和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

丸山薫の詩。

2018-03-31 | 詩歌
丸山薫全集が古本で手軽に入手できたので、
まずは、思い浮かぶあれこれ(笑)。

丸山薫は、学校を退学したり、
留年を繰り返していたようです。
思潮社「現代詩文庫 丸山薫詩集」の
年譜や解説・貝塚茂樹「旧友の年賀状」でも
そのことに、簡単に触れられております。

その経歴を思い描きながら、
あらためて、この詩を読む。


     学校遠望    丸山薫


 学校を卒へて 歩いてきた十幾年
 首(かうべ)をめぐらせば学校は思ひ出のはるかに
 小さくメダルの浮彫のやうにかがやいてゐる
 そこに教室の様々が瓦をつらねてゐる
 ポプラは風に裏返つて揺れてゐる
 先生はなにごとかを話してをられ
 若い顔達がいちやうにそれに聴入つてゐる
 とある窓辺で誰かがよそ見をして
 あのときの僕のやうに呆然こちらを眺めてゐる
 彼の瞳に 僕のゐる所は映らないだろうか?
 ああ 僕からはこんなにはつきり見えるのに


これは、「物象詩集」に入っておりました。
年譜によると昭和16年2月「物象詩集」を刊行とあります。
教室の窓といえば、もうひとつ思い出す詩があります。
昭和21年「少国民世界」7月号に載り、
昭和23年少年少女詩集「青い黒板」として刊行された
中に入っている詩です。


     唱歌    丸山薫

 先生がオルガンを
 おひきになると
 オルガンのキイから
 紅い
 青い
 金色の
 ちがつた形の小鳥が
 はばたいて出て
 くるくる
 ぼくたちの頭の上を
 まわりはじめた
 
 教室の 高いところの
 窓ガラスが一枚 こわれていて
 やがて 小鳥たちは
 そこから
 遠い空へ逃げていつた


年譜によりますと、
大正14年26歳で東京帝国大学国文科入学。
昭和3年29歳で大学を中退。

はい。丸山薫は明治32年生まれ。
この頃にはどなたがいたか(笑)。
と見回せば、
中村草田男が明治34年生まれ。


司馬遼太郎の「『昭和』という国家」(NHK出版)に
中村草田男について、語られている印象的な場面がありました。
最後に、その引用。

「『降る雪や明治は遠くなりにけり』
草田男は明治34年の生まれでしたか、松山の人であります。
大学生であることを30歳ぐらいまで続けていた暢気な人でした。
たしか私は草田男の文章で読んだ記憶があるのですが、
青山付近を通っていて、青山南小学校の生徒たちが
ランドセルを背負って校門から出てくるのを見ながら、
この俳句が浮かんだと。
それ以上のことはよくわかりません。・・・
それを草田男が感じたのは、昭和6年だった。・・」
(p163)  



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朝日新聞「てるみくらぶ」論。

2018-03-30 | 朝日新聞
月刊雑誌「正論」5月号届く。
巻頭随筆である髙山正之「折節の記」。
その最初の2頁分が読ませる。

私に興味深かったのは
この箇所

「この辺は旅行会社『てるみくらぶ』が
最後の最後まで誇大広告を打って
健全経営を装ったのと似る。」


巻頭随筆の次は八木秀次氏。
題して「狡猾な朝日新聞の見出し」。

そこからこの箇所を引用。

「朝日新聞は最近、新聞の『ちょい読み』
キャンペーンを行っている。
見出しを『ちょい読み』した限りでは、
森友学園の国有地取得には首相夫人の
安倍昭恵氏が関わっており、その意味で
『特例』があったが、そのことを隠すために
財務省は決裁文書を改竄した。その責任から
安倍首相や麻生財務相は逃げようとしており、
それに国民は怒り、不信感を持っている―――
としか読めない。
テレビの報道番組やワイドショーの論調も
大凡同じと言ってよい。」

けれども八木氏は『ちょい読み』しません。

「しかし、書き換え前の決裁文書を読んでも
そのような印象を持つことはできない。
森友学園側の常識を逸脱するほどの強気の
要求を何とか撥ねつけようとしている
財務省近畿財務局の姿が浮かび上がってくる。
・・・」

さて、朝日新聞の見出しばかりでなく、記事も読む
八木氏は、この箇所を指摘しております。

「前掲の朝日新聞3月13日付も2面の記事の中で
『削除部分は、昭恵氏による取引への明白な
関与と言える記載ではなかった』と述べている。」

うん。ここらあたりが『見出し』の誇大広告を演出する
朝日新聞『てるみくらぶ』論となります。
(説明ははぶきますが、あとは髙山正之氏の文を、
本屋での立ち読みでも一読してもらいたいのでした)


八木氏の文は2頁でした。
その最後の箇所を引用。


「森友学園は幼稚園児さえ利用し、
面識のない安倍首相の名前を無断で使って寄付を集め、
首相夫人を開設予定の小学校の名誉校長にした。
さらには、幼稚園のHPには昭和天皇が訪問されたかのような
記述もあった。前理事長夫婦は各種補助金を詐取したとして
起訴されているが、そのような詐欺師的体質を持った人物が
首相夫人を利用して財務省に忖度させようとしたのが
この問題の本質である。
朝日新聞が認めるように、財務省による
『削除部分は、昭恵氏による取引への明白な関与と言える
記載ではなかった』のだ。・・・」

文の最後は

「首相の政治責任を問おうとしているが、
無理があるというものだ。
国民のメディア・リテラシーも問われている。」


ちなみに、
産経新聞3月29日の一面左の見出しは
「森友改竄 首相は『後は国民が判断』」
「過去最大 30年度予算成立」

その内容は
「安倍首相は、予算成立を受けて
国会内で記者団に『30年度予算の成立こそが
最大の景気対策だと言ってきた』と述べた。」

財務省の決裁文書改竄問題については

「当時財務省理財局長だった佐川宣寿
前国税庁長官が27日の証人喚問で
官邸の指示を否定したことを踏まえ
『これまでも私は全く指示していないと
申し上げてきた。後は国民に判断いただくことだ』
と述べた。また
『大阪地検が捜査し、財務省が調査している。
確たるものを得た中で政府としてけじめをつける
ことは当然だ』と語った。

一方、立憲民主、希望、民進、共産、自由、社民の
6野党の国対委員長は28日、国会内で会談し、
安倍昭恵首相夫人らの証人喚問を引き続き求めることで
一致した。これに対し自民党の二階俊博、公明党の
井上義久両幹事長は会談で、昭恵氏らの証人喚問は
『必要ない』との認識で一致した。」

この日の産経新聞の5頁の
下の雑誌広告は、週刊文春・週刊新潮でした。
どちらの見出しも黒に白抜きです。

週刊文春の右見出しは、
『安倍政権「暗黒支配」と昭恵夫人の嘘を暴く』

週刊新潮の右見出しは、
『散り際の「安倍昭恵」』


見出しに踊らされない
国民のメディア・リテラシーが、
今回の事件で、育まれたかどうか。
育ったのだと思いたいですね。
国民は賢くなるのだと、思います。


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船で覚えたコンパス。

2018-03-29 | 詩歌
ネットで古本検索。
すると、「丸山薫全集全5巻揃」(角川書店・1976~1977年)が
アレレ、1150円であるのでした。

さっそく、古書ワルツへ注文。
5冊揃いで1150円+送料650円=1800円なり。
はい。一冊が360円なり。

それが、今日午前中届く。
3巻目のみ箱ナシで、その3巻目の解説は竹中郁。

とりあえず、1巻目をひらき。
とりあえず、この詩を引用。

  コンパスづくし  丸山薫

 船でおぼえた四つのコンパス
 スタンダアドコンパス
 スチヤレイヂコンパス
 ボートコンパス
 ヂヤイロコンパス

 もつと説明するならば
 スタンダアドは船橋に
 コンパス仲間の總元締
 お次のものは舵輪(だりん)の前
 船の針路を決めるコンパス

 その名どほりの三番目
 ボートに吊げて乗り移る
 遭難用の不吉なコンパス
 ふだんは倉庫にをさまつてる
 さて どんじりが下甲板

 機関室のとなりにゐる
 電気仕掛の独楽応用
 正確無比のヂヤイロ親分
 さう さう 忘れた もう一つ
 変つた奴が船長室

 ベッドのまうへの天井に在る
 タバコぷかぷか船長が
 臥(ね)ながら眺める話せる相手
 その名も可愛いテルテルコンパス
 その名も可愛いテルテルコンパス

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羅針盤としての新聞。

2018-03-28 | 産経新聞
今日の産経新聞(3月28日)を読む楽しみ。

まずは、産経抄から

「安倍晋三首相の昭恵夫人が、学校法人『森友学園』の
小学校の名誉校長を一時務めていたことは事実である。
もっとも、森友学園への国有地売却や財務省の文書改竄への
関わりを示す証拠は今のところ見つかっていない。
夫人の言葉とされるのも伝聞情報である。
にもかかわらず、野党は問題の『キーマン』として、
昭恵夫人の証人喚問を要求している。
『アッキー』と呼んでその奔放な言動をもてはやしてきた、
一部メディアも同調する。
昭恵夫人に答えられない質問を浴びせて、
何が得られるというのだろう。
昨日丸1日かけて行われた佐川宣寿前国税庁長官の
証人喚問でも、何一つ新事実は出てこなかった。」

産経抄の最後は

「いつまで国会で茶番劇が続くのか。」


3ページ目の総合面からも引用。

「立憲民主、希望、民進など6野党の議員は23日と26日、
大阪拘置所(大阪市)に出向き、学校法人『森友学園』の
前理事長、籠池泰典被告=詐欺罪などで起訴=と接見した。
喚問を前に追及の材料になる証言を得ようという狙いだった。
・・・・・
接見後に議員がテレビカメラの前でやり取りを紹介する様子は
『籠池被告とタッグを組む野党』という負のイメージを流布し、
追及の矛先を確実に鈍らせた。
『嘘はアカン』。籠池被告のこんな発言を笑顔で披露した
社民党の福島瑞穂副党首に至っては、
もはやブラックジョークだ。
それでも、接見の成果を証人喚問に生かすことができれば
まだ救いはあった。・・・」

産経抄も、総合面も全文引用したいのは
やまやまですが、このくらいにして、
5ページにある編集委員田村秀男氏の文から引用。

「・・・・・・
佐川氏の証言にただちに反応したのは株式市場である。
官邸からの改竄指示なしが伝わると、海外の投資家が
日本株買いに動いた。市場はアベノミクスの成否が
首相の影響力次第だとみているわけである。」

うん。田村氏の文の最後も引用。

「森友問題関与を執拗に報じてきたメディアによって
悪化した首相のイメージ回復が遅れると、
アベノミクスの信頼度に響き、脱デフレが遠のく、
首相の支持率に敏感な市場は円高、株安に振れ、
回復する日本経済に逆流が渦巻きかねない。

財務官僚の緊縮財政路線と
改竄構造をただそうとする首相に、
その財務省自作の文書改竄関与疑惑ありと、
野党やメディアが今後も騒ぎ立てるのは
何とも無責任だ。
経済再生をもみくちゃにされて、
将来を奪われるのは若者ら国民だ。」


時代を判断しようとする羅針盤に、
わたしは、産経新聞を選びました。
あなたは、何新聞を羅針盤に選びましたか?


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「声」欄のボツ原稿。

2018-03-26 | 朝日新聞
ある方のブログを拝見したら、
朝日新聞の「声」欄からの引用から
はじめられておりました。

索引のない文章に、引用があると、
それがどこの出どころなのか
明らかならば、分りやすく。
それはそれで、ありがたい。

朝日新聞の「声」欄といえば、
私は、竹山道雄の原稿を没にした
あの「声」欄かと、思い出します。

竹山道雄は、1903年生れで
旧制一高講師・同教授、
東京大学教養学部教授を歴任。


その方の原稿を
朝日新聞「声」欄はボツにしました。
昭和43年のことです。

竹山道雄著「主役としての近代」(講談社学術文庫)
から引用します。

「・・・鈴木氏『対話の継続を望む』という投書があり、
私がさらに投書欄で答えることを求められた。
これに対して、私はその日のうちに投書した。
返事はつねに問とおなじ長さに書いた。」

 その投書した文が引用されています。
それは省いて、その次から引用します。

「これは『声』欄には採用されず没書となった。
したがって、私が・・・顧慮せず対話を断った
という形で、この『論争』は終止符をうたれた。

これはフェアではないが、土俵に上げてくれない以上、
『声』欄で答えることはできない。
投書欄は係の方寸によってどのようにでも選択される。
それが覆面をして隠れ蓑をきて行なわれるのだから
どうしようもない。
・・・根拠を明示し、署名をして責任の所在を
あきらかにすべきである。全体が無形無名の風潮に
あふれててズルズルと大きな破局にのめりこんだことは、
いまだに記憶にあたらしい。無署名の冷笑嘲罵、一方的な
切りすて御免、誹謗的な毒舌、公けという観念の欠如
(これらのことはジャーナリズムだけではないが)
などは、おそらく封建時代の町人が権力者にむかって
川柳やちょぼくれなどで溜飲を下げた、その残滓なのだろう。
こういうことは戦後しばらくはじつにひどかったが
近頃はよほど平静になった。しかしまだ
世界の他国にはないめずらしい現象である。・・・
『声』欄にあらわれた様相が全体を代表するとは思えない。
そして『声』欄の投書には、
『なぜ戦争があるのでしょう。いま春雨はしとしとと
降っているのに・・・』といった調子の、
詠嘆ないしは怒号が多い。
あのような意見は、平和実現確保とは
縁がないことである。」

ちなみに、
これは文庫本で実質3頁ほどの短い文。
せっかくですから、その文のはじまりも
引用させてください。

「朝日新聞の『声』欄に『ビルマの竪琴論争』
なるものが起こった。これはまだ論争といえる
ものではなかった。人間は善意を持っているが、
また悪魔性をも持っている。国際関係などは
できるだけ冷静に考えなくてはならないのに、
素朴な感情論が演出されて、あたかもそれが
世論であるかのごとく操作された。・・・」
(p195~198)


なお、
平川祐弘著「竹山道雄と昭和の時代」(藤原書店)
には、この箇所を丁寧に取り上げたあとに、
さらに、注として(p324)、
朝日新聞出版局が『声』掲載の投書を六巻本に刊行中に
この竹山の投書の再録を、一切しないことにした経緯が
書きとめられており、読んでいただきたい1頁です。

徳岡孝夫著「『戦争屋』の見た平和日本」(文藝春秋)
には「『ビルマの竪琴』と朝日新聞の戦争観」という
13頁の文があり、こちらは、「諸君!」に掲載されたもの。
そうそう、
徳岡孝夫の本には、裏表紙に山本夏彦の推薦文あり。
この機会に、夏彦氏の推薦文も、ここへと引用。

「新聞の海外特派員は、いつも本社の
デスクの顔色をうかがって原稿を書く。
本社が米英撃つべしなら、撃つべしと書く。
撃つな、と書けば没書になるのはまだしも左遷される。
即ち特派員はむかし国を誤ったのである。
いまだにそうである。
中国は自分の気にいらぬ記事を書く特派員を追放する。
追放されたくないばかりに、気にいる記事だけ書く。・・」


以上3冊のおすすめ。

朝日の新聞ばかりでなく、
朝日の旧聞もお忘れなく。

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さぞ郁さんも満足したことと思われる。

2018-03-25 | 詩歌
竹中郁に興味をもって3冊
読み直しているのでした(笑)。

竹中郁詩集(思潮社・現代詩文庫)の
終りにある「研究・解説」。

杉山平一著「戦後関西詩壇回想」(思潮社)。
これを読んでいると、関西詩壇というのは
関東の田舎に住む私には、夢の世界のように
思えてきます(笑)。

天野忠著「我が感傷的アンソロジイ」(書肆山田)
足立巻一氏による竹中郁の蔵書整理の中に
天野忠の著作があったので、それではとこの本を
ひらくと、「巾着井戸をのぞく――竹中郁のこと」
が載っておりました。

3冊目の天野忠の文に、こんな箇所があり、
気になりました。

「最後になった詩集『ポルカ マズルカ』(潮流社)は
出来の良い詩集である。瀟洒で嫌味がない。背文字の金もいい。
活字も組方も印刷、造本それに箱も申分がない。
本造りの好きな人が入念に神経を使ってこしらえたのだろう。
そんなに気取りのない、限定版というのにふさわしい美本で、
私はこんなのを詩集らしい詩集というのだろうと思っている。
本人の口からは聞かなかったが、
さぞ郁さんも満足したことと思われる。」(p223)

はい。こうして書き写していると、
関西詩壇の詩集らしい詩集を、
手にとってみたくなります(笑)。

ポルカマズルカといえば
足立巻一著「評伝竹中郁」(理論社)に
足立氏が病院に見舞いに行く場面が印象的です。

「入院中、見舞いに伺うと、
『自分には『動物磁気』と『ポルカ マズルカ』との
二冊があればいい。全詩集はいらない』ともらした。
これには杉山とわたしも驚いた。
しかし、すでに井上靖の斡旋で出版社も角川書店と
きまっていることでもあり、わたしたちは作業を進めていた。

『全詩集』にはそういういきさつがあったのであるが、
それを口に出した瞬間、竹中の表情が一変したのに
わたしはあわててしまい、病院を飛び出したのである。
・・・・」(p11)

うん。
詩集「ポルカ マズルカ」は五百部限定版。
次の年には安い普及版も出ているようです。


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「訴状を偽造した朝日新聞」。

2018-03-24 | 産経新聞
産経新聞の土曜日は花田紀凱(かずよし)の
「週刊誌ウォッチング」。
ということで、3月24日のその個所を読む。

「それにしても朝日新聞の昭恵夫人たたきは異常だ。
この1年、事あるごとに大見出し。社説だけで四十数回。
すぐにバレる嘘を何度もつき、詐欺罪に問われ、
今、勾留中の籠池夫婦と昭恵夫人と、
どちらの言い分が信用できるのか。」

「いいかげんな発言をするコメンテーター。
これだけでも食傷気味なのに、
週刊誌までが、ただ、ただ安倍政権批判。
何か新しい情報、独自の視点があるならまだいい。
ほとんど何もない。」

花田氏の文の最後は、
その独自の視点を紹介しておりました。

「唯一、注目したのが(週刊)『文春』の
人気連載コラム『飯島勲の激辛インテリジェンス』。

飯島さん、
『財務相も首相官邸も全く関係ないってのが真実だぜ』
とした上で、予算を成立させたら
『即、国民に信を問う衆院解散・総選挙を決断すべきよ。
(中略)野党も官邸前の路上デモもそろって
『アベ総辞職しろ』でしょ?
内閣不信任を突きつけてるも同然なんだから、
首相が信を問うのは当たり前よ。
総辞職求めておいて解散は反対なんて、
野党は口だけってことになるな。』
1966年、佐藤内閣、『黒い霧解散』の例もある。」

さて、この花田氏の産経のコラムを読み終わると、
月刊Hanada5月号が届く。
さっそく小川榮太郎氏の
「五千万円損害賠償請求で朝日新聞が訴状を『偽造』」
と題する文を読むことに。

うん。朝日新聞が次々に花火を打ち上げて
話題の焦点をぼかしている最中ですが、
朝日の旧聞に属すると受け取られかねない
小川榮太郎氏への朝日新聞の損害賠償請求裁判を
小川氏が丁寧に解き明かしてゆきます。

ここでは、小川氏の最後を引用。

「しかも、ここは些末な項目ではない。
『総理の意向』の有無こそは、
朝日新聞が主導した加計問題の核心部分だ。
その核心部分を訴状で文書偽造していることは、
朝日新聞の加計報道が、核心部分を嘘で塗り替えなければ
成立しなかったことを示している。
・・・・・
私は、この朝日新聞による
『訴状偽造事件』を広く社会および言論界に告発する。
そしてこの件に関して、朝日新聞が訴訟の場に逃げずに
・・・・紙面でも訴状偽造を被告側から告発されたことを
読者に報ずることを強く要求する。

一方、論客やメディア各位にお願いしたい。
『訴状を偽造した朝日新聞』―――――
これから朝日新聞に言及する時、
この枕詞(まくらことば)を付けて語ることで、
この事実を国民に周知していただきたい。」


はい。この枕詞を、このブログタイトルでも
使わせていただきます。

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しかもその上書いて、成長する。

2018-03-23 | 正法眼蔵
竹中郁著「子どもの言いぶん」(PHP・昭和48年)をひらく。
まえがきには、こんな箇所。

「書くという作業は、もちろん
他人につたえるのが半分以上の目的ではある。
しかし、子どもの場合は必ずしも、
そうとばかりは限らない。
ひとりつぶやきのようなものを書くことが、
刺激となって、心が応じて成長するのだ。
躰はたべることで成長する。
たべて躰を動かすことで成長する。
精神の方は感じて考えて、
しかもその上書いて、成長する。

ここに集めた子どもの詩のようなもの・・
子どもが読んでも、大人が読んでも
感銘ふかい作が多いと思う・・・」

う~ん。
「子どもの詩なんて」という大人が、
思わず読みながら食いつきそうな箇所もあります。
それは(笑)。

「大正の子」という章。
大岡昇平・木俣修二・岡本太郎・田中英光
の子どもの頃の詩が掲載されているのでした。

うん。私には、興味がないので
そそくさと、次へ(笑)。

さて、この本の最後を引用しておきます。

「日本の子どもの作文能力、あるいは文学能力は、
アメリカやイギリスやフランスをさぐってみての上でいうと、
格段に優れているようだ。
日本には『ひらかな』という便利なものがあって、
その四十八文字をおぼえただけで、
口にのぼってくる言葉を書きつけることができる。
西洋の方はABCをおぼえても、それを綴りあわせて
一つの単語にし、それをまたセンテンスにしなくてはならない。
それが辛いかして、低学年では書きたがらないのだ。
大たい、どんな子どもでも、書く欲望はもっているものだ。
その口火を上手に切ってやるように仕向けるのは、
教師や父兄の責任である。同年輩の子どもの作をみせてやって、
はじめは真似ごとから出てもよいのだ。
子どもが書いたなら、その欠点をほじくらないで、
よいところを認めてやる方へ重点をおくのだ。
それが教育のこつである。

できれば、教師の場合なら、
毎日のように子どもと食事を一緒にするとか、
一緒に入浴するとかいうようにするのだ。
信頼と敬愛は立ちどころに子どもに湧いて、
子どものこころも口もほぐれるのだ。

そんな状態の中でなら、
詩文の教育はみごとな成果を挙げること、まちがいない。」


ちなみに、
杉山平一著「戦後関西詩壇回想」(思潮社)に
竹中郁への言及があります。

そうそう、その本の巻頭の写真には
杉山平一・竹中郁・足立巻一が並ぶ
素敵な写真が載っておりました。

さて杉山平一氏は、こう紹介しております。

「竹中郁が、二十歳そこそこでフランスに留学し、
マン・レイに会い、ジャン・コクトオを
わが国で最初に翻訳した人であり、
そのためフランス文学に傾倒していた堀辰雄と
親交があり、堀が主宰する『四季』に
竹中を最初から仲間として迎え入れた・・・」
(p194)

その竹中郁が書いた「子どもの言いぶん」。

杉山平一氏の文でもって、大人にも、
ちょっと興味を持ってもらえるなら、
引用した甲斐があるというもの。
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転読の風。

2018-03-22 | 道しるべ
NHKの新日本風土記の再放送に
「永平寺」がありました。
以前に、録画しておいたもの。
今回は、あらためてお正月の場面を
確認してみました。

永平寺のお正月には、
「転読大般若」というのがあり、
何やら、
僧たちが経典を右左にパラパラと
アコーデオンを開いたり閉じたりするように
めくりながら唱えております。
お正月に、参詣に来た方々は
その「転読の風」に吹かれると
無病息災の御利益があるのだそうです。

はい。転読って何?

岩本裕著「日本佛教語辞典」(平凡社)をひらく。

「転読(てんどく)
大部の経典を読むとき、その一部すなわち
経典の題目と品(はん)名と訳者名を読み上げ、
さらにその巻の初めと中と終りの数行を読むこと。
多くは『大般若経』六百巻を法会で読むときの
読誦(どくじゅ)法である。
この場合、折本の経巻を左右に翻して繰りながら、
経文の句を読むのが常である。・・・」

ちなみに、
「大般若経」をひくと

「『大般若波羅蜜多経』の略。
『般若』は・・『智慧』の俗語形の写音。
『波羅蜜多』は・・『彼岸に到達した状態』の写音。
大乗佛教の根本思想である『空』を説き・・・・」



はい。素人にも分かりやす辞典です。

ちなみに、
転読の意味に
『その巻の初めと中と終りの数行を読むこと』とあり、
あれれ、私の横着な読書と同じだと、妙に感心をしてしまい。
勝手に身近な感じを抱くのでした(笑)。


そういえば、曹洞宗のお経本には、
「修証義」があり長い正法眼蔵の、
肝要な数行を取りだした感があり、
これはこれでありがたく読めます。
そういえば、
修証義のCDが出ているそうなので、
機会があれば、聞いてみたい(笑)。

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ぐうすか、ぐうすか。

2018-03-21 | 詩歌
食用菜花・ワカメ・ヒジキを、いただいたのに
合わせたように、身内が泊りがけで昨日来る。

夜は、缶ビールと、
こちらも3月に頂いたばかりのヨーグルト酒。
「鳥海山麓ヨーグルト・リキュール子宝」
(楯の川酒造)を開ける。

お酒を飲むときのおまじないを朗読(笑)。

今回はこれ。

足立巻一著「牛乳びんの歌」にあった
小学三年生の詩

   ねています

 おとうさんが
 おさけを のんで
 まっかなかおして
 ぐうすか ぐうすか
 ねています。
 おなかをだしてねています。


酔いがまわって、この詩を
二度朗読しておりました。
はい。自宅だからの楽しみ。


ちなみに、この小学生の詩に
対する足立巻一氏の評は

「これにも、酒をのんだおとうさんのすがたが
くっきりあらわれています。でも、
酒のみの父を格別いやがったり、
軽蔑したりしているようすではありません。
親愛の目で見ています。」

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敗戦直後の柳田国男。

2018-03-20 | 道しるべ
ときどきは、読み返したくなる言葉、
というのがあるのでした。
この頃の私には、
臼井吉見編「柳田國男回想」(筑摩書房・1972年)の、
臼井吉見さんの文。

その臼井さんの文の最後は

「・・・・敗戦直後、
僕が会った多くの人たちのなかで、
七十歳を越えた柳田國男にくらべられるほど、
いきいきとした感覚と気力にはずんだ人を、
ついぞ見かけなかった。」(p155)


うん。それでは、臼見さんの文の
真ん中頃からですが、引用。

「・・信仰と和気は、
最小限度の心の栄養素と思うが、
戦争に負けたいま、
のんきすぎるというなら、
それもいたしかたない。
ただ第三のものだけは、
そういってやり過ごすわけにはいかない。
それは国語の普通教育、国語を
今後の青少年にどう教えるのがいいかということだ。

よく口のきける少しの人と、
うまく物がいえない多くの人が、
入りまじるようなことになれば、
どうなるか。
みんなが黙りこくっていた時代よりも、
不公平がひどくなるかもわからない。
自由には均等が伴わなくてはならない。

これまでの軍国主義を
悪く言わねばならぬ理由はいくらでもある。
ただわれわれの挙国一致をもって、
ことごとく言論抑圧の結果と
考えるのは事実に反している。
利害に動かされやすい社会人だけでなく、
純情で死をも辞さなかった若い人たちまで、
口をそろえて、
一種の言葉だけをとなえつづけていたのは、
強いられたのでも、欺かれたのでもない。
これ以外の考え方、言い方を
修練する機会を与えられなかったからだ。
こういう状態が、これからも続くならば、
どんな不幸な挙国一致が、これからも
現れて来ないものでもない。」

これを聞いた臼井吉見さんは
つぎに、こう書き記しております。

「以上のような話に耳を傾けているうちに、
これはまさに重大事で、
文化や思想の根源の問題だと思った。・・
現に新聞やラジオでとりかわされている言説には、
『よく口のきける少しの人』の、
ハンコでおしたような一種の、
これまでのそれの裏返しみたいな、
どぎつくわかりいい考え方、言い方が出て来て、
あちこちで、その口真似がはじまっていた。
・・・・」(p151~p152)


なあ~んだ。それならば、現在まで、
この指摘は、ちっとも変わっていないじゃないか、
と私には思えてしまう。
「これ以外の考え方、言い方を修練する機会」を、
このブログで少しでもできますように(笑)。
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いくらなんでも度を越している。

2018-03-17 | 産経新聞
花田紀凱(かずよし)氏は
1966年文芸春秋社に入社して、
「週刊文春」の編集長もしております。
現在は月刊「Hanada」編集長。
ということで、
「週刊文春」の悪口は書きにくく、
歯切れが悪いんじゃないかと
今までは、思っておりました。

その花田氏が
「・・ひど過ぎる。いくらなんでも度を越している」

と「週刊文春」をとりあげているのが
今日の産経新聞「週刊誌ウォッチング」です。

うん。ここは肝心の箇所なので、はじまりから
丁寧に、ほとんど引用しましょう(笑)。


「このタイトルはひど過ぎる。
いくらなんでも度を越している。
『週刊文春』(3月22日号)の『安倍首相夫婦の犯罪』。
これでは国会前でデモしている連中が掲げている
プラカードとなんら変わらない。
一国の宰相を『犯罪者』呼ばわりするには、
それ相応の根拠と覚悟がいる。
『文春』にそれがあるのか。

読んでみると、『文春』があげている
根拠らしきものは唯(ただ)ひとつ。

【「FAXの件(照恵夫人付職員の谷査恵子氏が、
財務省に問い合わせた件)などからも、
国有地取引に照恵氏が関与し、
財務省を動かしたのは明らか」】という
『閣僚経験者』なる人物のコメントのみ。

地元の有権者や知人に頼まれて、
ある案件について現在どうなっているかを
官庁の担当者に問い合わせるなんてことは
国会議員や秘書、地方議員なら日常茶飯事に
やっている。
人のいい照恵夫人が籠池夫婦に強引に頼まれ、
谷職員を通じて財務省に問い合わせただけ。
しかも財務省の答えは
『現状では〈籠池夫婦の〉希望に沿うことはできない』。

このやりとりのどこが『犯罪』なのか。

腹立たしいのは新聞各紙が
このタイトルを堂々と掲載していることだ。」


う~ん。
せっかくなので、後半最後まで引用したいのは
やまやまなのですが、
バトンは、産経新聞の産経抄の今日の箇所
一面コラムの後半を引用することへ。


「学校法人『森友学園』への国有地売却をめぐる
一部野党やマスコミの追及手法は、
集団リンチの様相であり、人権侵害ではないか。」

コラムの最後は

「自死した人を政治利用し、
憶測を確定事実であるかのように粉飾し、
特定の人物をヒステリックに攻撃する。
現代社会で、堂々と・・・進行して
いることに戦慄する。」


この
「一部野党やマスコミの追及手法」に
視聴者は踊らされているかもしれないと、
思わないのかどうか?
「一国の首相を犯罪者呼ばわりする」
マスコミ報道を、安易に信じ過ぎる
かもということは、思わないのかどうか?
きちんと、
ご自身で、賛成反対の両意見を
読んでから、
朝日を読むのなら、産経も並行して
読んでみてからの御意見かどうか?

NHK報道も信用してはなりません。
その昔、花森安治の「暮しの手帖」では
信用できないNHK報道というアンケート結果が
あったのをご存じですか?

「一部野党やマスコミの追及手法」を信じるか?
いいえ、私は、安倍晋三を信じます。




コメント (2)
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上映会。数十人の観客。

2018-03-16 | 短文紹介
「正論」2015年12月号をひらく。
そこにある八木景子さんの文を読む。
古い雑誌なので、ほとんどの方が、
もう読むこともないでしょうね。



 時   2015年9月上旬の一週間
 場所  カナダのモントリオール世界映画祭
 作品  八木景子監督映画「ビハインド・ザ・コーヴ」


映画祭のドキュメンタリー部門に
この作品の、プレミアム上映された様子が
八木景子さんの文の始めに綴られております。
はい。私には、その記述が貴重に思えるのでした。
はい。どなたかに読んでもらいたいほどに(笑)。
では、以下に引用させてもらいます。
 

・・・1回目の上映会は9月4日。
大手配給会社がバックアップしているわけでもなく、
事前のPR活動は皆無だった。しかし、
情報を聞きつけ、数十人の観客が見に来てくれた。
・・・・事前に事務局から連絡があった。
上映後に観客からの質問タイムを受けるかどうか
の確認だった。する、しないは自分の意思だ。
この質問タイムで私自身がシー・シェパードを
はじめとする活動家の矢面に立つかもしれない。
私の映画は、彼らに対する反論だからだ。・・・
卵を投げつけられる自分の姿を想像し、
予備の服も持参した。

しかし、結果は予想と相反するものだった。
質問タイムには、観客からたくさんの
好意的な声があがった。
質問は設定時間を上回り、
私は劇場を出てからも囲まれた。
依頼したベテラン通訳の方は昨年、
女優・吉永さゆりさんの通訳を担当された方だった。
彼は『長年、日本の作品の通訳を担当してきたが、
ここまで質問が出されたものはなかった』
と驚いていた。

意外にも現地のカナダ人からの反応も良かった。
『活動家はまだ来ているのか』と太地町を心配する声。
・・・カナダ人の夫とともに会場を訪れたある日本人女性は
『主人にぜひ観せたかったのです』と話しかけてきた。
捕鯨問題になると家庭内でも意見の対立があったらしい。
この映画を通して、日本の捕鯨に関する理解への
歩み寄りがあったと感謝してくれた。
・・・・
そして、9月7日の最終上映会。
1回目の上映会の様子が日本で報じられたこともあって
会場は大入り。海外の映画祭では、つまらなければ
途中で席を立つことが一般的と聞いていたが、
ほぼ全ての観客が最後まで座って鑑賞していた。
エンディングには大きな拍手が湧き上がり・・・・

そして、観客からの質問が始まった。
最初に勢いよく手を挙げた西洋人の女性は
『これはプロパガンダ映画だ』と批判した。
私が冷静に言葉を選んで説明し始めた途端、
彼女は会場から出て行った。
会場からは失笑がもれた。
・・・・・

次に別の観客から
『活動家が来るかもしれないのに、
質問タイムを設定したことは勇気がありますね』
と声があがった。
捕鯨問題の映画制作自体にも『勇気ある作品』
と指摘する声が相次いだ。
『鯨の歴史の部分が興味深かった』
という感想もいただいた。

こんな一幕もあった。
映画祭の閉会式典が終わったときのこと。
あるスイス人の女性が近寄ってきた。
上映会では質問することができなかったと
彼女は言った。『アメリカでザ・コーヴを見て、
日本側の意見を聞いてみたかった』のだという。

和歌山県太地町のイルカ漁を批判的に描いた米映画
『ザ・コーヴ』は米アカデミー賞を受賞している。
『ザ・コーヴの裏側』と題する私の映画は、
『ザ・コーヴ』への反証作品でもある。
彼女は『米国は世界のポリスと思っているけど、
あなたの映画に米国の一般人のインタビューも
あった点も良かったわ』などと
率直な感想を伝えてくれた。

映画祭の最中には、
海外在住の邦人から、多くの激励もいただいた。
その中には、この映画が海外で披露されたことに
『思わず涙した』と記されたものもあった。
・・・・


注:
DVD「ビハインド・ザ・コーヴ」には
冊子がついています。
そこに、この正論2015年12月号の八木景子さんの
文章が掲載されているのですが、
私が引用した箇所は、冊子の
紙面の都合からか省略されておりました。
それが、私にはとても残念と思えたので、
こうして引用させていただきました。

ということで、
このDVD(発売元・八木フィルム)
を買って下さい(笑)。
そして、あなたも数十人の観客の、
そのひとりとなった気分になって、
この映像を鑑賞してみてください。


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長編ドキュメンタリー。八木景子監督。

2018-03-15 | テレビ
八木景子監督の
ドキュメンタリー映画「ビハインド・ザ・コーヴ」の
DVDを購入し、昨日テレビで鑑賞。

2015年公開とありますから、
もう3年前に出来上がっていたのだなあ。

この作品については、
産経新聞2月19日の第二社会面で
「捕鯨擁護の日本監督最高賞」という見出し。
そして、
産経新聞3月11日の酒井信彦氏の「新聞に喝!」では、

「八木監督受賞の記事は、産経と東京以外の
読売、朝日、毎日、日経の各紙には全く掲載されていない。
日本人が海外で評価されることに関しては、
日本のメディアは熱心に報道するのが常なのに、
これは一体どうしてなのだろうか。」

この言葉に触発されて、
購入し、鑑賞させていただきました。
このDVDには19頁の冊子がついており、
特典映像の未公開映像もありました。
鑑賞出来て、よかった。

この付録の冊子には、
「シー・シェパードよ、真実の力を知れ」
と題して八木景子さんが書いております。

そこから、この箇所を引用。

「一方で、150時間分の映像素材を
編集する時間はのべ1500時間にも及び、
編集中も不安に苛まされた。
完成したところで、上映までたぐり寄せられるか
どうかは何の保証もない。
身を削り、貯金も切り崩したのに、
何の結果ももたらさず、
不毛に終わるかもしれない。
しかし、私には、歪められた情報の
真実を伝えたい、という情熱があった。
何かに突き動かされていた。
寝食を削って編集作業に没頭した。」


うん。この映画が
2018年英ロンドンで2月17日、
ロンドン国際映画制作者祭の授賞式で
長編ドキュメンタリー部門の最優秀監督賞を受賞。

「作品を通じ、太地町のイルカ漁を批判して
10年に米アカデミー賞を受賞した映画『ザ・コーヴ』に反論した。」
(産経新聞2月19日の記事より)

ちなみに、冊子の
「シー・シェパードよ、真実の力を知れ」は
雑誌「正論」2015年12月号より一部割愛して転載した
とあります。
うん。3年前に私は読んでいなかった。
けれども、3年後にDVDを鑑賞できた。

もう、これを鑑賞しないで語られる
鯨談議に、耳は貸すまい。


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おやじギャグ。

2018-03-14 | テレビ
はい。私は今月12日で64歳。
「おやじギャグ」適齢期というか、その熟年齢。
では、ひとつ。


病院で名前を呼ばれる。

井野中さん
井ノ中さ~ん。

答える人が居ない。

井野中かわずさ~ん。
いらっしゃいますか。

井の中さ~ん。
井の中のかわずさ~ん。

やおら、立ちあがる人がいる。
ハイ、蛙です。

病院の待合室で、ビューと効果音で、
全員が「寒~う。」


今日の産経新聞の産経歌壇に

 どの局もおなじネタでワイドショー 
   騒がしいだけで消すしか無いのか

というのが選ばれておりました。


ところで、
オヤジギャグの中の、この病院の待合室では、
はたして、テレビは置かれていたのでしょうか?
ワイドショー番組は、写し出されていただろうか?
ワイドショー番組は、どのチャンネルも
井の中の、カワズさんの合唱に聞こえてしまう。
難聴が少しはいった私には、
いつでも消せる不思議な世界。

「おなじネタ」のワイドショー。
萬犬虚に吠えたようなワイドショー番組。
思わずうなるような
新鮮な切り口があるはずで、それを聞きたい。
そんなブログがあれば、読みたいのだけれど。

さて、
私が見たいのは、何だろうと思った時に、

昨日の産経新聞に
作家・佐藤優氏が談話を寄せておりました。
はじまりは

「今回の問題は前代未聞で、3つの異常なことが起きた。
1つは官僚は公文書を改竄しないという前提が崩れたこと。」

「政治家におびえ、その場しのぎの場当たり的な発想になっている。
背景にあるのは、民主党(現民進党)政権時代に始まった政治主導だ。
その負の遺産が今も拡大し続けている。麻生太郎財務相ほどの
ベテラン政治家が、こういう事態を想定できなかったくらい
財務官僚が弱体化している。そのことが一番の問題だ。

野党は今回の問題を政争の具に使うべきではない。
国政調査権で超党派の第三者委員会をつくり、
真相究明を先行させることが重要だ。
政権が変わっても官僚の体質は変わらない。

仮に北朝鮮におもねる政権になって、
外務省などが政権におびえ、
北朝鮮におもねったらどうなるのか。
今一度、政官の関係をチェックしなければいけない。」


うん。次に何をすべきなのか?
短絡的に安倍潰しに向う愚。
こういう建設的な談話が、ほかならぬ
テレビで聞けるのならば、録画するのになあ。






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