ふぶきの部屋

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祝!成婚30周年 雅子様語録   12

2023-06-13 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 1998年3月25日 スペインフェリペ王子来日

外国に行けない雅子様にとってヨーロッパから吹く風を感じるのは、外国の要人がいらっしゃる時だけでした。それだけでもかなり慰められたのは確かです。

このままスペインでもどこでも行ってしまいたい・・・王子を案内しながら雅子様はなんどそう思った事でしょう。

しかし、目の前には「不妊治療」という仕事が待っていました。

 1998年3月30日 葉山静養

雅子様にとって普通の人が出来ることが自分に出来ないというのを認めるのが本当に嫌でした。

精密検査の結果は、独身時代にあれやこれやあった結果などだと思い知らされ、また落ち込む始末です。

けれど雅子様以上に困っていたのは治療を任された堤医師です。

彼は不妊治療の権威ではあるけど、夫婦がどれだけ力を合わせて「妊娠」へ向かっていくかという事が一番大事であり、成功のカギであると思っていました。

しかし、皇太子はともかく、雅子様はなかなか治療に乗り気にならず、ダメと言われている煙草を吸ったりお酒を飲んだりと、まるで思春期の女子のような行いをするのですっかり困り果てていたのです。

しかも小和田氏に厳命されたのが「男子誕生」です。

男子が生まれるか女史が生まれるかは神の領域であって、いくら現代でも産み分けは大変な事です。

 1998年5月13日 赤十字大会

 1998年5月24日 ヨーロッパ訪問の両陛下をお見送り

最初は自然に妊娠するように仕向けていた堤医師も、「これは人工授精しかないのかも」と思い始めました。

女性にとって辛い不妊治療、雅子様は耐えるのが嫌でわざといけないと言われる事をやってしまう。結果的に失敗する。この繰り返しです。

あの人はすぐに流してしまう」とある時、堤医師はぼそっと呟いた事があります。

煙草も止められないしな」と。

だけど、当時の雅子様の心情を思えば仕方ない事だったのかもしれません。

外国の新聞などには「籠の鳥」などと書かれて、「皇室に閉じ込められた哀れなお妃」と言われる。同情されるのは好きですけど、そんな皇室に入れたお父様達を恨みたくなります。

5年後にこういう事が待っているとわかっていたら絶対に結婚しなかったのに。

 

 1998年8月27日 石川県ふれあい昆虫館にて

 1998年9月17日 葉山静養

皇太子様は優しい方で、何でも雅子様のおっしゃることは聞いてくれました。

どこにでも一緒にいてくれるし、何でも望みは叶えてくれる、ある意味理想の夫です。

でも、理想の夫=理想の男性ではない。

心の奥底に潜む欲求不満に雅子様は日々悩みます。

ある日は「何でこんな人と結婚したんだろう」と思い、ある日は「外国にいついけるだろう」と思う。

 1998年10月29日 秋の園遊会

 1998年11月26日 江沢民主席歓迎式典

 1998年12月2日 アルゼンチン大統領夫妻来日歓迎式典

 1998年12月3日 エドワード王子来日

 1998年12月4日 35歳の誕生日記者会見

それでも雅子様は雅子さまなりに公務に励み、頑張っていたつもりです。

でもイライラして眠れない時は、部屋を抜け出して庭を散策するのが日課になっていました。

夜の東宮御所の庭は自然の宝庫です。

鳥や獣の泣き声すら耳に聞こえてきます。

1995年頃、この東宮御所に1匹の犬が紛れ込んで子犬を10匹産み、そのうち8匹を職員に渡し、残った子犬を引き取り「ぴっぴ」と「まり」という名前を付けました。

雅子様は子犬の為に東宮御所の車道を通行止めになさったりときめ細かく配慮しました。

また、野生の狸も夜には出て来ることがあり、雅子様は何匹か保護し、育てたりしていました。

35歳の記者会見では「いま、犬がおり、『夫婦げんかは犬もくわぬ』と申しますけれど、けんかのタネはわりとよく(犬が)拾って食べてくれる気がします」とおっしゃっています。

今や雅子様の心を慰めるのは、紛れ込んだ犬だったり狸だったり・・・・

 1999年1月1日 新年祝賀の儀

新年を迎えても雅子様は一向に懐妊の兆候を見せませんでした。

けれど、さすがに30代も半ばになり、不規則な生活をしていると太ったり痩せたりという事が多くなり、その度にまたも「ご懐妊では」と騒がれる始末です。

 

 サンデー毎日1999年2月7日号 「雅子さまの存在感」

何よ何よ アタシだってグレたいわよ。子供子供って何さ」と、雅子様は心の中で思われたかもしれない。それでも成婚から5年も試練に耐えてこられたのでしょう。最近は腹を据えられたのか存在感もご覧の通りデーンとしたご様子

 1999年2月8日 ヨルダンのフセイン国王の葬儀に出発

そんな雅子様に突如降ってわいたような外国訪問がありました。

それはヨルダンのフセイン国王が亡くなられたので葬儀に出席する事になったからです。

これは雅子様にとって千載一遇のチャンスともいえる出来事でした。

外国、ジョルダン、ああ、懐かしい・・・そんな思いで雅子様はいそいそとお出かけになったのです。

 

 1999年2月20日 北海道公務のついでにスキー三昧

 1999年2月23日 皇太子殿下誕生日

それでも皇太子様はある意味幸せでした。

私たちは言ってみれば、夫婦一緒に共働きをしている、一緒に行動する、そういうような毎日を送っております」

とお誕生日会見でおっしゃっています。

本当の夫婦共働きを知らない皇太子様ならではのお言葉ですが、殿下としては雅子様が次々に新しい「わがまま」を言い出し、それに対応しているうちに、今までに経験した事のない快感を覚えるようになっていたのです。

背徳感とでもいうのでしょうか。

今までしっかりしなくてはいけないと思い込んでいたのですが、雅子様が繰り出す突拍子もないいたずらや言葉はまるで麻薬のように殿下をとらえて離しません。

 1999年4月5日 ルクセンブルク ジャン大公夫妻宮中晩さん会

 1999年4月8日 ルクセンブルク大公国レセプションにて

 1999年4月22日 東京浅草仲見世

浅草に行ってつまみ食いしてみたい」と雅子様が希望された時は、宮内庁は笑ってごまかすしかなかったのですが「それはいいですね。僕も行ってみたいです」と皇太子様が後押しをすると実現しないわけには行きませんでした。

突如、東宮職と皇宮警察は素早く計画を立て、絶対に二人に危害が及ばないように最新の注意を払いつつ、何とか浅草を皇太子夫妻を案内しました。

いくら人払いしようとしても平日の真昼間の浅草です。

庶民が一杯歩いています。

そこにサプライズで皇太子夫妻が現れたものですから、みな一様にびっくりし、どうしようというムードになりました。

野次馬はどんどん集まって来るし、それらを止めるだけで精一杯の皇宮警察。

結局、お二人の回りを取り囲んだのは十数人のSP達で、お店の人はともかく、一般人にとっては大変迷惑な事でした。

それでも雅子様は庶民の街、浅草に来ることが出来たのが嬉しくて、気さくにお店の人に声をかけていきます。

なんと刺激的な事だったでしょうか。

 

コメント (3)
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