和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

朝日フタ宣言。

2007-09-30 | Weblog
読売新聞2007年9月25日に塩川正十郎氏の談話が掲載されておりました。
その中にこんな言葉が

「福田新総裁に必要なことは、党内に、『さあ行こう』という新しい空気を作り出すことだ。・・・・・政権が発足してすぐ問題となるのは、テロ対策特別措置法だ。これは出直して、一から国民にきちっと説明する必要がある。
『テロ特措法』という略称から、すごく誤解を受けている。
『(略)国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法』という法律の名前から説明することが大事だ。今回、日本などの貢献に対する『謝意』を明記した国連安保理決議が採択された。・・・・・」


ところで「朝日」の最近の古新聞をもらってきたので、「テロ特措法」に関連する記事を拾ってみました。9月22日の朝日新聞一面左上に「海自の米艦への給油 イラク作戦へ流用の疑い」という見出し。
「インド洋で活動する海上自衛隊の補給艦が03年2月、対イラク戦争開始直前の米空母キティホークに間接的に給油していた問題で・・・」と始まっております。

さて、9月28日朝日新聞の社説「福田外交 世界に向けて所信を語れ」には、いろいろと盛りだくさんの課題を列挙してます。ただ、この社説には「テロ特措法」の言葉がない。朝日新聞の社説では触れることを避けた配慮。読者に「テロ特措法」を思い浮かばせないという細かい配慮を感じさせる社説です。朝日新聞の一紙だけを購読している読者に、「テロ特措法」への連想を消すという朝日の深慮遠謀。情報洪水は、こういう時に、ある一つのことを消しても気づかずに流し去ります。この効果的な情報操作で、塩川氏の「すぐ問題となる」ことを、まるで消しゴムで消し去るように、社説から消しておりました。まるで、フタでもしているようです。それって朝日フタ。そう朝日ブタ。情報操作は民意誘導のじつに効果的な切り札。朝日は社説で、言葉を消し去ることで、それを宣言しておられる。こうして朝日の記事構成は、注意深く社説に従うでしょう。議論するテーマから「テロ特措法」を外せれば朝日はベストなのでしょう。朝日が見えなくするフタ。そう朝日ブタの暗躍物語。朝日新聞と言えば全面広告で今も記憶に新しい「ジャーナリスト宣言」というのがありました。私なら「朝日フタ宣言」(意味:ある決定的な要素には蓋(ふた)をして、民意を目くらましの情報洪水の渦にまきこむ朝日一流のジャーナリスト宣言のこと。通称「朝日ブタ宣言」)。
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民意に届け。

2007-09-28 | Weblog
「池上彰の新聞勉強術」(ダイヤモンド社・2006年)の中に、こんな箇所があります。

「読売、朝日、毎日、産経などの新聞は『全国紙』と呼ばれます。そこで、全国の読者がいる新聞だと思いがちですが、実体は『大都市新聞』なのです。つまり、主な読者は大都市とその周辺の住民に限られるのです。
朝日、毎日、読売は、それでも全国に取材網を張り巡らしていますが、産経となりますと、全国をカバーしているとは言えません。産経の読者は、首都圏と関西圏だけに限られます。全国の人に読まれている新聞ではないのです。」(p40)

産経新聞を購読して、注意を要するのは、池上彰氏の指摘なのですね。
つまり、産経は「全国の人に読まれている新聞ではない」ということ。
ついつい、皆さんが読んでいると購読者の私は勘違いしていることがあります。

さて、それでは本題。

9月27日の産経新聞一面は、コラムや広告を除き、全体のスペースの三分の一をタンカー・テロについての署名記事(湯浅博)で埋めておりました。写真は大型タンカー「高鈴」。そして、ペルシャ湾周辺の地図などです。
こんなふうに始まります。

「・・ペルシャ湾からはるばるインド洋の波涛(はとう)を越えて、原油を日本に運んでくる。原油の9割を中東に依存する日本の命綱の一つであることはいうまでもない。それが電力をはじめとして日本経済を支え、クルマを自在に走らせている。」

具体的なタンカーを襲う自爆テロの例を、ここで紹介しております。

「英ペルシャ湾派遣艦ノーフォークの作戦日記によれば、2004年4月24日、石油積み出しターミナルが小型の高速ボートによる自爆攻撃の標的になった。ターミナルの損害は軽微だったが、係留中だった『高鈴』が危機に直面した。多国籍軍の艦艇が、ターミナルに接近中の不審な高速ボート3隻を発見し、銃撃戦になった。うち1隻の高速ボートは『高鈴』の手前数百㍍で大爆発を起こし、その金属の破片や遺体の一部がタンカーの甲板に降り注いだという。・・・・タンカーは船体を銃弾でえぐられ、鉄製ドアが吹き飛ばされただけで済んだ。しかし、この自爆テロで、多国籍軍のうち米海軍兵2人と沿岸警備隊員1人が死亡した。・・その数日後、国際テロ組織アルカーイダに関係するザルカウィ容疑者の犯行声明が出た。彼らはタンカーを狙えば原油価格が高騰し、西側の主要国が耐えられなくなると信じている。ペルシャ湾内には『高鈴』を運航する日本郵船を含め、日本関連のタンカーだけで常時40~50隻がひしめいている。日本郵船の安全環境グループ長、関根博さんは『多国籍軍が警戒していなければ、とてもバスラ沖には近づけない』と語る。」

本文の真ん中は、湯浅博氏の取材した重要な箇所なのですが、ここは直接に新聞を読んでもらうこと期待して、この文の最後を引用します。

「いまも『高鈴』は26日現在、海自艦が警戒するインド洋の北側、アラビア海を西に向かって航行している。数日後にはそのペルシャ湾に入ることになるだろう。・・関根博さんは、テロ特措法がなくなって日本のタンカーが無防備になることをもっとも恐れる。『タンカーは危険地域でも行かねばならない。ペルシャ湾内もできれば海自艦に守ってほしいがそれができないからインド洋で補給活動をしていると理解している』国際社会でテロ、侵略、恫喝(どうかつ)をなくすことは不可能に近い。日本という有力国が一国の勝手な都合だけで脱落することは、他に危険と負担をツケ回すことに等しい。」


ちなみに、同じ日の9月27日読売新聞一面はミャンマー軍事政権の記事と写真。見出しは「デモに発砲3人死亡」でした。
全国では読まれていないという産経新聞の一面署名記事を、今日は引用してみたというわけです。せめて、「民意」と総称される、その中のお一人に届け。そして、産経のこの署名記事を読み返す人が何人かでもいれば。そう思いながら引用してみました。


追記。日経新聞の9月13日一面コラム「春秋」を読めました。
そこには、安倍首相の辞任会見が紹介されておりました。
こんな箇所があったのです。

「約二十分間の短い記者会見の中で、首相が繰り返した文言が三つある。
『テロとの戦い』と『改革』がそれぞれ五回。・・・
もっとも多く六回も発した単語は『局面』だった。
責務を果たすのが難しい局面を打開し、転換し、変えるために辞任する。
そんな理由を縷々(るる)説明した。」

うん。「テロとの戦い」・・「局面を打開」を首相は繰り返していたのですね。
辞任によって、このメッセージは届いたでしょうか?
すくなくとも、私には届きました。


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買う言葉。

2007-09-27 | Weblog
月刊誌「WILL」11月号が発売になっております。
面白いんです。私が読み応えを感じたのはというと、

中西輝政氏の「小沢一郎と日本共産党」。
潮匡人氏の「普通の国はどこへ消えた」。
堤堯・久保絋之対談「安倍に正統なる政治死を」。

それはそれとして、ここでは、巻頭随筆の日下公人の文を紹介します。
マスコミについて語られているのですが、

「失礼になるといけないと思い、そこまでは言わずに暮らしてきたが」
としてマスコミの迷走を指摘してゆくのです。
終りの方にこうあります。

「今のように大同小異で民意と称するオチャラケ解説や枝葉末節のエラー探しに精を出していると、いずれまともな人は政治家にならなくなる。現に参議院はそうなった。だから「参院不要論」が出てくる。それからさらに面白いことに、まともな人はメディアにも行かなくなる。」

大胆な予告ですが、スッキリとした論を提示しております。
日下氏が語る具体的な箇所は、ここでしょうか。

「安倍首相は小泉劇場で主役を演ずるような人ではない。愚問にも真面目に対応し、説明責任を果たせといわれれば細かく答えた。そうすると【くどい】とか【人物が小さい】とか【国民は納得するでしょうか】など、畳み掛けて一本とったような顔をしていたが、国民はそんなかっこつけの猿芝居には飽き飽きしている。カネを払ってみるほどのものではない(だから「WILL」が売れる)。」

一冊の本も紹介しておりました。
上杉隆著「小泉の勝利、メディアの敗北」(草思社)です。
この紹介も見事だなあ。こうです

「著者はニューヨーク・タイムズの記者をした人で、まず自分が書いた記事を採録し、次にそれがいかに間違っていたかを述べる。あまりにも良心的で頭が下がる思いに包まれながら往事を思い出して一気に読んだ。」
こうして田中真紀子の外務大臣問題・ホリエモン立候補・郵政民営化・総選挙をちょいとおさらいして日下氏はこう書いておりました。

「そうだったのか――と思うが、そのあとには、なぜこんな話がそのときは報道されなかったのかという疑問がわいてくる。私個人は友人、知人からウラ話として聞いたことが裏付けられて安心するが、一般国民は新聞購読料やテレビ視聴料が丸損だったと分かるはずである。」

そうだ、新聞購読料などを払いながら、我知らずマスコミの迷走につきあっている私に思いいたります。

日下氏は、マスコミ界をこう指摘しております。

「勉強せず、自分の考えも持たず、単に流行に乗って・・」
「誉めるものを誉め、けなすものをけなして仕事をしたつもりで毎日を過ごす。
ひたすら、次の大事件が起こって、読者がこれまでの間違った解説や外れた予測を一日でも早く忘れることを祈っている。
・・・そんな毎日だと思うが、当人たちは『民意を代表して権力を叩く』という使命を果しているつもりである・・・。」


これで2ページの、日下氏の巻頭随筆の主要な箇所を引用しちゃいました。

「カネを払って」月刊誌「WILL」11月号をお読みください。
これが、言葉に対して、お金を払うということだったのだ。と、
手応えがあったなら、私も引用した「買い」じゃなかった、甲斐があったというものです。
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柔道の外交。

2007-09-26 | Weblog
産経新聞2007年9月22日に「中学の武道必修化」ということでアンケートが載っておりました。そこの解説に「文部科学省の諮問機関『中央教育審議会』の専門部会は、中学1、2年生の男女を対象に、保健体育の授業で、現在は選択制の武道とダンスを必修化することを大筋で了承した。今年度内に改定される予定の学習指導要領に盛り込む見通しで、早ければ平成23年度にも実施される。・・・」とありました。
その同じ日の同じ新聞。連載コラム「緯度経度」に「柔道にみる日本の主張」という文章が載っておりました。古森義久氏が書いております。
そのはじまりは
「リオデジャネイロでの世界柔道選手権で日本選手への判定が論議を呼んだことを知って、日本にとって柔道も外交も同じだなと感じながら、かつて自分がワシントンからリオに飛び、柔道取材をした体験をつい想起した。1978年11月、たまたま今回と同じリオでの第5回世界学生柔道選手権だった。当時、毎日新聞のワシントン特派員だった私は学生時代に自分も柔道に励んでいたことから、とくにこの取材を志願した。」とあり、
つづいて具体例を示したあとに
「・・このころから不可解な判定に悩まされていたのである。このときの日本の監督がかの有名な神永昭夫氏だった。神永監督は正面からこの判定に抗議し、撤回を求めた。運営側はその抗議を英文の書面で提出するようにと指示した。すると、神永監督はすたすたと記者席の私のところに歩いてきて、『いまから私の抗議の口述を英訳してください』と要請した。私の大学柔道歴や米国駐在を知っていての注文だった。柔道を経験していて神永氏の要請を断れる人間はいなかった。私は報道業務を一時中止して、必死で和文英訳に取り組んだ。文書で出された日本の抗議も結局はいれられなかった。だが抗議の事実と内容ははっきりと記録に残った。曲がりなりにも日本の対外発信はここで公式に認知されたのである。」

ここから、井上康生、鈴木桂治両選手の判定に話題が及ぶのです。
古森氏は、全ブラジル柔道有段者会の関根隆範副会長(六段)と全日本学生柔道連盟の植村健次郎副会長(六段)のお二人の意見を聞き、それを記したあとに

「日本選手の行動としては異例だった。それほど判定は認め難かったのだろう。だが日本選手団がコーチらを通じて正式に抗議をしたという形跡はない。この点、前述の関根氏は『日本として徹底的に正式に抗議をすべきだった』と述べる。植村氏も『抗議だけでなく審判員の質や能力、そして審判規則のあり方まで日本が日ごろ発言し、主張をぶつけておく必要がある』と訴える。」

だいぶはしょって意味不明になるのも恐れずに文章の最後を引用しておきます。

「要するに日本の対外発信だろう。・・・・個々の具体的部分だけでなく、全体の構造的な国際ルールづくりにまで発信や関与が欠かせなくなった、ということだろう。日本の柔道が抱えるこうした対外発信の課題は、日本の外交から国際社会へのかかわり方全体にまで共通している、と感じた次第だった。」
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あびる るい。

2007-09-25 | Weblog
テレビのキャスターが喋るのと、新聞のコラムの言葉とは、違うわけです。
あとあと読みかえしたいと思う文がありました。
産経新聞2007年9月23日「土日曜日に書く」(最近、正論欄を土日曜日は記者が書くように変わったようです)。そこに政治部 阿比留瑠比(あびるるい)氏が書いていたのです。
はじまりは
「失って初めてその貴重さ、重要性が実感できることがある。日本の歴史、伝統、文化を大切にし、自主独立の国家を目指す保守派は今後、ことあるごとにこの思いをかみしめることになるのではあるまいか。これまで安倍晋三首相とその政権を支持してきたか否かを問わずに、である。」

あとは適宜、はしょって引用します。

「もともと自民党は、右から左まで幅があり、構成議員の大半はそのどちらにでも転ぶ『ノンポリ政党』だといえる。その中にあって安倍政権は、少数派・非主流派である理念的な保守派が中枢を押さえた希有(けう)な政権だった。また、安倍首相は党内外の保守派の期待を背負った切り札だった。」

「安倍首相は、教育基本法改正、防衛庁の省昇格、国民投票法成立・・・と歴代の自民党政権が、その必要性は認めながらもメディアや野党の強い反発を恐れて手をつけなかった法改正に、何の躊躇も見せずに取り組み実現させた。
一方、永住外国人への地方参政権付与、夫婦別姓法案、人権擁護法案、女系天皇を認める皇室典範改正案に国立・無宗教の靖国神社代替施設建設・・などには陰に陽にストップをかけ続けてきた。・・安倍首相という防波堤を失った今、徐々に実行に移されていくことだろう。」

「安倍首相の失敗は、国民に理解されるように、何をどう進めていこうとしているのかの『本心』を、十分に発信できなかったことにある。安倍首相が『いつか分かってもらえる』と考えていたことが実際には伝わらず、誤解され続けたように思えてならない。・・・」
そして最後はこう終わっております。
「安倍首相は、こういった政治家たちと折り合いをつけ、だましだまし政策を遂行していくためには、本心は秘めていないと、足をすくわれるだけだと考えたのかもしれない。」

題して「失って知る安倍政権の輝き」となっておりました。

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死活の問題。

2007-09-24 | Weblog
読売新聞9月23日の一面・二面と「地球を読む」欄に、山内昌之氏が「テロ特措法 海上給油『日本のため』」と題して書いております。
その最初を引用します。

「アフガニスタンとイラクの現状は、中東の政治構図を変えつつある。新しい変動で重要なのは、政治の重心がエジプトなど地中海沿岸からペルシャ湾岸へ移動している点にある。・・・・中東に輸入石油の90%も依存する自動車社会の日本にとって、消費用の安価な石油需要がますます増える以上、ペルシャ湾からインド洋にいたる海上交通路の安全保障は死活の問題なのである。」

ここから、分かりやすく国連安保理決議を踏まえながらの説明がつづくのですが、
ここでは、山内氏の文章の最後を引用しておきます。

「何にしても、イラクの陸自の場合と違い、日本は給油活動によって陸上の危険な任務から免れているのだ。形式上これほど明白に国益優先の一国主義的行動がこぞって国際的支持を得ているのは、奇貨というべきだろう。こうした有利な外交的立場を国連重視の美名のもとに放棄する必要はまたくないのである。」

ところで、
読売新聞9月22日の「論点」欄に田中明彦氏が、変な違和感を抱かせる文章を載せております。
その箇所とは
「私は、テロ特措法の延長問題は、重要な外交・安保課題であると思うし、何とか海上自衛隊の艦船がテロとの戦いに参加している他国の艦艇への給油活動を継続できるようにするのが望ましいと思っている。しかし、これが最大の外交課題、ましてや政局を決する最重要課題だと思うことは、現在の国際環境の解釈として間違っている。なぜなら、現在の国際環境の下、日本外交が全力を投入すべきは、第一に地球環境問題であり、第二に拉致問題を含む北朝鮮問題であり、第三に中国との関係を健全化することだからである。・・・」

う~ん。するとテロ特措法の問題は、第何番目に田中明彦氏は考えておられるのでしょう?何か私には、全力で駆けているマラソン走者に向って、目標は別にあるよと囁くように聞こえます。確かに90%の石油が日本にこなくなれば、地球環境に優しくはなるでしょうけれど。それに拉致・中国問題というのは、米国や国連との関連で押さえなければ空論に帰してしまうと思うのですが、そこいらは、どうなのでしょう。

田中氏は「分割政府となった場合の通例」として、これはこれで、もう割り切らなければいけないのだとしているようです。文章の最後はこうでした。

「・・・これに加えて自衛隊の給油活動の延長もできれば上々だ。もし民主党が賛成しないのであれば、給油活動の停止は民主党の責任なのであるから、政権としては、他のより重要な外交課題を粛々と、しかも効果的に行う体制をつくっていくべきである。」


何か、意見のための意見を聴いているような気分になります。
こうした田中明彦氏の指摘した道筋を、どうしても回避し、
テロ特措法の問題に、あらためて、民意の関心を集めて舵をきろうとした。
それが、安倍首相の辞任が、提起した重要問題であろうと思うわけです。

テロ特措法への理解と説得ということでは、山内昌之氏の語りかけが本筋だと私は思っております。田中明彦氏は「政権は自らの信じる政策を野党に全力で説得する」とあります、田中氏の「テロ特措法」への説得を聞きたかったのですが、田中氏の説教を聞かされた気分でした。


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それだけである。

2007-09-22 | Weblog
産経新聞の一面コラム「産経抄」というのは何人かで手分けして書いているのでしょうか?
今日9月22日の産経抄は魅力があります。
それは昭和35年「安保改定」の際の、社会党の論争の仕方を振り返っておりました。昭和26年に結ばれた日米安保条約の不平等を解消しようとした「安保改定」に際し、社会党が取った立論をコラムで振り返るのです。
その推移を簡略に、コラムでたどっております。

「野党の社会党などが『そもそも安保などいらない』と、議論を振り出しに戻してしまった。現実の国益議論を神学論争にしてしまったのである。国会が混乱すると、こんどはマスコミが『強行採決がケシカラン』と批判を強める。『岸首相(当時)の強権的姿勢のせいだ』となっては、論点は限りなくぼやけてしまった。結局、誰も『安保改定』の意味などわからないまま国全体が混乱に陥ったのだ。今のテロ特措法をめぐる状況もよく似ている。問題は海上自衛隊がインド洋で行っている多国籍軍への補給活動を続けるかどうかだ。それだけである。そのためには、これまでの活動の成果や国際的評価、国際状況に大きな変化があるか、などを考えればすむことだ。ところが、小沢一郎代表ら民主党は『そもそも補給活動が間違っている』と、やはり論議を振り出しに戻そうとしている。それは国連が『謝意決議』までしたインド洋での各国の活動自体を否定するものだ。日本が参加するまでの議論も無視した不毛な反対論である。真の狙いは補給活動阻止よりも自民党への揺さぶりかもしれない。これも安保改定当時の社会党の姿勢と似ている。・・・」


論点を限りなくぼやかして、不毛なものにする論者というのは、いつの時代にも大勢いるものでした。それにしてもコラムの指摘する「現実の国益論議を神学論争にして」というくだりは、日本人の急所をついているのかもしれませんね。その二匹目のドジョウを狙っているとしか考えられない民主党代表の悲しさ。この悲しさを払拭して、「言葉の力」で、どのように民意に語りかけてゆけばよいのか。


追記。産経新聞の9月22日には、読書欄で花田紀凱(かずよし)の「週刊誌ウォッチング」が週刊誌からの視点で、朝日新聞社を眺望しております。

はじまりは
「『週刊朝日』(9月28日号)と『アエラ』(9月24日号)が勝ち誇ったように、安倍総理辞任の大特集。両誌とも表紙は沈鬱な安倍総理の顔のクローズアップ。『朝日』の方はタイトルロゴの上に「安倍逃亡」という特集の総タイトルを大きく載せ、「総力40p」というハシャギぶりだ。・・・『朝日新聞』はむろんのこと、『朝日』『アエラ』、全社あげて病に倒れた一国の総理をここまであしざまに言わなくてはいけないのか。・・・」

そういえば、思い浮かぶのは今西光男著「新聞 資本と経営の昭和史」でした。
その本の「はじめに」で桑原武夫に聞いた話を披露しておりました。
「『新聞で一番面白いのは、じつは下半身ですよ』先生のいう『下半身』とは、新聞紙面の下部を占める新聞広告のことである。掲載された・・・週刊誌、書籍の内容広告などをみれば、いま流行になっているものは何か・・・多くの情報がそこから読み取れる。新聞広告もまた、大事な情報、ニュースだというのだ。・・・」

さしあたり、朝日新聞紙上の「週刊朝日」「アエラ」の内容広告が、読者の関心を操作していく過程として朝日全社体制の総力戦に思い至るのでした。これが何げない情報操作という怖さにつながっているのだと私など思うわけです。

もうひとつ「週刊誌ウォッチング」で、指摘されている名前は忘れないだろうなあ。
こうありました。
「読んでいて不愉快になったのが、朝日新聞コラムニストという早野透なる人物の「『美しい国』の無残な結末」という一文。・・・イヤ味な書きっぷり。朝日のコラムニストもこの程度か。」
わざわざ週刊誌を買って確かめる気もしません。
ですが「早野透なる人物」は、覚えておきます。
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朝日「天の声」。

2007-09-21 | Weblog
昨日のブログに、【坂元一哉「私は思う」】と題して、坂元氏の見解を引用しておきました。今日は、もらって来た朝日新聞の古新聞を読んだのです。気になっていたのが9月13日の一面コラム「天声人語」でした。今日はその「天声人語」を引用してみたいと思ったわけです。

肝心な箇所は、ここでしょう。

「安倍首相が突然、辞意を表明した。代表質問を受ける直前に、随分な職場放棄である。小沢さんに袖にされたから、はなかろう。同じ泣き言でも『疲れた。政治への気力がうせた』の方がまだ得心がいく。『我が国の将来のために続投を決意した』はずだ。インド洋の自衛隊に『職を賭す』のではなかったか。参院選の結果を見れば遅きに失し、最近の言辞からすれば早すぎる。ただの無責任にとどまらず、最後まで頃合いというものを心得ておられぬ。・・・」

でました。「天の声」を看板にする朝日語録。ここぞとばかりの貶(けな)し文句。でも貶してばかりで、すこしも建設的な視点を提示できないわびしさ。そっけなさ。何か日本のことを後回しにでもしているような、むなしさ。

ところで、首相の辞任の理由として記者会見でのべた重要問題はというと。
11月1日に期限が切れるテロ特措法の延長が困難になったことをあげた。それでは
海上自衛隊によるインド洋での給油活動を継続するには、いったいどうすればよいのか?

民主党は、世界での日本の孤立化を選択するつもりでしょう。孤立化なにするものぞ、民主党が政権をとりさえすれば、インド洋を通る石油が途絶えようが、それによって産業がストップしようが、年金問題のようにまだまだ先のことだとシラを切ればよいと、平和の一線を越えようとしている。ここで、平和への保険を、解約するおつもりの民主党小沢氏であります。あとで戦争という事故がおきて、それからゆっくりと保険にでもはいろうとしているのでしょうか。保険金を払うのは1円でも無駄にはできない、解約だ。何しろそれが民意だと、どうやら小沢氏は言いたいようです。この屁理屈を民主党のどなたも静観しているのでしょうか。そうだとするなら、ふがいない党じゃないですか、民主党というのは。私はそう思います。
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坂元一哉「私は思う」。

2007-09-20 | Weblog
9月19日に牧原出氏の時評が読売新聞に【「小沢総理」への条件 表舞台での論戦 信頼生む】と題して掲載されました。
その同じ日。産経新聞正論欄では、坂元一哉氏(大阪大学大学院教授)が「テロ特措法に職を賭して」と題する文が掲載されておりました。比較する意味でも、こちらも引用しておきます。その最後の箇所。

「『生活より大事なものはない』というのは『安全保障』の確保を前提にした話である。しかし、アフガン戦争はアメリカの勝手な戦争だとする小沢氏の延長反対論は、単に『テロとの戦い』における日本の国際的立場を苦しくするだけでなく、安全保障の要である日米同盟を根底から揺るがす。国民の安全を守ることこそ、政治家としての自分の使命と考える安倍首相が、小沢氏の議論に危機感を覚えないはずがない。外遊中の記者会見で首相は、職を賭してもインド洋における多国籍軍への給油継続を実現すると明言した。だが、その3日後、国会での所信表明演説をすませ、国会論戦が始まる直前になって突然、辞意を表明する。健康状態が悪化する中、状況を再検討し、自分がこのまま続けるより辞任した方が給油継続を実現しやすいと判断したのである。突然の辞意表明にはタイミングが悪く、無責任だとの批判が噴出した。首相自身、そうした厳しい批判が出ることは十分承知していただろう。それでも、辞任した方が国益にかなうと見定めたとき、首相の決断に迷いはなかったと、私は思う。」
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牧原出「小沢次第」。

2007-09-19 | Weblog
読売新聞2007年9月19日の文化欄「ウイークリー時評」は牧原出(いづる)氏。何でも東北大学教授・政治学とあります。
このブログでは、先に9月12日「そろそろ平和が終る。」と題して古森義久氏の文を引用しました。それと比較する意味で、この読売新聞の牧原出氏の文から引用してみます。

「・・・つまり小沢(一郎)には、国民から好かれるはずだという自信が不足しているのである。・・・これを克服するには、表舞台で国民の理解と支持を集める経験を積むしかない。従来の小沢のように、『ねじれ国会』の中で、政界再編の裏工作に突き進めば、『総理になる準備』がないまま、終わるであろう。しかし、シーファー駐日大使との会見を公開したように、最近の小沢は『オープンな場』での議論を強調しはじめている。・・・」
牧原氏の文の題は「表舞台での論戦 信頼生む」とあります。どうやら駐日大使との会見を公開したのが、牧原出氏には、たいへんよく見えているようです。ここは重要なので、もう一度[Voice]10月号の古森義久氏の文を比較のために引用してみます。 


「参議院選挙の直後、トーマス・シーファー駐日アメリカ大使と会談した小沢氏はテロ対策特別措置法の延長に反対を表明した。その会談の様子を小沢氏は、すべて日本側のマスコミに見せるという異例の悪趣味な芸当をやってのけた。日本を日米同盟のよきパートナーとか、国際社会の責任ある一員と認めるならば、日本の政治家によるこれほど無謀で非礼な言動も珍しい。この反対は日米同盟の堅持や国際安全保障への貢献という日本の最近のコンセンサスに近い基本路線に背を向ける態度であるうえに、日米間のこの種の重要会談をすべて外部にさらけ出すというのは、外交儀礼を踏みにじっているからだ。」

つづけて

「アメリカ側での反発も激しい。元国防総省日本部長のジム・アワー氏が語る。
『日本がテロ特措法に基づきインド洋で実行している自衛隊の給油活動は、アフガニスタンでの対国際テロ作戦を支えている。この作戦はアメリカ国内で超党派の強い支援を得ている。ほかの諸国の参加も多い。日本がその参加をやめることは日米同盟や国際安保協力からの離反と見なされかねない。・・』小沢氏は反対の理由としてアフガニスタンでの多国籍軍の行動は『アメリカの戦争だ』と断じ、『国連に承認された行動ではない』と主張した。だがアワー氏は『日本の安全保障にとって重大な北朝鮮からの攻撃や中国の台湾への攻撃、さらには日本本土へのほかの脅威に国連が対処してくれるのか』と問う。日米同盟の抑止力こそが日本や東アジアの平和を守る礎石だという意味だろう。小沢氏の国連至上論の否定である。」

この古森氏の視点を、東北大学教授・政治学の牧原出氏の視点と比較してみることが、今回のブログの眼目です。牧原氏は時評の最後をこう締めくくっております。

「今後の国会審議に見応えがあるかどうかは、小沢次第かもしれない。」

こうした内容で、東北大学では政治学の授業を学生が受けているのでしょうか?
同じ読売新聞9月19日の一面トップに「国連 対テロ作戦『感謝』」の見出し。
すこし詳しく引用すると、

「アフガニスタンに展開する国際治安支援部隊(ISAF)の任務延長をめぐり、国連安全保障理事会が近く採択する決議案に、米、英、日本などの有志連合による『不朽の自由作戦(OEF)への『謝意』が盛り込まれることが18日、明らかになった。・・・・海自の活動について、日本の民主党が『国連決議に基づかない』として反対している国内事情を踏まえ、日本政府が関係国に働きかけたものだ。」

ちなみに産経新聞は9月18日から一面で「インド洋補給活動 継続か撤退か」を連載しており、20日まで続くようです。

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なぜか誰も。

2007-09-17 | Weblog
産経新聞2007年9月15日の文化欄コラム「断」は潮匡人氏が書いておりました。
そこに誰も取り上げていない問題を指摘しております。

「『民主党の政権公約マニフェスト』は党の公式サイトに掲載されているが、何度読み直しても『テロ特措法』の文字はない。もちろん『反対』とも書いていない。『イラクから自衛隊を即時撤退』とは書いてあるが、インド洋での給油活動(テロ特措法)には一言も触れていない。なぜか誰もこの問題を取り上げていない・・・・」

ここは重要なのでもうすこし引用しておきましょう。
潮氏のはじまりはこうです。

「安倍首相は辞任表明会見・・・その一時間後に行なわれた小沢一郎民主党代表の記者会見を取り上げたい。記者がこう聞いた。『安倍首相は記者会見で今問題になっているテロ対策の問題、自衛隊のインド洋での給油活動を打開するために自身が辞意を固めたという説明をされていますが、これによって局面は打開されると、お考えでしょうか』一拍空けて小沢代表がこう答えた。『それはわかりません。安倍総理がそう思われたっちゅうことについて私に問われても答えようがありません。私たちは、あ~、テロ特措法につきましても、イラクの問題につきましても、我々の安全保障の基本的な考え方からして、反対をマニフェストにおいても、きちんと国民に示しておりますし、そのマニフェストを示しつつ、我々が過半数を、そして民主党が第一党を得たわけですので、自民党の政権交代劇によって、我々の考え方が変わるっちゅうことは、ありえないことだと思います』(発言のママ)・・・」


さて、新聞記者がどなたも、ふれていない指摘を、潮匡人氏が取り上げているのですが、これから、この問題がどうなるのか?
「マニフェストを示しつつ」と語る小沢氏は、やがて「平和を終える」歴史的一歩を、ご自身の足で踏み出そうとしております。国内政争の材料にされてしまった感のある「テロ特措法」ですが、政党戦略から、本当の戦争を招く道筋を通しかねない愚を犯しながら、ご本人は果たしてわかっているのやら、確信犯的に断定口調です。それを指摘する記者さえおらない。そんなマスコミという情報洪水の空疎さばかりが目立ちます。ここぞという一箇所を押さえられないで、平和を標榜する悲しさ。ここから決壊するという防波堤から退いて、これが安全だ平和だと、信じこませようとするテイタラク。
たとえ最後に戦争へつながったとしても、小沢氏にとっては、これが民意だったと居直る。その姿だけは、いやおうなくも、鮮やかに見えるようではありませんか。
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いずれどこからか。

2007-09-15 | Weblog
産経新聞では、9月13日の「主張」。そして
「正論」欄は「シリーズ安倍首相辞任」と題して、13日に屋山太郎氏。
14日は田久保忠衛氏。どちらも読みごたえがありました。
ここでは、このブログの書き込みの関連で田久保氏の文を引用します。

「・・・首相が政治家として最も重要な出処進退を決めた直接的な理由は、海上自衛隊のインド洋における活動を定めたテロ対策特別措置法の延長に民主党の小沢一郎代表が反対し、その説得に自信を持てなくなったことだろう。『一身を抛(なげう)つ覚悟だった』と述べた首相の心境は痛いほどよくわかる。テロとの戦いを日米関係の観点からだけ論じてきた一般の風潮に私は最初から反対してきた。国際テロリストによる攻撃は民主主義体制そのものに対する不敵な挑戦であり、同じ価値観を共有する国々がアフガニスタンやイラクで戦っているのだ。日本がそこから脱落することは何を意味するか。小沢代表がシーファー駐日米大使を呼びつけたり、首相が提案した党首会談を昂然と拒否しているかのような様子をテレビで見て、私は国際連盟を脱退したときの松岡洋右外相を連想した。日米同盟への影響も甚大だと思う。・・国際テロリストへの戦いで共闘しているはずの日本が手を引いたあと、一般の米国人はどのような感情を抱くであろうか。いささか空想めくが、私が中国の最高指導者であれば、中国海軍のありたけをインド洋に回し、協力を申し出るほか、アフガニスタンへ戦闘部隊を派遣する。日米関係に楔(くさび)を打ち込むことなどはいとも容易ではないか。米国の世論は一夜にして変わる。安倍退陣は日米関係再編の時期到来を意味すると考える。・・・」


13日の屋山太郎氏の文の中に

「とくに朝日新聞は論調、記事ともに『反安倍ビラ』の趣を呈し、紳士の皮を被ったヤクザ的言論に終始した。『日の丸・君が代反対、護憲』の朝日は安倍政権にことごとく反抗した。マスコミの世論誘導の恐ろしさを感じた。」

という箇所があります。それほどにマスコミの世論誘導は恐ろしいわけですが、
「首相が政治家として最も重要な出処進退を決めた直接的な理由」をゆっくりと反芻しながら、あらためてテレビや新聞での報道を読み解く必要を、痛感するのでした。これは現在進行形なのであります。

  なつかしむも自由
  惜しむも自由
  振り向かずに立ち去るも自由
  あざ笑い あざ笑われて
  もうすぐにいなくなる君のうしろを
  千本の指が追うだろう

  ・・・・・・・・・
  ・・・・・・・・・
  いずれどこからか足音がする


( これは安藤元雄の詩「にあらとじ」のはじまりの箇所 )

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そろそろ平和が終る。

2007-09-12 | テレビ
9月12日。昼から安倍首相辞任の報道がテレビで流れておりました。
それについて思う事を書きます。

月刊誌「Voice」10月号は、9月10日に発売。
その雑誌に巻末御免と題して谷沢永一のコラムが連載274回目をむかえておりました。ちなみに、谷沢永一氏は「執筆論」にこう書きつけております。
「何かある事件が突発したとしよう。ただちに夜のテレビに映像をもって報ぜられ、画面では必ずその道で専門家と謂われる人が現れ、したり顔に即席の解説(コメント)を加える。事柄が大きければ新聞各紙が追い続ける。週刊誌がここぞとばかり掘りさげてゆく。知名の士が考えうるかぎり詳しく分析を重ね。敵手(ライバル)誌の『諸君!』は翌月の二日(今は一日)に早くも詳細を報じるであろう。そして『Voice』の発行は翌月の10日、最後の出現である。しかし原稿は遅くとも前月の中旬に送らねばならぬ。あらゆる方面から何も彼も議論されつくしたあと、雁も鳩も飛んでから時期(タイミング)をはずしてのったり現れるのである。」(p190~191)

以上のことを谷沢さんは「月刊誌コラムの泣きどころ」と指摘しておりました。
ところが、「月刊誌コラムの面目」とも呼ぶべきコラムを、私は読んだのです。
それが今回でた「Voice」10月号なのです。
これを、一人でも多くの方に読んでもらいたいと、私は思って書きます。
それは、古森義久氏の「巻頭の言葉」でした。
題して「政局のための悪質な反米」。

はじまりは
「『日本の反米とか嫌米というのは、甘えの裏返しだと思いますよ。ある意味で無知であり、偏見であり、誤解だと思うんです』こんな言葉をワシントンで述べたのは、いまの民主党代表の小沢一郎氏だった。1994年7月、当時は新生党代表幹事だった小沢氏が私との対談で述べた言辞である。『産経新聞』でそのまま報道された。」
こう前置きして、次に重要な問題を取り上げます。

「参議院選挙の直後、トーマス・シーファー駐日アメリカ大使と会談した小沢氏はテロ対策特別措置法の延長に反対を表明した。その会談の様子を小沢氏は、すべて日本側のマスコミに見せるという異例の悪趣味な芸当をやってのけた。日本を日米同盟のよきパートナーとか、国際社会の責任ある一員と認めるならば、日本の政治家によるこれほど無謀で非礼な言動も珍しい。この反対は日米同盟の堅持や国際安全保障への貢献という日本の最近のコンセンサスに近い基本路線に背を向ける態度であるうえに、日米間のこの種の重要会談をすべて外部にさらけ出すというのは、外交儀礼を踏みにじっているからだ。」

つづけて

「アメリカ側での反発も激しい。元国防総省日本部長のジム・アワー氏が語る。
『日本がテロ特措法に基づきインド洋で実行している自衛隊の給油活動は、アフガニスタンでの対国際テロ作戦を支えている。この作戦はアメリカ国内で超党派の強い支援を得ている。ほかの諸国の参加も多い。日本がその参加をやめることは日米同盟や国際安保協力からの離反と見なされかねない。・・』小沢氏は反対の理由としてアフガニスタンでの多国籍軍の行動は『アメリカの戦争だ』と断じ、『国連に承認された行動ではない』と主張した。だがアワー氏は『日本の安全保障にとって重大な北朝鮮からの攻撃や中国の台湾への攻撃、さらには日本本土へのほかの脅威に国連が対処してくれるのか』と問う。日米同盟の抑止力こそが日本や東アジアの平和を守る礎石だという意味だろう。小沢氏の国連至上論の否定である。」

こうして古森氏の文は、雑誌で3ページ。はしょって最後の言葉を引用します。

「政治パフォーマンスも、こと日本の国家安全保障の根幹に絡む対米安保関係や国際安保協力を踏み台にするとなると、日本全体への重大な危険さえ冒すこととなる。中国とロシアが主導する上海協力機構各国の八月中旬の合同軍事演習ひとつみても、明らかに日本を視野に入れており、日本の安全保障を国内政争の卑近な駆け引き材料にするべきではないのである。」

こうまとめております(是非、丁寧に全文を読んでいただきたい)。


どうやら、この古森氏の語る意味を、なによりも実感しているのは、
一国の首相である安倍氏であります。

9月11日の産経新聞一面では
【洋上給油継続 首相「職を賭す」】と黒に白抜き文字でありました。
最初はこう書かれております。
「安倍晋三首相は9日、外遊先のシドニーでテロ対策特別措置法の延長に『職を賭していく』と述べ、自ら退路を断った。10日召集の臨時国会は衝撃の幕開けとなり、野党は『政権交代に向けた戦時体制国会だ』(山岡賢次民主党国対委員長)と対決色を鮮明にさせた。・・・」とはじまっておりました。

今日の午後2時からの安倍首相の辞任記者会見。それを見る前に、
私は「Voice」10月号の古森義久氏のコラムを読んでおりました。
読んでいなければ、その意味するところがわからなかったでしょう。
そろそろ、平和が終る頃なのでしょう。
政争の具にしてしまったことで、歴史の一線を越える瞬間に立ち会っている
ことを自覚しなければいけない時期にきているようです。


つけくわえます。
「Voice」10月号には潮匡人氏も「徹底検証 民主党『マニフェスト』」という特集で、テロ特措法についてを書いておりました。題して「国際社会は日本を侮蔑する」。はじまりは「この秋、日本は国際社会の孤児になるかもしれない。」(P72~74)
この一文が具体的で明快な理解を助けます。こちらも是非一読を。






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詩と解釈。

2007-09-10 | Weblog
「定本 伊東静雄全集」(全一巻)を、この夏ぱらぱらと開いて、興味深そうな箇所を読む。さて、伊東静雄については、未読ながら「伊東静雄研究」という本があるらしい。それも参考にしてみたい。とは思うのですが、直接に詩を読んで、あれこれ思っている愉しみ。この気持ちを、どういったらよいのかと、ひょいと、思ったわけです。はじめての詩に接して、感性が動く。その気持ちを、おずおずと並べてゆくと、それはもう「研究」で語りつくされたテーマだったりするかもしれない。それでも、自分でははじめての出会いであるわけでして。その微妙さは、第三者から見れば、つまらないものかもしれないなあ。
ブログに書き込むのは、こういう本人にしかわからないような面白さにあるのかと思い到るわけです。それってもう誰それが指摘しているよ。と言ってもらえると、思わぬ指摘に、ひとりよがりが、先達を思い描けるわけです。
たとえば、算数の計算問題を解く。そして解答冊子を覗いて、それが正しかったかどうか、確認する。詩と研究とは、そういう関係にあるとすると、最初から解答を覗いてしまうとどうなるか?それを詩の場合にたとえると、詩を読まずに研究から読み始める。詩についての知識ばかり豊富になる勘定。
詩との出会いを経験せずに、ただ詩の噂話に精通しているような袋小路。

( なにをいいたいのやら )

さて、持っている本で井上靖著「わが一期一会」(毎日新聞社)というのがありました。少しだけ読みかじってそのままになっておりました。そこに伊東静雄について書かれているかもしれないと思ったわけです。ありました。ありました。

ひとつ引用します。

「二十二年の秋、私は詩人の伊東静雄から『反響』という詩集を貰った。二十二年の出版であるから紙は粗末なもので、綴じ目には糸が出ているような造りで、手応えというものがまるでないような軽さの詩集である。その中に「夏の終り」という詩が収められてあった。

  夜来の颱風にひとりはぐれた白い雲が
  気のとほくなるほど澄みに澄んだ
  かぐはしい大気の空をながれてゆく
  太陽の燃えかがやく野の景観に
  それがおほきく落す静かな翳は
  ・・・・・さよなら・・・さよなら
  ・・・・・さよなら・・・さよなら
  いちいちそう頷く眼差のように
  一筋ひかる街道をよこぎり
  あざやかな暗緑の水田の面を移り


こういった調子で書き綴られてある十八行の詩である。
江藤淳氏は「伊東静雄の詩業について」という文章で、この詩にふれて、
これを伊東静雄の自分の詩集に対する訣別の言葉であるとし、
『<夜来の颱風にひとりはぐれた白い雲>というのは、あの颱風のような時代を生きぬいて、その悲しみを、ひとりの日本人として非常に低いところでうけとめて来た伊東の、自画像であると考えてもいい』と記している。この行き届いた作品解釈に、何も付言する必要はないと思う。何という心にくい『・・・さよなら・・・さよなら』であろう。安西冬衛も、三好達治も、伊東静雄も、戦時中から戦後にかけて生き、その時代を生きた人の心を作品に刻み、そしていまはみな故人になっている。」(p93~94)


何か、こういう模範解答を知らされると、途中でゴールに到着してしまったような、味気なさも同時に味わったりします。


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詩よきみは。

2007-09-08 | 詩歌
伊東静雄のことからつながって、杉山平一を、今回は語ります。
杉山平一著「戦後関西詩壇回想」(思潮社)に、伊東静雄を語っている箇所があり、印象に残っておりました。ということで、編集工房ノアから出版されている「杉山平一全詩集」(上下巻)を覗いてみたというわけです。

そのまえに、井上靖の詩集「北国」(1958年)に「夏の終り」と題した詩がありました。それはこうはじまっておりました。

  颱風がどこかで潰れたのだろう、風船のように。
  とにかく、ひどく冷や冷やしたものが、半島を南から北へと流れて来た。

今年は9月6日の夕方から、しだいに静岡あたりに台風が上陸して関東から北海道まで通り過ぎていったのでした。今日の8日は、暑い日差しがもどっております。さて、杉山平一に、「秋晴」と題した詩があります。それを引用してみましょう。

     夏の日 綺麗な麦藁帽子(かんかん)をかむつて
     詩よ きみはやつて来た 僕達は色々話をした
  やがて別れる時が来た 忽ちきみは透明なエスカレエタアに乗つて
  麦藁帽子を銀色にふり乍らゆるゆるゆるゆる青空にのぼつて行つた
  この秋の日 僕もきみのエスカレエタアを踏みあてたような気がする
  見上げる紺青の深みに 動きも見えぬ程たかくたかく飛行機が一台
  ちひさな十字架のやうであつた ゆるゆる登つて行つてきみに逢へそうだ
  僕の全身を支へてゐる血管の枝々は 一枚一枚葉を散らし乍ら
  一斉に青空へもつれる梢となりつつあつた


杉山平一は、大正3年(1914年)に生れております。
24歳の昭和13年8月に召集。けれども、しばらくして帰されております(全詩集下・p760)。すこしそれますが、そこを引用してみます。

「豊橋18聯隊、軽機関銃隊に入隊、ビンタばかり喰っていたが、朝夕の挨拶、挙措、動作、復誦、編上靴の紐の通し方、裁縫、洗濯から練炭の火のつけ方まで、身に沁みて教えられた。名もなき庶民が下士官となって、てきぱきと判断指揮をとる動きに感心した。そして農民兵の素朴、純真に比して、学徒兵インテリのずるさをも知った。秋季大演習のあと、足に関節炎の痛みが出て、中隊当番に廻され、暮れに召集解除となった。帰宅へレールを滑る列車に身をまかせた幸福は、一生にいくつもない喜びだった。」

そのあと、カンカン帽をかぶった竹中郁氏と会ったりして。年譜によりますと昭和18年1月に、詩集「夜学生」出版。3月17日に出版記念会。「この日にはじめて伊東静雄に接した」。4月には菱山修三氏が「新潮」誌上に詩集の評を載せたとあります「三頁にわたり称揚、感激、『これらの作品の前では世の多くの誇張した国民詩愛国詩も色褪せてしまうだろう』とまでいわれて恐縮してしまった。」と年譜にあります。

この詩集で有名な詩は「夜学生」、「旗」とかがアンソロジーに引用されているのを読んだことがあります。ここでは詩「孤独」を引用します。

    万国の旗はまばゆくひらめいてゐた
    楽隊ははなやかにながれてゐた
    けれどもさびしいこの世の運動会であつた
    もうみんなテエプを切つてゐるのに
    びりの少年よ おまへは
    いつぱいのかなしみに戦きながら
    たつたひとりで走りつづけてゐた


さて。杉山平一著「戦後関西詩壇回想」に、その出版記念会での、伊東静雄の様子が書かれているのでした。
「伊東静雄は、きちんとした背広をきて現われ、初対面の私に、目つきするどく『あなたは、もっと小さい人かと思っていました』といった。なぜか、ドキッとした。なんとなくそれが批評である、と感じたからであろう。」
「・・伊東静雄が、ときめく藤沢恒夫に反論し口論になった。何か、古今集の歌人についてのことだったと思うが、どちらも、ゆずらず、見ている私は、胸が苦しくなった。そのとき、詩人や作家というのは凄いなぁ、というショックを受けた。・・・・詩人は本音をいうなぁ、というのが爾来、私の持つ印象だったが、その一番怖いのは伊東静雄だった。『へっぽこでも、小説は五年十年書き続けていると、うまくなるものですね。しかし詩は、十年、十五年書きつづけても、ダメなものはダメですね』と人の眼をのぞきこむようにしていわれると、ギクリとする。だから、ちょっとでもほめられると、嬉しくなる。私が散文詩風の『ミラボー橋』(1952)を送ったとき、もう入院しておられたが、見舞に行った友人にきくと大変いいといって下さったらしい。が、そのほめ方にドキッとした。二流の山のてっぺんにあがって、バンザイしていると。」(p175~178)


杉山平一はおもしろそうです。もうすこし丁寧に読んでみたいのですが、私の興味も、ここまでかなあ。最後にもう一つ詩を引用して終ります。

     問い

   手段がそのまま
   目的であるのはうつくしい

   アイスクリームの容れものの三角が
   そのままたべるウエファースであり
   運ぶ材木の幾十百本が
   そのまま舟の筏であるように
   「なんのために生きるのです」
   そんな少女の問いかけに
   「問いはそのまま答えであり」と 
   だれかの詩句を心に呟きつつ
   だまって僕はほほえんでみせる


これは詩集「ぜぴゅろす」に入っております。
もうすこし、書き加えます。詩集「ミラボー橋」の中の「父」に、こんな箇所がありました。

「ある日、若い技師が一人で二台の工作機械を運転できるやう設計してきたのを、父が批評してゐた。機械技術者はいたづらに歯車を使はうとするし、電気技術者は無暗に電気装置を増やす、といひ、次のようなことを言つた。その言葉はあるべき私を決定したやうに思はれる。『単純は最善だ(シンプルイズベスト)。単純な機械が一番いい機械だ。単純であり得ればあり得るほど、機械は能率がよく確実でいい。複雑であることは機械として下の下である』
それはいま私の信条である。こけおどしの機械や建物が科学的なのではなく、誠実にして単純、平明にして簡素なるものこそ科学技術の道なのであつた。それはまた私の生き方であらねばならぬ。」(全詩集下p115)


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