この世の中には、自らが愚かでないと思っている人が数多い。
自らが愚かでないと思っている人のなかに、
愚かな人が数多くいるのだ。
頭の良し悪しだけをもって、愚かであるかどうかを言うのではない。
愚かであるかどうかは、
その人自身が、自らの魂の欲するところを
知っているかどうか、ということにかかっているのだ。
愚かなる者の一つに、自分を知らぬ者がある。
自分自身を知らぬ者がある。
自分自身がいったい何者であるかを知らず、
そうして、得々としている者があるのだ。
しかし、私はあなたがたに繰り返して言っておこう。
たとえ、何万巻の書物を読むとも、
たとえ、全世界を旅行してまわるとも、
己自身を見極めることができなければ、
その人は智者とは言わないのである。
たとえ、いかほどの知識を詰め込もうとも、
たとえ、生き字引となろうとも、
たとえ、ありとあらゆる地域を旅行し、踏破し、
全世界を経巡ったとしても、
己が心を知らず、己が本質を知らぬ者は智者とは言わないのだ。
逆に、その知識つたなくとも、その見聞狭くとも、
よく己の心を知り、
よく己の心を治め、
その自分自身を知りえた悟りは、智者たるに足る。
人よ、
その順序を間違えてはならない。
まず、己自身を治めるということが大切なことであるのだ。
己自身を知り、己自身をよく治めるということなくば、
いかほど費用をかけ、いかほど月日をかけ、
いかほど多くの人の力を借りて、
どのような業績をあげるとも、それは智者であるとは言わない。
よく、己自身を知れ。
己自身を知ることのなかには、
己自身が仏の子であるという事実を知ることを含む。
いかに、この世的に他の人びとから尊敬さるるとも、
己のその身、その魂が、仏より与えられたるものであることを知らず、
己の内なる仏性に気づかずに生きたる人間は、
決して智者と呼ばるることはないであろう。
よくよく、あなたがたに言っておくが、
まず、自分をよく知っている人間となれ。
それを、まず最初の目標とせよ。
自分を知ることなく、世界を知ったといくら言おうとも、
他の人をいくら知ったと言おうとも、
それはあなたが賢いということにはならない。
自らを知ることなくして、いくら他の知識を集めたところで、
愚かであると言わざるをえない。(仏法真理)
---owari---
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