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「日本海軍魂」は脈々と続いている

2018年08月18日 | 日本

俺たちの祖父は狂信者ではない。苛酷な時代を懸命に生き、自分以外の誰かに人生を捧げたのだと。

旧態依然の日本人には、この感覚はわからない。「公共や国家のために個人が犠牲になってはならない。その必要はない」というのが戦後の人権観、人命尊重である。

 

「個人の尊重こそが唯一無二の価値で、国家に奉仕や献身を求められることなどあってはならない。自分以外の誰かのためにと考えるのは、最後に必ず国家と結びつく戦前の危険思想だ」と彼らは考え、忌避してきた。だから自衛隊の海外派遣が、たとえ日本国と日本国民のためだとしても、彼らは「人殺し集団」などと非難する。

 

しかし、自衛隊の現場の隊員たちは黙々とそれに耐えている。国会でどんなくだらない議論が交わされようと、新聞やテレビでいかに理不尽な非難にさらされようと、我が国の自衛隊はこれまでクーデターも起こさず、日々の任務をまっとうしてきた。

 

第一次湾岸戦争(1991年)のとき、ペルシャ湾に掃海任務で派遣された海上自衛隊第一掃海隊群の司令を務めた落合峻・一等海佐(当時)の話を聞く機会があった。

 

イラクが停戦を受諾した19914月、防衛庁長官による「ペルシャ湾における機雷等の除去の準備に関する指示」が出され、海上自衛隊に「わが国船舶の航行の安全確保のためペルシャ湾における機雷の除去及びその処理を行うことを目的とする」出動が下令され、自衛艦隊司令官に直属する「ペルシャ湾掃海派遣部隊」が編成された。

 

掃海母艦「はやせ」を旗艦とする総員511名の部隊は、426日に日本を出航、527日にドバイのアル・ラシット港に入港し、65日から911日までのあいだ、アメリアや他の多国籍軍派遣部隊とともに掃海作業を実施した。英・仏・独・伊らの各部隊が掃海終了宣言を出し掃海作業を打ち切って帰国したあとも、日本はサウジアラビア政府の要請を受け、独自でカフジ沖の油井に至る航路の掃海を実施した。

 

そのとき爆破された34個の機雷のうち、リモコンを使って比較的安全な遠隔操作によって爆破されたのは5個、水中処分隊員が機雷に近づいて、直接手作業で爆破準備したのが29個もあった。これは凄いことだと言わねばならない。

 

ちなみに落合氏は、大東亜戦争末期の沖縄戦で海軍部隊を指揮し、自決にあたって「沖縄県民かく戦へり。県民に対し、後世特別のご高配を賜らんことを」と海軍次官に打電し、後世にメッセージを残した沖縄方面根拠地隊司令官の太田実中将の三男である。

 

落合氏の話を聞いて、私は「日本海軍魂」というのは脈々と続いているのだなと思った。落合氏は、「自分の部下500人は海上自衛隊のクズだった」という。打ち解けた雰囲気のなかではあったが、その発言には驚かされた。

 

海上自衛隊はどのコースに入っても外国に行く経験ができるが、掃海部隊だけは沿岸部隊だから外国に行く機会がない。防衛大学校を卒業しても、できの悪いのが配属される。兵隊もそんなものだから大卒はほとんどいなくて高卒ばかり。頭を使う仕事はまったくなく、ただ危険なだけ。そんな部下を率いてペルシャ湾に行った。

 

とこらが、彼らは実に規則正しく、あらゆる困苦欠乏に耐えて無事故のうちに任務を果たし、無事に帰国した。その帰国も洋上で1ヶ月ぐらいかかる。しかも、掃海艦は小さな船だから1週間に一度はどこかに寄港し、水と食料を補給しなければならない。

 

東京から、「ご苦労だったから、帰途は隊員みんなを飛行機で輸送し、掃海艦は輸送船に曳かせるがどうか」という打診があった。「みんな喜ぶだろう」と思ったら、「司令、艦を置いては帰れません。このまま一緒に帰ります」と。この部隊には特別賞状(職務の遂行に当たり、特段の推奨に値する功績があった部隊)が贈られた。自衛隊創隊以来初のことだという。

 

湾岸戦争では、米英を主力とした多国籍軍に130億ドルにも上る資金協力を行った。にもかかわらず、クウェートが湾岸戦争終結後、『ワシントン・ポスト』紙の全面を使って謝意を表した広告に日本の国旗はなかった。クウェートの“解放”に貢献したすべての国の国旗が掲載されるということだったのが、金銭的貢献しかしなかった日本は除かれたのである。

 

しかしそれも、掃海部隊の派遣と活躍によって、クウェートで日本の国旗が新たに印刷された記念切手が発行されるなど、我が国は“復権”を果たした。だが、こういう話を新聞もテレビもほとんど伝えない。

 

平成286月末、共産党の政策責任者である藤野保史政策委員長がNHKの討論番組で、防衛費を「人を殺すための予算」と語り、番組後に「不適切であった」と撤回したものの辞任(事実上の更迭)するという一件があった。藤野氏は、自衛隊を「人殺しの組織」と決めつけたかったのだろうが、参議院選挙の協力相手である民進党ですら、前原誠司元外相が「極めて悪質でひどい発言だ。身を賭してやっている隊員に対して極めて失礼で無礼だ」と批判したほどに、「不適切」というよりも悪意のある発言だった。この一事をもっても日本共産党が我が国の安全保障を真剣に考えていないことがわかる。

 

共産党に限らず戦後日本の左派の多くは、自衛隊を「違憲の組織」と決めつけ、国と国民を守る役割を否定してきたが、もうこうした流れに乗せられる国民は少なくなってきた。「新しい日本人」は、個人の幸福追求は自らが属する国家社会が安定して存在してこそ可能で、人間は一人では生きられないという現実を認識し、そのための義務や責任を果たすことを棚上げできないと気づいている。

 

---owari---


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