和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

日本文化の骨組みをつくった本。

2016-02-29 | 古典
新刊の渡部昇一著「伊藤仁斎『童子問』に学ぶ」が
1944円とあるので、躊躇する(笑)。

それで、本棚から出してきたのが
谷沢永一著「日本人の論語 『童子問』を読む」
PHP新書上下巻でした。
その附記の最後に

「叢書ではなく単行本であるが、支那古典の現代語訳
として、最も感服すべき二著がある。」

として講談社学術文庫を2冊紹介しておりました。

穂積重遠『新訳論語』
穂積重遠『新訳孟子』

「漢籍の現代語訳が始まって以来最高の名著である。
原典を十分に咀嚼したうえで、最も砕いた平易で
要点を押さえた現代語が活用されている。
一家に一冊、ではない一家に二冊、是非
そなえられたい精粋(せいすい)の有益な糧である。」
(p299)

そこで、『新訳論語』の方は、
古本で買えたのですが、
『新訳孟子』の方が、高価だったので、
いままで、買わずにおりました。
文庫で古本が4000円以上するのは・・・。
さてっと、
新刊の渡部昇一氏の上記の新刊が1944円。
それを買わずに、
穂積重遠『新訳孟子』の文庫古本を
この機会に買おう。
まあ、こんなことを考えて一日が過ぎます(笑)。

さてっと、本棚から
谷沢永一・渡部昇一「人生に活かす孟子の論法」
(PHP研究所)という本を出してくる。

そこのp26~27を引用することに

「もう一つ、触れておきたいのは、
穂積さんの『新譯孟子』についてです。
谷沢さんはこの本を読み返して、
穂積さんは偉い人だと言っておられますが、
これはまさに名著で、この本の顕彰をわれわれの
ささやかな目的のひとつにしていいと思います。
とにかく穂積さんほどの人になると、
威張ろうとするところがまったくありません。
自分の孟子解釈をみせびらかそうというような
山っ気、俗気が見られない。しかも名文で、
『いろんな学者がいるけれども、どうも分からないから、
私はこう解釈した』と、淡々と語っています。
『論語』『孟子』といえば、
日本文化の骨組みをつくった本ですから、
これを穂積さんの訳文で後世に伝えていきたい。
『新譯孟子』の『はしがき』だけでも古典と呼びたいような、
人間の器量を示す堂々たる名文で、
この本を推薦すること自体に文化的意味があると思います。
・・・・」

はい。穂積重遠著「新訳孟子」を
買うことに躊躇するのは、やめにします。

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単なる暇つぶしとは違う。

2016-02-28 | 短文紹介
新刊のドナルドキーン著「石川啄木」(新潮社)を
注文して届く。
本を買ったからといって、読むとは限らない(笑)。
とりあえず。
この本の最終章の最後の方にある言葉を引用。


「啄木は、千年に及ぶ日本の日記文学の伝統を受け継いだ。
日記を単に天候を書き留めたり日々の出来事を記録するもの
としてではなく、自分の知的かつ感情的生活の『自伝』
として使ったのだった。啄木が日記で我々に示したのは、
極めて個性的でありながら奇跡的に我々自身でもある
一人の人間の肖像である。
啄木は、『最初の現代日本人』と呼ばれるにふさわしい。」


うん。最終章の最後も引用しなきゃね(笑)。

「啄木の絶大な人気が復活する機会があるとしたら、
それは人間が変化を求める時である。
地下鉄の中でゲームの数々にふける退屈で無意味な行為は、
いつしか偉大な音楽の豊かさや啄木の詩歌の人間性へと
人々を駆り立てるようになるだろう。
啄木の詩歌を読んで理解するのは、ヒップホップ・ソングの
歌詞を理解するよりも努力が必要である。しかし、
ファースト・フードから得られる喜びには限度があるし、
食欲はいとも簡単に満たされてしまう。
啄木の詩歌は時に難解だが、
啄木の歌、啄木の批評、そして啄木の日記を読むことは、
単なる暇つぶしとは違う。
これらの作品が我々の前に描き出して見せるのは
一人の非凡な人物で、
時に破廉恥ではあっても常に我々を夢中にさせ、
ついには我々にとって忘れ難い人物となる。」

本棚の整理をしはじめると、なんだか、
本に対して、つねにニュートラルになって、
本を読み通すというギヤが入らない。
なんて、言っているうちに、明日で2月が終る。
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一家に二冊。

2016-02-27 | 本棚並べ
あいかわらず本を読めず。
パラパラと解説だけ読む。

そういえば、気になる解説。

「・・・漢籍の現代語訳が始まって以来
最高の名著である。原典を十分に咀嚼した
うえで、最も砕いた平易で要点を押さえた
現代語訳が活用されている。一家に一冊、
ではない一家に二冊、是非そなえられたい
精粋の有益な糧である。」

本を読まずに、本棚の整理をしていると、
「一家に二冊」とは、どういうことなんだ、
などとついつい思うわけです。
うん。読まなくても、そなえることは
できそうです(笑)。

「繰り返しになるが、世間一般の学問では
新しい研究成果ほど真実に近づいたと見て
尊重される。しかし、日本古典学と支那学
においては、旧注の方が新注よりもピタリ
とマトを射ている場合が案外に多い。」


どちらも、谷沢永一。
「日本人の論語・下」(PHP新書)にありました。
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閑散とした新聞広告。

2016-02-26 | 朝日新聞
朝日の古新聞をもらってきてパラパラ。
朝日新聞の広告が冴えない。
他の新聞に比べると、朝日新聞の中の広告は、
ひときわ、めだっていたのに。
その朝日新聞での広告が、まるで冴えない。
船から広告主が逃げ出してしまったような、
閑散たる有様。他の新聞も同様なのですが、
ひときわ広告が際だっていた朝日新聞だから、
何だか、ガランとしてしまった感じ。
そう思いながら、朝日新聞を眺めてました。
うん。私は朝日新聞の活字を追わないから、
そう思うのかも。

さてっと、活字といえば、
産経新聞の2月24日
「湯浅博の世界読解」を読み直す。
はじまりは

「中国の習近平国家主席は昨年9月に訪米し、
確かに『南シナ海を軍事拠点化しない』といった。
・・・その数カ月前、米国防総省の年次報告書
『中国の軍事力』は、南シナ海の岩礁埋め立てが
過去4カ月で面積が4倍に拡大していると書いた。
中国の国防白書も、『軍事闘争の準備』を書き込んで、
航行の自由を威嚇していた。
かつて、マカオの実業家がウクライナから空母ワリヤーグ
を購入したとき、中国要人が『空母に転用する考えはない』
と語ったのと同様に信用できない。
中国の退役軍人がマカオ企業の社長だったから、
尻を隠して頭を隠さずというほど明白だった。
・・・米メディアが南シナ海のパラセル諸島への
地対空ミサイル配備を報じた直後、
大毅外相が『ニュースの捏造はやめてもらいたい』といった。
すると、中国国防相がただちに
『島嶼(とうしょ)の防衛体制は昔からだ』と反対の
見解を表明して外相発言を打ち消していた。
国家の外交が、ひそかに動く共産党の軍に振り回されている。
軍優位の国になっては、当然ながら国際協調などは二の次になる。

ミサイル配備が明らかになったウッディ―島は、
南シナ海の軍事基地のネットワークを広げる最初の
飛び石になるだろう。早くも22日には、CSISが
南シナ海スプラトリー諸島のクアテロン礁に中国が
新たにレーダー施設を建設しているとの分析を明かにした。
・・・」

うん。産経新聞は広告よりも文に惹かれる。
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戦前。子守娘の事件。

2016-02-25 | 短文紹介
今日、雑誌WILL4月号届く。
さっそく、蒟蒻問答を読む。
その問答から、どこか一箇所。
今回は、久保紘之氏を引用。


久保】 ・・奇しくも安倍は施政方針演説で、
小栗上野介の
『一言以て国を亡ぼすべきものありや、
どうかなろうと云う一言、
これなり幕府が滅亡したるはこの一言なり』
という言葉を引いて、こう続けました。
『国民から負託を受けた私たち国会議員は、
【どうにかなる】ではいけません。
自分たちの手で【どうにかする】』。
・・・
今回の台湾総統選で若者のグループが前面に出てきて
いたんだけれど、彼らと日本の若者連中と何が違うか。
それは、台湾の若者は中国にあくまで対峙する
ナショナリズムを前面に押し出し、
『自分たちで何とかする』という論理です。
一方、日本はといえば、
野党やアホな憲法学者まで口を揃えて
『安倍さえいなければ、
戦争法案さえなければ平和になる、
中国とは平和にやっていける』
という論理を掲げている。
戦前、お盆が近づくと、
『この子さえいなければ田舎に帰れるのに』と考え、
おぶっている子供を投げ殺す子守娘の事件が多発した。
こういう短絡的な行動を、心理学では『近道反応』と言う。
『安倍さえいなければ、日本の平和は保てる』
と考える国会前で騒いでいる連中も、朝日も、憲法学者も、
みな子守娘と同程度のメンタリティの持ち主だということです。
・・・」(p273)

うん。蒟蒻問答からいろいろ引用したい箇所があるのですが、
今回は、ここだけの引用。


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古風な母の提案。

2016-02-24 | 本棚並べ
渡部昇一著の新刊に
「伊藤仁斎『童子問』に学ぶ」(到知出版)が
あるのでした。買っていないのですが、
思い浮かんだのことを、このブログに記入(笑)。

中村幸彦著述集第十四巻に
「回想 この一冊(童子問)」という短文。
その最後を引用。

「私が所帯を持った初めての正月、
商家や農家で、それぞれの道具を祭る例に習って、
書物を祭っては如何と、古風な母の提案があった。
面白かろうと始めた時、
私は『古事記』や『万葉集』をもおいて、
『童子問』に燈明や屠蘇をそなえた。
それから年々歳々、私の明治刷で余り
見映えのしない色々と朱筆の入った本が、
我が家の正月の祭壇の一部を占めている。」(p90)

はい。むろん私が著述集全巻を持っている
わけではなくて、これは
谷沢永一著「日本人の論語 『童子問』を読む」
PHP新書上下巻の上巻の「例言」で
紹介されているのでした。
こちらも引用することに(笑)。

「ついでながら、伊藤仁斎の入門書としては、
中村幸彦先生の『伊藤仁斎日記抄』および
『伊藤仁斎の思想』(ともに『中村幸彦著述集9』
収録、ただし品切れ)が最も要を得て、
仁斎の全貌を尽くしている。
中村幸彦は『回想の一冊』(『著述集14』)に、
『童子問』の格調の高い、気力充実した文章の
感銘を回顧する。年々歳々、正月の祭壇に、
灯明や屠蘇をそなえるとともに、
『童子問』を祀るのが、結婚以来、
中村家の変わらぬ習慣であった。」(p21)

ちなみに、この文には間違いがありまして
『中村幸彦著述集9』とあるのは、明らかな間違い。
『伊藤仁斎日記抄』と『伊藤仁斎の思想』とは
ともに『中村幸彦著述集11』に入っております。

うん。書誌学者の本の間違いを指摘するのって
ワクワクします(笑)。
けれども、そのあとに
谷沢永一著「決定版日本人の論語」が
2015年に出ているので、訂正がなされているのかも
しれません。そちらは確認しておりませんので、
どなたか、ご存じでしたらお教えください。
よろしくお願いします。

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巻かれなかった人。

2016-02-23 | 前書・後書。
注文してあった新刊が今日届く。
渡部昇一・日下公人『日本人への遺言』(徳間書店)
対談集です。

とりあえずは、そのあとがきから引用。

「渡部先生は偉い人である。」とはじまっています。

「文藝春秋が創刊した雑誌『諸君!』で健筆をふるい、
朝日新聞、その他からの圧力を受けても一歩もひかなかった。
大新聞からの圧力はやり方が醜悪を極めていたので
世の人はマサカと信じなかったが、先生は戦いつづけて
いまはその正体を多くの人が知るようになった。
私もその恩恵を受けた一人である。
醜悪で巨大な悪とのメンドーは避けるのが普通の日本人だが、
先生は正面から戦って勝った。
正面とは決して同じレベルに下がらない戦い方で
いつかそのお話をききたいと思っているが、
先生は昔からそんなことは話さず書かず
自分の品位を守って戦ってこられた。
それが勝利を目前にしているのだから、
こんなにうれしいことはない。
長いものに巻かれた人と巻かれなかった人の話を
読者はこの本からくみとっていただきたいと
念じている。・・・」(p235~236)


え~と。
どこかで読んだのですが、
本をいただいた際に、
まず本のお礼を書く。
そして、読んでから、
本の感想を書く方がおられる
のだそうです。
私は、そのどちらもがダメなので、
まずは、本のあとがきを引用(笑)。
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「目が点」体験。

2016-02-22 | 産経新聞
産経新聞2016年2月20日の産経抄。
これも引用しておかなくちゃ。

はじまりは

「俗に、驚きあきれて一瞬、固まってしまうことを
『目が点になる』という。19日の朝日新聞朝刊で
『本社、外務省に申し入れ』という記事を読み、
それを体験した。
外務省の杉山晋輔外務審議官が16日に国連欧州本部で、
慰安婦の強制連行説をようやく否定した件に関してである。
強制連行説が広く流布された原因について杉山氏は、
朝鮮半島で女性狩りをしたと述べた吉田清治氏の捏造だと
指摘した。その上で、吉田証言を事実であるかのように
大きく報じた朝日新聞が誤りを認めて読者に謝罪した
ことも説明した。そのどこが気に入らないのか。」

全文引用したいのですが、
真中をすこし引用。

「独立検証委員会が平成27年2月に出した報告書は、
朝日新聞が慰安婦強制連行説を盛んに喧伝した
3年から4年1月以前は、米主要3紙は
『慰安婦問題をほぼ無視し、取り上げていなかった』
と明らかにした。
『繰り返され続けた朝日の虚報が韓国の反日を煽り、
日韓関係を収拾がつかないくらいに険悪化させてしまった』。
・・・」

ということで、このコラムの最後を引用。

「『自社の立場を弁護する内向きの思考に陥って
しまったことを深く反省します』。朝日新聞の
渡辺雅隆社長は(平成)26年12月の就任当初、
こう訴えていた。とはいえ今回の朝日の対応からは、
反省は目を見開いても読み取れない。」


日々書かれては消えて忘れられてゆく
そんな一面コラムをブログに留めおく
そういえば、産経抄の一面コラムといえば、
石井英夫氏が思い浮かぶのですが、
いまは、書かれておられるのは、どなた。
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何代にもわたる読者の声。

2016-02-21 | 本棚並べ
池永陽一著「学術の森の巨人たち」を
読んで以来、講談社学術文庫が気になります。
でも、読まないなあ(笑)。

気になっていた、講談社学術文庫の
新渡戸稲造著「西洋の事情と思想」を
古本で購入することに。
この解説が平川祐弘氏。
8頁ありました。
それを読んで本文は読まない。
その解説のはじまりは

「昭和59年から日本では、
千円札に夏目漱石が、
五千円札に新渡戸稲造が、
一万円札に福沢諭吉が登場する。」

うん。内容は古いけれど、
面白い指摘がありました。

「夏目漱石は日本人として初めて帝国大学で
英文学を講義した人だが、彼自身はほとんど
英語では著作をしなかった。
福澤諭吉は日本で初めて英学を興した人だが、
彼自身はほとんど英語は書かなかった。
だが、それにもかかわらず、1984年の今、
英語圏諸国で知られ、評価されている度合からいえば、
新渡戸稲造よりも夏目漱石や福沢諭吉の方がはるかに
上というのが実相なのである。夏目漱石の文学作品は
ほとんどすべてが英訳され、とくにマクレラン訳の
『心』や『道草』はその英語文体が秀れているためもあり、
評判が高い。同じことは『福翁自伝』の英訳についてもいえる。
漱石の小説や諭吉の自伝は、日本語作品としての完成度が
もともと高いから、そのお蔭で、彼等の著作の魅力は、
翻訳を通しても広く世界に伝わり得たのである。
それに対して新渡戸の著作は、英文の代表作『武士道』
についても、また日本語で書かれたおびただしい啓蒙書
についても、どこかに物足りない点があった。・・・
新渡戸の著作は、刊行当時には一時的に多くの読者を
持ち得たものの、時間の推移とともに次第に忘却されて
今にいたったのである。もし世間に信頼できる最大の
文芸評論家がいるとすれば、それは内外の読者であろう。
それも日々の読者でなく、何代にもわたる読者の声であろう。
私は、日本人の読者や外国人の読者が新渡戸の著作のうちに
ひそむ弱点を敏感に感じたことは、むしろ
健全な反応であったと考える。・・・」

さて、このあと、
文庫解説で、どのように
新渡戸稲造をほめるのか?
それは、読んだ人のお楽しみ(笑)。
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二重基準の、ご都合主義。

2016-02-20 | 産経新聞
産経新聞の2016年2月13日産経抄。
これを引用しておかなきゃ。

はじまりは

「新聞やテレビがよく指摘される問題の一つが、
対象にによって適用する基準を変える二重基準
の手法だ。同じことをしても、Aならば問題視せず、
Bだったら危険視したり、激しく非難したりする。」

「高市早苗総務相が、放送事業者が政治的公平性を
欠く放送を繰り返した場合、電波停止を命じる可能性
に言及したことで、野党や一部報道機関からの批判に
さらされている。・・・・
『放送事業者が番組準則に違反した場合には、
総務相は業務停止命令、運用停止命令を行うことが
できる』。これは高市氏の発言ではない。
菅直人内閣時代の平成22年11月、平岡秀夫総務副大臣
(当時)が参院総務委で『番組規律違反の場合でも
業務停止命令が行えるか』と問われた際の答弁である。
・・・民主党政権では、気にくわない報道をしたテレビ
各社の記者に対し、露骨に恫喝(どうかつ)した幹事長
もいた。当時は特段反応せず、安倍政権ではことさら
大騒ぎするのでは、野党もマスコミもご都合主義が過ぎよう。
・・・」

そういえば、
加藤達也著「なぜ私は韓国に勝てたか」(産経新聞出版)の
「序文にかえて」にこんな箇所がありました。

「無罪判決が確定した今だからこそ、
気になることを記しておきます。
私は雑誌『正論』(14年9月号)に
《性搾取大国韓国の不都合なる真実》と題した
論文を書いています。ここでは、
朝鮮戦争の休戦後、在韓米軍基地の近くに
『基地村』と呼ばれる売春街が設けられ、
米軍を相手に売春をしていた韓国人女性らが、
韓国政府を相手に国家賠償を求めたニュースを
取り上げ、日本の『従軍慰安婦』については、
あれほど熱狂的になる韓国政府や韓国マスコミが
この問題では沈黙を守ったままであることを批判しました。」

二重基準の、ご都合主義ということで
重要な箇所なので、つづけて引用しておきます。

「さらに、韓国の野党議員が国会で取り上げた資料をもとに、
基地村が国家レベルで管理、運営されていたことを示し、
その資料には朴大統領の父親である朴正煕(パクチョンヒ)
元大統領の直筆の署名があったことも書きました。
国会で取り上げられているにもかかわらず、
韓国メディアは恣意的にこの事実をほとんど伝えていません。
この『正論』が発売されたのは、今回問題となった
コラムが出る直前の14年8月1日です。
私に出頭要請があった時、韓国政府、あるいは、
朴大統領が問題視していたのは、本当は、
こちらの論文だったのではないか・・・・」(p9)

韓国政府と、日本の野党。
韓国メディアと、日本のマスコミ。
う~ん。産経新聞を読んでいると、
輪郭が鮮やかにたどれるのでした。
朝日新聞では、決してたどれない
推理が、産経新聞ではたどれます。
ということで、
図書館には置いてないだろう
バックナンバー
『正論』(2014年9月号)を
おもむろに読みました。
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ようやく書く態勢が。

2016-02-19 | 本棚並べ
本を読む気がしないので、
シメタと思うことにして、
本棚の並べ替えしてます。
暇をみつけては本棚整理。
背表紙の著者名と題名と、
嬉々としてアチコチ移動。

そういえば、週刊朝日MOOK
「没後20年司馬遼太郎の言葉」に
こんな箇所。


「司馬さんの仕事に助手はいない。
基本的に一人で仕事をし続けた。
ただし、側面からサポートする人はいる。
元産経新聞のカメラマン、伊藤久美子さんも
その一人だろう。1970年から書斎の資料や
蔵書の整理を担当した。・・・・
『先生の考えていらっしゃることなんて、
私にはわかりません。ただ、ご夫婦が
『街道』の旅に出ると、私の仕事が始まります』
青森県に行くと決まれば、書斎にあった
台湾関係の本が廊下に移され、
青森関係の本が書斎入りする。
『帰られて書斎の本を眺め、青森のときだけ、
【いい眺めだね】とおっしゃいましたね』
もちろん伊藤さんがそろえただけでは足りないので、
自分でもさまざまな本をそろえ、調べ尽くし、
ようやく書く態勢が整うことになる。
書斎は司馬さんのもっとも重要な
ホームグラウンドだった。」(p40~41)


はて、いい眺め(笑)。
さて、整理にも飽きたら
つぎ、本を読むでしょうか?
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18歳への漫画。

2016-02-18 | 本棚並べ
新潮45の3月号が
今日、近所の本屋さんから届く。
活字は、読まず
まずは、辣椒の漫画「中国亡命漫画家」を
ひらく。
うん。これは
選挙権を持つことになる18歳への
必読漫画だなあ。そう思いながら
中国亡命漫画家が中国の内実を描いて
説得力あり。
うん。読んでのお楽しみ(笑)。
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更級日記の富士山。

2016-02-17 | 書評欄拝見
毎日新聞2月14日の「今週の本棚」に
荒川洋治氏の書評がある。
関根慶子訳注「新版更級日記全訳注」(講談社学術文庫)
を書評しておりました。

そこに気になる箇所。

「八段、富士を見る場面。
『紺青(こんじょう)を塗ったようであるところへ、
雪が消える時もなく積もっているので、
濃い色の着物の上に白い袙(あこめ)を着たかのように
見えて、山の頂上の少し平になっている所から
煙は立ちのぼる。夕方は火が燃え立つのも見える』。
燃えている富士山の記録は大変貴重だが、
人物の回想も印象的だ。」


う~ん。この前のニュースで
桜島が噴火している映像が流れていましたが。
更級日記の成立が1060年ころ。
そのころの富士山は、桜島のように
煙が立ちのぼり、そして
火が燃え立つ様子も見られたのですね。

ということで、
この新刊を注文して届く。

関根慶子(よしこ)さんは
1909年~1998年。
最後に、こうありました。

「本書は1977年刊の講談社学術文庫『更級日記』
上下巻を一冊にまとめ、新版としたものです。・・」

なあんだ。
今欲しいと思っているあなた。
安心してください。
古本でも同じですよ(笑)。
私は1274円を払いました。
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余談ながら本談。

2016-02-16 | 本棚並べ
近所の本屋さんへ
注文してあった週刊MOOK
「没後20年司馬遼太郎の言葉」が
昨日届く。
磯田道史氏へのインタビューが
10頁もある。うん。読めてよかった。


たとえば、

「司馬さんはよく『余談ながら』と書きますが、
あれは余談ではない。『確信ながら』という本談です。
本心はいちばん言いたいわけです。」


「歴史学で最初にやるのは史実を列挙すること。
次にどうしてこうなったのか因果関係を追い求める。
難しいけれどもやらなくてはいけないのは、
史実からきちっとした世界観や人生観を
打ち立てることです。それを打ち立てたら、
その本を読むことでひとにも打ち立てさせること。
これはいちばん困難だけど一生をかけてやるに足る、
素晴しい仕事だと読みながら感じました。」(p97)


うん。この磯田道史氏の文は、
内容がてんこ盛り
あなたは、きっと読み直し、
繰り返し味読するでしょう(笑)。
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司馬さん・柴田穂さん。

2016-02-15 | 産経新聞
今日は新聞休刊日。
産経新聞の昨日2月14日は
徒然草に司馬遼太郎に柴田穂(みのる)
が目に止まったので、その箇所をもう一度読む。

産経抄のはじまりは

「『へぼ将棋王より飛車をかわいがり』と
古川柳にある。飛車は盤面の縦横ににらみが利く。
使い勝手がよいーと重宝するあまり、
肝心の王将が丸裸になっていた。
道理をわけまえぬ素人考えを、
蔑(さげす)んだ一句である。」


このコラムのおわりに徒然草が


「どんな野心があるにせよ、
金正恩第一書記の末路は詰んでいる。
自身は太陽のつもりかもしれなが、
先祖2代の七光に照らされた月が
関の山である。
『月満ちては欠け、物盛りにしては衰ふ。
万(よろず)の事、先の詰まりたるは、
破れに近き道なり』と『徒然草』にある。
粛清と軍拡に明け暮れる独裁者が、
いずれ身をもって知る戒めであろう。」

はい。徒然草に、こんな箇所が
あったのですね。


さてっと、
鹿間孝一の「論説委員日曜に書く」。
そのはじまりは

「司馬遼太郎さんが逝って20年が過ぎた。
12日が命日だった。
大阪発行朝刊に山野博史関西大法学部教授が
連載している『司馬さん、みつけました。』
に興味深い記述があった。・・」


うん。ここからが魅力でして
それは全文を味読した特権(笑)。
つながる文章を、
無情にも省略して引用するとしたら、
私はここにします。

「司馬さんは戦車兵として学徒出陣した。
『雑談である』とことわって
『なぜそのとき反戦しなかったのかという
ふしぎなことをいまの学生は問うそうだが、
歴史は段階をもって進んでいる。
この一事が理解できない人間というのは
一種の低能かもしれない』
(「歴史を動かすもの」から)
全共闘による大学紛争、ベトナム反戦などを
背景とした45年1月の文章である。
珍しくストレートで厳しい表現だ。」

ここから、「SEALDs(シールズ)」を
とりあげて鹿間氏は文章の最後をこうとじます。


「選挙権年齢が18歳以上に引き下げられる
ことを考えると、若者が政治に関心を持つ
ことは歓迎だが、一方で危うさも感じる。
一時の熱や酔いではいけないし、まして
未熟につけ込んで誘導してはならない。
代表作で、いずれも産経新聞に連載した
『竜馬がゆく』では維新の、
『坂の上の雲』は明治の若者群像を描いた。
司馬さんは現代の若者たちに、
歴史に学べと教えてくれたのではないか。」


14日(日曜日)は読書欄がある。
門田隆将氏が加藤達也著「なぜ私は韓国に勝てたか」
の書評を書いており、
再読で文章が光ります。
そのはじまりは

「本書を読みながら、
一人の新聞記者を思い浮かべた。
筆者加藤達也記者の大先輩にあたる
産経新聞元北京支局長の柴田穂さん
(1992年に61歳で死去)のことだ。
中国の文化大革命の実態を世界に
先駆けて報じ、中国から国外追放を受けた人だ。」

その書評の最後も引用。

「興味深いのは、
韓国側が何度も加藤氏と産経に
『遺憾の表明』、あるいは『和解』を
持ちかけていたという事実だ。
それは『歩み寄り』さえ示せば許してやる、
というメッセージにほかならない。
だが、慰安婦問題等で、
日本政府を手玉にとってきたそのやり方は、
妥協の姿勢を示さない加藤氏側に拒絶され、
裁判は検察の敗北で終わる。
毅然とした姿勢が、韓国の《非常識》を
打ち破ったのである。
絶対に圧力に屈しない《記者魂》
によって紡がれた本書は、
日本がどう隣国とつき合うべきかを示した
最良かつ痛快な『教科書』でもある。」
コメント
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