近世美術史家の冷泉為人先生が、興味深い話しを京都新聞に寄せておられた。概略は、
安永天明期(1772~1789)、京都にはそうそうたる画家たちが、雲霞のごとく現れ活躍した。伊藤若冲しかり、円山応挙、与謝蕪村、池大雅、曽我蕭白、長沢芦雪、呉春…
また学者・文人では、売茶翁、大典、皆川淇園などなど、書き出せばきりがない。自由闊達で重密なヒューマンネットワークが、このころ京に築かれた。
「独特の文化風土、芸術的風土があって、それが京都学派に連なる」
(京都新聞2010年7月8日「私のモノがたりー絵画史研究へつながる原点に」)
この時代のことは、わたしも少しばかり、かじってみましたが、京都文化は百花繚乱。それが後の自由闊達な「京都学派」の原点であるという見方には、なるほどそうかと、眼からウロコが落ちました。
ところで京都学派の巨星のおひとり、天才とよばれた梅棹忠夫先生が亡くなった。7月3日、90歳。
梅原猛先生は「追悼・梅棹忠夫さん」(京都新聞7月7日)で、
ー―あるとき、梅棹氏が私に「あなたは酒をたくさん飲むらしい。酒なんかくだらないからやめなさい」と言った。私はその忠告に従わなかったが、六十を超えてほとんど酒を飲まなくなった。しかし梅棹氏は五十歳を過ぎて酒を飲み始め、毎日ウイスキー一瓶を空にしたらしい。それを聞いて私は梅棹氏に、酒なんかくだらないからやめなさいと言いたかったが、遠慮して言えなかった。
-ーそして梅棹氏に学んだことは、三点あるとしておられる。
1 独創的な学問。学問の創造を教えられた。
2 フィールド調査の学。今西錦司先生の流れ。
3 桑原武夫・梅棹氏は、学者は政治家に智恵を与え、よい仕事を政治家にさせるべきであるという考えであった。梅棹氏は国立民族学博物館を創設し、梅原猛先生は国際日本文化研究センターを開設。
ところで、桑原武夫先生の七回忌、追悼シンポジウムが日文研で開かれた。ずいぶん前のことですが、壇上で梅原先生が「あれは確か、昭和○○年…」と発言されると、間髪をいれずに梅棹先生が「西暦年で言ってください。わたしはつねに西暦で記憶しています」
梅梅論争とか梅梅対決などといわれていたころです。会場は一瞬、水を打ったように静まり返りましたが、その後どっと大爆笑の渦が巻き起こりました。20年近くも前のことです。
18世紀の百花繚乱の時代から現代につながる京都学派。現代を代表する巨人であった梅棹先生に、こころよりご冥福をお祈りし、合掌いたします。
<2010年7月10日>
安永天明期(1772~1789)、京都にはそうそうたる画家たちが、雲霞のごとく現れ活躍した。伊藤若冲しかり、円山応挙、与謝蕪村、池大雅、曽我蕭白、長沢芦雪、呉春…
また学者・文人では、売茶翁、大典、皆川淇園などなど、書き出せばきりがない。自由闊達で重密なヒューマンネットワークが、このころ京に築かれた。
「独特の文化風土、芸術的風土があって、それが京都学派に連なる」
(京都新聞2010年7月8日「私のモノがたりー絵画史研究へつながる原点に」)
この時代のことは、わたしも少しばかり、かじってみましたが、京都文化は百花繚乱。それが後の自由闊達な「京都学派」の原点であるという見方には、なるほどそうかと、眼からウロコが落ちました。
ところで京都学派の巨星のおひとり、天才とよばれた梅棹忠夫先生が亡くなった。7月3日、90歳。
梅原猛先生は「追悼・梅棹忠夫さん」(京都新聞7月7日)で、
ー―あるとき、梅棹氏が私に「あなたは酒をたくさん飲むらしい。酒なんかくだらないからやめなさい」と言った。私はその忠告に従わなかったが、六十を超えてほとんど酒を飲まなくなった。しかし梅棹氏は五十歳を過ぎて酒を飲み始め、毎日ウイスキー一瓶を空にしたらしい。それを聞いて私は梅棹氏に、酒なんかくだらないからやめなさいと言いたかったが、遠慮して言えなかった。
-ーそして梅棹氏に学んだことは、三点あるとしておられる。
1 独創的な学問。学問の創造を教えられた。
2 フィールド調査の学。今西錦司先生の流れ。
3 桑原武夫・梅棹氏は、学者は政治家に智恵を与え、よい仕事を政治家にさせるべきであるという考えであった。梅棹氏は国立民族学博物館を創設し、梅原猛先生は国際日本文化研究センターを開設。
ところで、桑原武夫先生の七回忌、追悼シンポジウムが日文研で開かれた。ずいぶん前のことですが、壇上で梅原先生が「あれは確か、昭和○○年…」と発言されると、間髪をいれずに梅棹先生が「西暦年で言ってください。わたしはつねに西暦で記憶しています」
梅梅論争とか梅梅対決などといわれていたころです。会場は一瞬、水を打ったように静まり返りましたが、その後どっと大爆笑の渦が巻き起こりました。20年近くも前のことです。
18世紀の百花繚乱の時代から現代につながる京都学派。現代を代表する巨人であった梅棹先生に、こころよりご冥福をお祈りし、合掌いたします。
<2010年7月10日>