和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

絵巻物の国民生活。

2016-06-30 | 古典
森銑三・柴田宵曲「書物」(岩波文庫)を
本棚からとりだしてくる。

そこに「見る書物」(p138~)という箇所がありました。

「書物を便宜上『読むもの』と極めて、
これまで叙述を続けて来たが、それには例外がある。
『読む書物』の外に『見る書物』がある。・・・
古くは鎌倉室町時代を中心に作られた多くの絵巻物は、
わが国の『見る書物』として第一に挙げられるべきものであろう。
巻物(巻子・かんす)は書物の古い形式で、
後に出来た折本(帖)袋綴本などに較べては
取扱が厄介であるけれども、この絵巻物は、
巻物の性質を最も活かして使っているもので、
始から巻舒(けんじょ)しながら見て行くにつれて、
内容の絵の場面が移り、事件が進行して行く。
そこに今の映画とも共通する効果があって、
絵巻物独自の面白味が存する。そして
絵巻物はやはり絵巻物として、原型のままで
観賞すべきものだということが了解せられる。
というて、現在国宝やら重要美術品に指定されている
多くのすぐれた絵巻物の原物を、親しく手に取って
見るなどというのは、一般の者には
頭から出来ぬ相談であるが、幸いにして
今ではそれらの複製本が多数に作られており、
鳥羽僧正の『鳥獣戯画』など、原物からして墨絵
のものなど、複製本でも遺憾なくその面白さが
味われる。絵巻物はわが国の創製ではないが、
優秀な絵巻物を多数に有することにおいて、
わが国は絵巻物の国ということが出来るであろうか。
わが国の誇るべき文化財の一に絵巻物があるのである。
そしてこれらの絵巻物には、『源氏物語』『枕草子』
などの巻子以下、大和絵の人々が多く筆を執っている
ところから、それらは美術品たると同時に、
過去の風俗の研究資料としても大きな価値を持つ。
それで絵巻物を主としてのわが国の風俗の研究は、
既に江戸時代から始められているものの、なお
これはただ風俗の変遷を知るというのに止らず。
もっと広く過去の国民生活を知る上に、いろいろ
役立てることが出来るはずである。
なお今後絵巻物の研究は一層進められるべきで
あろうと思われる。・・・」


はい。「日本絵巻大成」は
まだろくの開いてもいないのでした(笑)。

ちなみに、「書物」のはじめの方に
こんな箇所

「書物そのものは死物であるが、
その奥にある著者その人に直面し、
その息吹の感ぜられる読書家にして、
始めて真の読書家の資格ありというべきである。
読書家もイキがよくなくてはならない。
イキのよい読書家にして、始めて
良書か非良書かが識別し得られるであろう。」(p31)
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日本絵巻大成。

2016-06-29 | 古典
宮本常一著「絵巻物に見る日本庶民生活誌」の
あとがきは、こうはじまっておりました。

「本書におさめられた文章は中央公論社刊行の
『日本絵巻大成」(全26巻別巻1巻)の月報に
毎号書きつづけたものを読みかえして一通り
理解できるように排列をかえ・・・」

「こうしたものを通して多くの人たちが絵巻物に
関心を持って下さるなら大変ありがたいことである。」


はい、関心を持ちました。
ネット古本屋に検索するとアカデミイ書店(広島県広島市)
に「日本絵巻大成 全27冊揃」がありました。
15500円です。一冊にすると574円。
はい。月報揃い。各巻に外函・内函あり。
たとえば、26冊+別巻1冊の
別巻一冊だけ注文しても一万円以上してたりします。
まとまった方が安いと思い、数日考えてから買うことに。

送料が3850円でしたが、
これはしかたがない(笑)。

手元にとどき、まずは
「年中行事絵巻」からひらいております。

それから、
講談社学術文庫の宮本常一著「イザベラ・バードの旅」
を読んで興味をもち

未来社の宮本常一「旅人たちの歴史」1~3を
一冊ずつ古本屋へと注文。それもとどきました。

講談社学術文庫のおわりに
「紀行文を読む」という解説があり、
そのはじまり、こうでした。

「『旅人たちの歴史』シリーズは、日本観光文化研究所の
所長をされていた故・宮本常一先生の講読会での話を
そのまま本にしているもので・・・・講読会は、
昭和49年の秋から54年春まで毎月一回、土曜日の夕方から
約3時間、当時研究所のあった東京都台東区内の第二コモダビル
の一室で行なわれた。聴講者は、主として研究所の所員や、
先生を慕い、旅から何かを学ぼうとして研究所に出入りしていた
人たちで、多くは若い人であった。
この講読会で先生が取り上げたテキストは、幕末から明治にかけて
日本を旅した人たちの紀行文や日記である。・・・」

はい。若くはありませんが、遅れてきた聴講生の一人として
読ませていただきます(笑)。

これらが、宮本常一へ踏み込む端緒となれますように。
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「あす」の年齢。

2016-06-25 | 詩歌
黒田三郎の詩「あす」を
はじめて読んだのは、20代。
今でも、数年ごとに思い浮かぶ詩人です。

短い詩なので全文引用(笑)。
 
   あす  黒田三郎

 うかうかしているうちに
 一年たち二年たち
 部屋中にうずたかい書物を
 片づけようと思っているうちに
 一年たった

 昔大学生だったころ
 ダンテをよもうと思った
 それから三十年
 ついきのうのことのように
 今でもまだそれをあす
 よむ気でいる

 自分にいまできることが
 ほんの少しばかりだとわかっていても
 でも そのほんの少しばかりが
 少年の夢のように大きく
 五十歳をすぎた僕のなかにある


ちなみに、黒田三郎は61歳で亡くなっております
(1919~1980)。
うん。ひょっとすると『あす』というのは
六十代を過ぎてからはじまるのでしょうか(笑)。
ということで、75歳と85歳を以下に登場して
いただきます。



加藤秀俊著「メディアの発生」(中央公論社)に

「わたしは『平家物語』についてなにも知る者ではなかった。
・・・・これを原文でぜんぶ通読してみよう、
と殊勝な決心をしたのは七十五歳の誕生日をむかえようと
していたころ。テキストとしては岩波の『新日本古典文学大系』
上下二巻本を購入し、ふた月あまりかけて毎日二十ページくらい
のペースで読んだ。読みはじめるとおもしろくてたまらない。
テレビなんかバカバカしくて見てはいられない。
わたしはひさしぶりに大長編を耽読する日々をおくり・・
終幕まで見とどけることができた。
まことにたのしい読書生活であった。」(p308~309)

文藝春秋6月号には渡辺京二氏が「熊本の地から」
と題して書いておりました。
はじまりは

「この原稿の注文を受けたとき、考えてしまった。
決定的な二度目の激震のあと、まだ三日目である。
家中に倒れた家具、特に書棚が積み重なり、
厖大な書物が散乱し、やっと最低限の生活空間を
ぎりぎり作り出したばかりだ。その空間を作ってくれた
のは娘夫婦で、老衰のわが身は何もできず、ひたすら
二人の負担になったのみ。・・・」(p174)

「いま私は八十五歳、今度ほど自分が役立たずである
のを感じさせられたことはない。・・・
いま書物を含め、すべての所有物が煩わしい。
・・だが、残されたあと何年かは、もう少しものを
書いてすごしたい。私の場合、それには文献がいる。
集めた本は私の年来の主題に即して系統をなしている
ので、どの部分も切り捨てられぬ。とすれば、これを
保持して生きねばならぬのか。頭の痛いことだ。
だが、それは人類にとって文明は重荷だというに等しい。
祖先以来築きあげたものは、担い通してゆかねばならぬ。
私は老いの弱音を吐いたけれども、
吐きつつ荷を負ってゆくつもりではある。
文明とは善きものだ。だが、今回の災害をまつまでもなく、
持ち重りのするものなのだ。」(p176~177)

このあとき、極めつきの言葉があるのですが、
また、いつか引用できますように。
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そのとおりじゃないか。

2016-06-24 | 地域
今日、雑誌2冊届く。
Hanada8月号とWILL8月号。

Hanadaの FRONT PAGEは
田村秀男氏から始まっております。
WILLの HEADLINEは
日下公人氏です。

うん先月号までは、どちらも
日下公人氏からはじまっていました。

今月号から巻頭随筆のはじまりを
読み分ける楽しみが増えたわけです(笑)。

文は全文よまなきゃいけないわけですが、
日下氏の文のブツ切り断片は


「人生の必須科目はジョークと
ユーモアと体力だと考えれば
今の若い人は勉強していないなどとの
指摘は的外れである。」

ということで、
日下氏の尊敬する友人の一人
羽澄光彦氏のことを書いておりました。

なんでもエール大とハーバード大へ
一年ずつ留学してどちらも奨学金をもらった
人なのだそうで、日下さんが聞くと

「・・彼等は忙しいのだ。まず土曜日の
ダンスパーティにつれてゆく女性を探すのが
たいへんで、つぎは就職のために先輩達に顔を
売るのに必死である。その点自分は、
就職は決定済で、結婚は帰国すれば誰かが世話
してくれる。つまりヒマだから論文で評価され
るのは当然で、今はテニスの練習をしている」
「テニス仲間はみんなユダヤ人だろう、
同じ奨学金をもらった」
「どうして分かった?」


以上のブツ切りの言葉の断片が
どうつながるかは読んでのお楽しみ。


Hanadaは蒟蒻問答です(笑)。

その問答の最後のページを引用。

編集部】 先日、安倍首相に非常に近い人に
話を聞いたんですが、いまの政界で安倍首相ほど、
日夜、四六時中、日本のことを考えている政治家は
いない、と言っていました。

堤】 そのとおりじゃなか。
この国難・激動の時代を乗り切るには
『自分しかいない』という自覚があればこそ、
東奔西走、持病にもめげずにあれだけ頑張れる。
石原慎太郎が俺に言っていたけど、
『彼は死ぬ気でやっているね』。
思い出すのは岸信介のエピソードだ。
自民党総裁選(56年)で岸は一位の票を得たけど、
石橋湛山と石井光次郎の二・三位連合に敗れ、
総裁の座を逃した。
帰路の車中、同行した記者が書くには、
岸には気落ちした様子が全くなかった。そして、
『この日本を復興させるのは俺しかいないんだ』
とハッキリ言った。その二カ月後、
石橋が病に倒れて岸が総理に就き、
日米安保改定へと突き進んでいく。
・・・・・
野党のガラクタ議員どもには
安倍の志は到底理解できない。
久保ちゃんの言うように、
リーダーは孤独だよ。
いま、野党が
『安倍政治の暴走を止める』と
キャッチフレーズで使っているけど、
三年半前、安倍の再登場がなければ、
いまごろ日本はいったいどうなっていたか。
この三年半、内政外交ともにしゃかりきに
なって進めている安倍を見れば、
あれは暴走じゃない、疾走というべきだ。



うん。雑誌を購読して、
この話が聞けるよろこび(笑)。
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絵引は作れぬものか。

2016-06-22 | 本棚並べ
宮本常一著「絵巻物に見る日本庶民生活誌」は
中公新書の一冊なのだそうですが、
私が古本で購入したのは非売品でした。

「本書は、中央公論社の御厚意により、
中公新書『絵巻物に見る日本庶民生活誌』の
装幀を改めたものです。(昭和56年)1月30日
死去致しました故宮本常一への御厚誼に対する
ささやなか謝意のしるしとしてお受けとり下さい。」

と最後のページにあり、
新書版のハードカバーで函入りでした。

その新書の最後には
「宮本常一著作目録」が掲載されておりました。
「共・編著類」「編集・監修類」も並びます。
その目録の最後には注があり、注の5番目に

「『風土記日本』『日本残酷物語』
『絵巻物による日本常民生活絵引』などは
単独の著作と同様か、それ以上に精力を使い、
執筆枚数も多く、主著のひとつと考えてよい
ほどのものである。」

うん。私はというと、気になるので
『絵巻物による日本常民生活絵引』を注文(笑)。

総索引を入れて全6巻。
第一巻のはじめに
昭和29年に記した澁澤敬三氏の文がありました。
題して「絵引は作れぬものか」。

文のはじまりは
「字引とやや似かよった意味で、
絵引が作れぬものかと考えたのも、
もう十何年か前からのことであった。
古代絵巻、例えば『信貴山縁起』『餓鬼草紙』
『絵師草紙』『石山寺縁起』『北野天神縁起』
等の複製を見ているうちに、画家が苦心して
描いている主題目に沿って当時の民俗的事象が
極めて自然の裡にかなりの量と種目を以て
偶然記録されていることに気が付いた。
柴垣や生垣の数々、屋台店の外観や内部、
室内の様子、いろりの切りよう、群衆のうなじの
髪の伸びよう、子供の所作のいくつか、
跼(うずくま)り方、跣足(はだし)と履物、
貫頭衣、飼猫が異る絵巻に二つ描かれているが、
いずれも現代の犬のように頸に紐があって
どこかに繋がれている様子、蒸し風呂の有様、
お産の状況・・・・」


絵が描かれ、そこに名前をあてはめていく
絵巻のなかの絵引の世界。

うん。字引ももちろんよいのですが、
絵引の世界へ惹かれてゆきます。
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裸像彫刻vs民間習俗。

2016-06-20 | 短文紹介
宮本常一著「絵巻物に見る日本庶民生活誌」に
こんな箇所。

「子供を裸のままで育てる風習は
昭和二十年以前に僻地いたるところで見かけたもので、
それは古くからの習俗であった。
『石山寺縁起』第二にも民家の入口で
裸の子供が遊んでいるさまが描かれ、
『信貴山縁起(しぎさんえんぎ)』山崎長者巻には
裸の子が背負われている。
裸の幼児を素肌に背負って着物を着る風習も
古くからのものであった。
日本の民衆は古くは裸を好んだ。
そして、それは明治三十年ごろまで続いた。
そのころまでの外国人の日本に関する見聞記を読むと、
多くそのことに触れている。
・・・・
日本では、裸体画や裸像の彫刻は
ほとんど発達しなかったけれど、
民間における裸体習俗は普及していたとみられる。」
(p38~39)

うん。
宮本常一著「イザベラ・バードの旅」(講談社学術文庫)
にも、興味深い指摘があるのでした。


そういえば、
夏目漱石の「坊っちゃん」の第二章は「やばんなところだ。」
とあったのでした。

「ぷうといって汽船がとまると、
はしけが岸をはなれて、こぎ寄せてきた。
船頭はまっぱだかに赤ふんどしをしめている。
やばんなところだ。
もっともこのあつさでは着物は着られまい。・・」

青木繁の「海の幸」の裸体画は、
そういえば、真っ裸。
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絵巻に浮きあがる庶民。

2016-06-18 | 古典
宮本常一著「イザベラ・バードの旅 『日本奥地紀行』を読む」
(講談社学術文庫)を読んだあとに手にしたのが
宮本常一著「絵巻に見る日本庶民生活誌」(中公新書)。

この新書は、あとがきによると
「中央公論社刊行の『日本絵巻大成』(全26巻別冊1巻)の
月報に毎号書きつづけたものを読みかえして一通り理解でき
るように排列をかえ、若干補正を行なったものである。」

うん。絵巻のなかの行事や道具や行為には
ちゃんと名前があり、それが列挙されていくのを
読んで活字の醍醐味(笑)。

一箇所だけ引用。

「貴族たちは多くの祭を演出した。『年中行事絵巻』が
それを物語る。いまこの絵巻に描かれた年中行事について
みると・・・・・・・・・・・
その内容についての説明はしばらくおくとして、祭は
おびただしい数にのぼっている。そしてこれで京都の
祭はすべてではないのである。
このような祭の演出者はすべて公家(貴族)であり、
公家の生活がどういうものであったかを教えられる。
そして日本が諸神祭祀のために成立していた王朝で
あったといっていい。この場合、民衆はその見物人
として登場するのである。そしてこのような祭を
見物することによって、日常の精神生活をゆたかに
することができた。民衆は祭の外にあったから
物忌も儀礼も必要なかったはずである。
公家たちの行列を見て笑い、野次をとばし、
そのため追い払われることもある。
決してつつましい見物人ではなかった。
後世になると、民衆は見物するだけでなく、
次第に祭に参加するようになって、
祭そのものがにぎやかになり活気をおびてゆくのである。」
(p4~5)

うん。楽しい読書でした。

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夏でも『いろはがるた』。

2016-06-16 | 地域
宮本常一著「イザベラ・バードの旅」(講談社学術文庫)が
読みやすく楽しめました(笑)。
副題は「『日本奥地紀行』を読む」。

イザベラさんの東北・北海道への旅を
宮本常一氏が丁寧に背景を語ってくれている魅力。
うん。その吸引力。

一箇所だけ以下に引用。


「  それは『いろはがるた』の遊びである。
   子どもたちは輪を作って坐り、
   大人たちはそれを熱心に見ている。

 とありますが、日本では上層階級では百人一首の
かるたが盛んに行われており、中流以下はいろはがるた
が各地で行われていた。今ではお正月頃しかやらないが、
イザベラ・バードが東北を歩いた頃には、
夏でも行なっていたことがわかり、たいへん興味深いのです。」
(p178)



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談論風発の風に乗って。

2016-06-09 | 地域
鼎談で、こんな箇所がありました。

田村秀男】 馬鹿にしてはいけないのは、日本のバンカーや
日銀、財務省の役人と比べて、アメリカのエリート大学を卒業した
中国人の人民銀行の首脳、財務官僚、党の官僚の上層部は、
高い能力を持っています。
コミュニケーション能力にかけては、人民銀行総裁の
周小川が高いと評判です。私も一度、国際会議で議論しましたが、
この人は開けっぴろげでズバリ本音を言うこともあれば、
平気で嘘を言い、相手には本当のことだと信じさせるタイプです。
実に堂々としていますね。・・・・
国際会議、たとえばIMF・世界銀行年次総会など、
ああいう場では、周小川の周りにたくさんの人が集まっています。
それくらいコミュニケーション能力があり、しかも評価されている。
やっていることはインチキですけれども(笑)。

宮崎正弘】 しかし、その周小川は15年8月の人民元切り下げ以来、
16年2月のG20まで一度も記者会見をしなかった。
ダボス会議にも出席しませんでした。
中国人というのは、個々を見たらとにかく優秀なんです。
でも昔から『三人寄れば豚になる』と言われているように、
団体行動がとれないでしょう。チームワークもない。
どんなに能力が突出した人が銀行業務をリードしていこうが、
結局はバックに共産党がいて、これが最終決定権を持っている
ということで、その能力は相殺されるんですよね。

以上は、
「中国経済はどこまで死んだか」(産経新聞出版・p60~61)
に見かけました。

『三人寄れば』といえば、そういえば外山滋比古著
「乱談のセレンディピティ』(扶桑社・p70~71)に


「ひとりではダメ、二人でもうまくいかないが、
知的発見は三人ならずっとうまく行くということを
昔の人も知っていた。『三人寄れば文殊の知恵』
ということわざがある。読書信仰の強い日本である。
このことわざの意味が半ばわからなくなっている。
辞書に当たってみる。
『平凡な学者でも、三人が集まって相談すれば、
よい知恵が浮ぶものだという意味』(岩波ことわざ辞典)
本当は、そんなことを言っているのではない。
学者が三人集まるのではなく、人が三人集まって、
話し合っていると、文殊のような知恵が飛び出してくる
ことがある、といっているのである。
三人が学者である必要などまったくない。・・・・
三人の話し合いは、新しい力が生まれる。
相手が二人いる。
それぞれが、反応するからことばが重層的になる。
混乱するが、エネルギーをはらんだ混乱で、
めいめいに強い印象を与える。
おもしろい談話が生まれる。
そのおもしろさは、本を読んで得られる満足感、
気持ちのよい対話をしたあとの爽快感と違った
生産的エネルギーを内蔵する。
うまく引き出せば文殊の知恵である。」


この外山氏の本のはじめの方には(p18)

「読書と知識から生まれた発見は、ほんものではない。
本当に新しいことは、談論風発の風に乗って飛来する。
それをとらえるのが英知である。
いくら本をたくさん読んでも、その英知を身につける
ことが難しいことを文化の歴史は示しているように
思われる。」
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