和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

六月の朝。

2013-06-29 | 短文紹介
「日の照った、あるあかるい六月の朝、
ひとりの、からだが大きくてがっしりとした、
この土地のむすめが、
このせまい山道をのぼってゆきました。
ひとりの子どもの手をひいていましたが、
その子のほおは、たいへんほてっていました。
・ ・・・
それもそのはずです。
こんなに暑い六月の太陽が照っているのに、
この子は、まるで冬のような、厚着をしていたからです。」

「おばさんのデーテが、こうすれば、
だれも着物をはこばなくてもすむと思って、
ぶたん着の上に、晴着まで着せておいたのです。
・ ・・ハイジは、軽い下着だけになって立って、
短い袖から、はだかの両腕を、
さも気もちよさそうに大気の中にさしのばしました。」


竹山道雄訳「ハイジ」の第一章「山のおじさん」。
そのはじまりの箇所。
初めて読む「ハイジ」は、
六月の朝からはじまっていたのでした。
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夏読書。

2013-06-28 | 本棚並べ
うん。今年の私の、夏読書は「竹山道雄」。
水先案内人は平川祐弘氏。

そうと決まれば、
竹山道雄著作集全8巻を手元に置きたい。

古書店の洋行堂(神奈川県茅ヶ崎市浜竹)
へと注文。先払いでした。
14000円(送料無料とのこと)。
今日発送とのことでした。

うん。著作集と面と向かわず。
平川祐弘著「竹山道雄と昭和の時代」の
ガイドの旗印に、ついてゆくことに。
これは、たのしそうです。

ちなみに、
「近代日本の百冊を選ぶ」(講談社)をひらくと、
選者は、伊東光晴・大岡信・丸谷才一・森毅・山崎正和。
その百冊のなかに、和辻哲郎は入っているけれども、
竹山道雄は選外。

知られざる名峰「竹山」へ。
格好の水先案内人を得ての夏読書。
期待が高まります。
どこまで、登攀できて、
どういう、展望が拓けるか。

今年がよい夏でありますように。
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健康で詩的な。

2013-06-27 | 本棚並べ
注文したハイジが届く。


BiblioMania(愛知県名古屋市中区)
岩波少年文庫「ハイジ」上下巻・竹山道雄訳
1200円+送料250円=1450円

訳者あとがきの最後は、

「『ハイジ』は、あかるくて健康で詩的な物語りです。夢の多い少年のころに、このような作品にわれを忘れて読みふけった人は、いつかは、それが、自分の生涯のためにうるところがあったと感じることがあると思います。」


第一刷は昭和27・28年となっております。
購入の古本は昭和48年のもの。
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色づけられて。

2013-06-26 | 本棚並べ
竹山道雄氏の古本注文分が届く。

古書籍・往来舎(山口県山陽小野田市浜松町)
「みじかい命」
700円+送料150円=850円
これは、小説みたいです。
うん。後回し(笑)。


今井書店(北九州市八幡東区祝町)
「京都の一級品 東山遍歴」400円
「乱世の中から 竹山道雄評論集」300円
700円+送料450円=1150円
1冊注文する予定が、同じ書店に
もう一冊あったので2冊注文。


古書BBR(愛知県春日井市牛山町)
「日本人と美」300円
「手帖」1000円
1300円+送料340円=1640円
こちらも、一冊の予定が二冊に。

紙屋サロン(大阪府泉大津市二田町)
「ヨーロッパの旅」正続共2冊
2100円+送料380円=2480円
こちらは、先払いでした。

文庫六甲(神戸市灘区桜口町)
「まぼろしと真実 私のソビエト見聞記」
500円+送料290円=790円
こちらも、先払いでした。

平川祐弘著「竹山道雄と昭和の時代」には
竹山道雄年譜がついております。
そこに
1923年(大正12)20歳
「東京大学文学部に入学、はじめ美学科に在籍、二カ月後に独文科へ移った」とありました。

「まぼろしと真実」のあとがき。その最後にこんな箇所。

「私は、多くの他国理解がいかに主観的な欲求によつて色づけられているかに、おどろくのである。人々は世界を主観の投影の下に見る。人間は世界を幻のように見る。
美学で内方集中ということをいう。われわれは認識する際には、ひたすら外の対象に集中して、その中にひそむ本質的な形相を看破すべきであるのに、多くの場合にはむしろあべこべに、その対象になつて触発された自分の内の情感に陶酔してしまう。外に実在するものとははなれて、自分の内に集中して、むしろ自分の情感を享受する。安易なセンチメンタリズムとはこれをいう。
多くの場合に、あるいはまだ証明されていない独断が前提としたあつて、欲求がそれに都合のいい材料だけをとりあげる。かくて人々はついには事実よりも演繹と幻覚を信じて、そこに生れる内心の感傷に惑溺する。そして、後になつてそれがあやまりであつたことが分つたときにも、そのあやまりについての反省はされない。
私は外国を見聞する際には、できるだけ事実とその中にひそむ意味とを知りたいと思うけれども、外国の理解はむつかしく、この三篇もその断片的な試みである。 1962年4月」
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文庫連想。

2013-06-25 | 本棚並べ
竹山道雄の「ビルマの竪琴ができるまで」を読んで、
翌日、思い浮かんだのが、
田村隆一著「腐敗性物質」(講談社文芸文庫)。
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できるまで。

2013-06-24 | 前書・後書。
新刊のネット書店に、
新潮文庫の竹山道雄著「ビルマの竪琴」を注文して、
今日とどく。

この文庫に、目次はないのですが、
本文と、あとがきのほかに、
竹山道雄氏の「ビルマの竪琴ができるまで」(昭和28年)が14頁。
解説(昭和34年)は中村光夫で、6頁。
そのあとに、平川祐弘氏による「『ビルマの竪琴』余聞」が9頁。
牛村圭氏による注解が9頁。
そして、そのあとに「荒城の月」「朧月夜」「巴里の屋根の下」「埴生の宿」「蛍の光」「春爛漫の花の色」「秋の月」「からたちの花」「野なかの薔薇」「嗚呼玉杯に花うけて」「庭の千草」「故郷の空」「都の空に東風吹きて」「あふげば尊し」「海ゆかば」以上の歌詞・音符が載っているのでした。

うん。私が読みたかったのは「ビルマの竪琴ができるまで」でした。
読めてよかった。
中村光夫氏の解説のなかに

「この一篇の物語は、いわゆる童話作家でない竹山氏が、止むに止まれぬ動機から、表現上の冒険として着手したものだということ、それはあらゆる芸術上の冒険がそうであるように、一種のぎこちなさととも新鮮な味いを持っていること。・・・」

その動機は、「ビルマの竪琴ができるまで」を読むと、自然に焦点がむすばれるような鮮明さで迫ってくるような気がするのでした。
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品が良くなった。

2013-06-23 | 前書・後書。
平川祐弘著「竹山道雄と昭和の時代」(藤原書店)の、あとがきは、この本ができる経緯から書かれておりました。

「当初『諸君!』に連載を予定していた。その『諸君!』が突然停刊となった・・」と、あとがきははじまっておりました。
このあとがきは2013年2月24日に書かれておりまして、
そのあとがきの最後を引用。

「竹山道雄の周辺にいた旧知の人々は次々と消えていく。・・・・
竹山夫人保子は2008年、材木座から渋谷区西原の私どもの家に移り老を養っている。新聞を見て『祐弘さんの文章はわかりやすくていい』などと依子にいっている。また『テレビはつまらなくなったが、国会中継だけは第二次安倍内閣になって品が良くなった』などともいっている。本書がつつがなく刊行され満97歳の竹山夫人の手に無事に届けばよいがと著者は祈っている。竹山は『ビルマの竪琴』の「あとがき」で屍を異国にさらし、絶海に沈めた若い人々の名をあげた。従弟の田代兄弟も何の形見もかえってこなかった。・・・」

うん。ここらは、新刊を読む楽しみでもあります。


本文の第八章「ビルマの竪琴」は、第一話が
米国占領軍の民間検閲支隊の検閲にひっかかってしまうことへと言及しておりました。

「当時、検閲実務に従事した要員はおおむね日本人で、占領軍の指令に従いチェックしていた。・・・英語力に秀でた日本人五千人以上が勤務していた。滞米経験者、英語教師など・・・その要員募集はラジオを通して行なわれ、給与金額まで放送されたから、少年の私にも比較的高給が支払われることは聞いてわかった。費用は敗戦国政府の負担である。その検閲業務をした人でのちに革新自治体の首長、大会社役員、国際弁護士、著名ジャーナリスト、大学教授などになった人々もいた。が仕事の性質を恥じたせいか、検閲業務に従事した旨後年率直に打明けた人は少ない。その体験を公表した人は葦書房から書物を出した甲斐弦など数名のみである。タブーは伝染する。・・・占領軍の検閲の非を問わないという禁忌が、連合国側によって流された歴史解釈を正当とする風潮を生むにいたる・・・」(p186~187)


うん。ここでは、「ビルマの竪琴」の第一話について、

「比較的に短い30頁足らずの第一話『うたう部隊』だけがまずできた」(p184)
「第一話の原稿を書きあげたのは昭和21年9月2日だった。藤田(圭雄)からすぐこんな速達が届いた。『御原稿すばらしいです。土曜日に高崎の家へ持つてかへつて拝見しましたがあまりのすばらしさにぢつとしてゐられない気持でした。十分の期待は持つてゐましたがあんなにいいとは思ひませんでした。うれしさに胸ふくらましてゐます。どうぞ是非つづきを御かき下さい』。」(p184~185)

この藤田圭雄が、日系二世の士官に訴えて、検閲が通るのでした。
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ナメクジ。

2013-06-22 | 短文紹介
古新聞を貰ってくる。

読売新聞6月9日「本よみうり堂」の「空想書店」。
その6月の店主は、マイク・モラスキーさん。
そこにこんな箇所。


「・・・私は大学教授、しかも従来は
日本文学の専門家だったので、
当然ながら本をたくさん読んできたと思われている。
ところが、英語であろうと日本語であろうと、
私は昔から愕然とするほど読むスピードが遅い。
ちょっと分厚い本を読了することは、
ナメクジが100㍍競争をフィニッシュラインまで
たどり着くのと同じくらい、難儀である。・・・」


うん。梅雨時、ナメクジを見かけたら、
この言葉を思いだしそうだなあ。
ひょっとして、ナメクジに同類を感じるかもしれない(笑)。


同じ新聞の次のページでは、
高橋英夫著「文人荷風抄」(岩波書店)を
松山巌さんが書評しております。

「・・三章に分かれる。まずは『文人の曝書(ばくしょ)』。曝書とは本の虫干し。かつて蔵書家は夏に蔵書を黴や虫害から防ぐため風に晒し、また傷んだ本を繕った。著者が『日乗』から曝書の記載を拾うと荷風は戦時下であれ、力仕事の曝書をまめに行っていた。・・・」


うん。ナメクジの、つぎの季節は曝書かな。


ちなみに、「ポケットの一冊」は
岡崎武志著「昭和三十年代の匂い」(ちくま文庫)。
その紹介文のなかに、気になる箇所。

「・・谷川俊太郎が『鉄腕アトム』の主題歌を作詞。
『鉄人28号』は三木鶏郎、
『あしたのジョー』は寺山修司が作詞した・・
など薀蓄も満載、発見も多い。そういえば
『スーパージェッター』の脚本家は
筒井康隆ら若き日のSF作家だった。・・・」


うん。谷川俊太郎しか知らなかった。
スーパージェッターといえば、
腕時計型の携帯電話で話していたんだよね。
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曲者でござる。

2013-06-21 | 本棚並べ
私は、本を読まない時が、曲者なんだなあ。
本を読んでいると、なかなか読みすすめない。
それはそれなりに、よいことなんですが、
いざ、本を読んでいない時が、クセモノ。
つい、クセモノがしのびこむ。

もぞもぞと、読みたい本のことを思い。
思ってしまうだけでは終らずに、
ネット古書店へと注文してしまう。

今回は講談社学術文庫の
竹山道雄著「尼僧の手紙」にある
平川祐弘氏の解説を読んで
最後の「注」から、本を注文したくなりました。

『竹山道雄』登山の案内人・平川祐弘氏の指摘拝聴。
うん、この道からの展望を期待してみようと、
つい、思うわけです。
では、その「注」を引用。

「福武書店の『竹山道雄著作集』にも講談社学術文庫にもなお未収録の主要作品としてはキリスト教的西洋と日本との対決を扱った思想小説『みじかい命』・・、『京都の一級品』『日本人と美』『ヨーロッパの旅』中の『フランス滞在』の章、朝日、東京、読売新聞などのコラム・・などがある。ほかにゲーテ、ニーチェの訳文に日本語作品としてもきわめて秀れたものがある。」

う~ん。ゲーテ・ニーチェは無理なのですが、
岩波少年文庫のハイジ(旧版)は竹山道雄訳。

とりあえず、買える数冊を注文することに。
このクセモノを、なんとか、捕まえたい。
おのおのがた、曲者でござる。
この夏、くれぐれも油断めさるな。

ああ、そうそう。
平川祐弘氏の解説に
竹山氏が菊池寛賞を受賞したことに触れた箇所がありました。

「竹山氏は、昭和58年秋、菊池寛賞を『一貫して時流を批判し、常に人間とは何かを探りつづけてきた勇気ある発言――著作集全八巻刊行を機として』授けられた時、今日の平和な社会を祝うとともにそれが永く続くことを言葉すくなく望んで挨拶に代えた。・・」(p398)
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うたう部隊。

2013-06-20 | 本棚並べ
竹山道雄著「ビルマの竪琴」(中央公論社・ともだち文庫)の古本を注文。
昭和23年12月第三刷。

ワビブック(兵庫県姫路市)
1000円+送料160円=1160円
先払いでした。

表紙など結構な傷みよう。
挿画・猪熊弦一郎。

第一話の「うたう部隊」を
とりあえず、読む。
ああ、こういう物語になっていたんだ。
と気づかされることしきり。
さらりと、書きながされているようで、
がっちりとした構図となっているのでした。


うん。今年の夏は、竹山道雄・平川祐弘を読む。
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水の音。

2013-06-19 | 詩歌
梅雨空や 地下鉄を待つ 水の音    和田浦海岸


え~と。地下鉄ホームに立って、電車を待っていると、
地下水が流れ落ちていて、線路脇に聞ける瀬音。
何とも涼しげな音で満たされている空間。

午前中の東京は、いまにも降りそうな蒸し暑さ。
半袖下着が、おかげで汗を吸って、やだなあ。

この梅雨をやりすごせば、もうすぐ夏だ。
ある方のエッセイに
「午後はあつくて、夜は蚊が出て・・・
七月はまだ暑さも若いし、こちらにも元気が貯えてあるけれども、八月になると、暑さ自身くたびれているようにしつっこくなって・・」(福原麟太郎随筆)

さあ、そんな夏が来るんだ。
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おーい、水島。

2013-06-18 | 短文紹介
私が、竹山道雄氏を意識したのは、
徳岡孝夫著「『戦争屋』の見た平和日本」(文藝春秋)のなかに入っている
「『ビルマの竪琴』と朝日新聞の戦争観」を読んでからでした。
ということで、その箇所をもう一度読み返すと、こんな箇所が

「竹山さんの『ビルマの竪琴』が本になって出た戦後のあのころのことは、はっきり覚えている。昭和23年の、谷崎潤一郎『細雪』の出たのと同じころだったと思う。・・・あの本が出た当時、それよりもっと切実な響きを持っていたのは、戦友たちの『おーい、水島。一しょに日本にかえろう!』という叫びだった。なにしろ、何十万という父や兄が、まだシベリアにいた時代である。
戦友の呼びかけよりさらに強烈だったのは、『ああ、やっぱり自分は帰るわけにはいかない!』という水島の拒否の声であった。当時の日本人には、それはほとんど信じられないほどの異常な意志に聞こえた。『流れる星は生きている』が好例だが、あのころの日本人は、とにかく何がなんでもいったん故国に帰り、まだ存在している山河を確認してからでないと生きていけなかった。それほど打ちのめされていた。ビルマに残って日本兵の遺体を弔いたいという水島の意志の強さは、今日の人が想像できないくらいであり、その水島を創造し得た竹山さんも強かった。あの小説を書いた前後のことは、竹山さん自身が『ビルマの竪琴ができるまで』の中で述べている。・・・・『当時は、戦死した人の冥福を祈るような気持は、新聞や雑誌にはさっぱり出ませんでした。人々はそういうことは考えませんでした。それどころか、『戦った人はたれもかれも一律に悪人である』といったような調子でした。日本軍のことは悪口をいうのが流行で、正義派でした。義務を守って命をおとした人たちのせめてもの鎮魂をねがうことが、逆コースであるなどといわれても、私は承服することはできません。逆コースでけっこうです。あの戦争自体の原因の解明やその責任の糾弾と、これとでは、まったく別なことです。何もかもいっしょくたにして罵っていた風潮は、おどろくべく軽薄なものでした』
空には同じような夏雲があるが、あの夏から実に四十年もの歳月が経った。一つの風潮が終わればコロッとそのころのことを忘れてしまうのはわれわれの常だから、こう言われても信じない人がいるだろう。・・・・」


うん。夏雲の下、今年は竹山道雄を読むんだ。
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脚下照顧。

2013-06-17 | 地震
脚下照顧(きゃっかしょうこ)の四文字。
たとえば、角川必携国語辞典や集英社国語辞典(第二版)には載っておりませんでした。
普通は知られていない四文字。
家の近くに自性院という、鎌倉の建長寺につながる禅宗のお寺がありまして、
そこの古い檀家にお邪魔した際などに、玄関の靴脱ぎ場横に、
この四文字が書かれた木の札がかかっていたりします。
禅宗ではよく知られた言葉のようです。
ということで、私には馴染みのある四文字です。


三省堂国語辞典(第四版)をひらくと
「理屈を言う前に、自分のあしもとをよく見ろ。」とあります。
うん。解釈に勢いがあるなあ(笑)。
ちなみに、新明解国語辞典(第四版)は
「自分自身の足もとを顧みよ」です。

この四文字。たとえば小学校の靴脱ぎ場に「整理整頓」という張り紙があるようなものだろうと、私などは思っております。昔の禅のお寺の靴脱ぎ場は暗い、段差があるから気をつけなさい。という注意書きとしてはじまったのじゃないか。と想像するとたのしい。

地震津波の心配が現実的な昨今ですが、
東南海地震津波への注意喚起が、おもだっています。
けれど、思わぬところで起きるのが地震。
うちも海岸へと歩いて15分ほどの立地です。
地元の脚下照顧ということを思う昨今。
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点々々と。

2013-06-15 | 詩歌
竹中郁少年詩集「子ども闘牛士」(理論社)に
枇杷即興と題した詩があるのでした。

その詩は、角川書店の「竹中郁全詩集」にも
はいっている。
ちがいは、旧仮名とのちがいなのでしょうが、
最後の行がはっきりと違っておりました。

少年詩集では

「膝の上 点々としずく滴(したた)る」

とあるのですが、全詩集は

「膝の上 点々々としづく滴る」

となっており、「々」がひとつ余分にあるのでした。
うん。私は、けっこう食事の際に、こぼして食べる方で。さすがに
枇杷を食べる際には、最初から、新聞のチラシを下に敷いて
皮をむき食べるのでした(笑)。

ということで、全詩集にある方の詩を引用

   枇杷即興

 子はみな寝た
 妻はたつた今風呂へ行つた
 机の上をかたづけて
 ほつと一息

 何かたべる物はないかな
 ひとりで捜る厨(くりや)のたな
 何かないかな おや あつた
 枇杷の実の二粒三つぶ

 二十年(はたとせ)まへ
 いま吾家のある処は
 かつて虚弱(かよわ)かつた息子のために
 父上がテニスコートとして給はつた土地

 息子は父に叛いて
 けふ乏しい才に詩を書いて售(う)る
 テニスの球に興じながら何気なく捨てた種は
 庭に大きく成木して見事な実を誇る

 それも これも
 二十年の時のうつろひ
 枇杷の実をしづかにむけば
 膝の上 点々々としづく滴る



ちなみに、この詩「枇杷即興」は
昭和19年2月刊行の第六詩集「龍骨」にありました。
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自己の最新作を。

2013-06-13 | 本棚並べ
気になる竹山道雄の著作集ですが、
読まないと分かっているので、
古本注文はしないことにする。

さてっと、いちおう持っている文庫を確認。
講談社学術文庫が2冊ありました。

「主役としての近代」
「昭和の精神史」

あと、
この学術文庫から2冊でているようなので、
注文することに、

「尼僧の手紙」
「歴史的意識について」

その2冊が届きました。

「尼僧の手紙」は
古書風流夢苑(大阪府寝屋川市香里新町)
200円+送料210円=410円

「歴史的意識について」は
古書店ぶくせん(長崎市文教町)
1200円+送料210円=1410円

うん。これで学術文庫4冊が揃いました。

ちなみに、「主役としての近代」の
文庫「編者まえがき」は平川祐弘氏。
そこに、こうあったのでした。


「・・著作集に収めきれない秀れた文章が非常に多かった。
その時、講談社学術文庫の池永陽一氏から文庫刊行の案が出され、右の八巻著作集を補う形で本文庫から新たに数巻が刊行されることになった。竹山氏は、多くの著者と同様、自己の最新作を重視した。それで『歴史的意識について』には昭和50年代後半に発表した『昭和史と東京裁判』『人間性の普遍的基準』などが竹山氏自身の手で集められている。その後相談にあずかった私は氏の二十代、三十代の作品も重視した。それで近刊予定の『尼僧の手紙』には大正末年の『寄寓』から昭和10年代の『北京日記』、また昭和30年代に執筆されたがいまなお意味を持つ『台湾から見た中共』『ラスコー洞窟の壁画』など、主として紀行文が収められる予定になっている。
それから二巻に対し本巻(「主役としての近代」)には、竹山道雄の代表作と目されながら八巻本著作集に洩れたエッセイ、単行本未収録の随筆が、昭和12年から59年までほぼ年代順に掲げられている。・・・」

この「編者まえがき」には、
こうもあるのでした。

「竹山氏は時代を超える学識と見識を持ち、その反時代的考察を人々に伝える表現力と勇気とを兼ね備えた戦後論壇の一方の雄であった。・・・昭和40年、氏は『朝日新聞』紙上で『危険な思想家』の一人として攻撃され、三年後ふたたび『声』欄の標的とされたが、氏がいかに広く読み、論争に巧みであったかは80歳の年に発表した『外国人の日本文化批判』に対する反駁からもうかがわれよう。氏は最後まで風格ある評論家として現役であった。・・・」


うん。講談社学術文庫の竹山道雄は4冊。
これから読める楽しみ。



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