水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

疲れるユーモア短編集 (52)記憶

2021年04月03日 00時00分00秒 | #小説

 人の記憶は、いい場合と悪い場合がある。いい場合は、ああ、あの頃はよかったな…などという場合で、悪い場合は、ぅぅぅ…と思い出すだけでも泣けたり辛(つら)かった記憶である。悪い場合の記憶は、気力そのものがネガティブに疲れるから、ポジティブなやる気を失せさせる。そんな悲しさや辛さの記憶をオブラート[薄いデンプン質の皮膜]のように包んで忘れたり軽くするのが年月という時の流れである。年老いて、忘れたよ…などと忘れてもいないのに逃げの技が使えるいい場合もあるのだが…。今日はそんなお話だ。^^
 春の暖かな日射しが射すとある公園の一角で老人達がゲートボールを楽しんでいる。
「次は誰の番でしたかなっ?」
「えっ!? 平木さんかと…」
 訊(たず)ねた老人、節崎(ふしざき)の記憶も訊ねられた老人、枝尾の記憶も曖昧(あいまい)だった。早い話、老人性痴呆症ほどではない記憶の薄れ、いわゆるボケだった。というのも、自分のチームは四人だから、それくらいのことは誰だって覚えている程度の記憶なのである。そこへもう一人、ボケていない老人が二人の話に割って入った。
「いや、私ですよっ!」
「えっ! 丸太さんでしたか?」
「でしょ!? 違いましたかな…?」
 割って入った丸太の記憶も、実のところ曖昧だったのである。そこへ、もう一人の同じチームのメンバー、板川が割り込まなくていいのに話に割り込んできた。
「なに言ってんですっ! 違いますよ、枝尾さんっ!」
「ああ、枝尾さんでしたか?」
「でしょ! 確か…ですよね?」
 板川の記憶も曖昧だった。正解は? みなさんにだけお話しましょう。^^ 正解は最初に訊ねられた老人、節崎だったのである。
 どうでもいい記憶なら疲れることがないから楽なのだが…。^^

                   完


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