(人をほめる際には、「真実だ」と思えることを語る)
もちろん、人をほめることにも、間違ったやり方はあります。それは、人を利用しようとして、ただただ、その人をほめたり、うわべの言葉や、おべんちゃらなどを言ったりする場合です。
もっとも、一見(いちげん)さんというか、一回だけしか会わない人や、たまにしか会わない人に対しては、それでも十分に効果はあると思います。
ところが、長く付き合う人に対して、真実でないことを言っていると、それは、そのうち、相手にばれてしまいます。「嘘(うそ)をついている」「いいかげんなことを言っている」「思いつきで言っていて、本心ではない」ということが分かれば、反作用が生じ、相手は、こちらの話を信じなくなってきます。「裏切られた。嘘をつかれた」と相手に思われることは、やはり大きなマイナスです。
したがって、人をほめているときには、それが「真実語」かどうか、すなわち、本当の気持ちで言っているかどうか、確認したほうがよいのです。
少なくとも、積極的に「嘘をつこう」「騙(だま)そう」という気持ちを持ってはいけません。
その人の全体をほめることは難しくても、ある部分をほめることについて、「真実だ」と思えるならば、その部分をほめてあげるとよいでしょう。
例えば、年ごろの女性が二人いて、片方は美人であり、もう片方は不美人だとすると、美人のほうが先に結婚するとは限りません。不美人のほうが先に結婚することも当然ありますが、そのときに、美人のほうは不美人のほうを祝福できるでしょうか。自然な情としては「なぜ、あなたが結婚できるのよ」と言いたくなるでしょう。しかし、それでは普通の人なのです。
本当の美人、心がねじれていない美人であれば、「自分は、いい人と、やがて結婚できる」と確信しているものです。そのように心に余裕があるのであれば、不美人のほうが結婚できたことを「素晴らしい」と思い、「〇〇さん、よかったわね。私もうれしいわ」と言って、心から喜んであげるとよいのです。
そうすると、もちろん、友情も続きますが、美人のほうは、その美しさを、さらに際立(きわだ)たせることになります。
このように、美人であって心根(こころね)もよいと、その値打ちがさらに上がりますが、いくら美人であっても、心がねじれている人は、やはり嫌(いや)なものです。
年ごろの女性の場合、自分より先に結婚する人の結婚式に出ると、本当に嫌な気分になることが多いと思います。
しかし、主観的な気持ちだけで見るのではなく、客観的に見る努力をして、「この年代で、こういう人が結婚できるのは幸福なことだ。運がよかったのだろう。私の知り合いのなかから結婚する人が出たのは、よいことだ」と思えたならば、悪い心を持たずに、その人をほめてあげるとよいのです。
それは、ほめられた人にとっては、人生を祝福されたわけであり、よいことになりますが、ほめた人にとっても、よいことなのです。そういうことをほめることのできる人は、素晴らしい人です。また、そのことを別の人が見ていたりするため、そのうちに、ほめた人を幸福にしたいと思う人も出てくるのです。
勉強においても同じです。やはり、成績のよい人も悪い人も出ますし、テストの点数がよいときも悪いときもありますが、成績がよくなった人をくさし、悪くなった人に、「ざまを見ろ」と言うような心境は、望ましいものではありません。
たとえ、その人が、賢(かしこ)くて、勉強ができたとしても、自分より成績のよい人を悪く言い、自分より成績の悪い人を足で踏みつけるような人であったなら、誰も、その人にリーダーになってほしいとは思わないでしょう。
成績がよい人に、「よく頑張ったなあ。すごいね。どういう勉強をしたんだい?」と、素直に感心して訊(き)ける人は、心が広く、素晴らしいと言えます。
ところが、成績が悪い人に対して、「ざまを見ろ」「すっきりした」などと言うのであれば、たとえ、それが本心であり、自分の気持ちが楽になったとしても、それは美しい行為ではありませんし、その人にとって、よいことでもありません。
このように、「祝福の心を持てるかどうか」ということは、自分自身を向上させる上での、一つの「悟りの試験」でもあるのです。
したがって、どうか、努力して、「人を祝福する気持ち」を持とうとしてください。
---owari---
以上
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