夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
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年金生活者 生活費を年50万円節約できる「引っ越し術」、都心の郊外に住む私は学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2018-06-11 13:38:18 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読しているネットの【NEWSポストセブン】を見ている中、
『 年金生活者 生活費を年50万円節約できる「引っ越し術」とは 』と見出しされた記事を、
いつの日にか思案している私は、記事を読んだりした。

この記事の原文は、『週刊ポスト』
の2018年6月22日号の記事のひとつであり、
関連のネットの【NEWSポストセブン】に6月11日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・
定年後の引っ越し、住み替えには、大きく分けて3つのパターンがある。

「郊外の戸建て」から「都会のマンション」に引っ越すか、
逆に「都会のマンション」を離れて「田舎暮らし」を始めるか、
もう一つは「子供との同居」だ。

同居まではいかなくても、子供と“スープの冷めない距離”に住むことを考えている人は少なくないだろう。

それぞれにメリットとデメリットがあることを理解しておく必要がある。
ここで判断を誤ると、大切な資産を失い、老後の人生設計が根底から崩れてしまいかねない──。

             

Aさん(62歳)は定年を機に住み慣れた東京郊外の4LDKの一戸建てを売り、
駅に近い2LDKのマンションに買い換えた。

「以前の家は、駅やスーパーまで徒歩20分。
若い頃は、妻も自転車で買い物に通ったが、年を取ると危険もある。病院も遠い。
そう考えて都心のマンションに住み替えました。

夫婦2人なら2LDKで十分。
子供部屋に残していた机やタンスなどは処分しました」(Aさん)

新居は、スーパーや病院も近く、再雇用で働くAさんも通勤が便利になったという。
車も手放した。

60代からの引っ越しのメリットは、
Aさんのように「生活のダウンサイジング(縮小)」を図る、いいきっかけになることだ。

間取りを4LDKから2LDKへと2部屋少なくすると、まず光熱費が違う。
電気代の契約アンペア数を下げることができるし、マンションは、戸建てより冷暖房費もかからない。

また、駅に近いと生活の“足”としての車も、不要になる。

             

ファイナンシャルプランナーの小谷晴美氏はこう話す。
「引っ越し先の自治体(市区町村)によって、水道料金は大きく変わります。
地域や間取りによっては、電気・ガス・水道の光熱水費だけで、年間約20万円(※注)、
車を手放したことで、自動車税や保険、車検、ガソリン代などの支出が、年間30万円近く削減できたケースがあります」

年金生活者にとって、生活費を年50万円節約できれば、生活がぐんと楽になる。

【※注/2人暮らしの70代夫婦が、兵庫県宝塚市の戸建て住宅から、奈良市のマンションに引っ越したケース。
水道代は月額(平均)7000円→2500円、電気代は1万5000円→6500円、ガス代は8000円→4000円となり、
年間36万円から15万6000円と、20万円超安くなった】・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした

                           

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住む73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして住宅街が広がる中で、少しばかり広い雑木の多い小庭の中、築後39年の古惚けた戸建に住み、
私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や14年目となっている。

そして私の生家も近くにあるので、私自身としては結婚前後の5年を除き、
この地域に住んで、早や68年が過ぎている。

最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。
或いは小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
そして私が長年通勤で利用した『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。

いずれの最寄駅までの路線バスの利便性は良い所で、たとえば都心の新宿のデパートに買物に行っても、
電車を利用すれば、我が家よりデパートの店内に45分ぐらい、
或いは東京駅でも我が家から一時間前後となっている。

                

私は民間会社の中小業のある会社で35年近く奮戦し、2004年(平成16年)の秋、定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めたが、平素の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。

そして家内から依頼された品を求めて、私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
       
そして70代の三年生して、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、
ときおり願いながら歩いたりしている。

                 


こうした中、我が家の周辺の住宅街は自家用車があるが、
我が家には、自動車がない稀(まれ)な家となっている。

過ぎし2004年(平成16年)定年退職後は、多々の理由で年金生活を始め、
若き25歳前後の生家の自動車を活用して盛んに各地を走行してきたが、
この後はペーパー・ドライバーを長年過ごしきたが、この機会に自動車を購入して、
私たち夫婦は、国内の各地をドライブしょうかしら、と夢想したりした。

しかしながら私は、無念ながら反射神経が鈍(にぶ)くなった感じ、その上に小心者の為、
万一、交通事故で人さまに傷つけたりして被害者はもとより、加害者の私でも心身の傷を深く残すので、
自動車の運転免許証の更新時に破棄して、自動車の運転を断念したひとりである。

こうした中で、買物、散策などは路線バスにも乗らず、歩いたりしている。

そして駅までの15分前後の道のりも、路線バスなどに頼らず、殆ど歩いたりしているが、
冠婚葬祭、旅行、都心で懇親会などの場合は、タクシーを利用する時があるが、
年平均として3万円前後となっている。

                           

過ぎし私の40代の頃、ひとつの夢を漠然とし考えたりしたことがあった。

私たち夫婦が住んでいる住宅街のそれぞれ住宅が密集し、ともすれば何かしら息苦しい住宅街より、
解放感のある地方の山里に、と想いを馳せたりした。
       
たとえば八ヶ岳の別荘地の分譲地などで、のんびりと生活することを夢想したりした。

しかしながらこの当時の私は、都心に通いサラリーマンの身であるし、
住んでいる一戸建ての住宅ローンも多額に残っていたので、
もとより収入を別途に挙(あ)げる自信はなく、夢だよねぇ、断念した。

                 
            
やがて50代の後半になると、山里に300坪前後の土地を求め、
クヌギ、コナラなどの落葉樹の中、平屋建ての30坪ほどに住むことも考えたりした。

この当時は住宅ローン等の返済を終えていたので、
定年退職する60歳になった時は、自宅を売却して買い求めて、
老後の生活資金を配慮した場合でも、何とか出来ると思ったりした。
          
こうした私の根底には、私の住んでいる近くに私の生家もあり、
私は1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受けた。

そして私が小学校に入学した1951年(昭和26年)の春の当時、
祖父、父が中心となって、小作人だった人たちの手助けを借りて、程ほど広い田畑などを耕していた。

或いは祖父の所有していた広い田んぼの中には、小さな川が流れたり、
湧き水もあり、竹林、雑木林が母屋の周辺にあった。

そして母屋の宅地のはずれに土蔵、物置小屋と称した納戸小屋が二つばかりあり、
はずれに小さな稲荷を保有して、この地域の旧家は、このような情景が多かった・・。

このような生家は、周辺は平坦な田畑、竹林、雑木林などが拡がり、
少し離れた周辺はゆるやかな丘陵であり、国分寺崖、と学校の先生たちは称していた。

その後、私が1953年(昭和28年)の小学2年の三学期に父が病死し、
翌年の1954年(昭和29年)の5月に祖父も他界され、
生家は大黒柱の2人が亡くなり、没落しはじめた・・。

そして1955年(昭和30年)の頃から、都会の人たち達が周辺に家を建てられ、
私が小学校を卒業した1957年(昭和32年)であるが、
この頃になると都心に勤める方のベットタウンとなり、新興の住宅街に大きく変貌した。

                 
                    
私は消えてしまった故郷の情景、時代の変貌に戸惑いながらも愛惜感を秘め、
このような私の思い、漠然とした山里に平屋建ての生活を家内に相談したら、
日常生活の買物、交通・病院などの利便性から、反対された。

『貴方の好きな本屋さんだって、今は歩いて行ける範囲ょ・・まして、スーパーなどの買物だって・・』
と私は家内に言われたりした。

やがて具体的に指摘されれば、私は確かに好きな音楽CDとか、映画のDVDを購入する店、
或いは本屋に寄って、単行本、新書本、文庫本、雑誌コーナーを見て、興味を持ったのに手を取ったりして、
やがて買い求めたりする空気が好きで、ここ50数年の習性のようになっている。

そして時折お洒落(しゃれ)た居酒屋に入店して、知人と談笑するも欠かせなくなっている・・。

『貴方、60代の心身元気なうちは良いけれど、70代頃からの身体が弱ってきた時の事も考えて・・』
と私は家内に言われたりした。

確かに山里に住めば、自動車は必須事項だし、買物も一週間まとめて購入し・・と思ってきたが、
身体の弱った時の通院、そして都心の郊外の文化と利便性には勝てない、と断念した。

                 

こうして私の淡き夢も消え、定年退職後の年金生活の中、住宅街の密集地から抜け出して、
我が家より3キロ範囲の遊歩道、小公園、公園などをひたすら歩き、
季節のうつろいを享受したりしてきた・・。

或いは家内との共通趣味のひとつの国内旅行で、各地域の観光ホテルに滞在して、
周辺の山里、街はずれ、街中を歩き廻り、その地の御方と談笑したりして風土、文化を学び、
その地の景観に心身共にゆだねて、遊学したりしている。

                           

我が家は、私が定年退職する数年前、雨戸、外壁、垣根、門扉など最小限にリフォームをしたりした。

そして昨今、古惚けてしまった家に住んでいるが、少しペンキが剥がれかかった窓枠などを見たりして、
たとえ家を建て直すと、少なくとも数千万円を要し、老後資金が乏しくなり、
訪れたい国内の各地にも旅行費の捻出に、困苦すると思われるので、やむなく私は微苦笑したりしている。

そして我が家の固定資産税は土地が毎月3万円ぐらい、老朽化した家は毎月5千円ぐらいと評価され、
四半期毎に納入しているが、当面この状態で過ごしたいよねぇ、と私たち夫婦は話し合いながら、微苦笑したりしている。

こうした中、私たち夫婦は、年に数回は都心のデパートに買物に行ったりしているが、
私たちは人出多い中、齢を重ねるたびに苦手意識となっている。

そして帰路、最寄駅のひとつ『成城学園前』駅で下車した後、
付近の食事処で遅い昼食を頂きながら、ほっとしているのが実感となっている。

何よりも安楽なことは、自宅の居間で小庭の春夏秋冬を明晰に表現してくれる落葉樹を眺めながら、
私たちは談笑したりする時である。

                 

このような心情を重ねてきた私は、殆どの御方は、長らく住まわれた地域こそが、
それぞれの過ごしてきた出来事の数多くの思いもあり、愛惜も加味され、
その御方ご自身が何よりも安楽な地、と私は感じ深めている。

しかしながら、私たち夫婦のどちらかが、足腰が悪くなった時は、
断腸の思いで、段差が多い自宅を売却して、駅前に近い2LDKぐらいのマンションを買い求めて、
付近にあるスーパー、病院を活用しょうかしら、と思案する時もある。

こうしたことは、いつの日にか分からない難題のひとつであり、
それまでは、今住んでいる安息な我が家で生活を過ごしたいなぁ・・と思い深めたりしている。

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