親子の縁に偶然はない。
必ずこの親のところへと思い、
必ずこの子を産もうと、
約束してくる。
しかし、
いったんこの世の
無常の風に吹かれると、
何もかも忘れてしまう。
この世では賢いと
信じられている哲学者が、
「実在主義哲学」などといって、
人間は偶然にこの世に投げ出されて、
わけもなく泣きながら、
手探りで人生を歩むという。
「無明」という言葉が、
実在世界を
全く忘れたまま生きる、
盲目の人生を生きる、
というのなら、
それはその通りだろう。
しかし、
宗教と信仰が、
かろうじて、
ガラス窓から外を見せてくれる。
家屋の中の完全さだけ求めても、
外の風景を忘れていることを
教えてくれる。
親も子も百点ではなく、
学びのための教材を
たくさん持ったまま
生きているのだ。
不便さ、不自由さ、貧しさの中から、
努力することの尊さを学べ。
足ることを知る中にも、心の平安を学べ。
与えられたものの中に、
黄金の輝きを発見せよ。
---owari---
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