和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

本を読まない時。

2022-10-31 | 本棚並べ
はい。「大村はま国語教室」を、遅々として読んでないのでした。
こういう時、「本を読んでない時」というテーマに切りかえます。

とりあえず、
苅谷夏子著「優劣のかなたに」(ちくま学芸文庫)と
大村はま著「新編教えるということ」(ちくま学芸文庫)
の2冊は、サーッとですが読んでおりましたので、
そこに、細部をつけたしていくことならできそう。

「大村はま国語教室」第13巻の月報(1983年6月)に
苅谷夏子さんの文が載っておりました。
文の最後に(かりやなつこ・主婦)とあります。
読まずに、こんな細部が浮かびあがってきます。
苅谷さんの月報、その文の最後の箇所から引用。

「家庭にいることの多い今の私にとって、一番切実に身にしみたのは、
 この『こちこちにならず緊張する』という言葉でした。

 緊張を強いる外側の力がなくても、自分だけの力で
 ひきしまった状態を保つこと。・・・
 内面の活動にも緊張という負荷をかけること。

 ・・・今の私にとって、この課題は、
 正直なところ容易には実践できそうもない課題です。・・・

 はま先生をとりまいていたあのひきしまった空気が
 私を包んでくれるものならば、中学生の頃のあの勢いで、
 ぐいぐいと伸びてゆけるでしょうに。

 生徒の立場から教師としてみてきた大村はまという人を、
 自身を律して勉強を続ける一人の社会人として見直し、
 そこから学ぶべき時期が、
 私にはもう来ているのだとつくづく思いました。 」

うん。文庫にもどってみます。
苅谷夏子著「大村はま 優劣のかなたに」の
副題は「遺された60のことば」と小さくあります。
この文庫の最後のほうに、
「61番目の小さな話 先生と私」という文がある。
はじまりは

「13歳の誕生日から12日目の日に、
 私は、国語教師・大村はまに出会った。

 13歳の私は思春期の入り口に立ち、
 お世辞にも素直でも従順でもなく、
 国語という教科にも偏見を持っていたから、
 出会いの条件は決して良くなかった。

 それなのに、最初の授業の最初の30分で、
 大村はまの力と魅力が私の偏見をぐらりと揺らし、
 最初の週が終わる頃には、ここで何かに出会えそうな予感があった。

 実際、大村国語教室には、中学生が妙に興奮しながら
 勉強してしまう不思議な知の世界があり、胸を
 どきどきさせながら自分の成長を眺めた。・・・・   」


はい。「本を読まない時」まるで雨後の筍のように、
にょきにょきと伸びる活字の箇所があったりします。
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小学校の学級通信。

2022-10-28 | 道しるべ
もう20年より以前なのですが、御多分にもれず、
子どもが小学生の時にPTAの役員が回ってきました。

役員になると、学区より大きな地区の各小学校の集まりも
ありました。そんなこんな出事が多かったのですが、
印象に残っていることがありました。

PTA役員という通行手形で、隣の小学校などにも
行事を口実に、気楽におじゃましておりました。
開かれた学校ということで、嫌な顔はされませんでした。
「学級だより」とか「園だより」とか「学校だより」とか
週一回の便りがあったり、毎日出している「学級だより」も
見せていただきました。
隣の学校の校長先生からは、自分が担任していた頃の
最後の「学級だより」がまとめてあり、
僭越ながら借りて読ませてもらったことがあります。

う~ん。奥が深いものなんだなあ。
と読ませていただいて思っておりました。
自分が小学生の頃は、ボケっとしていたから、
知らずに過ごしていたのかもしれないし。
何よりも学校によって異なることも知りました。

うん。こんな話をしているのはなぜか?
「大村はまの国語教室」の読み始めに、
そのPTAの頃の印象が蘇ってきました。

あの頃、読ませてもらった学級だよりの内容にただ
驚いてばかりでしたが、それだけになっていました。
うん。もっと深いものを読んでみたかったけれども、
そこはそれ、腰かけのPTA役員でしたので、
その役を引き継げば、そこでもうおしまい。

今回、「大村はまの国語教室」を買ったは、
忘れていたPTAでの読みたかった記憶に結びつきそうです。
うん。根っこでつながったようなことを、
今日になって思い出しております。






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大村はま国語教室。

2022-10-27 | 本棚並べ
筑摩書房の「大村はま国語教室」は
本巻15冊+別巻1冊+資料篇5冊。
ふつうの古本では、本巻と別巻の16冊でひとまとまり。

さてっと、「大村はま国語教室」2巻の解説をひらくと、
倉沢栄吉という方が書いておりました。そのはじまりは、

「この全集は、全体として大村はま教室の実践大系を示すものである。
 同時に、一巻一巻が、それぞれの課題に答えるように集約され、
 独自性を持っている。つまり、一つの巻が一冊の単行本として
 充分な評価を受けるように書かれている。・・・」

とあります。この解説の最後をパラリとめくります。
あれれ。藤原ていの名前が登場しておりました。
「教え子の一人藤原ていは次にように書いて・・・」。

へ~。諏訪高等女学校に赴任した大村はま。
藤原ていは、その教え子だったんだ。
女学校にも、寄宿舎にも馴染めそうにない藤原さんと
国語教師の大村はまとの出会いとは俄然気になります。
ですが、全集を買ったばかりで、藤原ていへと興味の
枝葉が広がるのは戒めたいところ。
こちとら、まだ、全集の解説を読み始めたばかり。
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あとから、あとから。

2022-10-26 | 本棚並べ
苅谷夏子著「大村はま 優劣のかなたに」(ちくま学芸文庫)を読み。
うん。これから、大村はまを読もうと思いまして、次に読んだのが
大村はま著「新編教えるということ」(ちくま学芸文庫)でした。
こちらは、大村はまさんの4つの講演がまとめられた一冊でした。

はい。講演なのでスラスラと読めちゃうのですが、
読み終わるとスラスラと忘れてしまいます(笑)。
右耳から入った言葉が、左耳からぬけてしまう。

うん。それでも、最初の講演だけは、また今度読み直して
みたいと思いました。文庫版のあとがきで大村はまさんは、
その最初の講演のことをふりかえっております。

1970年8月、富山県小学校新規採用教員研修会での講演。
そこでの「教えるということ」が、そのまま文庫の題名となっております。

うん。ここにはこの講演の前段階での大村はまさん。
それをご自身の言葉で引用しておきます。

「私はそれまで国語科の研究会では
 授業や話をさせていただいたことはありましたが、
 ・・枠を出てというか、広げて、教師としての歩みなり
 生き方について、また、教育について、教育者について、
 講演という形で話したことがありませんでしたので、
 島村指導主事の熱心なおすすめで、承知はしたものの、
 不安でいっぱいでした。

 いよいよその日が来て出発しても、
 まだ何を話すかがきまらず、車中でもメモ帳を前に、
 今まで歩いてきた跡を振り返りながら、自分で自分を確かめながら、
 そのまま富山に着いてしまいました。

 ・・・初版のあとがきに、こう書きました。
 『会場は、いかにも若々しく、初々しい、溌溂とした
  気分が満ちていました。皆さんを前にして立ったとき、
  いかにも後輩という、さらに、弟、妹という気持ちがいたしました。』

  実感でした。つづけて、
 『急に心がほぐれて、らくな気持ちになり、
  一時間あまり、楽しくお話ができました。』
 と書きついでいますが、ほんとうに、
 あとからあとからお話がわいてきました。 」(p232~233)


うん。「お話がわいてきました」とあります。
あとからあとから湧いてくる話を、ここに断片引用する野暮。
ここは、この講演全体の雰囲気を味わいたい。と思いました。

うん。それにしても、はじめての読者にこう思わせる。
ということに、何だか秘密が隠されてそうな気になる。
ということで、これから全集をひらきはじめることに。

大村はま(1906年横浜生まれ~2005年亡くなる)。


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たるはご在、樽やでご在、空樽はご在。

2022-10-25 | 本棚並べ
先週注文してあった2冊が、昨日届いておりました。
三谷一馬著「彩色江戸物売図絵」(中公文庫)
大村はま「新編教えるということ」(ちくま学芸文庫)

うん。ここは「彩色江戸物売図絵」を紹介。
見開きの左に彩色された物売りの絵。右ページにその解説。
カラーだと何とも花やか。
まるでファッションショーの会場へと紛れこんだよう。
あとがきも入れて312ページあり、開くのが勿体ない。
はい。男の物売りが多いのですが、色が鮮やかで姿態が粋で。

まるで、歌舞伎の花道を、次から次へ
物売りだけが通ってゆくような圧巻さ。

ここは、ひとつだけ解説を引用しましょう。
『樽買い』(p202)。

「樽買いのしている頬かぶりはすっとこかぶりで、
 どうけた三枚目のかぶり方です。

 『天秤の先へ縄を結びしは樽を買ひし時の準備なり。
  たるはご在、樽やでご在、空樽はご在、
  と醤油の空樽を買あるくなり。
  江戸の頃は醤油は樽の古きをよしとすれば、
  醤油樽にかぎり古樽を買歩きて生計の営みとなりしなり。
  されば随分多くありたる商人なりし』
    ( 江戸府内絵本風俗往来』 )

という解説の次のページに天秤の片方の樽を縄で結んでいる容姿。
はい。これが彩色されているので、もう参ってしまいます。
歌舞伎なら『ヨッ、○○や』とでも、掛け声を掛けたくなる。
まあ、こんな調子でページをめくってゆけます。
江戸時代の時代劇で、町人が行きかう何気ない一場面が好きだ。
という方には、ぜひにとお勧めいたします。

はい。もう一冊は、この次に。
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むくむく読書。

2022-10-24 | 本棚並べ
う~ん。
本を買う時って、しばし考えるのだろうか。
それとも自身の感触でもって買うの決める?

最近の私はそのときの思いつきで買ってます。
「大村はま国語教室」全21冊。もちろん古本。
送料共で21,380円なり。注文。

さてっと、この投資が無駄になるかどうかは、
ひとえに、読むか、読まないかにかかります。

これからの当ブログの様子を見れば簡単で分かりやすい。
大村はまの本の、読後感に費やされることがなくなれば、
この古本投資は無駄になったのだなあとお思いください。
懲りずにまだ大村はまを取り上げていると思われたなら、
国語教室を読み続けているのだなあ、と思ってください。

ということで、この全集の攻略法。
各巻月報と解説をまず読みすすめ、
のち読みたい巻に目安をつけます。
興味深い巻を取上げてはじめます。

全集の完全読破は無理としても、
全集三分の一読破を目指します。
私に出来る範囲なら、こうなる。

それでは、はじまり。はじまり。
御用とお急ぎでない方は、時折、
茶化しに当ブログへと寄ってね。

それでは、はじまり。はじまり。



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ことばの担(にな)う役割の。

2022-10-22 | 道しるべ
苅谷夏子著「大村はま 優劣のかなたに」(ちくま学芸文庫)。
これを読んだら、つぎを読みたくなりました。この文庫の文中
「大村の代表的著作『教えるということ』の中で」(p184)とある。
うん。次はこの本を読んでみようと思う。

古本でネット検索すると、すぐに見つかる。
大村はま著「新編教えるということ」(ちくま学芸文庫)。
はい。注文して20日発送されたのですが、郵便は土日配達がない。
届くのは来週の月曜日以降となります。

手持無沙汰で、苅谷夏子さんの、この文庫をあらためて開く。
ぱらりとひらけば、「40・頭を使う」(p172~174)がある。

苅谷さんは、まず大村はまさんの言葉を引用したあとに、
自分の思い浮かぶ言葉がならべてあります。

「私(苅谷)が中学生だった頃は、時実利彦さんが脳科学者として
 活躍していた。大村はまももちろん大いに注目し、尊敬した。

『時実利彦先生がおっしゃったことを思い出します。
 子どもに「考えさせる」ということをした人が
 いちばん教師としてすぐれている、・・・・
 
 できるようになったか、ならないか、どっちでもよろしい。
 けれども、考えるということをさせた事実、
 「考えなさい」と言った人ではなくて、
 考えるということ本気でさせた人が、
 いちばん偉いとおっしゃったのです。

 それだけのために教師はあるぞと、
 先生はおっしゃったのです。』(「大村はまの国語教室3」)


はい。もう少し引用しておわります。

『考えさせることができないことばは全部むだ
 風が吹いたようなもので、声が出ているだけで、
 教育的なことばではないわけです。・・教師らしくない、

 教育効果のないむだごとで、
 そういうのはむだ話なんだ、
 むだと同じなんだと思いました。』(「大村はまの国語教室3」)

こうして引用したあとに、苅谷さんはつづけておりました。

「大村は国語教師であり、なによりことばを大切にした人だったから、
 考えるという行為におけることばの担う役割の重さを非常に重視した。

 考えの歯車を回す。その具体的な歯の一つ一つが、
 大村に言わせれば『ことば』であるのだと思う。・・・

 ・・これはもう国語という教科をはるかに飛び越え、
 教育とか、大人が子どもを育てる、とか、そういう
 非常に大きな営み全体を捉えたことばになっているのを感じる。

 こうして大づかみにしたとき、何か新鮮な空気が、
 教師にも生徒にも吹き込んでくるのではないだろうか。

 社会を非常に現実的に見ているし、また、だからといって
 勉強をつまらない卑小なものにしない、という点で、
 賢明なつかみ方なのではないだろうか。 」( ~p174 )



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天秤棒に、背負子(しょいこ)。

2022-10-21 | 地域
三谷一馬著「江戸商売図絵」(中公文庫)のはじまりは、
カラー絵が4枚掲載されておりました。そのうちの2つが
天秤棒を担ぐ物売の姿です。
ひとつは大福餅売り。もうひとつは菖蒲売り。
はい。どちらも雰囲気があって印象に残ります。

思い浮かんできた本がありました。
林望著「ついこの間あった昔」(弘文堂・平成19年)。
写真ごとに林望氏が文章をつけており。その一つに
『オバサンの籠の中には』と題する写真があります。

はい。ここはきちんと引用してゆきます。

「漁村では、朝まだき暗いうちに亭主が舟を漕ぎ出して
 あれこれの魚を獲ってくる。するとこんどは家事を終えた
 女房衆が、これを籠に入れて担い商いに出かけるのであった。

 とりわけ、海山が近くて山村と漁村が隣り合っているようなところでは、
 とくにそういう担い商いが大きな意味を持っていたのである。

 この写真は、和歌山県の周参見(すさみ)という漁港の近くで
 撮影されたものだが、ちょうどこのオバサンたちは、
 亭主の獲ってきた魚を近在の山村まで売りに行って、
 すっかり売り尽くした空き籠に、山村で蕪などの野菜を
 仕入れて持ち帰り、漁港のほうでこんどは山の幸を売り歩く、
 そうやって行き帰り無駄に手足を動かすことなく働いていたという、
 その一シーンである。

 天秤棒に籠、これは江戸時代以来ちっとも変わらない行商姿で、
 この写真の撮影された昭和42年くらいまでは、
 ある意味で江戸時代が生き残っていたのである。 」( p214~215 )


 このあとに東京生まれで東京育ちの林望さんが出会うオバサンが
 登場しております。はい。こちらも引用しなきゃ。

「 生まれは亀戸という下町で、まもなく大田区の石川町・・
  ここで小学校の四年生まで過ごし、その後は武蔵野市に
  開かれた大きな住宅公団のアパートに引っ越したのだが、
  それがちょうど昭和の34年だったかと思う。

  この海からは相当に隔たった武蔵野の団地までも、
  海辺のオバサンたちはやってきた。

  千葉の岩井のあたりから電車に乗って、まだのんびりと蒸気機関車なども
  走っていた中央線の路線の上を、たぶん総武線の各駅停車に乗って、
  彼女たちははるばると海の幸を運んできたものだった。

  一週間に一度くらいの割合だったろうか、
  まっくろに日焼けして、約束事のように手ぬぐいで姉さん被りをし、
  モンペに割烹着、それに前掛けをかけてというような姿で、 
  いつも同じオバサンがやってきた。・・・

  天秤棒を担いで電車には乗れないから、
  彼女たちの場合は担い籠を三つも四つも重ねて、
  その全体を大きな風呂敷で包み、さらにそれを背負子(しょいこ)
  のようなものに帯のような紐で括り着けてやってきた。

  玄関先で、よっこらしょっ、と背から荷を下ろすと、
  たいてい『やーれやれ』というようなことを言った。

  子供心に、こんな小さなしなびたようなおばあさんが、
  背丈ほどもある大荷物を背負って歩くんだから、
  なんだかかわいそうな気がした。

  おそらく、そういう同情もいくぶんあって、
  行商のオバサンがやってくると、母などは、
  ずいぶんあれこれと買ってやるのだった。

  ときにより、サンマやアジの干物が出てきたり、
  切り干し大根のようなものが出てきたり、
  まるで玉手箱のように、オバサンの籠からは
  びっくりするほどの品数が取り出される。
  それを私はいつも珍しく眺めていた。・・・」( ~p216)


うん。まだ続くのですが。
うん。引用したいけれど、ついつい長くなる。
はい。ここまでにしときます。
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涼しくなりました。

2022-10-20 | 地域
昨日は、水曜日。
主なき家の、雑草を刈にゆく。
涼しいので、午前午後続ける。

家のまわりと、畑の雑草刈り。
9時ごろに到着すると、草刈り機の音がする。
気になるので音をたよりに探してみると、
同じ場所を二人して、草刈りをしておられる。
はい。気になるので様子を時々のぞきにゆく。
うん。やはり午前午後草刈りをしておられた。
私とちがってテキパキとさまになっている。
お昼頃みにゆくと、軽トラに四人くらいで
刈った雑草をつみこんでおりました。
午後に見にゆくと、市のシルバー人材センターと
軽のバンに文字がはいった車がとまっておりました。
草刈は移動して、傾斜地を刈っておられました。

はい。昨日は草刈り日和。めずらしく草刈り機連続使用のためか、
左腕がしばらく少しあげると震えがくるのでした。
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98歳の冬。

2022-10-18 | 先達たち
苅谷夏子著「大村はま 優劣のかなたに」(ちくま学芸文庫)
はい。いつもはパラパラ読みの私ですが最後まで読みました。

最後には詩について語られている場面がありました。
大村はまの98歳の冬が無事過ぎたころのこと。

文部科学省の特殊教育関係の雑誌のインタビューを受け

「後日、インタビューをまとめた記事のゲラが届いた。
 それを読んだ大村は、どうも放っておけない違和感を感じたらしい。

 趣旨は正しく書かれていた。どこに誤りはない。しかし、
 文章の調子に、もっと引き締まった、厳しさ、切実さが欲しい
 と思った。・・・・

 それは記事全体の調子の問題であって、一つ二つ、
 注文を出したからといって変わることではなかった。
 また、そこまでまとめてくださった方に、そんなところまで
 要求できるはずもなく、その仕事を無にするようなこともしたくなかった。

 しかし、違和感はどうしても拭いさることができない。・・・

 丸一日、大村はじっと沈黙を守って、どうしたものかと考えていたらしい。                                      そして、突然、明るいさっぱりとした声で電話がかかってきた。
『インタビューの記事の最後に、詩みたいなものをね、
 載せてもらうことにしたの。・・・・・』
 
 それがこの『優劣のかなたに』なのだ。    
 ・・・・決定稿にまでもっていきたい。
 話し相手になってほしいから、ちょっと来てちょうだい、
 という約束の日の、その二日前に死がやってきた。  p255~257


この文の前に詩「優劣のかなたに」が、p251~255に引用されておりました。
詩の最後には注としてこうありました。
「この詩は、著者が亡くなるまで推敲を続けたので、遺されたメモ、
 下書き、校正稿をもとに、関係者らによって一部を補完した。」


うん。その詩から、一部分を私は引用したくなりました。

   今は、できるできないを
   気にしすぎて、
   持っているものが
   出し切れていないのではないか。
   授かっているものが
   生かし切れていないのではないか。     p254



はい。読めてよかった。


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気分に風穴。息抜きに図録集。

2022-10-16 | 本棚並べ
三谷一馬著「江戸商売図絵」(中公文庫)。
はい、古本で300円。

「はじめに」にある、三樹書房版の序からの引用

「前々から江戸風俗を絵ときした本があると、
 便利だという声を聞いていました。・・・

 おこがましくもそれではと思って作った第一作がこれです。
 ですからこの本は、江戸の商売風俗を絵であらわしたもの
 ということになります。・・・

 絵は全部著者が原画より模写したものです。
 原画の文字、背景は省略し、原画の不足は
 描き足してあります。・・・」

 
各絵には、出典が記されて丁寧さが伺えます。
絵の次に、文があるので、背景もわかります。

たとえば、『寄席』の文

「元禄(1688~1704)頃の鹿野武左衛門が、
 落語家の元祖といわれています。当時は
 葭簀(よしず)張りか、せいぜい自分の家に
 人を招き集める程度でした。本格的な落語家が
 出はじめたのは寛政(1789~1801)頃です。

 専門家といっても昼間はそれぞれの職業をもっていて、
 夜だけ噺(はなし)をしました。場所も一定せず、
 手習稽古所や芝居が休みの時の芝居茶屋の二階などを借りたものです。

 やがて一席の料金を定め、客を集めて営業する者が増えると、
 講席があちこちに出来はじめました。これを俗に寄場、
 略して寄せといいます。寄席と書くのは比較的最近になってからです。
 ・・・・・・・・・   」(p383)


ちなみに、平松洋子著「野蛮な読書」(集英社・2011年)に
「 一時間以上は散歩に出る 」という箇所がありました。
そこに、三谷一馬の文庫本が出てきておりました。
最後は、そこから引用しておくことに。

「・・ここまでちょうど20分、折り返し地点で熱いコーヒーと文庫本。
 息抜きに図録集はいいですね。気分に風穴があく。そのうえ
 三谷一馬『明治物売図聚』は、資料画家が活写した明治時代の
 物売りのすがたを三百点以上も載せて、とても贅沢。

 散歩のおともに定番の一冊だ。・・・」(p25 単行本)  


あれ、私が買った古本は「江戸商売図絵」
平松洋子さん指摘の本は「明治物売図聚」
三谷一馬でも別の本でした、まあいいか。  
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こんな一日あったらいいな。

2022-10-15 | 地域
10月12日(水曜日)に午前中半日の公民館の講座がありました。

はい。及ばずながら私が講師。
半年前に依頼があって、ほぼ私の自由課題を、
当日、公民館推進委員の方のお手伝いで終了。
はい。楽しかった。

20年ほどまえに、ある絵本作家の講演がありました。
その題が「こんな一日あったらいいな」というのです。
てっきり、絵本の題名かなあと思っていたら、
はじめてひらく絵本作家さんの講演の一日を、
そのまま、題名にしたのだということでした。

私も、そんな思いで半日を過ごせました。
何よりも、ゆっくりと時間をかけて、
ちょうど、ここでの更新したブログを
あらためて、つなぎ合わせるような準備時間を
楽しくすごせました。

ということで、お久しぶりに、またブログの更新。
とりだした古本は200円。ちくま学芸文庫
苅谷夏子著「大村はま 優劣のかなたに」。
小さく副題が「遺された60のことば」とあります。

うん。大村はまさんとは何者なのかも知らないけれど、
なんだか、気になっておりました。その入門書らしい。

大村はまさんは、元国語教師で、
この本の著者は、そこの元生徒。
はじまりから引用しておきます。

「大村はまは、ことばの人であった。
 ことばを愛し、ことばを育て、
 ことばに対して誠実だった。・・・・・

 そうだ、もう先生と話ができない・・・

 一周忌を前にした頃、この小さな本を作ることが決まって、
 大村はまの著作の大半を読み返し、胸に響くことばを
 一つ一つパソコンに打ち込んでいったら、
 二カ月くらいのあいだに千五百を超えた。

 最初の百のことばが並んだあたりで、はっきりとわかったことがあった。
 人柄も、思想も、確かに、ことばになって残ったのだ。
 それぞれの、さまざまな表情をもつことばが緊密に並べば・・・
 ある意味で、もう一度、この世に大村はまという人を
 存在させることができるにちがいない。

 はりきって、まるで単元学習に取り組むようにして仕事を進めた。
 気がついたら、悲しみはすっかり薄らいでいた。  」(~p13)
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