今回のシリーズは、直江兼続についてお伝えします。
兼続は上杉家の大黒柱で、米沢藩初代藩主 上杉景勝を支えた文武兼備の智将です。
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直江兼続と石田三成は、落水城の会見のとき同じ二十六歳。ふたりはこのときから互いにシンパシーを感じて、それ以降、密かにやり取りをするようになっていく。
兼続と三成が共鳴した理由は何だったのか。それは三成に「義」があったからではないだろうか。慶長三年(1598年)には上杉家に会津百二十万石への国替えが命じられたが、この裏には石田三成の尽力があったという。
当初、金山がある佐渡は豊臣家が召し上げる予定だったが、三成の進言によって取りやめとなり、佐渡はそのまま上杉家の所領とするところとなった。また、国替えにあたっても三成はさまざまな援助を行なったという。
食料・人足の手配、農民とのトラブルの処理、越後の屋敷の売却と会津の屋敷の購入まで、実に全面的なサポートを行なっているのだ。三成は佐和山十七万石の勢力しか持たない一武将にすぎなかった。にもかかわらず、格上の上杉家にこれだけ尽くしたのは、彼が「義」の男だったからにほかならない。
(『歴史小説浪漫』作家・童門冬二より抜粋)
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