2001年5月18日 英国に旅立つ皇太子殿下をお見送り
2001年5月25日 お出迎え
ご懐妊は雅子様に勝利をもたらしました。
それは蜜のように甘く、そしてご自分の自信を取り戻されるきっかけともなりました。
懐妊したと言う事は、もう自分が悪口を言われない。せっつかれる事もないという意味で雅子様は安心だわとも思いました。
生まれてくるのは堤医師によって男子と決まっている。
男女産み分けはもう神の領域ではない。普通に行われている事なのだ。
イギリスに旅立つ殿下をお見送りする雅子様はこれまでになくお美しく、また自信にあふれていました。
2001年5月28日 那須静養
また、「雅子様人気」は不動で、どこへ行っても「雅子さま~~」と黄色い声が聞こえる。
それがうざったい事もあったけれど、今はとても嬉しい。
これからは懐妊を理由にすればいくらでも静養出来るのですから。
妊婦というのは何と強い存在なのかと、これほど感じた事はありません。
あの皇后陛下ですら自分に最上級に気を遣ってくれる。
これほど気分がいい事はありません。
2001年6月5日 メキシコ大統領・令嬢来日午餐会
2001年6月 那須公務
少しずつ公務を始め、その時も話題は雅子様のご懐妊で、もっとも大事にされる存在ですからそりゃあもう嬉しくてたまりません。
2001年7月1日 内着帯の儀
那須ではラフォーレ那須で特製フィレ肉のランチを楽しむ事が出来ましたし、誰も贅沢などとはいいません。
皇太子様は検診の度に付き添って下さいました。
これは紀子様にはありえなかった事で、「優しい夫を持った私は幸せ」とそこでまた顔がほころんでくるという感じです。
といっても、宮内庁病院への往復は車ですし、皇太子様が付き添ったからといって待合室で長時間待つ事もなく、殿下が何かお手伝いできるというわけではありません。
せいぜい一人で待合室で待っているだけ。
それでも皇太子様はご自分が非常に頼りにされている事を感じ、より夫として幸せを感じました。
「これなら自然分娩で行けそうですね」
ある時、医師にそう告げられた雅子様は「え?」とおっしゃいました。
「今時は妃殿下の年齢でご出産も決して高齢とも言えません。しかも妃殿下はお身体が丈夫ですし、何の問題もなく自然分娩出来ます。皇室ではそれが慣例になっていますし・・・・」
「帝王切開にして下さい」
雅子様は医師の言葉を遮るようにおっしゃいました。
「何時間も苦しむのは耐えられません。帝王切開にして下さい」
「でも、出来れば自然の方が後が早いんですけどね」
「私、初産なんです。何かあったら怖い」
皇室で帝王切開した例は・・・そもそも皇族の体にメスを入れるのも・・医師としてはそういう気遣いもあったのですが、雅子様が主張されるようにしないと、精神的に何があるかわからないのでとりあえず「わかりました」と答えました。
2001年8月3日 那須静養
2001年10月16日 スウェーデン王太女来日
医師らは相談を重ねた結果、その日が来たら帝王切開にしようと決めました。
2001年11月30日 出産の為宮内庁病院に
2001年11月30日。「陣痛が始まった為に宮内庁病院へ」というテロップの元、雅子様は皇太子様に付き添われて宮内庁病院に入られました。
でもマスコミはちょっと解せない感じがしました。
いや、その時、テレビを見ていた人達はみな不思議に思いました。
何と雅子様はカメラに向かってお手ふりをされていたのです。
「普通、陣痛が始まって笑う余裕があるんだろうか。ましてお手ふりなんて」
何だか雅子様がはしゃいでいるように思えて仕方なかったのです。
2001年12月1日 午前0時に記者会見する宮内庁長官
日付が変わって午前0時。
東宮職が会見を開きました。
「ご陣痛はありませんが分娩のご兆候がおありなので11月30日、午後11時25分、宮内庁病院にご入院になりました。ご出産に向け順調に進まれております」
これまた摩訶不思議な会見です。
「陣痛はない」けど「分娩の兆候」破水でもなさったのだろうか。
それにしてはお洋服にブローチまでして・・・・
この時より都市伝説として「雅子様は出産してない」話が流布していきます。
そして
12月1日、内親王がご誕生になりました。
夕方の号外に人々は飛びつき「女の子ね」「女のお子様かあ」といいつつも「おめでたいわ」と口々に言ってました。
内親王誕生の報を受け、早速皇太子様が病院に駆けつけました。
皇太子殿下はそりゃあもう嬉しくてたまりませんでした。
何と言っても初めてのお子様です。
今まで秋篠宮家の2内親王を見ながら羨ましいとずっと思って来たのです。
ついにご自分にも「子福」という幸せが巡って来たと思い、飛ぶように病院に入ります。
ご出産を終えた雅子様はお疲れの様子で眠っていらっしゃいます。
声をかけずに殿下は生まれたばかりの内親王をご覧になりました。
ふくふくとして何とお可愛らしい事でしょうか。
こんな素晴らしい子を授けてくれて、今は全てに感謝したい気持ちで一杯でしたし、雅子様にもねぎらいの言葉をおかけになりたいと思いました。
思えば8年もの長い間耐え続けて来たのです。
皇太子様と雅子様は今や同志です。
一方、皇居では内親王誕生にあたり、天皇陛下から守り刀を授かる「賜剣の儀」が行われていました。
天皇陛下から賜った刀を持って宮内庁病院に向かう予定でした。
ところがここで大変なアクシデントが。
何と、古川東宮大夫はこの刀が入った桐箱を落としてしまい、中から飛び出た刀を踏みつけてしまったのです。
「不吉な・・・・」誰もがそう思いましたが言葉には出しませんでした。
そして、1日、早くも小和田夫妻が宮内庁病院に駆けつけたのです。
これは本来あってはならない事です。
なぜなら生まれた宮様は天皇陛下の孫にあたります。
なのに、外戚が陛下より先に宮内庁病院に見舞いに行ってしまったのです。
小和田夫妻のこのような「わきまえない行動」は香淳皇后が亡くなられた時も、両陛下よりも先に大宮御所に行こうと、門の前で止められ「記帳だけして帰って下さい」と言われました。
「マイドーターイズプリンセス」の先走った行動はいつも宮内庁の面々からは渋い顔で観られていたのですが、まさか病院まで駆けつけるとは。
ご両親がくれば雅子様も眠ってなどいられません。
父君は少し不満そうに「体は大丈夫か」とお聞きになりました。
母君は「よくやったわね」とおっしゃいました。
「今後の事はもう一度考える。プランBだな」と父君は含みを持たせた言い方をします。
雅子様は「また始まった」というように少し顔を伏せます。
何で素直に喜んでくれないのか。
楽に産み落としたわけではないのに。これ以上何を望むのか。
それは男子誕生に決まっているのですが、今はそんな事を考えたくありません。
小和田夫妻はその日、金屏風の前で記者会見をしました。
父君は不遜にも椅子にどかりと腰かけて手を手すりにのせ、母君は妃殿下からおさげ渡しになったブローチをしていました。
「大変めでたい」とおっしゃりながら二人とも顔は少しも喜んではいません。
「新宮様も大変におかわいらしい赤ちゃまでいらして」
母君はそういうのが精一杯でした。
(男子誕生と聞いていたのに)顔はそう言ってる感じです。
皇嗣て内親王誕生の長い一日は終わりました。
2001年12月2日 両陛下がお見舞いに
実は翌2日も小和田夫妻は両陛下に先駆けて病院に行っていたのです。
結局、小和田夫妻に先を越された形になった両陛下ですが、不快な様子も見せずに宮内庁病院に向かいました。
両陛下は大事を終えた雅子様に「おめでとう。よく休んで」と優しいお言葉をかけられました。
両陛下にとっては3人目の孫です。たとえ内親王であっても可愛くない筈がないのです。
病院を出る頃には陛下は皇太子様を振り返り「泣き声は聞こえませんでしたね」と笑顔でおっしゃったりました。
とはいうものの・・・・内親王誕生の余波はじわじわと東宮家に影響を与えていくのです。