夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
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“定年難民”にならないための4つのコツ、年金生活14年生の私は学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2018-06-19 15:20:18 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【AERA dot.】を見ている中、
【 「定年後は田舎暮らし」と決めつけるな! 
         “定年難民”にならないための4つのコツ  】と見出しを見てしまった。

 私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の73歳の身であるが、
殆どの御方は定年退職時を迎える前に、或る程度の覚悟をされると私は思ったりしてきたので、
改めて“定年難民”に関しては関心する難題であるので、記事を精読してしまった。

この記事の原文は、朝日新聞出版 が発刊している書籍を紹介する記事で、
今回は、聖路加国際病院・診療教育アドバイザーの保坂隆さんが『定年後、うまくいく人 いかない人』上梓され、
【AERA dot.】が保坂隆さんに、定年難民にならないための4つのコツ、インタビューされた記事である。

そして2018年6月19日に配信され、無断であるが記事の大半を転載させて頂く。

《・・人生100年ともいわれる長寿の時代になり、定年後の人生をどう生きるかが大きな問題になっています。
居場所も目的もなく、ただただ時間を潰すしかない「定年難民」にならないためには、どうすればいいのか?
 
                 

【コツ1】自分がやりたいことはすべて「生きがい」になる

定年後の喪失感、孤独感に耐えきれず、必死に生きがいを探しはじめる人を見かけます。

でも、簡単に見つかるものではなく、「生きる気力がなくなった」などと、
自分を追いつめるケースさえあります。
典型的な「定年難民」のケースです。


「立派な生きがいを持たなければ」という気持ちが強迫観念にまでなって、
さほど興味もない資格を取ろうとしたり、嫌々ながら社会奉仕活動に参加し始めたりするシニアもいます。

しかし、結局、それは自分が望んで始めたことではないので、続けるのが苦痛になります。


生きがいというのは「生きていくのに値すると自分で感じられるもの」や、
「生きている喜びや幸福感を得られること」を指すわけで、立派なことを見つけなくてもいいのです。


現役時代には、接待ゴルフや急な出張など、
気が向かなくても、やらなければいけないことがいろいろあったはずです。

でも、定年後は、そんな無理強いをされることはなく、
自分がやりたいことを「生きがい」として楽しめばいいと思います。


自分がやっていて楽しいと思うことを、気楽に楽しむ。
その姿勢が大事です。

                 

【コツ2】「定年後は田舎暮らし」と決めつけるな


雑誌でもよく特集されていますが、「定年後は田舎暮らしをしたい」と考える人がいます。
たしかに、大自然の中でのんびりと生活したら、長生きできそうですし、
無農薬の野菜を栽培できれば、豊かな食卓になるかもしれません。


しかし、これは田舎暮らしの、いい面だけ。
田舎では、都会以上に高齢化が進んでいて、「60歳前半など若手」ということも珍しくありません。

そのため、「消防団へ入ってください」と促されたり、
祭りの手伝いや近所の掃除を強いられたりするケースもあります。


憧れの田舎暮らしを成功させるには、その土地のことをしっかり勉強し、
地域になじめるかどうか、検討することが大切です。

そうしないと、田舎にも居場所がなくなり、
しかし都会の家は売ってしまって、戻れないという「定年難民」の道が待ち受けています。

                 
 

【コツ3】定年からの経済プランは、大ざっぱに

定年までに3千万貯めろ、いや、3千万じゃ足りない、1千万あれば大丈夫・・・。
あふれかえる情報に、「なんとかしなければ」とあせったり、
「下流老人になってしまう」と落胆したりしていないでしょうか。


実は、定年前からあまり先の細かい経済プランを立てても、意味はありません。
「40年生きたとして・・・」とか、「病気になったら入院費が・・・」などと計算しても無駄。

まず大まかな経済プランを立て、定年を迎えたら、1年ごとに見直す程度でいいでしょう。


世界的に見れば、今の日本の経済状況も福祉も、相当、恵まれた水準にあることも、
頭に置いたほうがいいでしょう。
いたずらな「不安グセ」を解消するだけで、老後の日々は明るくなります。

                 

【コツ4】「見栄や義理と縁を切る」という姿勢も必要に


ただし、定年後の、お金の使い方の見直しは、必須です。
とくに交際費は、チェックすべきで、見栄や義理の出費は、
お金に余裕がある現役時代だけでいいと思います。


働いていた時の関係者から、慶事の招待があるかもしれませんが、
無理をして出席したり出費したりするよりも、自分の生活を優先すべきでしょう。

知人が亡くなった場合も、これからの自分の生活と、
どちらを大切にしなければならないか考えてみてください。


「不義理になる」と思うかもしれませんが、
生活が圧迫されるような付き合いは、見栄であり、
結婚式や葬式に参加しなくても、お祝いや感謝の気持ちを伝える方法は、
ほかにもあるのではないでしょうか。・・》


注)記事の原文をあえて改行を多くした。

                          

私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の秋、
大学2年の時に、映画の脚本家になりたくて、中退した。
                                                    
そして専門の養成所に学び、この養成所から斡旋して下さるアルバイトをしたりして、
映画青年の真似事をし、シナリオの習作をしたりした。

やがて警備員などの契約社員をしながら文学青年の真似事をして、
純文学の新人コンクールに応募したりしたが、当選作の直前の最終候補作の6作品の直前に敗退し、
やむなく安定したサラリーマンの身に転向を決意した。

                 
                                             
そして何とか大手の企業に中途入社する為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校に一年通い、困苦することも多かったが、卒業した。
          
やがて1970年〈昭和45年〉の春、この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属された。

まもなく音楽事業本部の大手レーベルのひとつが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこのレコード専門会社に転籍させられ、中小業の多い音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤め、
この間に幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。

そして最後の5年半は、リストラ烈風が加速される中、あえなく出向となったり、
やがて私は出向先で2004年(平成16年)の秋に、何とか定年退職を迎えることができた。

                 
     

そして、私は出向身分であったので、リストラ烈風の中、
社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。

しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私は、
自身の力量のなさを悟(さと)ったりした・・。

そして何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまったので、
やむなくサラリーマン生活を卒業し、年金生活を始めた・・。

                 

この間、私が出向する時、私たち夫婦は遅ればせながら第二の人生について、話し合ったした。
具体的には、どのような生活をしたいか、幾たびか思案したりした。

やがて年金を受け取り、お互いの趣味を尊重してささやかに生活して、
ときたま国内旅行ができれば・・と漠然としながら私たち夫婦の結論であった。

こうした中で、経済にも疎(うと)い私が、
信愛している経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読んだりした。

そして
デフレ経済の蔓延している中、定年時に持家(マンションか戸建て)のローンは返済完了となり、
預貯金が3000万円あれば、公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をし、
少しづつ取り崩して生活すれば、少しはゆとりのある年金生活ができるかしら、と学んだりした。


このように私のつたないサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートの御方には、遥かに遠い存在である。

                  

私は年金生活を始めて当初から、平素の買物に関して、家内から依頼された品を求めて、
自動車も所有できない我が家は、私は独りで歩いて
最寄のスーパーか、ときには駅前のスーパー、専門店に行ったりしている買物メール老ボーイの身である。

そして帰宅後、買物の責務を終えた後は、
やはり独りで自宅から3キロ範囲にある遊歩道、小公園などを歩いたりし、
このようなことが午前中、ほぼ毎日のように過ごしている。

こうした根底には、定年前のサラリーマン時代の私は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買物、料理、掃除などの家事で、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた。
         
そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すのは天敵と確信し、
せめて午前中だけは、私は外出している。

この後の昼食も、お互いに制約することなく、自由食としてきた。

午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
            
こうした中、家内は相変わらず専業主婦の延長戦のように料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

                         

我が家の生計は原則として、私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂いた範囲で、
日常生活を過ごすことを原則としている。

そして耐久品の購入、冠婚葬祭、或いは私たち夫婦の共通趣味の国内旅行に関しては、
程々の貯金を取り崩して、ここ丸13年半ばかり過ごしてきた・・。

こうした中で私たち夫婦は、月初めには家計簿をお互いに確認しながら実施している。

もとより社会の少子高齢化の中で、公的年金は目減りは減少してきたので、
私たち夫婦はお互い趣味の費用を捻出する為に、収支の実態をお互いに確認し、
ささやかに生活を過ごしたく、家計簿の月次決算をしている。
                                

保険関係に関しては、年金生活を始めてまもなくすべて見直して、
現役サラリーマン時代より、生命保険、死亡保険、医療保険、傷害保険は、ほぼ半減に修正し、
火災保険、家財保険だけは従来通りとした。

やがて2011年(平成23年)10月初旬、遅ればせながら『高額医療費制度』を学んだりした。
そして程ほどの貯金があれば、『国民健康保険』、『介護保険』もあり、
高額治療になった場合は、程ほどの自己負担で済むから、生命保険、死亡保険、医療保険、傷害保険を解約したりした・・。


我が家は、30年前、そして20年前にリフォームをした後、
私が定年退職する数年前、雨戸、外壁、垣根、門扉など最小限にリフォームをしたりした。

そして昨今、古惚けてしまった家に住んでいるが、少しペンキが剥がれかかった窓枠などを見たりして、
たとえ家を建て直すと、少なくとも数千万円を要し、老後資金が乏しくなり、
訪れたい国内の各地にも旅行費の捻出に、困苦すると思われるので、やむなく私は微苦笑したりしている。


                  
       
こうした中、ときおり家内が独り住まいの家内の母宅に、家内の妹と交代で、看病で宿泊することも多くなっていて、
私は我が家で『おひとりさま』の生活になるが、こうした時でも、殆ど変わらなく過ごしたりしている。

このように、私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
『働らなくても、何とか生活ができるので助かるわ・・』、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりする。

『そうだよねぇ・・』
私は苦笑しながら応じたりしている。

今回、“定年難民”にならないための4つのコツの記事を読み終わった私は、
それぞれの定年退職時を迎える諸氏は、定年退職後の十人十色のように、
それぞれの第二の人生の願いに基(もとづ)き、生活設計をされると思う、

そして、不安もあるが、ご夫婦で話し合えば、すべてが解決される、
と拙(つたな)い人生航路を歩んできた私でも、学びながら微苦笑を重ねたりしている。

コメント (4)
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