反対、
やるなら憲法改正を先にすべきだとおっしゃいましたが、
では憲法改正となったら改正に賛成しますか、
反対しますか』
これを聞いて石川は一瞬、グッと詰まったあと、
『いい質問ですね』と言い、
『私は改憲にも反対します』と答えた。
要するに、安保法制も嫌なら憲法改正も嫌。
それならそうと最初からそう言え!
この石川に限らない。後日、
NHKの日曜討論(7月12日)に水島朝穂とかいう
早大の憲法学教授が出て来て、
『私は自衛隊も違憲だという立場ですが』。
・・・・・
NHKはこんなのを招いて、何を語らせたいんだい。
自衛隊が要らないというなら、
安保法制の議論にも何もならないじゃないか。
・・・・(p311)


2015年の夏を元気にしてくれるのは、この雑誌(笑)。
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河をざぶりざぶりと渡るなり。

2015-07-22 | 地域
山口仲美編「擬音擬態語辞典」(講談社)に
「山口仲美の擬音語・擬態語コラム」がありました。
その10番目は「千年も生き延びる」と題して、
こうはじまっておりました。


「擬音語・擬態語は、生まれてはすぐに消える語だと
思われている。しかし、検討してみると、意外に長寿。
普通の言葉の寿命と何ら変わりがない。
900年前の『今昔物語集』という説話集に見られる
擬音語・擬態語を抜き出し、それらの語が現在どのくらい
生き残っているのかを調査してみた。すると、なんと
53%の語が現代まで生き延びて活躍していたのである。
『季武(すえたけ)、河をざぶりざぶりと渡るなり』。
これは、『今昔物語集』に見られる擬音語の例。
『ざぶりざぶり』は、季武が幽霊の出るという河を
豪快に渡っていく時の水の音。現在でも、こういう場合
には『ざぶりざぶり』を用いる。・・・
また、『今昔物語集』では、相手に気づかれないように
ひそかに物の入ってくる音を『こそこそ』、
湯漬けを口にかきこむ音を『ざぶざぶ』、・・
鉢が回転しながら飛ぶ様子を『くるくる』、
物の萎えるさまを『くたくた』と表現しており、
現在と同様である。
・・・・・
擬音語・擬態語は、決して流行語ではない。
日本語の歴史を脈々と生き続ける
日本人の心なのである。」
(単行本・p257)


そういえば、以前に山口仲美著
「平安朝‘元気印’列伝 『今昔物語』の女たち」
(丸善ライブラリー新書・1992年)
を読みたいと、古本をネット検索しても見当たらず、
そのままになっておりました。今度、何気なく
検索すると、それがある(笑)。さっそく注文。

林語堂(青森市古川)
300円+送料140円=440円

届き。プロローグをひらくと、
こうはじまっておりました。

「あなたの好きな古典を一つあげなさい、と言われたら、
私は、迷わず『今昔物語集』を選ぶ。
古典とは思えないほど、身近に感じられるのだ。
そこには、衣をすべてはぎとって、
本音だけで生きている人間の世界が開かれている。
見えも体裁もかなぐり捨てて、
どうしたら生きられるかといった、
ぎりぎりの所で、精一杯知恵をしぼり、
持てる力を最大限発揮して生きて行く庶民たちに、
私は、この上なく共感を覚える。
そしてまた、
彼らの姿を描き出す『今昔物語集』の
表現力の確かさに魅せられる。
『今昔物語集』を読んでいると、私は、
その表現の巧みさに舌を巻くこと、しばしばである。
この『今昔物語集』の表現の魅力は、
一体、どこから生まれてくるのか?
なんとかして、『今昔物語集』の表現の
メカニズムを解き明かしてみたい。
私は、長い間、そう思っていた。
この本は、その願いをかなえるために、書いたものである。」

ちなみに、
講談社から2004年に山口仲美著
「すらすら読める今昔物語集」があり、
帯には「総ルビつき原文【著者オリジナル現代語訳つき】」。


ということで、
山口仲美の著作の3冊

「日本語の古典」(岩波新書)
「すらすら読める今昔物語集」(講談社)
「平安朝‘元気印’列伝」(丸善ライブラリー)


この夏、身近に置き、
三冊を、ざぶりざぶりを読み渡るなり(笑)。
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ヘイトスピーチのからくり。

2015-07-21 | 短文紹介
新潮45・8月号に
平山周吉氏が「江藤淳は甦える」と題して
連載を始めております。
気になるけれど、これが第一回目。
引用はまだはやそう(笑)。

ここには、
第51回目になる曽野綾子氏の連載
「人間関係愚痴話」から引用することに、


「6月25日に、自民党若手議員有志30数名が参加した
勉強会『文化芸術懇話会』で講演した作家の百田尚樹氏
は安倍総理と親しい方だというが、たとえどのような
立場の人がどう言っても、それを道徳的に裁いたり、
その発言そのものを封じようというのが即ち言論の弾圧
そのものであろう。
どんな意見であれ、それは日本の一人の作家がそう言った
に過ぎない。百田氏がどんなに有名な大ベストセラー作家
でも、私がかつてこの欄で書いたように『たかが』一作家
の発言なのである。
私はつい最近、『アパルトヘイトを推奨した』と言っても
いないことを朝日新聞と毎日新聞、それに追随したマスコミ
によって全世界に向けて発信され、世間の覆面の無責任な
ツイッターたちと同様、新聞社自身がヘイトスピーチの
一番強力な推進者であるからくりを体験したから、
この騒ぎがマスコミの大好きな分野だということが
手に取るようにわかった。・・・」(p15)


うん。梅雨が明けて、いよいよ夏。
うっとうしい言葉よりも、
カラッとした言葉を聞ける、
そんな夏でありますように(笑)。
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中国亡命漫画家

2015-07-20 | 数値・資料。
新潮45・8月号が18日に発売になっております。
辣椒(らーじゃお)さんの「中国亡命漫画家」は、
8月号で連載2回目。
7月号をご覧になれなかった方のために(笑)、
7月号に掲載された対談から一カ所だけ引用。


辣椒】 東京にいる中国人留学生が実家に電話をして、
中国共産党の悪口を言ったら、翌日警察が実家に来た
という話もあります。今や長距離電話の会話記録から
〈 敏感単語 〉をコンピュータで洗い出し、
発言者を特定することまで可能なのです。
このような規制強化の背景には習近平の方針もあるか
と思いますが、一方で取り締まる側が自分たちの予算
や人員を増やしたいという思惑も働いていると思います。
問題が多いほど、違反者を多く捕まえるほど彼らは得を
するわけで、問題のある人物が多くいるようにみせかけ
て予算を増やすわけです。治安維持の予算はすでに
国防費を超えており、まさに中国の『獅子身中の虫』に
なっていると思います。(7月号p83~84)


うん。新潮45の漫画「中国亡命漫画家」は、お薦め。
その漫画を読むための前置きとして、
たとえば、私は産経新聞の記事を引用してみます。


7月12日の総合欄に
北京・矢板明夫の署名記事。
見出しが「人権派弁護士を一斉拘束」。

7月14日にも
「弁護士らの連行 中国100人超える」
「NHK番組2分中断、検閲か」
すこし記事を引用。

「中国の著名な法律学者で元中国政法大学長の
江平氏は12日、北京市内での講演で
『弁護士が自らの人権も守れないなら、
どうして市民の人権を守れるのか』と
当局の手法を批判した。」

7月15日の総合欄には「中国不満警戒」として
「株価強硬押し上げ 市場に〈アメ〉
 拘束弁護士150人 人権派に〈ムチ〉」
という見出しで、中国全土の地図に
連行された弁護士らの人数が示されております。
たとえば北京市23名・湖南省15名・山東省14名と
詳細を地図表示。記事のはじまりは

「中国の人権派弁護士らが7月9日以降、
治安当局に相次ぎ拘束されている問題で、
14日夕方までに連行または一時拘束された人は
約150人に達したことが北京の弁護士事務所関係者
の調べで明らかになった。・・・」


『中国亡命漫画家』は、漫画ですが、
その実状を、漫画でしか表現できないような
分かりやすさでもって示してくれております。
今回で連載2回目。


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四年半前の民主党。

2015-07-20 | 産経新聞
産経の古新聞をひらく。
その6月30日に、さりげなくも
印象に残っていた記事があったので
あらためて読み直すことに。
総合欄の真ん中囲み記事。
政治部次長・船津寛氏の署名記事でした。
せっかくなので引用してみます(笑)。

はじまりは

「自民党の若手議員が開催した勉強会
『文化芸術懇話会』における発言が、
『報道機関への圧力』だとして批判されている。
新聞各紙は『自民の傲慢は度し難い』(朝日)
『言論統制の危険な風潮』(毎日)などと
怒りの拳を振り上げ・・・
そのたびに4年半前の悲しい体験を思い出す。
当時、私は政治部の『与党キャップ』という立場で
永田町にいた。民主党が政権の座に就き、
1年ちょっとたった時期だ。
・・・・・」

ここは具体的で重要な箇所ですが、
あえてカット。そのあとを引用。

「しかし、民主党はその後も、前原誠司政調会長(当時)
のことを『言うだけ番長』と書いたら、
記者会見から本紙記者を排除した。
別の記者は、菅直人首相(当時)の記者会見で
挙手しても挙手しても無視され、ついに
質問の機会を与えられなかった。
これはわが社だけが標的になったわけではないが、
松本龍復興担当相(当時)が被災地で
テレビカメラが回っているにもかかわらず、
『今の最後の言葉はオフレコです。いいですか?
皆さん。書いたらもうその社は終わりだから』
と報道陣を恫喝したこともあった。
・・・・
岡田克也代表は記者会見で、
自民党の若手議員の発言をつかまえて、
『おごりでしょうね。自分たちに権力があると、
メディアを自由に左右できるという、
そのおごりの結果の発言だと思う』と語った。
私は4年半前の民主党の『おごりっぷり』は、
今の政権の比ではなかったと思っている・・」


他の党を批判ばかりする政党が政権をとると、
まずは、批判封じにかかるという
貴重な経験を私たち日本人は持ったわけです。
この経験は何度でも反芻していいのだ。
「4年半前の民主党の『おごりっぷり』」。

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境内で蝉の声。

2015-07-18 | 地域
午前中は、神輿の組み立て。
神社の境内でおこなう。
そのあとに、神主のおはらいを待つ。
待つ間、境内の
まばらな木々の下で聞く蝉の声。
聞くのは、今年はじめてかな(笑)。

さてっと、午後は神輿。
私は交通係で、神輿の脇で
道路をゆっくり歩きます(笑)。
風はあるけれど、
晴れたり曇ったり、
雨はなさそう。
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小欄は、法案可決を断固支持する。

2015-07-17 | 産経新聞
産経新聞7月16日の一面が印象に残る。
見出しは
「首相危機直視『国民守る』」
「安保法案 特別委で可決」
「きょう衆院通過へ」

阿比留瑠比の署名記事は
こうはじまります。

「安倍晋三首相が15日、国民に不人気で、
野党やメディアの激しい批判にさらされている
安全保障関連法案について、内閣支持率の下落も
覚悟して衆院平和安全法制特別委員会での採決に
踏み切った・・・
首相は9日の講演では、祖父の岸信介元首相が
昭和35年、安保関連法案よりはるかに大きな
反対と緊張状態の中での日米安保条約改定を
成立させた経緯に言及し、こう述べていた。
『祖父は50年たてば理解されると言っていたが、
25年、30年後には多数の支持を得られるようになった』
確かに、世論調査で支持が高い政策にばかり取り組んで
いれば国民受けはいいかもしれないが、それだけでは
日本の安全は守ることなどできない。
たとえ、その時点ではまだ『国民の十分な理解を
得られていない』(首相)としても、政治家は
『今そこにある危機』から目をそらしてはいけない
というのが首相の信念なのだろう。
  × × × ×
現に中国は、国際的な非難をものともせずに
南シナ海で7つの人工島をつくり、東シナ海でも
日中中間線に沿って海洋プラットホーム建設を
進めている。ここには軍事レーダーが配備される
可能性があり、そうなると『中国の監視、警戒能力
が向上し、自衛隊の活動が従来よりも把握される』
(中谷元防衛相)
北朝鮮は核・ミサイル開発を継続する一方で、
国内情勢は混沌としている。
一方で米国のオバマ大統領は2013年9月、
『米国は世界の警察官ではない』と述べ、
それまで米国が世界で担ってきた安全保障上の
役割を後退させる考えを表明している。
・・・・」

一面コラムの産経抄は、
ある一場面を引用してはじめています。

「海坂藩の下級武士の清兵衛は、上意討ちの
討っ手として、一刀流の使い手、善右衛門の
屋敷に乗り込んだ。しかし、相手に戦う意思はない。
そのうちなぜか、お互いの亡妻の思い出話になる。
心を許した清兵衛がつい、葬式代に困って刀を売り、
竹光(たけみつ)であることを明かした。
次の瞬間、善右衛門が豹変し、刀を抜いて清兵衛に
襲いかかる。山田洋次監督『たそがれ清兵衛』の
映画史に残る、決闘シーンである。
 ・・・・・・・・
小欄は、法案可決を断固支持する。
日本にとって、最大の軍事的脅威である中国に、
鞘から刀を抜かせてはならない。つまり、
抑止力を強化するためには、
集団的自衛権の行使を可能にする法律が
絶対に必要だからだ。
 ・・・・・・
政府与党側も、中国を刺激するのを恐れて、
脅威の実態を国民に伝えてこなかったきらいがある。
中国が東シナ海の日中中間線付近で、軍事転用が
可能なガス田の海洋プラットホームを拡大している
事実も、なぜか伏せられてきた。
左寄りの人が多い、テレビのコメンテーターの発言
や世論調査の結果から、改めて思い知る。
憲法9条という名の竹光が日本を守ってきたと、
本気で信じている人が、まだ相当数いるらしい。」

うん。コラムの大半を引用してしまった(笑)。


7月11日は土曜日で
読売新聞と産経新聞の一面は
「東シナ海ガス田」周辺の軍事拠点化の恐れを
伝えておりました。
土曜日の午後、ニッポン放送のラジオ番組
「辛抱治郎のそこまで言うか!」で、
辛抱さんが、今日11日の朝日新聞と毎日新聞には、
読売・産経の一面に載った記事が、全く見あたらない。
と伝えてくれておりました。つづいて辛抱さんは
朝日・毎日の購読者には、その事実を知らされない
怖さ。というような事に触れておりました。

さて、明日土曜日のラジオも聞けたらいいなあ。
おっと、明日は地元の神輿の渡御(笑)。



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