和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

プラス・生活経験10年。

2022-02-28 | 本棚並べ
長谷川町子さんは、マンガばっかりじゃなかった。

『サザエさんうちあけ話』で、絵に添えられ語られている、
その文章を読めば、そんなことは一目瞭然のはずなのにね。

ということで、おそまきながら『長谷川町子 思い出記念館』
(長谷川町子全集別巻)を昨日になって取りよせたのでした。

その帯には『作者が語る、笑いの美学と舞台裏』とあります。その
脇に小さく『エッセイ、対談、インタビューから秘蔵アルバムまで』
とあります(ちなみに、文庫にもなっており古本ならどちらも安い)。

とりあえず、パラパラとひらく。秘蔵アルバムには当然
長谷川家の家族集合写真がある。お父さんとお母さんと
子供たちと写っている。それだけでもう満腹なのですが
ここでは、もうすこし踏み込んで、

なにしろ、はじめて開いた一冊なので、
はじめて思い浮かべることがあります。
私の場合、そうした泡のような思いは、
すぐに忘れて気にもとめずに消えます。
はい。その泡が大切なこともあります。

ということで、今回最初に、
思い浮かぶ事をたどります。

『サザエさん うちあけ話』のはじまり①は、
「生い立ち」からでした。ふつう文章というのは、
平仮名と、漢字の交じり文なのに、漢字の箇所を
絵におきかえて、文を読む辻褄の帳尻が子供にも、
楽しめるように配慮されておりました。

つぎに、②③④と絵日記よろしくページの半分が絵で
後の半分が文です( この文の端正なこころよさ )。
この②③④にいろいろ登場する方がいます。
ここでは、私が気になった3人。
『のらくろ』漫画の、田河水泡先生。菊池寛。草柳大蔵。
はい。この3人ならば、三題噺ができそうな気がします。


まずは、田河水泡先生。内弟子に入った町子さんが、
ホームシック。一年で、お暇をする場面があります。

「お別れのときに先生は

 『漫画は大人にならなければ描けません。
   町子さんはただ、大人になるのをじっと待っていればよい』

  と言われました。」( p12「長谷川町子思い出記念館」 )

ふ~ん。『大人』ですか。
年齢ばかり大人びて、子供から見れば爺になっても、
ちっとも大人にならない自分を恥ずかしく顧みます。

それはそうと、次は『大人』のバトンを、菊池寛さんへと渡します。
菊池寛『小説家たらんとする青年に與ふ』という短文がありました。
はい。短いので読んでみました。そのはじまりは

「僕は先づ、『25歳未満の者、小説を書くべからず』という
規則を拵(こしら)へたい。まったく17、18乃至20歳で、
小説を書いたって、しゃうがないと思ふ。

とにかく、小説を書くには、文章だとか、技巧だとか、
そんなものよりも、ある程度、生活を知るということと、
ある程度に、人生に対する考へ、いわゆる人生観といふ
べきものを、きちんと持つといふことが必要である。

・・・・それが出来るまでは、
小説を書いたって、ただの遊戯に過ぎないと思ふ。だから、
20歳前後の青年が、小説を持ってきて、『見てくれ』と
云ふものがあっても、実際、挨拶のしゃうがないのだ。

で、とにかく、人生といふものに対しての
自分自身の考へを持つようになれば、
それが小説を書く準備としては第一であって、
それより以上、注意することはない。
小説を実際に書くなどといふことは、
ずっと末の末だと思ふ。

実際、小説を書く練習といふことには、
人生といふものに対して、これをどんな風に見るかといふこと、
――つまり、人生を見る眼を、段々にはっきりさせてゆく、
それが一番大切なのである。」

はい。こんなことをコンコンと語ってくださる方は、
今頃どこにおられるのかも分からないでしょうから、
ここは、長くなりますがもうすこし引用してみます。
私みたいな爺にも、何だか身に染みる文なのでした。

「われわれが小説を書くにしても、頭の中で、
材料を考へてゐるのに3,4ケ月もかかり、いざ
書くとなると2日3日で出来上がってしまふが、
それと同じく、小説を書く修業も、
色々なことを考へたり、あるいは世の中を見たりすることに
7,8年もかかって、いざ紙に向って書くのは、
一番最後の半年か一年でいいと思ふ。・・・・・」

はい。まだまだつづき、深まるのですが、ここまでにします。
うん。ちなみに私は小説を読まないけれども、
これはエッセイなので読んだのでした。うん。まったく、
菊池寛の小説は、読んだことないのを白状しておきます。

さて、菊池寛のつぎは、草柳大蔵です。たまたま
『サザエさん うちあけ話』にちょいと名前が出てきます。
それででしょうか。思い浮かんだことがありました。

だいぶ古いのですが、週刊誌の切り抜きがあります(「週刊朝日」‘92.4.24)。
そこに、草柳大蔵が『扇谷正造氏を悼む』という追悼文を載せていました。
79歳で心筋梗塞で亡くなった、元「週刊朝日」の編集長扇谷正造氏でした。

そこで、扇谷さんが草柳さんへポツリと言った。
その言葉が紹介されております。

「『・・キミ、平均的読者像を
 ≪ 旧制高女プラス生活経験10年 ≫においたんだ。
  企画も文章もグラビアも全部だよ』

 と扇谷さんはポツリと言った。
 週刊誌はもともとストリート・ジャーナルである。それを
 扇谷さんは見事にホーム・ジャーナルに転換させた。
 主婦がガマグチの口金にあてる手に扇谷さんの目線があった。」


はい。とりあえず3人の文を引用し、『大人』の三題噺はここまで。
余談になりますが、泡のように私に思い浮かんだことがありました。

長谷川洋子著「サザエさんの東京物語」に、
扇谷さんが長谷川家へ訪ねてこられる場面があります。

「当時、朝日新聞の名編集長として有名だった
 扇谷正造氏が訪ねてこられたとき、
  『町子さん、電送になると原稿の細かい線が潰れてしまうのよね。
  もう少し余裕を持って原稿もらえないかな』
 と言われた。・・・・・」(p70・単行本)

はい。長谷川町子さんと、扇谷正造さんは
気楽に、話せる間柄だったようですね。

扇谷さんは、長谷川町子さんの年譜を、
職業柄よく存じていたかもしれません。

1936年16歳 山脇高等女学校卒業と同時に、
      田河水泡の内弟子となる。11カ月後に自宅に戻る。
   ( そして、ピタリ10年後でした。 )
1946年26歳 夕刊フクニチに『サザエさん』の連載をはじめる。

はい。扇谷さんは、長谷川家へゆきながら、そして、
朝日新聞の四コマ漫画のことを、念頭におきながら、
週刊朝日編集長になる際に、サザエさんの読者層を想定して
いたのじゃないか。こういうのが、私の泡のような推測です。

『平均的読者像を≪ 旧制高女 + 生活経験10年 ≫においたんだ。』
こう草柳さんにつぶやいた扇谷さんの姿が町子さんと共に思い浮かびます。
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すみません なんて書いてあんです?

2022-02-27 | 本棚並べ
幸田露伴の『五重塔』を読んだ時に、思い浮かんだのは、
長谷川如是閑の『職人かたぎ』という文でした。
この二つを読むと、大工職人が息づいてくるのを感じられます。

長谷川如是閑の文は、こうはじまります。

「私は職人でもなく、職人研究の専門家でもないが、
明治の初めに生まれて、日本の職人道が、その伝統的の姿を
まだそのまま持ち続けていた明治時代に育ったので、
ことに自分の家が、先祖代々江戸の大工の棟梁だった
というようなことから、・・・・・

いつも日本の職人には、歴史や文学ではちょっとわからない
人間的なものがあることが感じられていたのであった。・・・・」

ちなみに、如是閑さんは、「職人かたぎ」補遺で
幸田露伴に触れておられました。

「職人かたぎはその本場は江戸だったので、職人の話というと、
主人公はきまって江戸っ子だった。職人かたぎの伝統は古いが、
江戸時代になって、その生粋(きっすい)の形が江戸ででき上がった
のである。だから職人の話をするのも江戸っ子で、田舎者にはない。

そのせいか、明治文学の初期に職人の文学を書いたのは、
やはり江戸っ子の露伴だった。・・・・
その江戸っ子の小説家も、職人をテーマにしたのは露伴だけだった。
しかし露伴も自分が職人ではなく、また職人の生活にも接しても
いなかったらしい・・・・

職人とは縁の遠い環境に育った露伴だが、
それはおそらく下町育ちの獲物だったろう。
漱石は同年生まれの江戸っ子だが、山の手育ちなので、
職人の世界には全く無知だったが・・・しかし漱石の
仕事に打ち込んだ名人かたぎは、やはり江戸っ子式のそれで、
どこかに職人かたぎに通じるものがあった。・・・」

はい。長谷川如是閑。幸田露伴。夏目漱石とつづいたところで、
長谷川町子の『いじわるばあさん』の、四コマに登場する職人。

①ばあさんが、外出着をきて、杖をついて歩いてゆく

②医院の看板があり、
ドアには『本日休診』の札が掛けてある。

③後ろから、半纏を羽織った職人が、ばあさんに聞いている
 『すみません なんて書いてあんですか?』
 ばあさん『本日割引(わりびき)よ!』

④顔の耳から頭顎にかけて包帯を巻いている職人さんは
 ドアのベルを鳴らしながら、
 もう一方の手で、ドンドンとドアを叩いている。
 窓には、お医者さん夫婦がいて、耳をふさいでいる。

長谷川如是閑の『職人かたぎ』には、こうもありました。

「・・口にも筆にもかからない点が大切なのである。
 その持ち主の職人には、自分の名前も書けないよう
 なものが多かったので、職人のことを職人自身が
 書いたというような文献は、むしろあり得ない。」



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だけど、それって。

2022-02-26 | 本棚並べ
長谷川洋子著「サザエさんの東京物語」(朝日出版社)の
はじめの方に、それはありました。ここは引用しておきます。
洋子さんが、町子さんから聞いた話がでてきます。

「『サザエさん』という庶民の家庭漫画を描き続けながら、

 『家庭漫画って清く、正しく、つつましく、を要求されるでしょう。
  だけど、それって私の本性じゃないのよね。
  だから≪ いじわるばあさん ≫のほうが気楽に描けるのよ。
  私の地のままでいいんだもの』

 とよく言っていた。・・・」(p13)


あらためて、長谷川家の年表を見てみます

1965(昭和40)年 『サザエさん』TVドラマ化( 江利チエミ主演 )
1966(昭和42)年 『意地悪ばあさん』(「サンデー毎日」連載)
         ≪ 連載期間は 昭和42~昭和46年 ≫
1967(昭和42)年 『意地悪ばあさん』TVドラマ化( 青島幸男主演 )
           町子、入院、胃がんの手術
1969(昭和44)年 『サザエさん』TVアニメ化 ( フジテレビ )
1970(昭和45)年 ノイローゼの学生による長谷川家放火未遂事件

1974(昭和49)年 『サザエさん』朝日新聞連載終了

1978(昭和53)年 『サザエさんうちあけ話』朝日新聞連載
1979(昭和54)年 NHK朝の連続ドラマ「マー姉ちゃん」放映


はい。だいぶTVと漫画連載とがダブっている時代。それならば、
CMからの『本歌取り』ということにして、意地悪婆さんの視点。
まずは、とりあげるCMを紹介。
 
『飲んでますか』(昭和39年・三船敏郎。武田薬品アリナミンのCM)
『私にも写せます』(昭和40年・扇千景。8ミリフィルムカメラのCM)
『オー、モーレツ』(昭和44年・小川ローザ。丸善石油のちコスモ石油のCM)

これらCMの時代と、いじわるばあさん。

①一合徳利を右手で突き出しながら
 ばあさん『のんでますかァ』と笑顔で

②玄関先で、帰ってきて靴をはいたままの長男が
 その姿を黙って見ている。

③背広を浴衣に着がえている長男。

④ちゃぶ台の料理を前にして、あぐらをかき
 徳利をかたむける長男
 長男『しかし、まけるオレも わるいにゃ わるい・・・』
 背後の壁には、『禁酒』の張り紙。

         ( 「いじわるばあさん」二巻目p7 )


つぎは、パチリと写している四コマ。

①自転車にまたがった若者が、ばあさんに
 火事だと知らせている。

②カメラをもって、門をでるばあさん。

③消防署員がホースを二人して伸ばす作業中。
 煙の先をみて、ばあさんのセリフ
 『こりゃ いける!』
 『クスリ屋の主人、ウラのごいんきょ!』

④ストリップ劇場から煙が出ている。入口の両脇には、
 胸をはだけた裸での大きな立て看板。「関西ストリップ」
 の文字。下をむいて、頭をかきながら出てくる人。
 野次馬が見ている中、ばあさんはカメラで撮影中。
     
      ( 「いじわるばあさん」第四巻 p71 )

うん。これは、残念ながら8ミリじゃなかった。
さて、おつぎは、『白いパンティがチラリ』の
昭和44年「丸善ガソリン100ダッシュ」のCM。

パンティが出てくる四コマ漫画は、いろいろ選べます。
うん。どれにしようかと迷います(笑)。これにします。
海外旅行の巻・ニューヨーク。

①エンパイヤステートビルの絵。
 エレベータの途中で『さア 屋上だ』

②エレベータが開いています。
 ばあさん『スミマセン しばらく持っていただけます?』
 おばさん『いいですとも おばあちゃん!』
 二人とも着物をきています。

③ドアを押して開いている ばあさん。
 みんなして、屋外へ出るところです。

④屋外には柵がはりめぐされ、有料の望遠鏡のようなものもある。
 ばあさん『この上は、風が強いって聞いたもんで』と  
  着物の前を押さえている。
 おばさんは、両手に荷物をもっていて、顔が真っ赤(白黒ですが)。
 着物の帯から下が、強風でみごとにめくれあがっている。

        ( 「いじわるばあさん」第三巻 p15 )


うん。お口直しで、もうひとつ。

①おばさん『スターが来て ロケやってるんですって!』
 ばあさんもいっしょに、買い物かごを持ちかけ出してる。

②見物客が大勢いる方へ、ばあさんが、かけている。

③『どうだった?』とタバコ屋から、おばさんが出てくる。
 ばあさん、プンプンしながらの帰りぎわ、
『なんだ、あんなの!あたしのほうが、よっぽどキリョウがいいよ』

④タバコ屋のおばさんが、群集をかきわけて撮影をのぞく。
 青島幸男扮する主人公が、若い男の襟首を持ち上げてる。
 おばさん「テレビの『いじわるばあさん』!」
 見物人はみなして、ニコニコ顔。

はい。テレビと四コマ漫画の、豪華共演。
昭和の現在進行形での笑いが聞こえます。
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盥(たらい)の行水。

2022-02-25 | 本棚並べ
昭和30年の写真です。子供が行水(ぎょうずい)をしてる。
林望さんは、それを説明しながら、こう書いています。

「むろんそのころは冷房なんてものはどこにもなくて、
夏になればひたすら暑さに耐えながら、せいぜい井戸水で
冷やした西瓜を食べ・・・・

そういうなかで、行水というのは、夏のなによりの楽しみだった。

当時、私の家は、できたばかりの新式鉄筋アパートの一室にあって、
その頃としてはめずらしくちゃんと内風呂がついていた。

しかし、夏の真っ盛りの午後には、ベランダに、
(アパートで庭がなかったので)金だらいの大きなのを出して、
そこで一つ違いの兄といっしょによく行水をしたものだった。

そういうとき、母は、この写真のお母さんのごとく、
濡れてもいいような軽い服装をして、私どもの世話を焼いた。
そうしながら、母自身も涼を取っていたのである。」
 (p72・林望著「ついこの間あった昔」弘文堂)

「いじわるばあさん」の連載は昭和40年~昭和46年でした。
四コマ漫画には、内風呂も、銭湯も、行水もでてきます。

ここでは、行水。
長谷川町子さんなら、どう描いていたか。

①塀をめぐらした庭で、ばあさんがバケツの水を盥に入れてます。
 ばあさん『ことし さいごの ギョウズイだ』

②低い植木に着物をかぶせ、背中向きのばあさんは、
 盥に坐って、手拭いで背中をゴシゴシとしてます。
 その背中には、お灸のあとが点々と背骨とならんであり、
 鼻歌らしく、ばあさんの上に音符が気ままに並んでます。

③いきなり、堀の外で、行水しているばあさん。
 見物人がニコニコと男・女・子供共6~7人。
 後ろをむきざま、驚いている、ばあさんの顔。

④長谷川町子さんが、右手にペンを持ち、両手をあげて逃げてます。
 ばあさんが盥から出てバケツで、町子さんに水をぶっかけている。
 ばあさん『チクショウ いじわる作者! バックをかきかえたな!!』
 ばあさんの姿は、素足に、腰に布を巻いて、垂乳根の上半身は裸。
 盥のわきには、下駄が描かれておりました。

       ( p16「いじわるばあさん」二巻目 )


色っぽい行水もあります。
こちらは四コマの最後から引用をはじめます。

④板塀に囲まれた庭で、奥さんが行水をしてます。
 板塀の下の破れ目から、犬が顔をだしている。
 奥さんは、豊かな胸をして、両手を上下にひろげ
 手拭いで背中をゴシゴシ。髪がたれないように
 後ろから布をあてて、額でしばっています。
 はい。色っぽくするためか口のわきにはホクロ。

③若い人が、犬の顔の縫いぐるみをもって、
 いじわるばあさんに、500円を渡してる。

②ばあさんが、正座させた若者に犬の顔のぬいぐるみを
 つま先立ちして、かぶせている。サイズあわせ。
 ばあさんの足のそばには、裁縫箱とハサミ。

①ばあさんが、犬の縫いぐるみに糸をとおす裁縫の場面。

      ( p95「いじわるばあさん」第一巻目 )

 
はい。新潟県佐渡には、木の大きな盥を小舟に見立てた
観光舟があるそうですが、その木の盥を小さくしたような
家庭版で、よく洗濯につかわれていたものを行水のために
使用していたのでしょうか。現在、気にすると見かけるのは、
浮袋式ビニールプール。これは、子供の夏の定番でしょうか。


話をかえます。

こうして昭和の四コマ漫画を思い浮かべていると、
どういうわけか、気まぐれに、浮かんできたのは、
柳田国男著「木綿以前の事」でした。一度読んで、
印象だけで他はすっかり忘れてる。本棚から出す。
その自序は、こうはじまります。

「女と俳諧、この二つは何の関係もないもののように、
今までは考えられておりました。

しかし古くから日本に伝わっている文学の中で、
これほど自由にまたさまざまの女性を、
観察し描写しかつ同情したものは他にありません。

女を問題とせぬ物語というものは昔も今も、
捜して見出すほどしかないと言われておりますが、
それは皆一流の佳人と才子、または少なくとも
選抜せられたある男女の仲らいを叙べたものでありました。

これに反して俳諧は、何でもない只の人、
極度に平凡に生きている家刀自(いえとじ)、
もっと進んでは乞食盗人の妻までを、
俳諧であるがゆえに考えてみようとしているのであります。
・・・・」

ちょっと『木綿以前の事』は、これはこれで気になりますが、
それは後回しに、もうすこし『いじわるばあさん』続けます。


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垂乳根の母、ビキニ買う。

2022-02-24 | 本棚並べ
林望著「ついこの間あった昔」(弘文堂・平成19年)に、
ある写真のおばあさんを語っている文章があります。

「この写真のおばあさんなんかは、胸を出してるのは、
 腕を出してるのと別に意識上の違いは無く、
 要するに暑いから出しているというだけのことである。

 このたらんと垂れた乳房こそは、『垂乳根(たらちね)の母』
 としての女の、いわば勲章のようなもので、別にこそこそと
 隠し立てする理由も必要もなかったのだ。」(p177)


はい。これを引用してから、おもむろに
「いじわるばあさん」第二巻をとりだす。
そこに垂乳根の母。垂乳根のばあさんが
登場しておりました(p4)。

①長男『かあさん そんなカッコウで家の中を
            ブラつかんで下さい!』
 ばあさんは、上半身裸で、首に手ぬぐいをかけ
 左手でうちわを振っています。

②奥さん『主人も部長という地位もあることですし』
 居間に正座して、右に、長男とその奥さん。
 左に、ばあさん『ほんに そうでした』

③日傘をさして買い物袋を提げて帰ってくるばあさん。
  『からだに あうのをみつけるのに ホネをおった』

④長男は、びっくりして声もない。
 ばあさんは、ビキニの水着上下で居間を通りすぎる。
 右手には団扇をもってる。




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意地悪国。

2022-02-23 | 本棚並べ
はい。前回からの続きになります。

『いじわるばあさん』第一巻の
2ページ目の四コマ漫画を引用。

①道路の電柱に、タクシーが衝突。
②運転手がでてきて『だれか水!!』
 ばあさんがコップに水をもってくる。
③運転手が飲み干した後に、驚いて『酒だ!!』
④警察官が、運転手の腕をつかんで、
 『つべこべいうな あきらかに よっぱらい運転だ!』
 事故車の影から、見ている ばあさん。

うん。インパクトがある四コマでした。
ちょうど、この四コマを見たときに思い浮んだのは、
拘束ということでした。
産経新聞2022年2月18日の2面に
「上海で50代邦人拘束 昨年12月スパイ容疑か」
という見出しがあり、記事の真中へんには

『中国でスパイ容疑などで日本人を拘束するケースが
 続いており、2015年以降に少なくとも計16人に達する」

また、この記事の最後には、こうありました。

「日中関係筋は17日、15年に北京で拘束され、
 懲役12年の実刑判決を受けて服役中だった
 70代の日本人男性が今月、搬送先の北京の
 病院で病死したことを明らかにした。
 男性はスパイ罪が適用されたが、
 どのような行為が罪に問われたのか明らかではない。」

はい。中国だけじゃなく、ソビエト・ロシアも引用します。
本棚から「家の神」(淡交社・文は鶴見俊輔)。
はじまりは、『ある帰国』とあります。そこを引用。

「長い戦争が終わってから、さらに8年たった
1953年に、ひとりの男が、シベリアの収容所から
日本にかえりついた。父母がすでに死んでいたので、
故郷の親類の家をたずねた。

第二次世界大戦後のソヴィエト・ロシアは
530,000の日本人を捕虜としてソ連領土にとどめおき、
その中からさらに戦争犯罪人を指定して、形式だけの裁判のあとで、
長年月にわたる重労働を課した。

その戦争犯罪人とは、連合軍による極東軍事裁判とは無関係に
ソ連の国内法にもとづいておこなわれた『かくし戦犯』である。

戦争が終わってから4年目の1949年に、捕虜の中から
約3000人がそのような方法で戦争犯罪人にえらばれた。

この人は、その3000人ほどの1人として25年の刑を言いわたされ、
シベリアの密林地帯で囚人としての労働にたずさわった。」

はい。このようにはじまっている一冊でした。

ここで、『いじわるばあさん』へともどります。
意地悪ばあさんは、そういえば、人が描かれておりますが、
イソップ物語には、どうぶつが、描かれておりました。
うん。最後に、イソップ物語から『びょうきの らいおん』
を引用してみます。ひらがななので、しかも訳は
石井桃子さんなので、全文引用しちゃいましょう。

「らいおんが、だんだん としをとって、
 じぶんで、えものを とりに、でかけられなく なりました。

 そこで、ほらあなの なかに ねて、はあ はあ、
 くるしそうに いきを しながら、びょうきで、あるけないのだ、
 という ふりをしました。

 そのうわさが、もりの なかに つたわると、
 いろいろな けものが、みまいに やってきました。

 そこで、らいおんは、そのけものたちを、
 つぎつぎに とってたべて、たいへん ふとって しまいました。

 

 そのうち、きつねが、らいおんのけいりゃくを みやぶりました。
 そして、あるひのこと、ようすを みに やってくると、
 らいおんの あなから、だいぶ とおいところに たちどまって、

 『びょうきは、いかがですか?』と、ききました。

 『ああ、きつねくんか。どうもぐあいが、よくないのだ。
  どうか、なかに はいって、このあわれな ともだちを、
  なぐさめて くれたまえ。』
 らいおんは、いいました。

 そこで、きつねは、
 『おや、それは、おきのどくさま 
  でも、ぼくは、なかへは はいりませんよ。
  だって、あなたの あなの いりぐちには、
 
  はいっていく あしあとばかりで、
  でてくる あしあとが、ないじゃ ありませんか。

  そうで なかったら、ぼくも、
  おそばへ いっても いいんだすがねえ。』と、こたえました。」


はい。参考文献ということで
『いじわるばあさん』No.1(朝日新聞出版・2013年)
産経新聞令和4(2022)年2月18日「上海で50代邦人拘束」記事
『新版家の神』(淡交社・平成11年)
『いそっぷいそっぷいそっぷ』(実業之日本社・1976年非売品)
最後の本には、石井桃子さんの「あとがき」があります。
せっかくですから、この機会に、そこから一部引用しておきます。

「イソップのお話が、二千何百年という、ながいあいだ、
わたしたちのあいだに伝わってきたのには、それだけの
わけがあると思わなければなりません。

わたしたちは、幼いとき、イソップのお話を聞きます。
そのとき、わたしたちは、多くのばあい、そのおくにかくされた、
もうひとつのいみに、気づきません。でも、お話の表面のおもしろさは、
わかります。幼い子どものためには、それでいいと思います。

そして、そのお話は、たいへんかんたんで、頭にはいりやすいため、
いくつも、いくつも聞きおぼえ、やがて、大きくなって、
何事かにであったとき、はっとして・・・・」



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昭和41年から昭和46年の頃。

2022-02-23 | 本棚並べ
「意地悪ばあさん」の連載期間は、
昭和41年から昭和46年とあります。

『ジャリトラ = じゃりを満載したトラック』が
登場する四コマがあります。
トラック運転手が筋骨隆々で口のまわりにヒゲをはやしてる。

①運転手『きをつけろィ もうろくババァ!!』
 ばあさん『やかましやィ ジャリトラめ!!』

②では、道路で口論。傘を突きつけ構える ばあさん。
③では、運転手が『やめた!』といってトラックに戻る
④で、ジャリトラを運転しながら
 『きょ年 中風で死んだイナカの ばあさまにウリ二つでョ…』

( P8「いじわるばあさん」第四巻 )

酒にまつわる箇所も、昭和40年代のことで
わたしに印象深い。

植木屋さんに庭の手入れを頼んだあとのようです。
庭の木には、ムシロのようなもので幹をまいてある。

①長男『 忙しいなかから たすかったョ!!
       ひや酒だけど、かえりに1パイ 』
 と座布団をすすめながら言っている。
 ばあさんが、お盆にコップをのせてくる。

②『キュ~ッ』職人がそれを飲み干す。
③『ウィ~』『いいこころもちにヨッパラッちゃったァ』
 と道具袋を肩にかけ、職人が帰ってゆく。

④ばあさん『エライ ありゃァ 人物が出来てる』
 長男  『え!! 水道の水のましたの』

( P74「いじあるばあさん」第四巻 )

酒ということで、この箇所を紹介してから、
おもむろに『いじわるばあさん』第一巻の
2ページ目の四コマ漫画を引用してみます。

①道路の電柱に、タクシーが衝突。
②運転手がでてきて『だれか水!!』
 ばあさんがコップに水をもってくる。
③運転手が飲み干す『酒だ!!』
④警察官が、運転手の腕をつかんで、
 『つべこべいうな あきらかに よっぱらい運転だ!』
 事故車の影から、見ている ばあさん。


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身の上相談。

2022-02-23 | 本棚並べ
「いじわるばあさん」の誕生秘話を紹介したので、
これからあとは、好きな箇所を引用してゆきます。

『いじわるばあさん』第二巻(朝日出版社・2013年)の
後の方に、それはありました(p92)。その四コマを紹介。

①他の家の入り口で家族や子ども達に迎えられるおばあさんがいます。
 それを、電柱の影から黙って見ている ばあさん。

②コタツに入って、手紙を書いている ばあさん。
 「  身の上相談
   『人から愛される老人になりたいの
     ですがどうしたらいいでしょうか?』
              匿名の老人より    」

 うん。この②には、どういうわけか畳と襖まで、
      ばあさんの黒い影が描かれています。
    

③ 回答する先生が、机にむかって『解答』を書いている。

④ ばあさんが、新聞受けから新聞をとりだし、
  身の上相談の解答欄をひろげて読んでいる。

 「 『サンデー毎日』の いじわるばあさんの
       ような事をぜったいにしないことです 」


これが二巻目です。『いじわるばあさん』は六巻まであります。
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『意地悪ばあさん』の誕生日

2022-02-23 | 本棚並べ
長谷川洋子著「サザエさんの東京物語」の長谷川家・年表から引用。

1966(昭和41)年~1971(昭和46)年まで
         『意地悪ばあさん』サンデー毎日に連載。

1967(昭和42 )年 『意地悪ばあさん』TVドラマ化(青島幸男氏主演)
          町子、入院、胃がんの手術

ちなみに、意地悪ばあさんや、サザエさんが連載中の
1970(昭和45)年 ノイローゼの学生による長谷川家放火未遂事件
というのがありました。


サザエさんを連載している時のことを、洋子さんが書いてます。

「毎日4時頃、新聞社のオートバイが原稿を取りにみえる。
どんなに気に入らない作品であれ、それまでに1枚は仕上げなくてはならない。

出来が悪いと思った原稿を渡してしまった日はずっと機嫌が悪く、
家に暗雲が立ち込めることになる。たくさんの愛読者に応えるためには、
昨日よりも今日のほうが、今日よりも明日のほうが作品はより面白く
なくてはならないと、半ば強迫観念に似た思いが姉を苦しめていたようだ。
始終、胃が痛いといって枕で胃の辺りを押さえていたし、
病院でもらうお薬も、あまり効き目がなかった。」
     ( p135「サザエさんの東京物語」の「町子姉の大病」 )

こうして、『意地悪ばあさん』が誕生する場面。
それが『サザエさん うちあけ話』の21番にありました。
そこの言葉をひろってみます。

「『いじわる じいさん』という外国マンガが、
 文春のマンガ読本に、レンサイされていました。

 主人公は、おバァさんのほうが
 グッと迫力があるのになァ、と、思いながら見ていました。

 老人ホームで、つかみ合いのケンカをするのは、
 きまっておバァさんと、いう話です。
 感じょう的で、生命力があります。

  ・・・・・

 サザエさんとて、コドモさんにも無害のホームマンガ。

 読まれる方は、無害でも かくほうは、取材はんいが、
 かぎられているから 四苦八苦です。
 ザッシ、エホンもふくめると 七千回以上 かいたのですから。

 ヒューマニズムに、あきていた ところに、
 サンデー毎日 しんねん号8ページを たのまれ、
 『いじわるばあさん』を かきました ・・・・」(p88)

そしてから、一年間の押し問答のすえに
41年1月から連載がはじまりました。


もうすこし、このブログで『いじわるばあさん』に
登場してもらおうと思うと、あらたまって、この誕生の
箇所を紹介しておかないといけないような気がしました。


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自分で決めればよさそうなものだが。

2022-02-23 | 本棚並べ
姉妹社「サザエさん うちあけ話 長谷川町子」の本の背が
もろくも、パカッと半分はがれてしまいました。
背文字の「け話 長谷川町子」の部分がとれる。
うん。古くて茶色に変色した背文字でしたから。
しょうがないか(笑)。

何回でも飽きない『サザエさんうちあけ話』の
面白さは、いったいどこからくるのだろうなあ。

そのヒントになりそうな箇所を引用してみることに。
長谷川洋子著「サザエさんの東京物語」(朝日出版社)
のこんな箇所。

「毎日、午後になると、町子姉が原稿の下書きを
 四、五枚持って二階から下りて来る。

 その中から私に一枚を選べと言うのだが、
 二つも三つも面白いときがあり、これも
 あれも面白いわよ、と言っても納得しなかった。

 厳選して一枚だけ選んでよ、と言い、それなら
 自分で決めればよさそうなものだが、
 長時間、考え続けていると頭が熱くなって
 どれが面白いのかわからなくなるのだそうだ。

 面白いと思う案まで丸めて屑籠行きになるときは
 本当に惜しく残念だった。」(p70)

ここで『いじわるばあさん』第5巻に登場してもらいます。
p81は、息子三人の会合

長男『いま漫画ブームなんだろ、オフクロ
                   ちっとは  あずかってくれよ』

次男『オレんとこも ワイフのオヤジが来てるんでネ』

三男『ダメだよ マンガの仕事って
      スゴくしょーもー するんだ』

こうして、三男の家へゆくことになります。
いじわるばあさんですが、ここでp95の四コマ漫画。

①三男『このマンガおもしろい?』と
    ばあさんに、できた原稿を差し出す。

②三男がニコニコしがなら、
 原稿を見いるばあさんの姿を、眺めている

③無反応な顔で、ばあさんが原稿をもどす。
 三男に見えないようにして自分のお尻へ
 あてた「やっとこ」をギュッと握ってる。

④ばあさんは隣の部屋へもどると腹をかかえて
 『オモシロイ』と笑っている。仕事部屋では
 三男が、その原稿をヤブき、落ち込んだ姿が見える。

( ちなみに、「やっとこ」は閻魔さまが
    舌をぬくときに使っている道具  )

はい。ここで、背が半分はがれてしまった
『サザエさんうちあけ話』をひらくことに。

15話『仕事の波』の活字部分から、ひろってみます。

「今もって わからないのが 案の波です。
 こっ苦べん励したからといってオモシロい
 マンガができる わけじゃありません。
 
 といって、むやみに出歩いてみてもムダ
 べつに けんこうも カンケイない

 ある時、むしんに サイホウ箱のせいりをしたりしている。
 フッと案が、うかびます。

 エンピツで下書きをして妹に みせます。
 この間、三分。
 『ゲラ ゲラ ゲラ』と
 笑ったから ヒットです。
  ・・・・・」(p62)

つぎに、忘れられない箇所がでてきます。

「さァ、案の出ない日と きたら、
 きのうから うなりつづけ
 
 努力すれば するほど
 洋子『どーも ムリがあるわネ 
     考えすぎじゃないの?』

 時間ばかりが ようしゃなく せまってきます。
 町子『しかたない、今日はこれで仕上げるか・・・』

p65につながってゆきます。

 こんどこそ、仕上がり。
 フウトウを とり出す。
 気に入らないほうは、
 四つにに引きさく。

 ハッ!! 
 頭がつめたくなる。
 描きなおしの方をやぶったのです。
 
 町子『バカだョ あたしゃ・・・・』


はい。こんな箇所を、わたしは
笑いながら読んでいるのでした。

この本を本棚へもどして、すっかり忘れた頃に、
また、この箇所を、読み直すことがあったなら、
初めての時のように、また笑っているだろうな。
そんな、リアルなカットが続きます(p62~65)。
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意地悪新聞。

2022-02-22 | 本棚並べ
『いじわるばあさん』No.1を読みます。
古典的でもあり、現在の新聞でも、使われやすい手口。
言葉の一部変更をして、噂の伝播力をつたえています。

うん。引用する前に、
そういえば、思い出します。サンゴに落書きをし、
それを一面で、堂々と発表した新聞がありました。
それが自作自演だった事は、きれいに忘れてます。

ここでは『いじわるばあさん』の言葉の意地悪。
第一巻からだけですが、2箇所を紹介してみます。

p39の四コマ漫画。
ばあさん「はやいもんですねえ」
ご夫人 「もう七草(ななくさ)ですものねえ」
ばあさん「どちらへおでかけでした?」
ご夫人 「買いぞめ、ホホホホ」と、風呂敷荷物を抱えています。
ご夫人を見送りながら、近所の人へと、ばあさんが語るひとこと
『七草(しちぐさ)がどうとかって話でしたよ』
近所の人が3人して
『あちらさまも おたいへんね』
『どこも不況なのよ』


新聞にも、少し言葉を言い換えたり、肝心な全文を紹介せず
一部引用して、いかにも真実を伝えたような
公平性をよそおう記事が、ここぞという時に出ることがあります。

p86の四コマ漫画『伝言』
ご夫人 『じゃすみませんが おことずけねがいます』
ばあさん『よござんす どうせ通り道ですから』
ばあさん『なんとかー灸をしますからいかがですかって』
じいさん『灸(きゅう)!』
じいさん『せっかくじゃが おれは にがてだ』
ばあさんはもどってゆく
ご夫人の庭で
ご夫人 『あのかたバーベキュー大好物なはずだけどねぇ』
ばあさん『ほんと ほんと』といいながら、頬張っている。

読みはじめると、どうやら
『いじわるばあさん』には息子が3人いるようです。
家庭のある息子も困り、いじわるに涙するお嫁さんが登場し、
3人の息子の家庭で、持ち回りで世話をすることになります。


『いじわるばあさん』が免疫効果として作用する、
『いじわる新聞』に涙しない・騙されない対面法。

う~ん。これならば、子供からお年寄りまで楽しめそう。
そんな国語の授業があればぜひ参観したいのだけれども、
何だか他人に求めても詮無い話。せめてブログの楽しみ。


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しっちゃかめっちゃか。

2022-02-21 | 本棚並べ
「いじわるばあさん」全6巻(朝日新聞出版・2013年)が
古本で届く。新書と単行本との間のサイズの大きさでした。
表紙カバーと厚さは、手にした感じが新書のような本です。
その各1ページに、四コマ漫画が、ひとつ。
さあ、これからゆっくりと読んでゆきます。
というか、見てゆきます。


そうそう、6巻といえば、私がワクワクしながら、
小説らしきものをはじめて読んだのは
司馬遼太郎の『坂の上の雲』。単行本で全6巻でした。
あれが小説を楽しみながら読み通した最初かもしれないと、
しばらく思っておりました。

「『坂の上の雲』なんて、あれ一体小説ですか、なんですか。」
( p77谷沢永一著「人の器量を考える」PHP )
と指摘されて、ハッとしました。
な~んだ。これ小説じゃないから、私は楽しく読めたんだと、
思いました。自分の小説嫌いを思うと、納得してしまいます。

ここは、興味深いのでその前から引用していきます。

「翻って、司馬遼太郎の『菜の花の沖』にはロシアの話が出てくる。
延々と続く。あの連載の時、あとで聞いたのですが、
今日来た原稿はまだロシアか、まだロシアか、まだ嘉兵衛は出てこないか、
といって産経の学芸部が頭を抱えたというぐらい、
しっちゃかめっちゃかをやるわけでしょう。
『坂の上の雲』なんて、あれ一体小説ですか、なんですか。
・・・・・」(p77)

こんな箇所もあります。

「『坂の上の雲』では、
子規の人物についてはかなり書かれていますが、
秋山兄弟については書けていない。つまり、
卑近な意味での人物の内面像です。
そういう点には、ほとんど興味を持っていないかのようですね。
飯を食うところぐらいで、何を考え、どんなふうに
生活していたのいか。などはばっさり切り捨ててあります。」(p58)

また、谷沢さんは坪内逍遥の『小説神髄』の一句を指摘します。
その一句を、日本近代小説が依怙地になって守ってきた戒律でした。
そこを、あっさりと離脱したのが司馬さんだと説明します。

『小説神髄』の一句とは
『小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ』でした。
これを司馬さんはどうしたか、谷沢さんは続けます。

「小説はどう書いてもいいのだ、と考えるだけではなく、
その実作によってあっさりと離脱独立したのが、
司馬さんの小説なんです。・・世の批評家がとまどっている間に、
圧倒的多数の読者が司馬文学を支持した。
司馬は小説の定義を丸ごと変えてしまった、
という意見は私の根幹的な主張です。」(p32)

この本をめくっていると、この谷沢さんが、
『司馬さんの悪口』へ言及する個所がありました。
はい。悪口とは聞き捨てならない。
そこは引用しておかなきゃ。

「『韃靼疾風録』は、最後になんで
  このようなものを書いたのか、なかなかわからなかった。

 あれ、日本人の悪口を初めて書いた小説なんですね。
 明(みん)王朝最後の皇帝の下にいた馬鹿官僚たちを罵っているが、
 それはけっしてチャイニーズを罵っているんじゃなしに、
 日本人を頭に置いているのです。 」(p35)

谷沢さんは、あとの方で『日本の官僚』の指摘もしておりました。

 「とにかく内に強くて、外に弱いというのが、
  これが日本の官僚の終始一貫した性格です。」(p188)


え~と。古本の「いじわるばあさん」6巻本が届いた
という話からはじまったので、最後は長谷川町子さんの
『サザエさん うちあけ話』から、この個所をまた引用します。

「・・・単細胞の親子は、陽気に、くったくなく暮らしました。

夕食のあとなど、おぜんのお茶わんについた米粒の干からびるにまかせ、
二時間でも三時間でも、芸術論、宗教論、服飾だんぎ。
くだって人のウワサへと発展します。
豆、食い食い人の悪口いうを、
荻生徂徠センセイも娯楽の一つにかぞえています。・・・」

谷沢永一著「人の器量を考える」(PHP・1998年)は
まえがきで谷沢氏が、書いておりました。

「・・この本は、世間一般での雑多な話題をことのほか
 好む変り者のふたりが、片方は相手につぎつぎと質問し、
 片方はこれまたあれこれ話題を跳躍させながら・・・
 興にまかせて語り続けた世間学の記録なのである。
             平成9年12月        」(p4)

うん。ここから「いじわるばあさん」へと結びつきそうな箇所。
短いので、そこを引用しておわります。

「江沢民が、あれだけ軍備拡張し、南沙諸島へも出ていってる国で、
 日本に軍国主義復活の恐れあり、ということを平気で言います。
 そういう国に対しては、同じ論法で言わなければダメです。」(p189)

いじわる韓国さん。いじわる中国さん。いじわるロシアさん。
さて、これから読もうとしているのが『いじわるばあさん』。
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『あの人は、意地がいい』

2022-02-20 | 本棚並べ
本は読むよりも、購入するまでが楽しく、
じっさいに手元に届くと興味が他に移り、
その本の積読の状態が、私の常態でした。

そういう性格なのだと割り切れば、
やっと自分なりに納得ができます。

そう納得して、あとは楽しむ。
納得の範囲内でそれを楽しむ。

本が届く前と、本を読む前、その間に思い浮かぶあれこれを、
ブログへ書きこむ。うん。これなら楽に私にもできそうです。

前置きが、ながくなりました。
長谷川町子著『いじわるばあさん』全6巻を古本で注文。
うん。これを読むにあたって浮かぶことを書いてみます。

まずは、言葉のアレコレ。『いじわるばあさん』の
『意地悪』を、辞書でひいてみる。
「わざと困らせたり、いやがらせをしたりする
      ことを好む性質。また、その人」とあります。

ちなみに、『意地』をひくと
「自分の思いや考えをどこまでも通そうとする心」。
例として「意地を通す」「意地を張る」。
類似に、『意気地(いくじ)』。

はい。『意気地』も辞書をひらくと
「自分の考えでやりぬこうとする気力。意地。」
例に「意気地がない」・・・。

はい。そういえば、未読本のなかに、
「『意地』の心理」(創元社・1987年)というのが
たしかあったと思って、本棚をさがす。
はい。カバーの背文字が消えてしまっていて、
思うように探せませんでしたが、ありました。
どうやらやっと、読み頃をむかえられた感じ。

6人の方々の論文をまとめた一冊でした。
その序を土居健郎氏が書いております。
うん。序だけなら引用できます(笑)。

序で土居氏は、二つのことを述べておられます。
はい。やっと未読・積読の本の中から現れたので、
ここはひとつ、ていねいに引用することにします。

「まず第一は、・・・・
 意地のように本来の日本語の語彙を使って
 人間の心理を考察する意義についてである。

 私は日本語特有の語彙であるからといって、
 その表現する心理が日本人特有のものであるとは必ずしも考えていない。

 しかし心のことを論ずるのに、自分たちの気持ちを最もよく
 表現できる言葉を使わないことほど愚かしいことはるまい。

 そして心理は文化と密接な関係を有するから、
 このようにして大写しにされた心理は日本文化に
 特に馴染み深いものに見えるであろう。

 しかしそれを更に深く掘り下げれば、必ずや
 普遍的なものに突き当たるはずであると私は考えているのである。

 
 第二に申したいことは、ここに収録された論文は、・・・
 どうも意地の悪い面ばかりに注目している嫌いがあるようだ。

 なるほど日本国語大辞典(小学館)で調べてみても、
 『意地汚い』『意地を張る』など、
 あんまり芳しくない用法の方が目立つが、

 この言葉の元来の意味は悪いものではなかったのだし、
 今も岡山県児島や壱岐では、『いじのええ人』『あの人はいじがいい』
 という使い方をすると記されている。

 更に、この問題を聖路加国際病院の同僚と話し合っていてわかったが、
 だいたい意地があるのは悪くはないことだ。
 そしてもともとあるものならば、時に意地を見せてもよい。
 ただ大して意地がないのに、意地を張ろうとするのが悪いのではないか。

 ・・・・ともかく、意地がよい者も悪い者も、
 多くの者が本書を読んでその蒙を開くことを願って
 擱筆する次第である。
            昭和62年7月8日     」


はい。長谷川町子著「いじわるばあさん」全6巻を読む
その心構えができました。ということで、

『いじわるばあさん』の四コマ漫画と、
佐竹洋人・中井久夫編「『意地』の心理」を
同時に、ひらいて、町子さんの『意地』まで
到達できればと、今から楽しみにすることに。 

 



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ワッハハハハハハハハそうかそうか。

2022-02-19 | 本棚並べ
「よりぬきサザエさん①」に、それはありました(p127)。
その四コマ漫画を、ゆっくりと読み、眺める。

三コマ目の、笑い声がカタカナで太字になっています。
四コマ漫画にしては、セリフが多い方です。

登場人物は、みな正座しています。
太い幹を輪切りにした火鉢が中央にあります。
火鉢の右に浪平。左にサザエさん。
一コマ目から三コマ目まで左側に登場するサザエさんは、
はじまりは、叱られてうなだれています。
二コマ目は、口に両手をあてて笑いをコラえています。
三コマ目は、膝立ちするようにして手を広げて笑っています。

(めんどうなので、一コマは①、二コマは②・・・にします)

①浪平『おまえはどうもおちつきがたりん』

②浪平『むかしの金言にも、めは にんげんの 
       まなこなり ということばがある』
 サザエ『いやだ・・・めは こころの まどでしょう』

③浪平『ワッハハハハハハハハ そうかそうか』
 サザエ『ワハハハハハハハハハハハ』
 ここだけ、サザエさんは、読者の方をむいての笑い顔。

④火鉢を真ん中にして、右に舟さん。左に浪平。
 浪平は、①のサザエさんのように、首をたれています。

 舟『あなた もっと ちゃんとしつけを
    なさらなきゃだめじゃありませんか』
 浪平『うん』

ちなみに、浪平さんだけ、座布団を敷いております。
③の『ワッハハハ・・・』の笑い声は太字でした。
『ハ』は浪平が8回、サザエが11回。

はい。鶴見俊輔氏による、この四コマの活字解説があったので、
注意して味わいながら眺めました。
はい。四コマ漫画にも解説が必要で、しかも解説だけではダメ。
やはり、ここは四コマ漫画を直接見ておくことが出来よかった。






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器量(うつわ)と、ユーモア。

2022-02-18 | 本棚並べ
鶴見俊輔の「長谷川町子さん追悼」のなかに、
『器量』という言葉があった。

うん。とんと使わない言葉なので、気になり、
【器量(きりょう)】を角川必携国語辞典にさがすと

『ものごとをやりとげる能力。その地位にふさわしい才能』

とある。他の辞書にもあたればいいのでしょうが、めんどくさい。
などと思っていたら、そういえば、谷沢永一の本に、
『人の器量(うつわ)を考える』(PHP・1998年)という
質問に答えてゆく、分かりやすい本がありました。
この本に【器量】が探せるかもしれないなあ、とめくってみる。

パラパラと線をひいた箇所をみると、
こんな箇所があります。

「日本の政治家全部を通じて欠けているのは、ユーモアなんです。
ユーモアが人品骨柄をつくり、あらゆる論理を一発で吹っ飛ばすのね。
そのユーモアがないというのが日本の政界の致命的な欠陥です。」(p144)

うん。この本から、もう一か所引用。

「人を語ることによって、世間を語り、自分を語る、
 というのが人物論の醍醐味です。・・・・・
 明治はそれはもう人物論ばかりの時代です。・・・

 私は、行く末を案じて夜も眠れないふうの悲憤慷慨や
 悲観論を自分にかたく禁じています。
 人物論でも世間論でも同じですが、
 悲観論ほどやさしいものはないからです。」(p156)

もどって、サザエさんの磯野波平や、カツオのモデルは誰か?
というテーマは面白そうです。
いつも兄弟ゲンカをしているサザエとカツオ。
モデルは長谷川町子と、まり子さんのどっち。
わからないけど「サザエさんの東京物語」に、
そんな箇所をさがしてみます。

洋子さんの家庭が語られた箇所でした。

「夫の鹿島隆が35歳で亡くなったとき、
 娘達は6歳と4歳だった。・・・・・

 町子姉は『サザエさん うちあけ話』の中で
 二人の姪をいかに教育したかについて言及し
 【父親が三人いるようなものだ】と書いている。
 ・・・・母も姉達も親代わりになって、よく可愛がってくれた。

しかし個性の強い信念の人達なので、
可愛がり方も三人三様で一貫性はなかった。

町子姉は自分自身が腕白少女だったので、楽しかった体験を
姪達にも味合せてやりたいと思ったらしい。
お隣との境にあった太い樫の木に、登れ、登れとけしかけて
天辺(てっぺん)まで登らせ、
『いろいろ見えるでしょう?屋根の上のほうが、もっと見えるわよ』
と叫ぶ。・・・・・

まり子姉は心配性で、子供達の姿が見えないと、
お手伝いさんを動員して探し回り、どこにもいないとなると、
『誘拐されたんじゃないの』と青くなる。

そこへ町子姉がやってきて、
『屋根の上にいるわよ。少しは冒険させないと、ひ弱に育つわ』
と言い、まり子姉は、
『危ないじゃないの、落ちたらどうするのよ。下はコンクリートよ。
 打ちどころが悪かったら命にかかわるわ』
『過保護なのよ、お姉様は!』
と教育のあり方をめぐって激論となり、
火花の散るようなケンカに発展する。・・・」(p101~102)

そういえば、『サザエさん うちあけ話』には
妹洋子が、高名な心理学者にたずねる場面があります。
心理学者が洋子さんの質問に答えています。

「それはちがいます。お宅はお母さまが三人ではなく、
 お父さまが三人なのです。」

「さすがに名言です。妹の洋子もコドモが中学上級のころから、
 姉妹社の片ぼうかついで、はたらいていますので、
 三人とも、思考、発想、行動すべてが
 父おや的なのに、気づきました。」(p116)

心配性といえば、町子さんの感傷に触れた箇所が
『サザエさん うちあけ話』にありました。
箱根の別荘が、燃え落ちたあとでした。

『あのカヤぶきの家、本ダナ、あの絵・・』
失ったものを惜しんで語りあかそうと、町子はまり子の
部屋のドアを叩きます。

『別荘なんかいらないョ、それよりケンコウ第一!』
『スイミン スイミン』とまり子。
そして、ドアをバタンと閉めてしまいます。

まり子は、翌朝9時すぎおきてきて
『ア~。よーくねた!!』
落ちくぼんだ眼をして立っている町子の
後ろにはコメントがあります。

「これで、私のハコネの感傷も 姉の大アクビの中に、
 きれいさっぱり のみこまれてしまいました。」(p75)


はい。「サザエさん うちあけ話』と「サザエさんの東京物語」
を2冊ならべて本棚へもどします。
さあ次は、「いじわるばあさん」が古本で届くのを待つばかり。





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