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「三種の神器」が示す「和の国」ぶり(後編)

2024年09月29日 | 日本
我が国の「和の国」ぶりは、すでに神話の中で示されている。

(草薙太刀による「言向け和す」)
第三の草薙太刀はどうだろうか。まず確認すべきは、この剣は由来からして「防衛的」だ、という事である。前述のように、この太刀は速須佐之男命が退治した八岐大蛇の尻尾から出てきた。命が大蛇を退治したのは、8人の乙女のうち7人まで食べられてしまって最後に残された櫛名田姫(くしなだひめ)を救うためだった。

また、後にこの太刀は第12代景行天皇の皇子・倭建命(やまとたけるのみこと)が東征をされた折り、相模の国で火攻めにあった際に、草を刈り払って、向かい火をつけて身を守った時にも使われた。これが草薙太刀の名前の由来となっている。

景行天皇は倭建命に次のように命ぜられていた。

__________
東の方の十二(とをあまりふたつ)の道の荒ぶる神とまつろはぬ人等(ひとびと)とを言向(ことむ)け和(やわ)し平らげよ。
(東の方にある十二の国の荒れすさぶ神と、服従しない者たちとを説得し、平らかにせよ)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

小学館『全文全訳古語辞典』によれば、「言向く」は「言葉を用いて服従させる。説得して従わせる」、「やわす」は「和らげる。平定する。帰順させる」とある。すなわち、争いに明け暮れている地方豪族たちに、大和朝廷に帰順して平和に暮らすよう説得する事である。

「言向け」や「言向け和す」は古事記の中に何度も使われている。そもそも天照大神も葦原中国の平定を任すべき神を問いて「何れの神を使はしてか言趣(ことむ)けむ」と神々に相談された。その後、任務を果たした建御雷神(たけみかづちのかみ)は、「葦原中国を言向け和し平らげつる状(かたち)」を復奏している。

各地で相争う地方豪族たちに、平和的に国家建設に参加せよと勧めるのが日本神話で語られたアプローチであった。戦って相手を降伏させたのでは、相手は恨みを抱き、その結果、清明心をもって「和の国」に参加する事にはならない。

しかし、説得に応ぜすに、戦い続ける相手、あるいは「和の国」を害そうとする相手とは、剣をもって戦わなければならない。「和の国」は「非武装平和」では建設も維持もできないのである。

(「うしはく」と「知らす」の違い)
葦原中国平定の任務を果たすために、建御雷神はその地を支配する大国主命(おほくにぬしのみこと)に対して、こう問いただした。

__________
汝がうしはける葦原中国は、我が御子の知らさむ国と言依(ことよ)し賜ひき。故(かれ)、汝が心は、奈何に。
(お前が領有する葦原中国は、わが御子の治められる国であると(天照大神は)ご委任なさった。そこで、お前の心はどうか。)
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大国主命が「うしはける」葦原中国は、我が御子の「知らさむ」国であるという。この「うしはく」と「知らす」の違いは何か。

明治帝国憲法の起草者の一人、井上毅(こわし)は、記紀を研究する過程で、天照大神や歴代天皇に関わるところでは、すべて「治める」という意味で「しらす」が使われ、大国主神や一般の豪族たちの場合は、「うしはく」が使われていて、厳密な区別がなされていることを発見した。

ここに日本国家の根本原理があると、井上は確信した。「しらす」とは「知る」を語源としており、民の喜びや悲しみ、願いを知ることである。それは民の安寧を祈る無私の心につながる。

それに対して、「うしはく」は「自分の財産として領有する」という意味であり、中国の皇帝や欧州の王のように民を財産として、支配する事を指す。それは私心に基づく支配である。

「知らす」こそ「和の国」の統治原理を示した言葉なのである。国家の中心に無私の心をもって、民の幸せを祈る中核があることが、「和の国」の原理である。その無私の祈りが国民に伝播して、国民がそれぞれの立場で公のために尽くしていく。そこに「和の国」の美しさと勁(つよ)さがある。

(「八百万の神、天の安の河原に神集い集いて」)
鏡に象徴される清明心、勾玉の平等感・同胞感、剣の「言向け和す」、それらによる統治原理としての「知らす」。「和の国」の根底にあるのは、人間を心ある存在として捉え、その心が活き活きと働いて、自立的主体的に共同体を支える姿である。

そこには民を家畜のように領有する専制皇帝や、人民をロボットのように支配する独裁者の姿はない。この「和の国」の形は、現代の自由民主主義に通ずる。現代の民主主義は、古代ギリシャ、ローマ、ゲルマンの「民会」に起源を有するようだが、それに酷似した光景が日本神話にも出てくる。

たとえば、速須佐之男命の悪行に責任を感じて、天照大神が天の岩屋に閉じこもってしまわれた際には、「是を以(も)ちて、八百万の神、天の安の河原に神集い集いて(それですべての神々が天の安の河原に集り)」、どうしたら良いかを相談したのだった。しかも、その際は、思金神(おもいかねのかみ)に案を出させている。まさに間接民主主義である。

無事に天照大神を天の岩屋から引き出した後も、「八百万の神、共に議(はか)りて」(すべての神々は一緒に相談して)、速須佐之男命を追放処分にすることを決めている。

このように「和の国」の伝統的な統治形態は自由民主主義に酷似している。明治維新に際し、五箇条の御誓文を出して、第一条に「広ク会議ヲ興(おこ)シ、万機公論二決スベシ」と宣言したのも、この伝統があったからだろう。

我が国の「和の国」ぶりは、以上述べたように神話時代からの生命観、人間観、社会観に根ざしているのである。
(文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)

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