このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

袋小路へと突っ走るアメリカ社会

2018年05月12日 | 外国

今日はフランスの作家、オリヴィエ・ジェルマントマの著書よりお伝えします。

 

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一歩退きさがって見れば、20世紀がアメリカ社会のモデルに支配された世紀であったことは、疑うべくもありません。その支配体制は、申すまでもなく、1945年をもって飛躍し、1991年のソ連崩壊後にいっそう拍車がかけられて今日に及んでいます。

 

その原因は、いまさら蝶々するも無益でしょう。ヨーロッパは骨肉相食む戦争を重ねたことで重い責任を免れず、同様に日本も、力関係を正確に分析しえなかったゆえに、アジアで重石の役となる機会を失ってしまいましいた。しかしながら、アメリカ的モデルは、唯我独尊を誇って押しつけてくるものの、実際は傷物の果実をぶらさげているのです。

 

と、こう書く以上は、もうちょっと正確に、以下、論を進めずばなりますまい。

フランス国民は、と同時にヨーロッパ諸民族は、自分たちをナチスの蛮行から救ってくれたアメリカに対して、けっして恩義を忘れることはありますまい。硝煙冷めやらぬベルリンの廃墟の上に次に襲いかかったのは、スターリンの軍勢でしたが、これに対してもアメリカは鉄壁を築いてくれました。

 

しかし、恩義の情、見る目を曇らさず。アメリカの精神とは、本質的に、流離の植民集団のそれであり、「インディアン」文化の抹殺の上に覇を打ち立てたという事実を、どうして無視できましょうか。

 

これは、言い換えるなら、天と地の聖霊と結ばれた種族を葬りさってしまったということなのです。アメリカ合衆国を創成した人々は、元来自分たちの土地でもない空間に、幌馬車に詰めこんだ安ぴか物の価値観をどっかとすえ、以後、他人の見方を思いみることなどありませんでした。

 

もともとが根無し草なのですから、やることといえば、ルーツというルーツに対して草刈りに挑むばかりなのです。文化のコードは複雑より成るというルールを知らないものですから、これら複雑性の効用に目をつぶって恥じることがありません。

 

大衆文化の総ざらえしかしないので、一個のエリートをよく体用を発するという事理が悟れません。歳月を経た寂びなるものについて無知ですから、昔の光いまも輝くということがわかりません。短絡主義者なるがゆえに短絡世界を夢み、ゆとり、忍耐など、諸文明の美徳は、無益と見なしています。

 

何という性急さでしょう!効率をあげよ――ひたすらモットーとするところは、ただこれのみ。いかにも彼らの効率的たること、あっぱれというほかありませんが、袋小路へと突っ走っているのではありませんか。これに盲従する者も、同じ壁にぶつかること必定でありましょう。

 

いったい、この物流、虚像、鳴動の狂騒は、何のためなのでしょう。幸福を心の糧に、などと、さもさもらしく耳に吹きこんで、どんな幸福だというのでしょう。幸福ということを言うのなら、いったい、どっちがより幸福でありましょうか――テレビ画像の虜囚となりはてた飽食人間と、草の庵に座し、木霊に囲まれて瞑想する明恵上人とでは。

 

---owari---

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