和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

戦後の古い世代。

2012-08-31 | 前書・後書。
中西輝政著「日本人として知っておきたい外交の授業」(PHP研究所)のあとがきに

「歴史を奪われた民は、必ず国家をも奪われる。・・・
この窮地から脱するためには、何をおいても古くて、そしていまや新しい歴史観の回復が求められている。そこからしか、日本が再び立ち上がる道はないように思うからである。そしてそのことは、もはや戦後の古い世代には望めない。・・・次代の日本を担うことになるであろう生気溢れる若者たちにぜひともこの使命を果たしていってもらいたい。
最後に、四十年前にイギリスに留学したとき、『日本を知る鍵は、その卓越した歴史の連続性を深く理解することにある』と喝破し・・大きく方向を示してくれた恩師、故ヒンズリー教授に本書を捧げたいと思う。」


ここでいうところの
「もはや戦後の古い世代には望めない」というのは、戦前・戦中の古い世代のことではなくて、戦後生まれの古い世代のことであります。
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一冊の本。

2012-08-30 | 本棚並べ
長田弘の詩に「世界は一冊の本」というのがありました。

坂井スマート道子著「父、坂井三郎」(産経新聞出版)を
とりあえず、読了。
パラパラ読みなのですが、
それでも、読み終わると、それなりに
ポンとその本からはなれるような気分になりますね。

ということで、思い浮かんだのは、
坂井三郎という父をいまでも読んでいる娘さんの姿でした。
「はじめに」でこう書かれております。

「父から何を学んできたのか、父が魂を込めて懸命に教えようとしてくれたことは一体、何だったのか、今もそればかり考えています。」

そうか。こうも考えられます。
この本は、父を読んでいる娘さんの書評なのだと。
読了すると、つい、そんなつきはなしたことを思ったりします。
そう「父は一冊の本」。
それを何度も読み返している人が、ここにいる。
というのを読めたのでした。

本当は、その内容をいわなきゃならないのですが、
いずれ、語りたくなる時がくるのだろうなあ。
という、そんな本なのでした。
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読了せず。

2012-08-29 | 本棚並べ
坂井スマート道子著「父、坂井三郎」(産経新聞出版)を読んでいる。
あれこれと噛みしめるように読める一冊。
ということで、まだ読了せず。

なんといいましょうか。
幸田露伴と幸田文との関係を思い浮かべたり。
星野博美著「コンニャク屋漂流記」(文藝春秋)の
漁師語のことを思ったり。
一読では、何もかもありすぎて、
何もかも理解できないのじゃないか。
まあ、そんなことを思ってしまう。
父娘の濃密さを濾したような一冊。

これじゃ、わからないか(笑)。
とにかくも、読了するのがもったいない。
読み終わって忘れてしまいそうで。

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上下注意。

2012-08-28 | 短文紹介
坂井スマート道子著「父、坂井三郎」(産経新聞出版)をパラリとひらく。

こんな箇所が

「『おい、前後、左右、上下に注意しろよ!』
一般的には『前後左右に注意して』と言うところですが、父の場合は、それに上と下が加わります。航空界で生きてきた人の特性なのか、目配りや思考の拡がりが立体的なのです。大空の真っ只中では、前後も左右も上下も違いがないのです。・・幼い頃からそう言われていたので、私にとって〈前後左右上下〉は、それで一つの熟語でした。学校で先生が『前後左右に注意しましょうね』と言うたびに、『あれ、どうして〈上下〉が入らないの?』と思ったものです。特に『注意しろ』と言われたのが、〈上〉でした。『まず上を見ろ。何が落ちてくるか分からん』・・・・とにかく、『物っていうのは、上から落ちてくるものなんだぞ、お前』というのが、父の言い分でした。・・」(p139~140)
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近世の漁村。

2012-08-27 | 本棚並べ
星野博美著「コンニャク屋漂流記」(文藝春秋)を読んで
古本を二冊注文。

荒居英次氏の二冊。

『近世日本漁村史の研究』
まこと書房(福岡県春日市)に注文
古本値8000円+送料450円=8450円

『近世の漁村』
キトラ文庫(奈良県生駒市)
古本値1000円+送料340円=1340円


前著は資料集としての価値がありそうなのですが、
読みにくい(笑)。
「近世の漁村」は読みやすく分かりやすい。
ということで、パラパラと『近世の漁村』をひらいています。
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『私立探偵』的な立ち位置。

2012-08-26 | 幸田文
注文してあった岩波現代文庫「増補 幸田文対話(上)」から
とりあえず、解説(堀江敏幸)を読んでみる。
そういえば、
オリンピックの際に、NHKBSプレミアムで、
シャーロックホームズ2をやっていたのでした。
主人公が、相手のちょっとした服や指の汚れなどから、
即座に、その周辺のことを言い当てる場面が、
今回のテーマに重なってゆくのでした。
うん。そんなこんなが面白かったのでした。

さてっと、堀江敏幸さんの解説を読んでいたら、
こんな箇所があるのでした。

「専門の書にあたり、研究の成果を吸収しながらも、露伴は全身全霊で素人たらんとした。将棋の名人の木村義雄が断言したとおり、露伴は『素人の天才』であって、ものを見る眼を、警部や刑事ではなく『私立探偵』的な立ち位置で養ってきたのである。父と娘の逸話のひとつに、一種の推理ゲームがあったとの証言は、その意味で無視することができない。十七、八歳の頃、幸田文は露伴と列車に乗るたびに、乗客がどういう人間かを、身なりやたたずまいから類推していた。卓越した観察眼は、最初から備わっていたわけではなく、反復によって磨き上げられたのである。彼女は来客の履き物を見て、どの道を歩いてきたかを当ててみせた。ついていた花粉から正解を導き出して、褒められたこともあるという。」(p328)

え~と。
幸田露伴・幸田文親子を思うと、
「地震雷火事オヤジ」という言葉が、思い浮かぶのでした。

まあ、そんなことを思っていたら、
今日の産経新聞読書欄に
日下公人氏が書評を寄せておられる。

「父、坂井三郎」(産経新聞出版)の書評。
日下氏はこう紹介されております。

「・・・・お嬢さんの道子さんが書いた戦後の坂井三郎である。
戦後の生活苦と戦う姿はリストラされた大企業の社員と重なり、
米軍将兵との交際は迷走する民主党の政治家や外務省の人に
読ませたい日本人の根本精神を見せている。
お嬢さんに対する教育も『常在戦場』の精神で、
しかも戦闘機パイロットは空中に浮んで
何もかも自分一人でするから
子供教育もすべてが具体的で、
日頃から準備しておけ、ということばかりである。
よくお嬢さんがついていったものだと
そちらの方に感嘆するが、
ともかく坂井三郎は戦後も戦い続けていたのだと
頭が下がる思いである。・・・」

そして、こうも指摘しておりました。

「読者は本気で読み、
本気でついていかないと
64機撃墜の天才的偉人に
学ぶことはできない。」

う~ん。
推理もへったくれもなく。
さっそく注文(笑)。
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とりあえず読了。

2012-08-25 | 古典
「梅原猛の仏教の授業 法然親鸞一遍」(PHP)
とりあえず。読了。
講演録なので読みやく分かりやすい。

法然の授業
親鸞の授業
一遍の授業
共生の授業

とあり、能に関連するのは、
最後の2つの授業でした。

さらりと読めて
読んでよかった。
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一遍と世阿弥。

2012-08-24 | 短文紹介
「梅原猛の仏教の授業 法然親鸞一遍」(PHP)。
「私が昨年及び一昨年に行った四つの講演を元とし、それに手を加えたものである」(p9)と最初にあります。
うん。わかりやすい。
とりあえず、私の興味がある一遍の箇所をひらく。

「なかなか一遍上人が理解できなかったが、最近になって彼がやっと見えてきました。これは、ここ六年ばかり中世の研究をしてきたからです。私が中世の研究を始めたきっかけは『能』の大成者である世阿弥(1363~1443)に強く惹かれたからでした。」(p162)


「一遍上人の思想は、能にものすごく大きな影響を及ぼしています。能の『実盛(さねもり)』や『遊行柳』『誓願寺』といった作品には時宗の聖者が登場するのがその証です。能には、僧が鬼女を仏の道に導くというものがありますが、世阿弥以降の能のワキはほとんどが諸国遊行の僧なのです。でも、考えてみると、数多くの存在する僧の中で遊行僧というのは異形の存在です。その異形の僧が人々を仏門に導くのですから、能は深く時宗と関係していると言えるでしょう。・・・」(p202)


うん。一遍と世阿弥を語って明快な指摘を、スラスラと読める。ありがたいなあ。
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『言葉』だけが。

2012-08-23 | 本棚並べ
読売の古新聞をもらってきました。
8月5日の読書欄はテーマ書評ということで、
夏の読売新聞書評家の一冊が紹介されており、
星野博美さんのおすすめは
金子光晴著「西ひがし」(中公文庫)。

星野さんの紹介文は

「灼熱のアジアを旅した頃に読みふけった本を挙げたい。これは詩人・金子が足かけ5年にわたった地獄的放浪から戻る、敗北の旅行記である。むなしいほどの豊饒さで人を圧倒し、思考を奪う熱帯の自然。熟成と腐敗の狭間に漂う狂おしいほどの臭気。自分探しといったなまやさしさは微塵もなく、生と死の氾濫のなか、泡と消えゆく自我。ちっぽけな自尊心や属性が身ぐるみ剥がされた時、詩人には『言葉』だけが残された。・・・・」


ふ~ん。星野博美と金子光晴がむすびつくのか。

うん。残暑きびしいおりがら。気になるので。
とりあえず。本棚に置きたい一冊としてメモしておきます。
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突飛なのである。

2012-08-22 | 本棚並べ
新刊に

「梅原猛の仏教の授業 法然・親鸞・一遍」が出たので、
さっそくに注文。
ネット書店なので、まとめ買い。
ほかに、
内田樹著「街場の文体論」
「幸田文対話 増補 上 父・露伴のこと」
「日本人として知っておきたい外交の授業」
などをいっしょに注文したのでした。

今日の産経新聞正論欄に
古田博司氏の文が掲載されておりました。
最後の方にこうあります。

「今回のロンドン・オリンピックのバドミントン女子ダブルスの試合で、韓国のペアと中国のペアが失格になったあの試合を、読者はごらんになっていたであろうか。彼女らは準々決勝で有利な相手と当らんがために故意に負けようとし、サービスをネットに引っかけたり、シャトルコックを遠くへ飛ばしたり、ウソを実に大胆に正直に実践して、ロンドンの観客たちの大ブーイングを浴びた。他国民にあの真似はできない。ウソを正直に実践することにかけては、中国も、韓国や北朝鮮と同じである。毒餃子事件、北京オリンピック口パク事件、高速鉄道事故隠滅事件などを思い起こせば、十分であろう。・・・彼らから日本人を見ると、日本人は不正直に見える。ウソを大胆に申告しないからである。ゆえに彼らは、日本には建前と本音があると常々、非難するのである。だが、世界から見れば、彼らの方が特殊であることは今回のロンドン・オリンピックでも明らかになったことと思う。日本は特殊だ特殊だと言う人々が、日本にはたくさんいるが、それらは、だいたいが『特定アジア』から見た特殊性なのであり、本当は彼らの特殊性こそが世界では突飛なのである。」

うん。この古田博司氏の文は、全文を丁寧に読みたいので、
あとで、再読します。一読ではもったいない。
前半が貴重なことをさらりと語られており、
後半のこの箇所などは、どなたも一読忘れないのじゃないでしょうか。
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宝の山。

2012-08-21 | 地域
星野博美著「コンニャク屋漂流記」(文藝春秋)の新聞の切り抜きが
身近にありました。
読売新聞2012年2月1日「第63回読売文学賞受賞5氏と作品」で5氏の写真入りで掲載されております。随筆・紀行賞に選ばれ、池澤夏樹氏が、この本を紹介しておりました。
本を読んでから、あらためて、こういう紹介文を読むと理解がいきとどく感じとなります。
そのはじまりは、こうでした。

「人には必ず祖先がいる。
それを辿ることは誰にもできるはずだが、
これがなかなか難しい。
この本は先祖探しがおそろしくうまくいった例で、
星野博美にとって過去は宝の山だった。
彼女は東京は五反田の町工場生まれだが、
もともとの家系は外房の漁師町。
今もたくさん親戚がいて、
みんな陽気で派手で賑やかな人たちである。」

そして池澤氏の〆の言葉はというと、

「この明るさ、元気、笑いと賑わいが
この本の真価である。
歴史学者が忘れていた
普通の人たちの姿に拍手を送りたい。」


うん。ほかに新聞書評を読んだ気がするのですが、
もう、これで十分。
あとは、もう一度、この宝の山を読み直すことができれば
まったくいい男なのですが(笑)。


とりあえずは、
この夏の汗とともに、

谷川健一著「渚の思想」(晶文社)
小関与四郎写真集「九十九里浜」(春風社)
星野博美著「コンニャク屋漂流記」(文藝春秋)

この3冊を読めたよろこび。

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うしろ読み。

2012-08-20 | 地域
きちんと、
はじめから読めばよいものを、
ぱっと開いて、気になる箇所から読み始める。
最近そういう癖がつきました。

星野博美著「コンニャク屋漂流記」(文藝春秋)も
後半から読み始め、ところどころ、興味深そうな箇所をたどって
今日読み終りました(笑)。

うん。もう一度パラパラ拾い読みしてみたいと思います。

ちなみに、2011年7月第一刷で
第63回読売文学賞の「随筆・紀行賞」受賞。

そのときの、読売新聞の切り抜きがあったはずなのですが、
この暑いのにさがす気はおこりません。

房州弁が、効いているのでした。
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漁師系東京人三世。

2012-08-18 | 地域
谷川健一著「渚の思想」(晶文社)の次に
小関与四郎写真集「九十九里浜」(春風社)を手にして、
つぎは、未読本だった
星野博美著「コンニャク屋漂流記」(文藝春秋)を読み始める。

「祖父は外房の漁師の六男で、祖母はやはり外房の農家の次女だった。祖父が東京に出て町工場を始めたため・・在京漁師三世、あるいは漁師系東京人三世といった感じだろうか。体のどこかに漁師の血が流れていることは感じる。・・・・・わが家の常識が外の世界ではまったく通用せず、実はそれが漁師の常識だったと驚かされたことも一度や二度ではない。」(p8)
とはじまるのでした。

「ところは千葉は外房、御宿(おんじゅく)の岩和田(いわわだ)という漁師町。漁師の血を受け継ぐわが家の屋号を『コンニャク屋』という。・・・私の親戚筋ではいまなお屋号で互いを呼びあっている。」(p12)

うん。九十九里浜の下の方に、御宿の岩和田はあります。
後半は、そのルーツをたどりながら、和歌山県の加太・湯浅・広川へと出かけてお墓を探したりしております。

「千葉県側の様々な資料を見ていると、『紀州漁民の活躍は享保年間頃から衰退していく』と声を揃えている。そのきっかけの一つになったのが、元禄16(1703)年11月の房総半島一帯を襲った。『元禄の大津波』だ。母の家で代々語り継がれ、幼い私に津波に対する恐怖心を植えつけた、あの大津波である。・・・紀州からの房総出漁は元和年間(1615~24)から活況を呈していたのだから、一世紀もたてば、漁撈技術を習得した地網が育つのも当然だ。『きゅうじろう』と『コンニャク屋』の兄弟はおそらく地網の一員となったのだろう。」(p284)

まだ、読んでいる途中なのですが、
うん、読んでよかったなあ。
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九十九里浜。

2012-08-17 | 本棚並べ
値が張るので、写真集には手をださないように注意しております。
でも、こう暑いと、ふらふらと注文。

谷川健一著「渚の思想」(晶文社)の序
「民俗学から見た人と渚とのかかわり」に
こんな箇所があったのです。

「九十九里浜は、千葉県の飯岡町の刑部(ぎょうぶ)岬から岬町の大東岬まで、約66キロにおよぶ弓なりの浜で、日本でも代表的な砂浜の一つである。九十九里の名の由来は、古くは六町を一里としたところから、名付けられたと、慶長年間の古記録に見えています。」

「1960年代までの九十九里浜は、今では夢のまた夢となってしまいましたが、すばらしく活気をもった世界が展開していました。良い港に乏しい九十九里浜では、使用しない船はいつも砂浜に置かれていました。漁のために船を海に出すとき、また漁から帰ってくる船を砂浜に引き上げるとき、すべては人力に頼らざるをえませんでしたので、地元の漁民は、フナガタと呼ばれる男たちやオッペシと呼ばれる女たち(漁民の母、妻、娘など)が、それこそ腰や胸まで波に浸かって、船を押し出し、曳綱を持って船を引き上げたのでした。」

「こうした浜の光景は、地元の写真家小関与四郎の写真集『九十九里浜』(春風社)に収められています。」

へ~。こんな写真集があるんだ。
はじめて、知りました。ということで、
うん、注文しました。

遊学文庫(杉並区高円寺南)
古本値は7875円+送料590円=8465円なり。

それが今日届きました。
函入りで、ブックデザインは和田誠。和田誠氏のコメントもありました
「男も女も若者も老人も、同じたくましさでせいいっぱい生きている。その人間性の迫力に感動します。彼らのナマの姿と格闘する写真家の根性にも。そういう強さを、デザインの上でも出したいと思いました。」

ということで、
本棚に写真集が、新しく加わりました。
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こよなく渚を愛す。

2012-08-16 | 短文紹介
谷川健一著「渚の思想」(晶文社)を読み、
あらためて、もどって、その書評を読み直す。
それが日本近代文学研究者・持田叙子(のぶこ)氏による
毎日新聞今週の本棚(2012年8月12日)の書評でした。
そこでは、全集を取り上げているのでした。
こうあります。
「このたび・・・1921年生れの民俗学者、谷川健一の全集全24巻の刊行が完結に近づいた。論考篇はすべて刊行され、残るは雑纂と総索引よりなる二巻のみ。」

ここでとりあげられているのは、「谷川健一全集第七巻・沖縄三」なのでした。
その最後をあらためて読み直しております。
こうありました。

「どの行間からも、潮風が匂う。読んでいると、波にぬれた砂をふむ感覚がよみがえり、足の裏が熱くなる。結句、谷川健一とはたぐいまれな現代の海の詩人なのではないか。熊本県水俣市の漁村に生まれ育ったこの人は生来、海への感性を濃くもつ。それを軸とし、民間伝承を通して『日本人の意識の根源』の青い海へとさかのぼり、はるかな『海の呼ぶ声』を聴こうとする、優れた詩人が学者なのだ。その詩性のひときわ輝くのが、本巻の中核をなす『渚の思想』の諸篇。ここで谷川は、こよなく渚を愛す。・・・」



うん。この書評の水先案内によって、
この夏、『渚の思想』が読めてよかった。
よかった。
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