([効用③]―自分の悟りが高次元の指導力と一体になる)
この世的な意味での知識や情報は、あくまでも、「どういうところに問題があるか。解決すべき問題はどこにあるのか」ということを知るためのものです。
人の数だけ悩みはありますし、人の数だけ事件が起きます。そして、集団をつくれば、さらにそれが複合化して難しくなります。
そうした問題の所在、ありかを知るために、いろいろな勉強は必要だと思いますし、それを推奨はしますが、その勉強で三次元的に全部を解決できるわけではないのです。
われわれはAIではありません。魂の力があり、AIが存在できない高次元世界ともつながっている存在なので、高次元の眼で見て、「かくあるべし」ということをお伝えしています。
最後には、自分自身の悟りの部分が、高次元の者の指導する力とつながり、一体になってきます。自力と他力が一体化していく力が働いてくるのです。これが「悟りの力」です。
([効用④]―真実の宗教に学び、天上界につながる「心の中心柱」へ)
「悟性を磨く」とは、そういうことです。
非常に人生経験が豊富で、苦労して道徳的にも自分を極め、刻苦勉励(こっくべんれい)した「偉人」といわれる方の言葉の端々(はしばし)には、やはり悟性が光っているので、そういうものからも学べることは確かです。
しかし、究極的には、真実の宗教に目覚めて学び、それを実践しなければ、悟性というものには辿(たど)り着かないのです。
この「悟性に辿り着かない」ということは、「心に目覚めても、その心の中心にあり、本当に天上界とつながっている中心柱のところにまで届いていない」ということです。それだと、「現象的な喜怒哀楽に翻弄(ほんろう)される人生を生きているところから脱し切れない」ということになります。
(二つの修行によって、「機械の手入れ」では辿り着けない境地へ)
簡単にいえば、自分の日々を振り返って、「真理に反している生き方をした」と思えば反省をし、常に利他の思いでもって、「この世に生かされているものすべてが、自分の魂修行のお役に立ってくれているのだ」と考え、お返しをしていく人生、利他の人生を生きることが大事なのです。
この二点に注意を向けていけば、自(おの)ずから心の存在が分かってきますし、心に目覚めてくるだろうと思うのです。
機械類が発展して、知識や情報が豊富に手に入る現代であるからこそ、かえって失われているものもあるかもしれないので、宗教においては、「心に目覚め、心を発見する」という修行が非常に大事です。「これをやらなければ、この世の道具ばかりに対していくら手入れをしても、辿り着かないものがある」ということを知ったほうがよいと思います。
心の全部については語れませんでしたが、入り口の概論や構造論についてはお話しできたのではないかと思います。
(終わりに)
AIはロボットと接続して考えられることが多い。
しかしAIそのものは、パソコンやスマホ、ケータイなどにも、その機能が及んでいる。将棋や囲碁の名人がAI(人工知能)に敗れはじめ、AIを使いこなせる若手が、プロ棋士(きし)として早く昇進している。
世界をこの三次元現象界に限定し、無神論的唯物論のみを“真理”と考える教育や常識がこれ以上はびこると、「AIの皇帝」がこの世の支配者になる時代もそう遠くはない。戦争も、AIがロボットを使って勝手にやる時代はもうそこまで来ている。
しかし真理は、心の探究の奥にある。
宗教や哲学では、進歩史観とは逆に、現代人は、二千年前、三千年前の祖師(そし:最初に教えを垂れた人。宗派の開祖)にとうてい及ばないのだ。
---owari---
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