仏教では昔から、「不動心が非常に大切である」とされてきました。なぜかといえば、人生の苦しみや迷いの大部分は、心が揺れていることに起因するからです。「揺れない心を、どのようにしてつくっていくか」ということが、仏教修行者たちのテーマでもあったのです。
不動心のある人には非常に安らぎがあります。また、力強さもあって、頼りがいがあります。
「どのような困難にも打ち勝っていく」という姿勢や、動じない信念といったものは、指導者としての器につながっていきます。
指導者の指導者たるゆえんは、少々の波風で心が揺れず、問題をドーンと跳ね返していく力を持っていることです。その根源にあるものは不動心です。
自分に自信があると言いつつも、ちょっとしたミスを責められるなど、何かのきっかけによって、がらがらと自信が崩れていく人は数多くいます。こうした人たちにとって大事なのは、本物の不動心をつかみ取ることです。
本物の不動心をつかみ取るために、どうしても必要なのは、「仏の子の自覚」です。これがないと、不動心といっても根の浅いものになってしまいます。
結局、心が揺るがないのは、「心の根の部分が仏につながっている」という自覚があるからです。
これがなければ、人生は波間に漂う木の葉のように、不安げに揺れるだけなのです。
この部分が不安定になって、「自分は運命に翻弄されている。自分は運命の川に浮かぶ木の葉のようなものだ」と思ってしまえば、どうしようもありません。こうした思いは、「他人や環境が自分を害する」「自分には悲劇的な将来が待っている」といった悲劇的な考え方になっていきます。
こうした暗示にかかって不幸な人生を選び取っていくか、それとも、力強く積極的な人生を選び取っていくかは、「自分をどのように思うか」ということにかかっているのです。
「心の根の部分が仏とつながっている」(仏法真理)
---owari---
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