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武士道 ~ 主体的なる献身(後編)

2021年03月08日 | 日本
(改革の抵抗勢力)
しかし、主君への諫言といい、押込と言っても、それはあくまで政治的意見の対立であり、主君と家来のどちらが正しいのかは分からない。価値観の違いであったり、権力争いに過ぎないかもしれない。その場合は、どちらが正しいか、どう決めたらよいのだろうか? そこに出てくるのが、衆議公論である。

上杉鷹山(ようざん)は米沢藩の藩主として、見事な藩政改革を行い、天明の大飢饉の際にも、一人も餓死者を出さなかったという業績を残しているが、その鷹山が二十歳過ぎで改革を始めたばかりの頃、上杉家の重臣七名が打ち揃って、諫言の書状を呈示して鷹山に迫ったことがあった。書状は鷹山の改革政治を批判し、改革の旗振り役だった執政・竹俣当綱一党の悪行・罪状を数え上げ、家中・領民の大半は困窮してお上の政治を恨んでいると弾劾していた。

押し問答四時間の末、若き鷹山はからくも前藩主・重定のもとに逃れ、事態を訴えると、重定は声を荒げて七重臣を退出させた。それ以降、重臣たちは病気と称して、自邸に引きこもってしまい、政務は停滞状態となった。ストライキである。重定は主君を蔑ろにする不忠者はことごとく切腹に処すべきと怒ったが、鷹山はこれを抑えて、広く衆の意見を徴した上で処置を決定すべきであるとした。

(衆議公論の尊重)
鷹山はまず監察職の大目付らを呼び出して、七重臣の書状を示して、その理非曲直を問うた。大目付らは、竹俣一党の罪状はおよそ事実を歪曲したものであり、また家中・領民とも改革を支持していると述べた。さらに組頭、物頭など、緒組の頭たちを召し出し、同じ質問をした所、彼らも同様の回答をした。

こうして鷹山は家中の総意を確認した上で、七重臣を呼びだし、首謀者二名を切腹・家名断絶、残り五名を知行一部召し上げ、隠居という処罰を下した。鷹山が周到に衆議の尽くしていため、その処置には誰一人逆らうものがなかった。この事件を機に、家中の結束は強固となり、鷹山の改革政治は順調に進展していく。ちなみに後年、断絶とされた二家は再興され、五家も閉門解除の上、嫡子への家督相続、知行回復が許されている。

鷹山は山鹿素行の影響を受けたと言われ、家督を譲るにあたって次代藩主に訓戒として与えた「国家人民の為に立たる君にて、君の為に立たる国家人民にはこれなく候」などからなる「伝国の詞」は、同時代の西洋で発達しつつあったデモクラシーに迫る近代的公共思想である。さらに鷹山の公を尊ぶ理念の基盤が、衆議公論にあった点も近代デモクラシーと似通っている。

(終身雇用制は武士の自立を助けた)
戦国時代の武士は、今日の欧米のビジネスマンのようにたびたび主君を変え、少しでも自分を高く売ろうとしていた。それが十七世紀の終わり頃、元禄の半ばを過ぎる頃から、多くの武士が一つの藩で一生を過ごす終身雇用制が定着していく。

この終身雇用制は藩、すなわち共同体への忠誠心を育むと同時に、武士の藩の一員としての権利を保障し、藩主が勝手気ままに解雇することはできない仕組みを提供した。

今日のように終身雇用制が崩壊して、いつリストラの憂き目に会うか分からない状態となると、社員も下手な物言いは解雇の危険につながるので、みな口をつぐんで、上司に対して言うべき事も言えなくなる。終身雇用制は、藩主の独裁権力を制約し、武士の自立性を高めて、一人一人が信ずる所を堂々と主張する権利を守るという効果をもたらした。

同時に自分が一生勤める藩に対して忠誠心をはぐくみ、藩主個人よりも、藩という共同体全体に対して、忠義を尽くすという姿勢を涵養(かんよう)した。自立した武士が、自らの主体性のもとに、藩に献身するという武士道の姿勢は、終身雇用制によって護られていたのである。

(年功序列制による実力主義)
終身雇用制と同様、藩という組織の中で定着していったのが、年功序列制であった。それはどういう家柄に生まれたか、という身分を超えて、下級身分の者でも、長年の経験と功績の積み重ねによって、出世できるという能力主義の原理を織り込んだものであった。

吉宗が導入した足高(たしだか)制は、たとえば勘定奉行は三千石という基準を設け、その基準に満たない下級武士が勘定奉行に抜擢された場合は、差額分が支給されるというものであった。五百石の武士なら、在任中は二千五百石が追加支給される。五十六人の勘定奉行のうち、千石以下の下級武士が四十九人、90%を占めるという人材登用効果を発揮した。

この年功序列制は、能力ある下級武士にも活躍の場を与えるだけでなく、その能力評価を長年の精勤と功績に基づく客観的なものにするという特徴があった。ここでも上司の恣意(しい)的な抜擢や左遷を防ぎ、武士の自立性、主体性を高める役割を果たした。

こうして江戸時代の武士は、国家公共への奉仕を使命とする公共性理念に導かれ、同時に終身雇用制や年功序列制により主君の恣意的な支配を離れて、自立・自尊の立場に立って主体的に献身を行う生き方を理想とした。その理想は、明治時代の官僚に引き継がれ、戦後は企業社会にも広まっていった。

バブル崩壊とともに、押し寄せたグローバリゼーションの大波に、終身雇用制も年功序列制も押し流され、公共性の理念も失った官僚や企業人が一斉に汚職や組織犯罪に手を染めるようになったのも、当然と言えようか。

(文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)

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