フランスの作家、オリヴィエ・ジェルマントマの著書よりお伝えします。
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物質的欲求の充足のみをもって満たされないこと、これすなわち、人間の尊厳であります。幸福と暖衣飽食との混同は錯乱以外の何ものでもありません。幸福とは、他人ならびに世界と、この我の調和に存じます。消費社会の売り込みとは正反対なのです。
人類史上最も深刻なる脱文化の動向に際して、これへの抵抗はどこに見られるのでしょうか。
ソ連は、資本主義とは別の価値体系の上に社会を建立しようとして成り、いまや――幸いなるかな!――天寿を全うしてくれました。その崩壊の原因は経済のつまずきにありとして捉えられました。それはそのとおりに違いありません。だが、それでは、外面的理由を述べたにすぎません。
実際には、命とりとなったつまずきは、かれらの唯物主義そのもののなかにあったのですから。それはもう悪魔のごとき憤怒をもって、彼らは、人間の内なるゴッドの存在を抹殺しようと図ったのでした。だが、そんな悪業に人間はついていかなかった。人間は、己を構成する霊的本質を奪い去られんとするや、けっして盲従するということはありません。
共産主義中国は、これまた、何百万という無辜(むこ)の人々の血に襲われ、ソ連と同類の錯乱の歴史をたどってきました。ここから陥った同様の袋小路から、現政権は、消費社会という処方箋で脱出しようとあがいている真っ最中です。
これがアメリカ的モデルに取って代わる代替案になりうるなどと、誰が一瞬たりと信じうるでしょうか。いったいどこまで盲目になれば、毛沢東主義が、覇権回復の尽きせぬ夢を叶える秘宝であるなどと信じられたのでしょうか。
過去の否定によってそれが可能になると、たとえ幻想のとりこになったになったにもせよ!すでに満身創痍のこの民族にとって、血で血を洗う、よんどころなき悲劇的選択ではあったかもしれません。が、世界の他民族にとって、まったく疫病神的なモデルであること、言をまちません。
もっとも、次のようなことはありうるかもしれませんが。
文化大革命が抹殺しようとしたルーツを徐々に再発見し、犠牲に犠牲をかさねて新たな覇権を獲得するならば、あるいは中国は、21世紀文化に深い穴をあける国たるやかもしれず、と。
2050年には中国の国内総生産は、アメリカの2倍、または日本の6倍になると予想されています。日本は、もしそれまでに精神的にも文化的にも再起することがなければ、今度はアメリカ的モデルから中国的モデルへと移行する危機に陥るでしょう。そして、そうなれば、かつての空海や最澄の時代のような、自ら豊饒たらんと欲した意欲的選択とはならずして、自分自身であることを放棄したがゆえに無防備の一民族の、赤子の手をひねるごとき安易な隷属化をもって終わることでしょう。
---owari---
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