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知的劣等感は克服できる

2020年04月08日 | 人生
(学生・青年期は「自分は頭が悪い」と悩むもの)
大学生を中心に若い人たちが疑問に思っていることについてアンケートを取ってみたところ、「知的な側面」に重点を置いた質問が多かったのです。

勉強の仕方に関して、「重要な部分を、どのようにして選び出せばよいのか」「『*八割二割の法則』と言われるけれども、重要な二割をどのようにして見抜けばよいのか」「集中力をつけるためには、どうしたらよいのか」といった質問がわりに多かったように思います。

*八割二割の法則・・・「全体のなかの重要な二割が、成果の八割を生み出している」とする理論。パレートの法則とも言う。

「頭を強くする」ということについて、最近では、「脳力を鍛(きた)える」という言い方をすることもあるので、そういうイメージもあるかもしれません。

私の率直な感想として、大学生前後の年齢の人は、同級生や一、二年違いの人と自分自身の能力とを引き比べ、「世の中には、ずいぶん頭のよい、天才のような人がいるものだな。それに引き換え、わが頭の、このラクダのごとき歩みよ」と感じていることが多いのではないかと思います。

「駄馬(だば)よ、もっと速く走れ!」「“夏休みに入ってしまいそうな頭”をどうにかできないものか」などと感じているのではないでしょうか。ほかの人たちは、もう少し要領がよくて、何でも知っているような感じを受けたのではないでしょうか。

(間近で見た「天才」「秀才」と言われる人たちの実態)
ただ、その後、いろいろ経験してみると、世の中には、「目の覚めるような天才」というのは、どうもいないようなのです。周りから「天才」と言われるような人は、ほとんどの場合、誤解に基づくものであり、その人をよく知らないために、一面だけを捉えて、そのように見ているだけであることが多いのです。

その人の生活や勉強など、過去の歴史をいろいろと辿(たど)っていくと、「そうなるべくして、現在そうなっている」ということが多く、「もともとの能力には、それほど極端に個人差があるものではなさそうだ」ということが分かってきました。

「ものすごく勉強がよくできるな」と思う人でも、試験が終わったらケロッと全部忘れてしまうような人を、私はたくさん見てきました。「これが秀才の正体か」と、あっけに取られるのですが、「本当にそんなことがあるのか」と思うほど、試験が終わったとたんに、勉強した内容が“消えて”しまうのです。「試験の日だけは覚えている」という人がたくさんいました。

本当に「勉強を愛している人」「学問を愛している人」であれば、そのようなことはあってはならないことです。「試験が終わったとたんに忘れてしまって、もう覚えていない」というような人は、勉強を単なる通過点としてしか見ていないということでしょう。

私は、それまで、「自分の歩みはのろい」と思っていたのですが、「意外に、自分に正直に勉強していた面はあったのかな」と思い直しました。私は、「自分自身の力になっているかどうか」という点を常に考えていたのです。

(「秀才に勝つ」ための、たった一つの方法)
私が二十歳前後のときに、最初に得た悟りは、「能力的に差があると感じる場合に、相手に勝つ方法は一つしかない」ということです。

親の違いによって、ある程度、頭のよし悪しの差はあるかもしれません。優秀な親から生まれた子と、凡庸(ぼんよう)な親から生まれた子が、たまたま同じ学校で勉強している場合があるので、そういう場合は、「もとから違う」と言えるかもしれません。

しかし、それでも勝つ方法が一つだけあるのです。
それは何であるかというと、「その人よりも、本を多めに読むこと」です。これによって勝てるらしいということが分かりました。結局、「知識の量」に一定の差がつくと、相手が勝てなくなる地点があるのです。「もう、その人には勝てない」という不可逆的な地点があるわけです。

少しの差であれば、頭のいい人のほうが“切れ味”がよいのですが、「一定以上、勉強や知識の量に差がついてくると、もう引っ繰り返らなくなる地点があるらしい」ということが分かってきました。

その地点まで到達(とうたつ)するためには、数学や物理などの理系の世界では、知識の量とは多少違うものもあるかもしれませんが、「一般教養」やいわゆる「文系的な学問」の領域では、「十年ぐらいの蓄積量の差があれば、もはや力量的に逆転できなくなる」ということが自分なりに分かりました。

したがって、「自分は頭が悪い」と思ったら、「本を読むこと」が大事だと思います。
最初は劣等感を持っているかもしれませんが、本を読んで知識が増えていくにしたがって、その劣等感が次第に薄らいでいきます。

他人と競争をして、「自分は劣(おと)っている」ということばかり考えていた状態から、いつの間にか、「勉強そのものに没頭(ぼっとう)している自分」を発見するようになるでしょう。

要するに、これは、「自分自身との戦い」にすぎないのです。他人との戦いではなく、自分自身との戦いであり、「自分が、その方面の勉強に関して、どこまで要求していくか。どこまで求めていくか」ということが大事なのです。それが実力となって表れてくるのです。

---owari---
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