和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

福島県南相馬市長。

2011-05-31 | 地震
週刊文春6月2日号の「私の読書日記」は鹿島茂氏でした。
そこに
「20世紀においては、関東大震災とをウォール街大暴落が歴史の分岐点になっていることがわかる。日本とドイツにおけるファシズムの登場と第二次大戦はその帰結にすぎなかった。この意味で、駐日大使時代に関東大震災を、駐米大使時代にウォール街大暴落を目の当たりにした詩人大使ポール・クローデルはど適任な20世紀の証言者はまたとあるまい。関東大震災については『孤独な帝国 日本の1920年代 ポール・クローデル外交書簡』(奈良道子訳・草思社)が被災の状況を存分に語っている・・・」

このところ、本代を湯水のごとくつかっている私は、さっそく『孤独な帝国』を古本で注文。それが今日来たのでした。

「指導者の心中の思惑がいかなるものであれ、日本の国民は・・・襲った災害に対して全世界で起こった崇高な慈善活動に、感動しないではいられませんでした。このうえない華々しさをもって、美徳を誇示しつつ慈善活動を行なったのは、なんといってもアメリカです。新聞が伝えたことですが、アメリカで集められた義援金はすでに四千万ドルを超えています。さらにアメリカの軍艦は、真っ先に現地にやってきて救助隊を上陸させました。日本政府の活動より早かった事例もあります。・・・」(p194)

ここだけ取り上げれば、東日本大震災の際のアメリカのことかと思われます。

ポール・クローデルはフランス人。詩人、劇作家、エッセイストとして知られております。ところで、フランスといえば、関東大震災の際の柳田國男を思い浮かべたり、内藤初穂著「星の王子の影とかたちと」(筑摩書房)の震災に触れた箇所が思い浮かびます。

もどって、アメリカについて、
東日本大震災に際しては、ドナルド・キーンやダニエル・カールの名前が印象的です。
VOICE6月号にはロバート・キャンベルの「美しくも哀しかった今年の桜」という文が掲載されておりました。何でも3月20日~28日まで仕事でアメリカへ行っていたそうです。
そこからちょっと引用。


「驚くことに海外では、今回の東日本大震災について、本当に詳細な報道がなされています。私は毎日『ニューヨーク・タイムズ』を読みますが、微に入り細にわたり、日本のことが書かれてある。津波の被害に見舞われたのは日本のどの地域なのか、被害はどれほどのものか、原発事故の立ち入り禁止区域はどこからどこまでか・・・。なかには、日本ではあまり報じられていないことまで書かれてあります。その一つが、福島県南相馬市長のインタビューでした。市の一部が原発の避難指定区域に入ったことで数日間、完全に孤立したとき、自ら撮ったビデオをインターネットの『YouTube』に流したのです。私はそれを『ニューヨーク・タイムズ』の記事で知り、実際に動画を見ました。すると市長が『私たちを助けてください。こういうものが必要です。送ってください』と、なんとも悲痛な内容を、じつに淡々と話している。さらに地元の方たちがそれに字幕をつけているのです。これは驚きと衝撃をもって、一気に波及していきました。いままで日本は国際舞台の場でも、よく『顔がみえない』『声が聞こえない』といわれてきました。アメリカにもヨーロッパにも中国にも、反抗せず、楯突かず、とにかく調整に調整を重ね、荒波を立てないようにする。これが戦略的にいいかどうかは別として、海外からみると、『日本人』はどこか特徴がつかめない存在でした。不幸にもこういった災害が起きたとき、それまで閉じていた窓が開いて、そこにいる人の心がみえるものです。そして、今回みられたのは、悲惨な状況のなかで大混乱する阿鼻叫喚の世界ではなく、非常に落ち着いて、お互いを守り合い、助け合う日本人の姿でした。海外の人はそれをみて『そうか、日本人はこのように悲しみ、戸惑うのか』と素直に受け入れているのです。・・・・・
今回の南相馬市長のように、日本がほんとうに困って世界に呼びかけるという姿を、これまで世界はみたことがありませんでした。実際、阪神淡路大震災のとき、日本は国際援助をほとんど拒否したのです。それはそれとして批判されることではありませんが、しかしそれによって国同士の絆が深まることもありません。・・・・」
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幾太郎の震災と終戦。

2011-05-30 | 短文紹介
清水幾太郎著「私の文章作法」(中公文庫)の解説(狐)で、清水幾太郎と関東大震災についての指摘が光っておりました。教えられたのでした。けれども、清水幾太郎の「日本人の自然観」は、大物を釣り逃がした観があり、いただけませんでした。ということで、そのままになっていたのですが、ここのところ、読売新聞の月曜日「今に問う言葉」欄に竹内洋氏が清水幾太郎と地震についてを数回に渡って取り上げております。私が見たのは5月16日・23日・30日の3回。16日は、「見落された変数」(中央公論1970年3月号)からの言葉「大地震によって脅かされるという運命を担っている民族なのであります」をとりあげて解説しておりました。23日は1960年の「日本人の自然観」より引用して解説。そして今日の5月30日には清水幾太郎著「日本の運命とともに」に入っている「巣立ち」(立教女学院生徒会)からの引用です。
これについては、ちょっと詳しく引用してゆきます。
まずは「今に問う言葉」として「みなさんは新しい不思議な元気と勇気とを感じてゐるのではないでせうか」を見出しにとりあげて、そのあとに竹内洋氏がその内容を解説しております。よいと思うので引用させてください。

「清水の家も商売も関東大震災で壊滅した。父は急に老人のようになってしまった。清水は、旧制中学校生(16歳)だったが、長男で、父母、弟妹を養う役目を背負った。焼け跡にバラックをつくり、そこで商売をはじめ学校に通いだした。新しい力が湧いてきた。自分が別人のようになったことを感じた。それから22年後、今度は敗戦で東京は焼け野原となった。清水は関東大震災のときの自分と同じ年頃の敗戦後の生徒を前にしてこういった。自分は、敗戦で、関東大震災のときの父や母のように力を落としていますが、みなさんのほうは若いときの私のように不思議な力を感じているのではないか、と。・・・・皆さんの若さからくる不思議な新しい力でこの不幸な日本が再建されることのために働いてほしいと結んだ。清水にこう励まされた世代こそ戦後の復興を担った人々だった。」

うん。さっそく清水幾太郎著「日本の運命とともに」(河出書房)をネット古本屋で注文してみました。生徒を前に語られたであろう全文を読んでみたいじゃありませんか。
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ネット作法・ブログの醍醐味。

2011-05-29 | 手紙
鎌田浩毅の「一生モノ・・」2冊を、今日はパラパラとひらいておりました。
面白いなあ。と、私が感じたことを書きます。
インターネットがはじまって、もう、生活の一部へと浸透している、いくわけですが、たとえば、学校で、ネット上の作法というのを教えるようになる。そんなことを思い描いてしまう端緒が、もう鎌田浩毅氏の本には語られているのでした。

たとえば、「メール作法」。行儀作法は小笠原流。ではメール作法の鎌田流は、こうでした。

「私は、メールをもらったときには、【受け取った】との情報だけでも返すようにしている。こうすれば、送った人はメールが届いたことが確認できるので、まず安心する。そして次の行動がとりやすい。反対に、私からの返信が来なければ、いま長期出張にでも行っているのだろうと推測がつく。私は大事なメールには、いますぐ内容自体への回答ができない場合でも、受け取ったこと、あとであらためて返答すること、を伝える返信メールは、こまめに打つようにしている。このシステムは、野外で無線を使ったことのある人ならすぐに理解してくれるだろう。了解したことだけ伝えるために、『ラジャー』や『テンフォー』と必ず返答するのではないか。
メール世代であるはずのいまの学生たちには、意外なことにこれができない人が多い。効率的で正確な情報伝達と良好な人間関係維持の第一歩として、『受け取ったメールには返事をすぐ出せ』と、私は学生に指導している。
これができるようになった学生は、人間関係も上手にこなせるようになる。反対に、これすらできない学生は、いつまでたっても人間関係が下手なのである。
これは学生にかぎらず、社会人でもまったく同様である。メールで何回かやりとりしてみると、この人は仕事がうまくいっているか・・、ある程度は判断がつく。それくらい、電子メールは人柄までをも映し出してしまうコワイ鏡なのである。
電子メールで効率的にやりとりができるようになると、仕事が速く、意思疎通が上手になる。それぞれ自分に合ったやりかたを工夫してみるとよいだろう。」(p47~48・「ラクして成果が上がる理系的仕事術」PHP新書)


さてっと、今日めくっていた「一生モノの人脈術」(東洋経済新報社)には
「ブログの醍醐味」(p153)という箇所がありました。

「世の中の疑問に自分は何と答えるのかを真剣に模索して、その考えを表明しましょう。一定の読者を想定して、きちんとした論を立ててみることで、自分の思考を磨いてゆくのです。政治・経済や国際関係など、もっと広いテーマについて書くときも同様です。自分が他人や社会に対して何ができるのか。その具体的なメニューを明らかにすることからしか、外部からのオファーは期待できません。私の見るところ、世の中のブログの95パーセントは、個人的な感想や趣味の押しつけで占められているのではないかと思っています。その中では、ごく少数ですが、光る洞察を展開しているブログが確かに存在します。無名の人が、その辺の評論家顔負けのきわめて真っ当な意見を主張することもあります。
こうしたものを発見したり、また自分も負けずに優れた見解を発信することも、ブログの醍醐味の一つといってよいでしょう。」


このあとに

「たとえば、フランス思想研究家の内田樹さん、編集工学者の松岡正剛さんのブログは、たいへん読みごたえがあります。そのほかにも博物学者の荒俣宏さん、コピーライターの糸井重里さん、作家の田口ランディさん、写真家の藤原新也さん、国際問題評論家の田中宇さん、作家のいとうせいこうさん、経営者の平川克美さん、総務官僚の岡本全勝さんなどのブログもおすすめです。もし、更新から目が離せないようなブログがあったならば、自分のブログと何が違っているのかを問うてみましょう。・・・何をどう伝えればよいのかを真剣に探ってみるのです。その訓練は、後々自分がアウトプットする際にもきっと役に立つに違いありません。」(p154)


私は、内田樹・松岡正剛のお二人のブログしか、見ておりませんでした。

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「不完全法」

2011-05-28 | 他生の縁
「新潮45」5月号の「達人対談」ビートたけしvs鎌田浩毅。
これで、鎌田浩毅に興味をもちました。それまでは知りませんでした。
つぎに鎌田氏の名前を雑誌に見たのは文藝春秋6月号。
そこには「今そこにある富士山噴火・東海西日本大地震」と題した文でした。

さてっと、それはそれとして、
今年は、ブログを欠かさずに書くぞと、はじめたのですが、
5月まででもう数回書き込みを怠った日がでております(笑)。

まあ、それはそれ、まだ今年は長い。
なんて思っていたら、鎌田浩毅著「ラクして成果が上がる理系的仕事術」にこんな言葉がありました。

「大切なキーワードは、【不完全】と【断念】である。
不完全を許容するとは、目的達成のためにはやりかけの仕事であっても捨てる、ということである。完璧主義から逃れること、といってもよい。じつは、完璧主義とは自己満足の世界なのだ。もっとよくしよう、と思って必要以上のデータを集めたり思索したりすることにより、自分は満足し安心する。しかし同時に、来るべきアウトプットからは、だんだん遠ざかってゆくのである。いったん完璧主義に陥ると、それに気づかなくなってしまう。・・・」

うんうん。火山学者・鎌田浩毅氏の本のリストをみると、知的生産に関する本が何冊もでているのでした。とりあえず、自分に引きつけてブログを欠かさずに書くという完璧主義におさらばをする五月かな(笑)。

とりあえず、
鎌田浩毅著「ラクして成果が上がる理系的仕事術」(PHP新書)
鎌田浩毅著「ブリッジマンの技術」(講談社現代新書)と2冊を読んでみました。
元気がでるなあ。
ちなみに、「ラクして・・」のはじまりに、こんな箇所が

「知的生産とはレポート、企画書、論文、書籍など、文章の集積ができあがることをいう。それに対して知的消費とは、本を濫読する、将棋を指す、教養ある会話をするなど、知的な活動ではあるが直接生産に結びつかない活動をいう。パソコンのネットサーフィンなどは、現代の知的消費の最たるものであろう。・・・乱暴にいえば、理系が得意なのが知的生産、文系が得意なのが知的消費と考えてもいいだろう。・・・知的生産と知的消費をきちんと分けることが、世の中に受け入れられるようになったきっかけをつくたのは、民俗学者の梅棹忠夫である。」(p18~19)

火山の話を読むはずが、鎌田浩毅の知的生産本を消費しております。

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ままへ。

2011-05-27 | 手紙

 子はいつもうんともすんとも
     言わぬのに大地震の時メールが届いた


東京歌壇(5月15日)佐佐木幸綱選の最初に選ばれた一首。
江戸川区 皆芳浩子さんの歌。




戦場カメラマン・一ノ瀬泰造氏の写真で、
わたしに忘れられない一枚があります。
戦場での一場面らしいのですが、野外で
中年夫婦が腰掛けて手紙を読んでいる。
夫のそばに、拳銃が立てかけてあり。
傍らの女性は、さまざまな経験をして、
どのような感情をあらわせばよいのやら、
もう思いつかないような、そんな表情をしております。
けれども、夫が、手紙を読んで笑っている。
まるで伝染(うつ)ったように、妻がよりそって笑っている。


その手紙には、いったい、
どのようなことが書かれていたのだろう。
閑話休題。


「新潮45」5月号の曽野綾子連載「作家の日常、私の仕事」。
それが最終回で、その最終回の文の最後は、こうでした。

「3月31日付の読売新聞は、この災害の中でもっとも胸迫る詩を書いた四歳の詩人の作品を載せた。宮古市の津波で、両親と妹を失った昆愛海(こんまなみ)ちゃんは、避難先の親戚の家の炬燵で、長い時間かかって一人でまだ帰らないママへの手紙を書いた。そして疲れてしまったのか、鉛筆を握ったままうたた寝をした。

   『 ままへ。
     いきてるといいね
     おげんきですか  』             」


それについて、「よみうり寸評」(4月26日読売夕刊)で、
「・・避難先の親戚の家のこたつで一時間近くかけて書いたママへの手紙だ。ここまで書いて、愛海ちゃんは疲れたのか寝入ってしまった。読んで泣かされた。・・・」

その3月31日読売の古新聞をひらいてみました。
一面にその写真があります。その下にこうありました。

「・・22日午後、『ママに手紙を書く』と言い出した。親戚の家のこたつの上にノートを広げ、色鉛筆を持つ。1文字1文字、1時間近くかけて書いた。・・そこまで書いて疲れたのか、すやすやと寝入った。・・・」

その日の社会面には、愛海ちゃんの関連記事。そこから

「・・父親は、養殖ワカメで生計を立てる漁師をしていた。地震の日。保育園にいた時に強い揺れがあり、迎えに来た母親と自宅に戻った。入り江を望む高台の家は、震災時の避難場所となっている小学校とも隣接している。もう怖い思いはせずに済むはずだった。だが、帰宅した瞬間、巨大な津波が襲った。地元の災害対策本部によると、入り組んで狭くなった小さな湾に押し上げられ、波は30メートル以上もの高さに達したのだという。両親と2歳の妹は引き潮にさらわれ、行方不明になった。愛海ちゃんだけは助かった。すぐ駆けつけた親族によると、背負っていた通園用のリュックが漁に使う網に引っかかったようだ。・・・」


 
ちなみに、「東日本大震災 読売新聞報道写真集」のp136~137に、その写真が掲載。
「カラー版読売新聞特別縮刷版 東日本大震災 一か月の記録」に、その箇所の記事が読めます。

お父さんお母さん妹へ、手紙よ届け。

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台湾の義援金。

2011-05-26 | 短文紹介
新聞の片隅で、見すごされやすいこと。
そのひとつに、台湾からの義援金の額があります。

たとえば、高山正之「変見自在」(週刊新潮6月2日号)に、こんな箇所。

「3兆円ものODAを貰いながら北京政府はたった3億円と毛布2千枚をよこしただけだが、NHKは台湾からの義捐金・・・・合わせて『計153億円が北京から贈られました』風に報道していた。」

そして、高山氏はこう続けます。

「支那に都合よく改竄したのは明らかにCCTVからの干渉のせいだ。」

そのCCTVについても、高山氏は書いておりました。

「テレビ局は国営中央電視台(CCTV)。この共産主義国家の宣伝部門は渋谷のNHK社屋の中に東京支局を置く。寄宿するスペースから支那人スタッフの面倒までNHKがみな負担しているという話だ。・・・結構悪意ある国の出先機関を同居させれば、NHKのいう公正な報道も侵されそうな気がする。現に今度の3.11大震災に寄せられた義捐金報道もおかしかった。」

さてっと、あなたは、この具体的な義捐金額をご存知でしたか?
なんて、聞き方は野暮でしょうか。

具体的なのは産経新聞5月17日のオピニオン欄でした。
「義援金『世界最高額』の背景 台湾」とあります。
せめて、その最初の書き出しの箇所だけでも引用。

「東日本大震災で、台湾からの義援金総額が5月上旬に約160億円(約57億台湾元)に達した。人口2300万人、平均所得が年約2万ドルの台湾から米国と並ぶ世界最高規模の義援金が寄せられたことは、社会に親日感情が根強くあることをうかがわせた。・・・・・・義援金約1万4千円(5千台湾元)を寄せたという台北市在住の元小学校教師は『情けは人のためならず』と説明。菅直人首相が4月11日、米英などの7紙に感謝広告を出した際、台湾が対象から外れた件にも『親類に礼状は不要。感謝の意は別の形で伝わっているから問題はないよ』と寛容で、台湾外交部(外務省に相当)も今回の義援金は『民間、小口が中心だった』としている。・・・・・」
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地震・津波・噴火。

2011-05-25 | 地震
東京新聞の読書欄。
そこの「テーマを読み解く」に
保立道久氏が3週連載で「地震・津波・噴火」に関する本を紹介しておりました。
5月の8日・15日・22日。
私が持っているのは、山下文男著「津波てんでんこ」(新日本出版社)と
益田勝実著「火山列島の思想」(筑摩書房・ちくま学芸文庫)の2冊のみ。

あと7冊も紹介されておりまして、
私には知らない本ばかり、でも門外漢でも楽しめそうなのです。
どうしようかなあ、安い本ならつい買いたくなります。
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基本的な態度。

2011-05-25 | 短文紹介
この3・11東日本大災害では、情報の交錯という側面があぶりだされております。
そこでは、どの情報を選択すべきなのかという判断をせまられる。
そんな場面もあったし、あるのでした。思い浮かぶのは
板坂元著「続 考える技術・書く技術」(講談社現代新書)。

「ル・クレジオの『大洪水』には、多情報社会で失語症になった人間が描かれている。自分のまわりにあまりにも多くの命令指示の言葉がありすぎる、危険を警告する言葉もあふれている。新聞売場も・・など強烈な言葉に満ちている。あまりに強烈な言葉にさらされ、刺激を受けつづけ、その人間は啞(おし)になってしまう。動物の自己防衛本能のように他の人間の言葉を無意味な雑音として聞くようになって、ボードレールの詩句や宣戦布告のような大事な言葉にも反応を示さない。失語症というよりも、言語不感症とでもいった方がよいかもしれない。・・・・」(p25~26)

 ちなみに、ル・クレジオの「大洪水」は、新刊が河出文庫で2009年に出ておりました。未読。

さてっと、この板坂元氏の著書に、「尾崎紅葉の心意気」という箇所があったのでした。それは内田魯庵著「思ひ出す人々」から引用されておりました。ガンで重態の尾崎紅葉が高価な辞書を丸善に買いに来る話なのでした。

「『センチュリー』を買ってどうする?」と瀕死の病人が高価な辞書を買ってどうする気かと不思議でならんので、「それどころじゃあるまい」と言うと、「そう言えばそうだが、評判はかねて聞いているから、どんなものだか冥土の土産に見ておきたいと思ってね。まだ一と月や二た月は大丈夫生きているから、ユックリ見て行かれる」。・・・・

こうしたやりとりを、魯庵は書き残しております。それから三ヶ月目に紅葉は永眠。魯庵と話したときには、すでに流動物しかノドに通らないほどガンは進行していたらしい。と板坂氏は、つけくわえて、その最後に

「仕入れのためには多かれ少なかれ執念といったものが必要だと思う。なにごとも受身になりがちで、無気力化が問題になっている今の多情報社会では、とくにこのような挑戦型の生き方が、人間らしく生きるためにも大切になってきている。また、書いた文章を読んでくれる人に対するエチケットとしても、情報収集に執念を燃やすことは、基本的な態度なのである。」(~p165)

同時代でとりあげるのなら、黒岩比佐子を思い浮かべる箇所です。


とりあえず、読まなくとも、ル・クレジオの「大洪水」と内田魯庵の「思ひ出す人々」(岩波文庫「新編思い出す人々」)を身近に置いとくことにします。
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初読・再読。

2011-05-23 | 地震
朝日新聞5月15日の読書欄に保坂正康氏が「災害がほんとうに襲った時」(中井久夫著・みすず書房)の書評を書かれておりました。保坂氏の新聞書評はいいですね。

この「災害がほんとうに襲った時」には副題が「阪神淡路大震災50日の記録」とあります。
1995年3月に出た「1995年1月・神戸」(みすず書房)に掲載された中井久夫氏の「災害がほんとうに襲った時」に「東日本巨大災害のテレビをみつつ」という26ページの文を加えての一冊。「1995年1月・神戸」という本を持っていたので、買わなくてもいいや。と思っていたのですが、結局買うことにしました。

 さてっと、
地震については、尾池和夫氏と鎌田浩毅氏の著作。
そして、あとは、東日本大震災関連の
   月刊雑誌・週刊誌・写真集
単行本では

   大前研一著「日本復興計画」(文芸春秋)
   佐藤優著「3・11クライシス!」(マガジンハウス)
   長谷川櫂著「震災歌集」(中央公論新社)
   長谷川慶太郎・日下公人著「東日本大震災 大局を読む!」(李白社)
   宮崎正弘著「震災大不況で日本に何が起こるのか」(徳間書店)

と、未読だったり、再読したりする本がふえます。
それはそうと、週刊文春5月26日号での
坪内祐三の連載「文庫本を狙え!」では、
文芸春秋編「想い出の作家たち」(文春文庫)を紹介しておりました。
その最初のほうに、こんな箇所。

「去年私が読んだ多くの新刊書の中で、とても印象深かった一冊に岡崎満義の『人と出会う』(岩波書店)がある。・・」とありました。

うん。さっそくネット古本屋で検索。ありました。
それが、とどきました。1000円で、ほかに送料は290円。
きれいな新刊なみ。
岡崎満義著「人と出会う 1960~80年代、一編集者の印象記」(岩波書店・1800+税)。その最初に登場するの人は、丸山真男でした。そのなかに

「・・・・会社の有志のサークルの勉強会に、丸山さんの講師を頼み、一夕、雑談風の話をしてもらっていた。『関東大震災は私にとって、昭和20年8月15日以上の原体験です。人間の善なる面と悪の側面、人間の深い二面性をはっきり見たんです』という話を聞いて、そのことを『巻頭随筆』に書いていただきたい、とお願いした。」

けっきょく、断られるという文章なのでした。
震災が刻み込む力と、それを言葉にすることの難しさとを考えさせられる。そんな気がしたのでした。ちなみに、岡崎満義氏のこの本、謦咳に接するという魅力的な味わいがあるのでした。うん。買ってよかったなあ。ちなみに新刊「想い出の作家たち」(文春文庫)も注文。

それにしても、丸山真男氏は大正3年生まれ。
大正12年の原体験とはどのようなものだったのだろうなあ。

1000年に一度の震災なのだそうです。
うん、1000年に一度の大震災をテレビで、見ている。
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房総半島沖。

2011-05-22 | 地域
私は、千葉県の下のほう、房総に住んでおります。
さてっと、文芸春秋6月号に鎌田浩毅氏が書いておりました。
題は「今そこにある富士山噴火・東海・西日本大地震」。

そこから、引用させてください。

「・・・・歴史的に見ても東北地方の太平洋側はしばしば大津波に見舞われてきたが、今回の津波はその中でも最大級である。類似の例として、1100年以上も前の869年に発生した貞観(じょうがん)地震がある。・・・・
これまでの想定をはるかに上回る規模となった理由は、複数の地震が短期間に連動して巨大な震源域を形成したからである。実は、今回のような巨大な震源域をつくる例は珍しく、2004年12月に発生し22万人の犠牲者を出したインド洋のスマトラ沖地震はこのタイプだったが、先進国でこの規模の巨大地震を経験した初めてのケースである。・・・」


さて、このあとに房総半島のことが出てきました。
ふつうは、東海・西日本大地震への言及しか耳にはいらないわけで、こういう指摘はありがたかったのです。では、その箇所。


「地球科学には『過去は未来を知る鍵』という言葉があるが、今回の地震と酷似する2004年スマトラ沖地震と比較して今後を予測してみよう。スマトラ沖地震の三カ月後の2005年3月、震源域の南方でM8・6の巨大地震が起きた。すなわち、M9・1の震源域の内部で余震がさらに南へ別途拡大したのである。こうした震源域の拡大は六年後まで断続的に続き、2010年10月にはM7・7の地震を起こしている。
この事例と同様に、今回の地震が太平洋プレートの上面で別の地域の地震を誘発するという予測がある。具体的には、今回の震源域のすぐ南側に当たる房総半島沖での地震が心配されている。実際、この海域では1677年にM8・0の延宝(えんぽう)房総沖地震が大津波をともなって発生し、400人を超える犠牲者が出た。津波堆積物の調査からは、千葉県の太平洋に最大8メートルの高さの津波が押し寄せたことも分かっている。
なお、震源域の拡大は南方だけとは限らず、北方の三陸沖北部へ広がる可能性もないわけではない。いずれにせよ、今後M8クラスの地震が沖合で新たに発生すれば、地震動と津波の両方の大災害が再発する恐れがある。」(p152)
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あのエールが聞きたい。

2011-05-21 | 短文紹介
谷沢永一氏は3月8日死去。81歳。
渡部昇一氏の追悼文を産経新聞・VOICEとさまざま読むことができました。
そういえば、潮出版社から出ている谷沢永一氏の著作には、巻末月報という工夫がありました。
「完本 読書人の壺中」の巻末月報には司馬遼太郎の名前をさがせますし、
「読書人の浅酌」には、中村幸彦。
「読書人の蹣跚(まんさん)」には小西甚一。

たとえば、中村幸彦氏の書かれた巻末月報には

「・・筆者は彼と同僚として十数年間、同じ学校に勤めたのであるが、その間に、何と云うべきか、彼に一つの変った癖のあることに気付いた。平生話している時は格別何ともないが、酒が少し入って興に乗った時、教授会で、何か問題があって、やや長く意見を述べる時などに、彼の発言が、そのまま文章になっていることに気付いた。・・・」


う~ん。じつは、毎日新聞2011年4月10日(日曜日)の「悼む」に
森本靖一郎氏が谷沢氏の追悼文を書かれていて、これが忘れがたい。
その後半最後の箇所に、こんなエピソード。

「食通としても鳴らした。
飛び切りのてっさを一度に10枚ほど箸ですくうように食べる健啖家だった。
酒にも並々ならぬこだわりを持っておられたが、
それは学問や評論で見せる厳しい姿勢とは違って、
人間本来の欲望を朗らかに肯定するエピキュリアンとしての一面であった。
意外だったのは、服装だ。
着こなしがまことに不器用だった。
ネクタイ一つまともに結べない。
和服など着ると最悪だ。
全体がダラリとしてしまって奥様が
いつも帯から締め直していた。
思えば幾多の痛烈な論評も、
人間の欲に駆られた本性を知り抜き
そのいかんともしがたいことを認めることが根底にあった。
あの峻烈を極めたかのような言葉の連なりは、
人生に対する大いなるエールであった。
行先き不透明で脆弱な現代社会にこそ、
あのエールが聞きたい。」


ああ、そうだったんだ。
書庫にはいって着物姿で本を開いて笑っている。晩年の写真。
あれはきっと、奥さんが着せてから撮った一枚だったんだ。
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読んで得を。

2011-05-20 | 短文紹介
長谷川慶太郎・日下公人著「東日本大震災 大局を読む!」(李白社)を読んだら、そういえば、谷沢永一氏の短文を思い浮かべました。
ということで、その引用。
谷沢永一著「読書人の点燈」(潮出版社)に入っております。
題は「新聞書評に頼らないで、10冊」。
最初の掲載は、平成8年7月1日『文芸春秋』74巻9号に掲載とあります。
まず、10冊が並び、そのあとにこうはじまっておりました。

「選択の基準は簡単です。私がかねてより心から尊敬し、その人の述作は全部かならず目を通そうと決めている方々の著書のなかから、この二年以内に刊行されたものを選んでみました。・・・摘出(ピックアップ)の標準はただひとつ、読者が読んで得をされるであろうこと、すくなくとも私がそう信じた、というだけで他意はありません。・・・今年の二月までに刊行された七冊を御覧になれば、直ちにお気付きのように、これらはほとんど、新聞および週刊誌において十分には書評されておりません。最新刊の三冊のうちでも、『風塵抄二』を例外として、残りの二冊はおそらく書評にとりあげられないでしょう。期せずして私の贔屓(ひいき)とする著作家のほとんどは、現在の書評家陣営によって忌避されているのです。・・・」

そして、このあと、谷沢氏は指摘しておりました。

「・・・もし正味に血となり肉となる書物を探しだしたいお気持ちなら、現行の新聞や週刊誌、特に新聞の書評を頼りにされてはいけません。」

これは平成8年の文章。いまの新聞書評はどうなっているのでしょう?
新聞の書評にとりあげられない「書物の資格」を以下に指摘しているのですが、そのとりあげられない理由の第二番目が注目されます。ので、そこを引用。

「・・斬れば血の出るような現実社会における喫緊(きっきん)の問題とは完全に無縁であることです。それゆえ私がここに挙げた述作のほとんどについて眉を顰めながら遠ざけられる結果となったのです。これらの書物は多かれ少なかれ現実問題をめぐっての突っこんだ観察です。つまり事態の意味するところの枢要を鋭く解剖しています。当然のこと大胆な未来予測を含み、ときには常識に反する積極的な提案に及ぶわけです。考えてみれば、なんとも恐怖(おっかな)い本ではありませんか。こういう書物を月旦するためには、まず、政治経済と国際関係をめぐっての問題意識が欠かせません。次いでは、著者の論調に対して評者は自分独自の見識をもって対決し、示されている立論の当否について責任ある判断をくださねばなりません。そんな辛労(しんど)い危険なことに誰が進んで手をだすものですか。いずれにせよ労多くして功すくない難儀な方向は御免でしょう。したがって、書評欄の多くは、天下国家の問題に接触しない趣味的な本ばかり並ぶ結果となります。思えば人情の然らしむるところではありませんか。・・・・結局のところ、読むに足る本は自分で探すか、信頼すべき友人の感想を徴するしか、ほかに便利な方法は見当たらないと思います。
新聞とテレビは常識の世界です。そして常識は時として嘘をつきます。・・・・」

ちなみに、谷沢永一氏の「新聞書評に頼らないで、10冊」の10冊には日下公人と長谷川慶太郎の名前がありました。
さて平成23年のいま、新聞の書評欄に、長谷川慶太郎・日下公人のこの本が、とりあげられることがあるのかどうか。とりあげられるとしたら、どのような書評となるのか?

それはそうと、日下・長谷川のこの本から、一箇所引用。


長谷川】 菅首相は3月29日に、TPP(環太平洋経済連携協定)交渉参加について、予定していた6月の結論取りまとめを先送りする考えを表明した。震災と原発事故への対応で忙しいという理由からだが、それは嘘だ。TPP担当の役人は経済産業省にいるので、その役人を使いこなせばいいだけである。けれども、菅はその役人の使い方を知らない。つまり、役人にどう指示し、どう動かしたらどんな結果が出るかということがわからない。菅首相は政治主導で官僚を操縦することができない政治家なのである。まあ、あの人はもともと市民運動の出身だから最初から政治主導をやる気がないのだろう。もともと市民運動というのは政治主導を潰すための運動といえる。(p80)
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「震災歌集」チョイス。

2011-05-19 | 詩歌
長谷川櫂著「震災歌集」(中央公論新社)から
私が選ぶとしたら、どんな歌をチョイスするか。
という試み。



 被爆しつつ放水をせし自衛官その名はしらず記憶にとどめよ


 いつの世も第一線は必死にて上層部のやから足を引つぱる


 高飛車に津波対策費仕分けせし蓮舫が「節電してください!」だなんて


 ラーメン屋がラーメンを作るといふことの平安を思ふ大津波ののち


 「こんなとき卒業してゆく君たちはきつと強く生きる」と校長の言葉


 わが家の泣き虫妻よ泣くなかれ被災地の学校の卒業式に


 壊れたる家々はもとにもどらねど三日でもどるバラエティ番組

 
 避難所に久々にして足湯して「こんなときに笑つていいのかしら」


 被災せし老婆の口をもれいづる「ご迷惑おかけして申しわけありません」


 身一つで放り出された被災者のあなたがそんなこといはなくていい


 つつましきみちのくの人哀しけれ苦しきときもみづからを責む


 二・二六事件企てし陸軍将校の幾人(いくたり)かは東北の青年なりき


 ピーポーと救急車ゆくとある街のとある日常さへ今はなつかし
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優先順位をつけられる人。

2011-05-18 | 地域
「危機管理のときにはまず、事実を正確に認識している専門家の助言を第一に尊重しなければならない。」(p80)

長谷川慶太郎・日下公人著「緊急出版 東日本大震災 大局を読む!」(李白社)をひらいたら出てきた言葉でした。

そのまえがきは日下公人氏でした。そこから引用。


「・・・・経済については経済学者に聞けばよい、社会については社会学者に、金融については金融学者に聞けばよいという常識は、このところ完全に崩れている。専門家は視野が狭すぎるし、理論に偏して実際を知らないから、解説は的外れだし、未来予測はたいてい外れてばかりだからである。
 失敗を恐れて自分の頭で考えないから、発想はマンネリで、それに日頃から交友が少ないから、データに頼って考えようとするが、他人がつくったデータには多くの場合、操作が入っている。つまり、だまされる。
 その結果、自信を失って、結論はマスコミの結論から借用してくるから、専門家ぶるだけの人の話は、『十人一色』である。3月11日以降の東日本大震災の報道で、多くの人がそれを知った。・・・・
 菅首相は総合対策本部をつくるのが好きだが、あまりうまく行かないのは、そもそも総合ができるほどの幅広い知識・体験・英知を持った人が日本には少ないからである。・・」

その最後には、こうありました。

「日本ではジェネラリストというと、広く薄く知っているだけだから役に立たない人の意味になるが、アメリカでは優先順位をつけられる重要な人の意味になるらしい。
 私たち二人は、年齢のせいで戦前の日本も戦後の日本も、それから現在の日本も知っている。そういう意味のジェネラリストがあるかどうかは知らないが、ともあれ、たいていのことには驚かないから、日本がこれからどうすればよいかについても一般とは違うことを考えている。そのいくつかをこうして対談できた・・・・」



情報の瓦礫をかきわけられ、一本の道が現れたような、そんな読後感。
すくなくも、テレビの各種情報への免疫力がついたと、そう思えるのでした。

え~と。今日は「新潮45」6月号を買いました。
その表紙は、中央に漁船の写真。舳先から写しております。
普段は見えない赤い船底もあらわれ、船底の舳先の突起もみえます。
空には、星。夜明けが近いのでしょうか、うしろの山の輪郭が明らんできています。
船底の両脇には、瓦礫。まるで、それをかき分けて進むようでもあります。
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俳人短歌を詠む。

2011-05-17 | 短文紹介
1月に部屋に飾ったシクラメンが4月まで白い花を咲かせておりました。
3ヶ月も咲きながら、目を楽しませてもらっていたのですが、さすが5月になると、花の茎がUの字になったり、S字にくねったり。今もまだ花が6~7つほど咲いてはいるのですが、葉もまばらになりはじめ、そろそろ観賞期限が切れていきます。
そういえば、寺田寅彦の最後の和歌は昭和7年12月のものがありました。

   退院も間近くなりし枕辺に咲き残りたるシクラメンの花



さてっと、話題をかえます。
読売の古新聞をもらってきました。
新聞紙というのは、読むだけじゃないのですね。
そういうことを、あらためて思い出すのは、
こうして、古新聞をもらってくるときです。
こちらは、ちゃんと順番どおりに読みたいのですが、
ところどころ欠けている日の新聞があります。
新聞紙といえば、花をくるんでみたり、
野菜を包んでみたり、空豆のサヤを剥くときに
下に敷きごみや汚れがでないようにしたり。
台所では、いろいろと用途があるのでした。
その、用途の残りの古新聞をもらってくる。
でも、読売の朝刊夕刊が読めるし、
貰ってくる方にとっては、それでもありがたい。
その古新聞をひらいていたら、
4月19日読売夕刊の「よみうり寸評」が目に止まりました。
そのはじまりは

「〈震災歌集〉――あの3月11日の夜から長谷川櫂さんに荒々しいリズムで短歌が次々に湧きあがってきた。これは東日本大震災から12日間の氏の短歌による記憶と記録。中央公論新社から刊行される。俳人の氏が、なぜ俳句ではなく短歌だったのかは、氏にもまだわからない。『やむにやまれぬ思い』というしかないという。・・・」

読売新聞日曜読書欄5月1日には、
三浦佑之氏の書評で、長谷川櫂著「震災歌集」を取り上げておりました。
そのはじまりは、

「まず興味をもったのは、今回の震災を、俳人である長谷川櫂がなぜ短歌に詠んだのかということ。・・その刹那、言葉は俳句を選ばなかった。そこに短歌という定型の本質があるのだと思う。・・・」

そして、書評の終わりはというと

「映像を眺めているしかなかった人の無力感をどのように掬い取るか、今はまだ声など出せない被災者の心と言葉を、どのように拾いあげ遺してゆくか。さまざまな手段があっていいが、定型であるという点で、短歌は有力なツールの一つになるということを、本書は教えている。」


うん。新聞の本の広告では、ちらりと見てはいたのですが、そういう本だったのですね。さっそく注文します。そうそう。読売の古新聞は、ほかにもだいぶ役にたつ記事にめぐりあえました。ありがたい(笑)。
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