かぐや姫が父母の恩にたいする情に乏しく、薄情な女性であったことを、古典からみてみましょう。なお、引用文は現代語に筆者が勝手にあらためています。文庫本『竹取物語』も出ていますので、興味ある方はご覧じください。
まず彼女の昇天のきざしですが、月に帰る年の春のはじめから、月をみてはもの思いにふけっているようすでした。昼間はそうでもないのですが、夕方に月が出るころになると、ため息をつきます。まわりにひとのいない時など、月をみてひどく泣き出すほどでした。
七月十五日の満月の夜、「月をみると、世のなかがこころ細くしみじみした気分になってしまいます。もの思いにふけって嘆いているのでは、決してありません。こころ細く思うだけなのです。」
そしてひと月後の八月十五日、当時は旧暦ですのでいまの九月下旬の満月、中秋の名月が近づくころになりますと、たいそうひどく泣き、いまはもう人目もかまわないほどになってしまいました。
ついに姫は、己が身の秘密を打ち明けます。「わたしの身は、人間世界のものではありません。月の都のひとなのです。月でうまれる前の宿縁[不明]のために、この地球の世界に流罪[不明]になってしまったのです。しかしもう、刑期[不明]も終わりましたので、月世界に返らなければなりません。今月の十五日、中秋の名月の夜に、月の世界から国のものたちが、わたしを迎えにまいります。月の国の王に滞在ビザの延長をお願いしたのですが、許してくださいません。帰らざるを得なくなってしまいました。この世のご両親、おふたりがお嘆きになるのが悲しいゆえに、わたしはこの春からそのことを思って、嘆いていたのでございます。」
姫が竹林のとなりの屋敷で育ったのは、地球時間ではおおよそ十年、その間、姫は両親を親しみ申し上げたといいます。「故郷の実家に帰るといっても、うれしい気持ちもいたしません。悲しい思いでいっぱいです。おふたりの愛情もわきまえもしないで、出て行ってしまうことが残念なのです。しかし月に帰ることは、わたしに定められた運命…。ここに留まる宿縁[不明]がなかったので、去らねばならぬことわりである思うと、悲しゅうございます。ご両親にたいするお世話を、すこしもせぬまま出かけてしまうのですから、当然ですが気持ちは安らかではございません。おふたりの、おこころばかりを乱して去ってしまうことが、悲しくて耐えがとうございます。」
月世界の住人は、この地のひとほどには歳をとりません。時間は、地球ほどには進みません。しかし向こうの国ではいつまでも若いからといっても、うれしくもありませんと姫はいいます。かつて彼女を追放した国に、怨念をもっているかのようです。
「翁さまと嫗さま、おふたりの老い衰えなさるようすを、みてさしあげないことが、何よりも慕わしゅうございますので」。しかしこの言葉にだまされてはいけません。彼女は姫なので、炊事洗濯裁縫はもとより、老人介護もひと任せ。家事の一切をいたしません。
そして八月十五夜、迎えに来た天人の長がいいます。「翁よ、わずかばかりの善行をおまえがなしたことによって[『万葉集』巻第十六に竹取の翁が天女たちと歌をかわすシーンがあります]、おまえの助けをしてやろうと、ほんのわずかの間だと思い、かぐや姫さまを下界に下した。この国の時間ではずいぶん長い間、おまえの切ろうとする竹の節々に、いつも黄金を入れておいた。あの莫大な山ほどの黄金は、われわれ天が仕掛けた企みであったのよ。極貧であったおぬしは、そのために大富豪になったであろうが。かぐや姫さまは、天上で罪をなされたので、いやしいおまえの所にしばらくいらっしゃたのである。地球時間では十年ほどというそうじゃが、月の国ではほんのわずかの時間であったことよ。姫の罪障はいまは晴れ、刑期はめでたく満了した。それでこのようにお迎えにまいった。翁よ、泣くな。はやく姫さまを月の国にお返し申し上げよ。」
翁は大量の黄金を天界からもらっていたのです。贈賄ではなく、姫の養育費と、あまりある子育て報奨金であった。姫はホームステイしていたようです。あるいは刑務所も驚くほどの高額補償金、あるいはとてつもない黄金持参金つきで、地球の務所入りをしていたともいえます。
別れにさいして、かぐや姫は翁嫗にこういいます。「恋しいときごとに取り出してみてください」。遺言状を書いて渡しました。
わたしがもともとこの人間の国にうまれたのであれば、ご両親さまを嘆かせることもなく、ずっとお仕えすることもできましたでしょう。去って別れてしまうことは、かえすがえすも不本意に思われます。脱いでおくわたしの着物を形見として、いつまでもご覧ください。月が出た夜は、わたしの住む月をそちらからみてください。それにしてもご両親さまをお見捨て申し上げるような形で出て行ってしまうのは苦しく、空から落ちそうな気がします。」
続いて姫は、律儀にもミカドに手紙を書きます。避けることのできぬ天人の迎えがいま、まいりました。わたしを捕らえて連れて行ってしまいます。ミカドからいただきましたせっかくの求婚のお申し出を断り、裏切ってしまいましたこと、申し訳ございません。わたしは常人ではございません。異常なのです。わたしの体は、地球のひととは異なり、めんどうな体なのです。無礼な娘と、おこころに留めておられていますことが、心残りでございます。」
そして姫は天の羽衣を使いの天女に着せられ、飛ぶ車に乗って百人ばかりの天人を引き連れて、月世界に帰ってしまいました。
さてここで、かぐや姫の言動を分析してみましょう。月に帰ることが、こころ細い。自分を追放した月の実家に帰宅することは、うれしくもない。そして翁と嫗が、姫がいなくなることで嘆くのが、また地球を去ることが、悲しいのです。
この地を中途半端な、気持ちの整理もできていない状態で去ることが、残念で安らかではないのです。竹取の親が慕わしいのは、「地球時間のなかで、ふたりが老化していくのをみることができない」からなのです。なんと酷情な娘でしょうか。ひとにも劣る、月の生きものであることよ。
かぐや姫は、竹林横の翁嫗宅に、ホームステイしていたという感覚なのでしょう。衣食住のための養育代金はべらぼうで、天から自動的に竹のなかに振り込まれる。探しやすいように、その竹の節は光っています。翁と嫗は姫の教育にもノータッチで、これほどめぐまれた安易な蓄財は、聞いたことがありません。ここ掘れワンワンでも、掘ったらおしまいなのです。
わたしの息子はいま、大学を休学しバンクーバーに留学しています。ホームステイ先は、カナダ人のパパはエンジニア、ママはマクドナルドのパートをしているそうです。月ではなく、日の国・日本からの仕送りはビビたるもの。それと違って、かぐや姫は「ほら、わたしのおかげで、いつも月から大金をもらってよかったでしょ。ホームステイ代は、十分それ以上に黄金で報いているでしょ」。そのように考えていた節があります。
息子がかの地を去って帰国するときには、パパとママにきっとこういうでしょう。サンキューベリーマッチ、フォーユアカインドネス。シーユーアゲイン。アイル、カムバック、トゥルーリー。間違っても、カインドレスと発音しないでほしいと思うのですが。
言葉足らずの英語を和訳すれば、本当にこころからのご親切、お世話になり、おおきにありがとうございました。一時の同居でしたが、この一年ほどはあっという間に過ぎてしまいました。時間のスピードは、やはり異なる国では異なるということが、理解できました。日の国におります父母のことなどいまでは、ほとんど忘れております。実の両親以上に、いまではおふたりのことをお慕い申し上げております。いつまでもお元気で。またいつか、必ず帰ってまいります。ご恩のほど、一生忘れることはございません。いつまでもこの国に、おりたいのはいうまでもございません。しかし仕送りがまもなく絶えます。日の国の実家には、十分な経済力がございません。残念で悲しゅうございます。
かぐや姫と息子を比較しますに、「貴人、情薄し」ともいいます。黄金の一枚ももちあわせない、ほどほどの貧乏人でよかったと言い聞かせている今日このごろ。
ただ輝く竹のなかにあるという黄金は、いつも頭に浮かびます。暖かくなれば竹林を散策してみよう。場所は、かぐや姫伝説のつたわる京都西山・大原野神社の近辺です。すべって転ばぬように気をつけますが、スッテンコロリだと、ネズミの穴に落ちてしまいます。今年は子・ネの年、コンビニの三角おにぎり持参で、それも楽しみです。
<2008年1月5日 長期休暇終了目前 南浦邦仁>
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