今日は「中秋の名月」に当たる日です。あいにくの秋雨前線と台風16号の影響で「中秋の名月」がはっきりと見える地域は少ないかもしれません。しかし、四国、九州を除く多くの地域で月が見える「チャンスあり」とされており、前線から離れた日本海側や東北では多くチャンスがありそうです。
中秋の名月とは、明治以前の日本で使われていた暦である「太陰太陽暦」上で8月15日の夜の月のことを指し、「十五夜」とも呼ばれています。太陰太陽暦は月の満ち欠けをもとに1か月の日付を定めており、現在利用されている季節変化をもとに作られた暦、つまり太陽の動きによる「太陽暦」とは異なります。
そのため、今年の中秋の名月は9月15日ですが、来年(2017年)の中秋の名月は10月4日。昨年(2015年)は9月27日が中秋の名月にあたる日でした。このように、太陽暦上の中秋の名月は、1年ごとに9月7日~10月8日までの間で日付が変わるのです。
さらに、必ずしも中秋の名月が満月と同日になるとは限らないのです。今年の9月の満月は9月17日で、中秋の名月の9月15日から2日あとになります。
中秋の名月が満月と限らない理由は簡単に言えば、月の軌道は円ではなく楕円だからです。つまり月と地球の距離は一定ではないということです。楕円といっても円に近い楕円ですが、それでも距離が変わるので、月の見た目も1割ぐらい大きくなったり小さくなったりしています。
実際に見て気づく人はいないかもしれませんが、例えば日食の時など、月が小さい時だと太陽を隠し切れずに金環日食になったりします。
「月を愛でる」という習慣は縄文時代ごろからあったと云われ、日本神話の中にイザナギの子、スサノオの兄神、月の神・月夜見命(ツクヨミノミコト)が記述されるなど、心の中にお月さまを神さまと感じているように思います。
「お月見の宴」の始まりは、中国の仲秋節が伝わり、平安時代に貴族などの間で月を愛でながら和歌を吟じ、楽器を奏でた宴が催されたことによるものでした。909年に醍醐天皇が初めて月見の宴を開いたとの記録があり、966年の村上天皇の頃に宮中の正式な行事となったそうです。
平安時代の貴族達は優雅に、月を直接見ることをせず、池や杯に月を映して宴を楽しみ、月を愛でた様は古今集にも紀貫之や素性法師(そせいほうし)などが歌を詠みました。
お月見の宴は、天皇をはじめ高貴な方がたが「望月=観月」を楽しまれたという歴史上の経緯から大切な行事として定着していったのです。京都では今も月を愛でる観月祭が各所で行われています。その後は貴族達だけの風習でしたが、江戸時代になると一般庶民にも広まり、ポピュラーな行事となっていきました。
中秋の名月のころはちょうど収穫の時期に当たるので収穫祭を行うという風習もあったのです。そこで、この時期に収穫する芋を供えたことから「芋名月」ともいわれています。お月見の時期というのは、ちょうどこれからお米の収穫の時期でもあるのです。そのため、お米で作った月見団子を供えることで、これからの収穫を祈る意味もあったようです。
よく子供のころ、月の影の部分を見て、「うさぎが月で餅つきをしている」といいましたね。いわれれば確かにその影はうさぎが杵を持ってお餅をついている姿に見えてきます。ではなぜお供えするのは団子なのに、うさぎがついているのはお餅なのでしょうか?
もともと、うさぎが餅をつくという話は中国の神話に由来します。中国では月のうさぎは不老不死の薬を作っているといわれています。それが日本に伝わり、日本で満月を表す「望月(もちづき)」が転じて「餅つき」になったという説があります。そして、なぜ月のうさぎは餅つきで、お供えは団子なのかというと、それは中秋の名月の時期に由来します。
この時期は、お米の収穫の前に当たります。秋の収穫時期に餅をつくことは昔は大変だったので、実際には無理でした。そのため、江戸時代には簡単に調理が出来て保存も効く米粉でお団子を作るようになったという説があります。
それでは中秋の名月はなぜ美しいのでしょうか?
夜空がもっとも美しいのは実は冬です。太陽は夏に高く、冬は低いですね。ところが満月はこれと逆で夏に低く、冬は高くなります。では高く昇る冬が見やすいのかというと、高すぎてそうではありません。なにしろ頭上近くまで昇ってしまうので、長い間見ていると疲れるのです。
それで、高さでいうと春か秋が見やすい季節ということになります。しかし、春は花粉や黄砂で空がかすんでいて、雨上がりの日でもない限り、月もぼんやりとしています。
秋は空が澄み渡り、月の高度もほどよく眺められ、気温も快適なため、お月見に最適な季節ということなのです。また、秋は明るい星が少ない季節でもあり、そのぶん満月の美しさが際立つのです。
日本人が興味を示した月は、中秋の名月や満月だけではありません。満月の前や後の欠けた月にも、魅力を感じ取っているのです。そうした日本独特の感性は、新月から満月に至るまで、日々形が変わる月に、さまざまな呼び名を付けることへとつながっていきました。
主なものを挙げますと、三日月(みかづき)、上弦(じょうげん)の月、十三夜月(じゅうさんやづき)、 待宵月(まつよい)、十四日月、十五夜/満月/望月、立待月(たちまちづき)などです。こうしたさまざまな月を表す美しい言葉は、歌や詩、小説などに多く使われてきました。日本の自然環境と日本人の感性が作り上げた言葉なのです。
さて、最後になりますが、皆さんは地平線近くの中秋の名月がかなり大きく見えたことをご経験されていますよね。では、なぜ地平線近くの月は大きいのでしょうか。
実際の月との距離は、地平線近くより天頂にあるときの方が近いのですが、不思議なことに「ムーンイリュージョン(月の錯視)」といわれる現象によって地平線近くにある月の方がより大きく見えるのです。古代ギリシャ時代からその理由は謎とされ、今も分かっていないのです。
推論として、人は空が扁平に見えているので地平線付近は大きく見えるという説や遠近法による目(脳)の錯覚であるという説などがあります。
地球から見える月の表面はいつも同じ月の海で模様が見えています。月の裏側はクレーターの多い殺風景な月面です。月が大きく見えるのも、月に満ち欠けがあるのも、月にウサギがいると見えるのも、私は月を美しく見せるための、仏の親心ではないかと思っているのです。
---owari---
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