和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

子規選集巻末解説。

2014-09-30 | 前書・後書。
とりあえず、
子規選集全15巻の巻末解説を読む(笑)。
長谷川櫂氏の解説が印象に残る。
ということで、
子規選集1巻目「子規の三大随筆」。
その巻末解説長谷川櫂氏の
書き出しと締め括りとを引用。

はじまりは

「子規は、はっきりものをいう人である。
文章であれ俳句、短歌であれ子規の書いたもの
を読むとき、爽快な驚きを感じるのは子規の
書く言葉の率直さ、そこに表われる子規という
人の生き方の率直さである。・・・」

おわりはというと

「病牀六尺、これがわが世界である。 
『病牀六尺』の書き出しの一文である。
何と晴れやかな宣言だろうか。これを
記したとき、子規の心には、わが身を
蹂躙する病さえも楽しもうとする気概が
あった。近代の俳句も短歌も文章も、
子規の苦痛と歓喜にまみれたこの聖なる
六尺の病床で生まれ、ここから巣立っていった。」(p467)


さあ、解説のつぎは、本文。
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子規選集。

2014-09-29 | 古典
「棒ほど願って針ほど叶う」
「富士の山ほど願って蟻塚ほど叶う」

という諺は、江戸中期あたりから
あったそうです。意味は
「願うものは大きくても実現するものは
小さいということ。」(岩波ことわざ辞典)

はい。
このたび、
子規選集全15巻揃いを購入。
昨日夕方届きました。

天地書房(大阪市中央区難波)
18000円+代引き手数料300円=18300円
ちなみに送料は会員になると無料。

この古本を購入するのに、
3軒のネット古本屋に注文。
最初の2軒は、どちらも一日たってから
売り切れておりましたと通知がくる。
売り切れが、2回続くのははじめて。
3軒目は、連絡がおくれていたので、
また、売り切れかと、こちらから
キャンセルすることに。
そして、4軒目で、スムーズに
購入できました。
うん。こういうこともある。

この秋は正岡子規に、チャレンジ。
ちなみに
子規選集全15冊の発行は増進会出版社。
編集はゼット会出版。



藤井乙男編「諺語大辞典」(有朋堂)
をひらくと、
「棒ホド願ウテ針ホド叶フ」
志大にして成る所小なるをいふ。
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居士の気魄。

2014-09-28 | 古典
柴田宵曲著「評伝正岡子規」(岩波文庫)
得意のパラパラ読み。飛び飛び読み。
うん。パラパラ読みでも読めてよかった。
「また、きちんと読み返すんだ」と
そう思わしめる一冊(笑)。


二箇所気になる。

一箇所目は

「要するに居士は文学者たらんとするために学問すべきことを切言し、虚子氏は文学者になりたいとは思うけれども、厭で堪らぬ学問までしてなろうとは思わぬという、ここに大きな分岐点があるのである。冷静に考えれば、この分岐点は両者の立場なり、性格なりからいってむしろ無理のないところであろうと思われる。」(p158)

二箇所目は

「『病牀苦語』は最後に碧(碧梧桐)、虚(虚子)両氏と俳句を談ずることが書いてある。その中に『我々の俳句の標準は年月を経るに従っていよいよ一致する点もあるが、またいよいよ遠ざかって行く点もある。むしろその一致して行く処は今日までにほぼ一致してしもうて、今日以後はだんだんに遠ざかって行く方の傾向が多いのではあるまいかと思われる』といい、『芭蕉の弟子に芭蕉のような人がなく、其角の弟子に其角のような人が出ないばかりでなく、殆んどすべての俳人は殆んど皆独り独りに違って居る。それが必然であるのみならず、その違って居る処が今日のわれわれから見ても面白いと思うのである』というあたりは、晩年の居士の言として頗る傾聴に値する。我見に執するとか、強いて羈絆(きはん)を加えようとかいう痕跡は毫も見えぬ。各人をして各人の賦性(ふせい)のままに、自由に驥足(きそく)を伸さしめようとするところに、汪洋(おうよう)たる居士の気魄を感ずることが出来る。」(p309~310)
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自由を達せずして。

2014-09-27 | 古典
福沢諭吉の「学問のすすめ」。
あれっ。その初編に、こんな箇所。


「・・・しかるに支那人などのごとく、
わが国より外に国なきごとく、外国の人を
見ればひとくちに夷狄夷狄と唱へ、四足にて
あるく畜類のやうにこれを賤しめ、これを嫌ひ、
自国の力をも計らずして、みだりに外国人を
追ひ払はんとし、かへつてその夷狄に窘(くる)
しめらるるなどの始末は、実に国の分限を知らず、
一人の身の上にていへば、天然の自由を達せずして、
我儘放蕩に陥る者といふべし。」
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おごる『平家新聞』。

2014-09-26 | 朝日新聞
雑誌「WILL」11月号発売。
ということで、パラパラ読み。

矢崎泰久氏の対談のはじまりは、

「十年ほど前の『WILL』創刊の時、花田さんから送ってもらって僕も読んでみた。唖然としたね。『こんな偏向した雑誌が、世の中に通用するわけがない。すぐに潰れる』と即座に思った。ところが、そうじゃなかった。・・・」(p224)

まず印象に残ったのは、
今回は日下公人氏の7頁の文でした。

「慰安婦問題についても、私は96年に『VOICE』誌に『「従軍慰安婦」問題の不思議』という文章を寄稿し、売春を前提とした国家による強制連行はなかったと考える理由を述べた。」(p88~)

「私はかねてより、『日本を変えるのは赤字だ』と言ってきた。役所もそうだが、いくら財政危機を言ったところで、役所は予算を取れるだけ取ろうとするもので『赤字になる』までは観念しないものだ。・・・・」

広告の箇所も印象深い。

「朝日新聞の凋落は広告を見るだけでも分かるのだが、経営悪化を広告で取り戻すという路線を変えられないため、いまも紙面の半分が広告になっている。新聞協会が『広告は五割まで』と抑えているからこの程度で済んでいるが、申し合わせがなければいくらでも増えるだろう。
広告偏重から脱することができないでいると、そのうちに報道力がみるみる落ちていく。広告のための紙面刷新はあっても報道のための刷新はなく、いまだに日教組、労組などの左翼勢力を頼りにして、彼らが喜ぶような記事を載せている。だが、これからもその路線を続けていくのは無理がある。」(p90)

うん。全文を読んで頂きたい(笑)。
そのために、もうすこし引用。

「朝日新聞はすっかり上から目線になり、謙虚さを忘れ、在野精神を忘れた。・・・朝日はいつも上から目線で、自分の不勉強が原因の劣等感を隠すために、メディアの優越感を丸出しにして『読者に教えてやろう』『誘導してやろう』とするが、これは報道ではない。」(p91~92)

う~ん。もう一箇所引用させてください。

「朝日新聞は『平家物語』のストーリーを辿っている。・・『週刊新潮』はそれが分かっていて、朝日特集のタイトルに『おごる朝日は久しからず』とつけた。新聞社の黄金期は四十年続いた。が、ここ十年ほどは、まさに朝日新聞が時々刻々と平家になりつつあった。そのことに気づいていた人もいるはずだが、朝日新聞はそのことに気づいていなかったのである。・・・・来るべきものが来ただけで、謝罪によって朝日が良くなるというものではない。反省し、謝罪したからと言って、朝日はこのままではもはや新しい記事は書けないだろう。」


きれいな文なので、一読で、読み過ごすには勿体ない。
う~ん。最後の方も引用したくなります。

「朝日新聞の今年の内定者の会で、内定者の大学生から、慰安婦報道について『検証記事などで慰安婦問題が話題になっていますが、それについてどうお考えですか?』との質問が飛んだ・・・学生のほうもこれから記者になる人間ならば、『私ならこうします』という答えを用意していないようでは情けない。」


ところで、この日下氏の文の題は
「朝日新聞に迫る『葬式新聞』化」となっております。
これじゃわからないなあ。私なら
「朝日新聞と『平家物語』のナゾ」
とでもしたくなります。
もっと短く題するなら、
「おごる『平家新聞』」。

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柿と礼状。

2014-09-25 | 手紙
未読の
柴田宵曲著「評伝正岡子規」(岩波文庫)を
とりだして、パラパラ。

その明治30年の箇所に、

送秋山真之米国行(あきやまさねゆきべいこくゆきをおくる)
君を送りて思ふことあり蚊帳に泣く

これがp189で、数ページあとのp193には
こんな箇所がありました。

「10月10日、京都から帰って来た桂湖村(かつらこそん)氏が愚庵の庭になった『つりがね』という柿と松茸とを居士(子規)の病牀にもたらした。その日の日記には『愚庵の柿つりがねといへるをもらひて』と前書して柿の句が記されているが、居士はこの柿について愚庵和尚に何もいってやらなかった。毎日小説執筆中であったため、取紛れて手紙を書く暇がなかったのかも知れぬ。居士が愚庵和尚へ礼状をしたためたのは10月28日の夜で、その翌朝湖村氏の来訪を受けた。湖村氏のもとに愚庵和尚の寄せ来った端書には歌が六首記されており、その最後の一首に『正岡はまさきくてあるか柿の実のあまきともいはずしぶきともいはず』とあったのは、和尚が湖村氏に柿を託して以来、杳然(ようぜん)として消息なきを訝ったのである。居士はこの歌を読んで、直に追かけて次の手紙を和尚に贈った。・・・・」

うん。このあとに子規の手紙と短歌とが続いており楽しめます(笑)。
また、柿が出回るころに、
この柿と礼状の箇所を読み返せれば。
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ラジオ・デイズ。

2014-09-24 | 本棚並べ
今日届いた古本は、


史録書房(練馬区西大泉)
尾嶋義之著「志村正順のラジオ・デイズ」(洋泉社)
650円+送料300円=950円

帯は永六輔氏で

「ページをめくる。
あの声が聞こえる。
あの名放送に胸が熱くなる。
僕たちの志村正順アナが
活字になって帰ってきた。---永六輔」


三浦勝也著
「近代日本語と文語文」(勉誠出版)の
p48~52に志村清順というのがあります。

「歌謡曲全盛の昭和20年代、30年代は野球、
相撲という国民的スポーツの全盛期でもあり
ました。この二つのスポーツの隆盛を側面から
支えたのがラジオを媒体とする実況放送で、
これなくして野球、相撲の人気沸騰はなかった
といっても過言ではないのです。スポーツ
実況放送の先駆けとしては昭和初期に松内
則三という名アナウンサーがいましたが、
実況放送が生んだ戦後最大のスターは、
NHKのスポーツアナウンサー志村清順です。」
(p48)

尾嶋義之氏の本の題名が
「志村正順のラジオ・デイズ」となっている
のですから、志村清順は、正順の誤りなのでしょう。

ということで、
古本を購入(笑)。
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随筆の場合。

2014-09-23 | 短文紹介
ふるほん上海ラヂオ(京都市北区衣笠北荒見町)
から、注文してあった古本が届く。

群像日本の作家「丸谷才一」(小学館)
200円+送料80円=280円
ありがたい。

そこに、向井敏さんの文が載っております。
丸谷才一著「好きな背広」(文春文庫)の解説
と最後にありました。そこからの再録。
その文をパラパラめくっていると、
こんな箇所があります。

「・・・随筆の場合には
そういった意味での制約や禁忌は何一つない。
だから思うさま遊びに打ちこめるというわけだが、
しかし逆に、もし遊ぶことをやめれば、あるいは
遊び方がだらしなければ、見物人はたちまち去って
しまうだろう。つまり、随筆というのは、
遊びの芸のかぎりをつくしてみせるからこそ、
本来無用であるにもかかわらず、見物人が
押しかけてくるという性質の文章なのである。
・・・・」(p140)

うん。この定義が成り立つ(笑)。
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夏から秋。

2014-09-22 | 詩歌
この夏は、
中村草田男を読み返そうと思ったのに
読まずじまい。
ということで、出してきたのが
正岡子規著「病牀六尺」(岩波文庫ワイド版)
パラリとひらくと、
こんな箇所。

「去年の夏、毎日毎日暑さに苦しめられて
終日病床にもがいた末、日脚が斜めに樹の影を
押して、微風が夕顔の白き花を吹き揺かすのを
見ると何ともいはれぬ心持になつて始めて人間
に生き返るのであった。その昼中の苦とその
夕方の愉快さとが忘られんので今年も去年より
一倍の苦を感ずるのは知れきつて居るから、
せめて夕顔の白き花でも見ねばとてもたまるまい
と思ふて夕顔の苗を買ふて病室の前に植ゑつけたが
一本も残らず枯れてしまふた。看病のために庭の
掃除も手入も出来ぬ上に、植木屋が来てくれんで
松も椎も枝がはびこつて草苗などは下蔭になつて
生長することが出来ぬのであらう。もう今頃は
白い花が風に動いて居るだろうと思ふと、見ぬ
家の夕顔さへ面影に立つて羨ましくて羨ましくて
たまらぬ。・・・(八月十二日)p145~146

さてっと、この文庫の解説は
上田三四二氏でした。その解説の最後を引用。

「『病牀六尺』の最後の回の載った翌
9月18日、覚悟の子規は妹律らにたすけられて
辛うじて筆を持ち、画板に貼った唐紙に辞世の句
を書付けた。『糸瓜咲て痰のつまりし仏なか』。
痰を切り、ひと息いれて、
『痰一斗糸瓜の水も間にあわず』。
またひと休みして、
『をとゝひのへちまの水も取らざりき』。
そこで、筆を投げた。穂先がシーツを
わずかに汚した。そしてその日のうちに
昏睡におちいった子規は、越えて19日の
午前1時に、息を引き取る。36歳。
いまふうに数えて、35歳になる直前であった。」
(p193)

うん。この秋は正岡子規を読みたい(笑)。
コメント (2)
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候文の手紙の便利。

2014-09-21 | 手紙
いつもは、一読して顧みずに、
次の本へ、となるのですが、
三浦勝也著「近代日本語と文語文」は
指南書を読む要領で、再読する楽しみ
がありました。

最初の方にこうあります。

「以前二十歳前後の学生たちを相手に
『国語表現』という講義を担当していたとき、
面白い経験をしたことがあります。
一年間の講義もそろそろ終わりに近づいたころ、
二回分ほどの時間を使って手紙の書き方の
説明と実践を試みました。講義の付録の
つもりです。すると説明を始めるや一年の
大半を退屈を我慢して聴いていた(ふりをしていた)
学生たちが、真剣な顔でノートをとり始めたのです。
話の内容といえば、拝啓で始まり敬具で終わること、
自分のことは後回しにしてまず相手のご機嫌を
うかがうこと、文中、相手の名前はなるべく
行の下に置かないように、自分の名前は上に
ならないようにしたほうがいいだろうといった
程度の、言わば手紙のイロハ、講義の名にも
値しないような事柄です。しかし、学生たちの
この反応は、ほぼ毎年、例外なく同じでした。
その時、かれらが小・中・高を通じて、
手紙の書き方、その言葉遣いなどを教えられて
こなかったこと、若い世代といえども改まった
場できちんとものを言う(書く)ことができる
ようにしておきたいと欲していることを知り
ました。」(p29)

うん。うん。
もうすこし引用を続けます。

「現代の日本人は文語文を書かなくなりましたが、
文章の骨格や表現のしかたから見ると、『拝啓、
向寒の候皆さまにはますますご健勝の御事と
存じます。』というおなじみの儀礼的な手紙文は、
あきらかに昔の候文の流れを引いています。
いわば口語文の中の文語的文章といっていいか
もしれません。つまり現代の日本人といえども
文語風の表現というものは必要であり、欲して
もいるのです。
真心溢れる手紙というものはもちろんもらって
嬉しいにちがいないにしても、私たちのやり取り
する手紙の大半は儀礼的なものです。しかし、
ものを贈って、常套句のみの手紙であっても
自筆で返事をもらったときは、その人に対する
信頼は増すものであることを私たちは知っています。
手紙というものを現代人が書かなくなった理由には、
・ ・・・決まり文句で手紙を書くことができなく
なったことも理由の一つだと思います。たしかに、
中元や歳暮の礼状を書くたびに沈思黙考していては
身がもちません。
候文というのは、覚えてしまうとなかなか便利なもの
だったよと、新米の教員だったころ明治生まれの
古参の先輩から聞いたことがあります。
文語体には文語体の効用もあったのです。」(p30~31)
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近代文語文の文庫案内。

2014-09-20 | 本棚並べ
気になるので、
三浦勝也著「近代日本語と文語文」(勉誠出版)
を読み直す。うん。読めてよかった。
読み直して、あらためて思いました。
ちょうど、自分の興味の盲点を指摘して
いただいた、そのありがたさ。

さてっと、最後に図書案内があります。
文庫本で読む近代文語文、とあります。

その前にある、参考文献一覧のほうが
6頁にわたり充実しております。
でも、それはそれ。

文庫本で手に入る近代文語文の図書案内
を以下に引用しておきます。

引用をする前に、以下の文庫で
私が最後まで読んだのは2冊(笑)。

中村正直訳「西国立志編」講談社学術文庫
福沢諭吉「学問のすすめ」岩波文庫
田口卯吉「日本開化小史」岩波文庫
陸 羯南「近時政論考」岩波文庫
徳富蘇峰「吉田松陰」岩波文庫
内村鑑三「基督信徒のなぐさめ」岩波文庫
松原岩五郎「最暗黒の東京」岩波文庫
志賀重昂「日本風景論」講談社学術文庫
国木田独歩「愛弟通信」岩波文庫
陸奥宗光「蹇蹇録」岩波文庫
竹越与三郎「二千五百年史」講談社学術文庫
福地桜痴「幕末政治家」岩波文庫
横山源之助「日本の下層社会」岩波文庫
正岡子規「歌よみに与ふる書」岩波文庫
徳富蘆花「自然と人生」岩波文庫
中江兆民「一年有半」岩波文庫
幸徳秋水「兆民先生・兆民先生行状記」岩波文庫
宮崎滔天「三十三年の夢」岩波文庫
原 勝郎「日本中世史」講談社学術文庫
荒畑寒村「谷中村滅亡史」岩波文庫
『平民新聞論説集』岩波文庫
柳田国男「遠野物語」新潮文庫
山路愛山「徳川家康」岩波文庫
永井荷風「摘録 断腸亭日乗」岩波文庫
山田風太郎「戦中派不戦日記」講談社文庫
吉田 満「戦艦大和の最期」角川文庫
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こいつぁ箱だよ。

2014-09-19 | 本棚並べ
スーパーのレジ。
レジを済ませて、次に、荷物を袋に
入れる台がある窓際へ。その台の下に、
お菓子などの空き段ボールが置いてあります。
小ぶりの段ボール箱にお酒類や、牛乳パック
とかをつめて持ち帰る。車だと段ボール箱に
入れるのは安定感バツグン(笑)。

さてっと、そのようにしてたまった
段ボール箱を真っ二つにカッターで切り、
簡単な本棚代わりにしております。
これなら机の上に置いても、下に置いても
持ち運びも簡単、惜し気がありません。
フタをしないで、中が見えるのがミソ。
う~ん。蛸壺みたいなものでしょうか。
カラの段ボール箱に、いつのまにやら、
蛸ならぬ、本がつまっている。

さてっと、今日の蛸壺(笑)は、
どんな本がはいっているかというと

三浦勝也著「近代日本語と文語文」(勉誠出版)
橘南谿著「東西遊記」1・2(東洋文庫)
明治文学全集92「明治人物論集」(筑摩書房)
古田島洋介著「日本近代史を学ぶための文語文」(吉川弘文館)
古田島洋介著「漢文訓読入門」(明治書院)
古田島洋介著「これならわかる返り点」(新典社新書)
多久弘一・瀬戸口武夫「新版漢文解釈辞典」(国書刊行会)
杉並区立天沼中学校編「ことだま百選」(講談社)
「星の王子さま」(岩波少年文庫)

最後の2冊が、どうして入ってるかって?

たとえば、漢文の簡潔さと、その意訳の
めんどうさとを思っていたら、
星の王子さまの最初の方の箇所が
思い浮かんだんです。

その箇所とは

『ね・・・ヒツジの絵をかいて・・・』
ふしぎなことも、あんまりふしぎすぎると、
とてもいやとはいえないものです。・・・

そこで、ぼくは、ヒツジの絵をかきました。
ぼっちゃんは・・・
『だめ! このヒツジったら、病気で、
いまにも死にそうじゃないか。
かきなおしておくれよ』
ぼくは、かきなおしました。・・・
そこで、ぼくは、またかきなおしました。
でも、それは、まえのとおなじように、
やっぱり、ぼっちゃんの気にいりません。
・ ・・ぼくは、もうがまんしきれなく
なってきました。それに、モーターの
とりはずしをいそいでいたので、
大ざっぱにこんな絵をかきました。
そして、それをなげだすように、
ぼっちゃんに見せました。
『こいつぁ箱だよ。あんたのほしい
ヒツジ、その中にいるよ』
ぶっきらぼうにそういいましたが、
見ると、ぼっちゃんの顔が、
ぱっと明るくなったので、
ぼくは、ひどくめんくらいました。
『うん、こんなのが、ぼく、ほしくて
たまらなかったんだ。このヒツジ、
たくさん草をたべる?』


そうそう、
杉並区率天沼中学校編の
「ことだま百選」には、
「星の王子さま」のセリフが
選ばれていました。
うん。この引用とは違って
もっと気がきいて短いセリフ(笑)。
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漢文解釈辞典。

2014-09-18 | 本棚並べ
多久弘一・瀬戸口武夫著
「新版漢文解釈辞典」(国書刊行会)
の古本が今日届く。

せきぶんどう書店(群馬県館林市赤生田町)
2800円+送料350円=3150円

ちなみに、新刊での価格は5800円+税
となっております。

序は、こうはじまっておりました。

「漢文というものは、語は簡潔で
意は深重、その冴えわたる文の妙味を
味わい、さらに人生の智恵の真髄を探り、
また絢爛豪華な史書を繙くことは、
人生の最高の楽しみと思われる。・・」



ちなみに、カバー裏には

「新版漢文解釈辞典の特色」
として

○初心者にも理解できるよう初歩からていねいに解説。
○漢文によく出る慣用句538を公式化し、26に分類。
○538の公式中、重要句法200を根底句法とし、詳しく解説。
○能率的に漢文を読むにはきわめて便利な解説。


ハイ、頼りにできそうです(笑)。
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転禍為福。

2014-09-17 | 地域
地元地域に、
関東大震災の記念碑があります。

碑文は四百字詰原稿用紙一枚分の漢字が
並びます。その上に、和室のナゲシの
上に横に文字が掲げられているように、
「転禍為福」という書が刻まれております。

関連する震災誌をめくると、
山階宮(やましなのみや)殿下が
震災後に御巡視御慰問にこられて、
語られた、お言葉が印象に残ります。


「今回の地震は多数国民を失ひ
遺族の心中察するにあまりあり
余もまたここに妃を失ひ痛恨に
堪へず・・・一般罹災民に対して
この際災害に屈せず寧ろ禍を転じて
福と為す底の大決心を以て奮励
努力一日も速かに復興の実を挙げ
られんことを余の希望する所にして
・・・」   

という箇所があります。

神社の『震災記念碑』の上部に刻まれた
四文字『転禍為福』の書を見ていると、
殿下が語られた

『災害に屈せず、寧ろ禍を転じて
福と為す底の大決心を以て奮励努力
一日も速かに復興の実を挙げられんことを』


という『大決心』への希望が込められた
ところの震災記念碑であったのだと、
そのように思い至ります。



ところで、
平川祐弘著「日本の正論」(河出書房新社)
をめくっていたら、2011年7月19日の
産経新聞掲載文の終わりに、
こんな箇所がありました。


「『ペテン師』も困るが、鳩山由紀夫元
首相のように『トラスト・ミー』と嘘を
つく男はもっと困る。
民主党の指導者は日本の品格を傷つけた。
震災後のわが国には禍を転じて福となす
政治家が必要だ。日本人が国難に際して
心の深層で感じた価値観に訴えること
こそが次の首相には大切なのである。」
(p112)
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東西遊記。

2014-09-16 | 本棚並べ
注文してあった、
東洋文庫「東西遊記」全2巻が届く。

書誌吉成(札幌市東区北25条東)
2冊揃いで1400円+送料350円=1750円


これは、
三浦勝也著「近代日本語と文語文」(勉誠出版)の
p95~96の文に惹かれて注文したもの。

「日本人なら知らない人はない、芭蕉の
『おくのほそ道』の冒頭ですが、芭蕉の
奥州の旅から百年ほど後の天明年間に、
やはり平泉を訪れて紀行文を著していた
人がいました。伊勢出身の橘南谿(たちばな
なんけい)という人物で、医師でもありました
が、東日本、西日本を広く旅して『東遊記』、
『西遊記』といいう本を残しています。」(p92)

「南谿の文章はまるでレポートのようなもの
です。見たものを見たように、感じたものを
感じたままに書く。文語文には型にはまった
表現や美辞麗句が多いといった評価は、
南谿のような文章には当てはまりません。
当時の人に芭蕉の文章をお手本にして文章を
書きなさいと言ったらそれは無理というもの
でしょうが、南谿の文章なら、普通の人間にも
かけそうです。・・・・
正確でむだのない叙述で、内容的に見ても
現在の中学校の生徒にも興味が持てそうです。
実際この文章は旧制中学校の低学年の教材と
して、よく採られていました。」(p95~96)

うん。「旧制中学校の低学年の教材」
というところに興味が惹かれて注文(笑)。

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