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縄文人の創造力(後編)

2024年02月07日 | 歴史
巨大建築技術、微細加工技術、アニメ、遠距離交易など、縄文人が発揮した創造力は、どこから来たのか?

(祖霊信仰が子や孫のための工夫・努力を生み出す)
こういう死生観からは、自分の事よりも子や孫のために尽くそう、という動機が生まれます。そこからいろいろな工夫や努力が生まれます。人間は利己心よりも利他心の方が強力なのです。子供たちにより良い食べ物を与えるために、立派な土器を作りたい、とか、良い土偶を作って力のある食物霊を呼びよせ、豊かな実りをいただきたい、という努力がなされるでしょう。

 我々が今日見る精巧で多彩多様な文様と形状の土器や土偶は、こうした利他的な努力によって、生み出されたのではないでしょうか? 全国で出土して資料化された土偶は約1万1千個程度で、縄文時代につくられた土偶総数を約3千万個とする推測もあるそうです。
[Wikipedia, 土偶] 1万年で割れば年3千個、それも全国でですから、それほど無茶な数字ではありません。

土偶の制作は一部の部族の一時の流行というようなものではなく、縄文人たちの心の深層に深く根ざした1万年以上の努力であった、と考えざるを得ません。

 日本人は昔から、子供を可愛がってきました。「世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない」とは、明治10(1877)年に来日して、大森貝塚を発見したアメリカの動物学者エドワード・モースの言葉です。
こういう縦軸を重視する道徳観の基底をなしているのが、縄文以来の祖霊信仰ではないか、と思うのです。

(祖霊信仰が生む横の共同体意識)
祖霊信仰は、世代・生死を超えた縦の共同体を生み出すと共に、現在生きている人々の横の共同体も強化すると思われます。一つの村単位の共同体の中で、先祖代々助け合ってきた同胞だ、という感覚が生まれるからです。その共同体感覚の一例が、「大日本帝国憲法発布勅語」に窺えます。その原文のごく一部と現代語訳を掲げておきましょう。

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朕我カ臣民ハ即チ祖宗ノ忠良ナル臣民ノ子孫ナルヲ囘想シ

朕は、我が臣民が、すなわち祖宗(皇室の先祖である歴代天皇)の忠実・善良な臣民の子孫であることを思いめぐらし、(拙訳)
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歴代天皇はその時代時代の国民と力を合わせて国作りに励んでこられた。自分はその歴代天皇の子孫であり、現代の国民はその時代時代の国民の子孫である、というのです。天皇も国民も先祖代々、力を合わせてやってきたのだから、今の時代も同様に、協力していこう、と呼びかけられているのです。

一つの共同体の中で力を合わせてやっていこうとする同胞精神は、同じ歴史を共有している、という意識から生じます。縄文時代の人々は、お互いの代々の祖霊たちも助け合った同胞だったという感覚によって、その子孫として強い同胞意識で結ばれていたのではないか、と考えられるのです。

前述の「六本柱」の建造物を建てるには、大人200人程度の協力が必要だと、大林組は計算しています。三内丸山での最盛期の人口は500人程度と推定されていますので、子供や老人を除くほとんどの住民が力を合わせて、この巨大施設を作ったのです。子孫のために天にも届く立派な祭祀施設を作ろうという志を、共同体全体で共有して、皆で力を合わせたのでしょう。

(祖霊信仰が築く平和な全国的交易関係)
縄文人たちは小さな集落に分かれて、列島各地に散在していました。近隣の集落どうしは互いに婚姻などで結ばれていたでしょうし、また遠くの集落とは、貴重な資源の交易をしていました。新潟のヒスイ、秋田のアスファルト、岩手のコハク、北海道の黒曜石などが三内丸山遺跡から出土しています。

全国的に集落間の平和な結びつきがあったからこそ、こうした交易も可能になったのでしょう。しかし、祖霊信仰が親族内の祖霊のみを対象としていたのなら、なぜこのような全国規模の平和的交易が実現したのでしょうか。

たとえば、前述のイグボ族では「善き人生を送り、健康な生活を送り、孫や曾孫たちにも恵まれ、そして自然な死を迎える」事が祖霊になる条件でした。もし我欲を出して他のムラから貴重な財を奪おうと手を出して、逆に殺されたりしたら、「悪霊」となってしまいます。これは日本の「怨霊」と同様の感じ方でしょう。

とすれば、互いに祖霊信仰を持つ共同体の間では、平和的に交易して貴重な財を入手する方が子孫のためになる、というマインドが働きます。そしてそういう関係が何代も、何百年も続けば、先祖代々仲良くしてきた事実が強い信頼関係を築くでしょう。日本全土にまたがる平和的な交易関係が縄文時代に実現していたのも、こうした祖霊信仰の力が働いたからと考えます。

そして、この平和な長期的な交易とは、現代の日本も得意とする分野です。江戸時代には「売り手よし、買い手よし、世間よし」の三方よしの哲学が広がり、日本全体をつなぐ商工業が発展しました。そこから、日本特有のビジネス形態として総合商社が発展し、現代では世界規模の平和的な交易活動を展開しています。この点も、縄文時代に淵源がありそうです。

(自然との和を生み出す精霊信仰)
もう一つ、縄文文化の特徴として自然との和があります。農耕・牧畜によって定住を果たした世界の四大文明が、みな砂漠化してしまったのに対して、縄文文化は美しい森と海を保ちながら、1万年以上も続きました。

竹倉氏は同書で、アラスカに暮らすトリンギット族も紹介しています。このトリンギット族も、イグボ族と同様の祖霊信仰を持っており、祖霊は親族内で生まれ変わる、と信ずる点も同じです。祖霊信仰がアフリカからアラスカまで、古代人類の共通の信仰として広まっていた様が窺われます。

トリンギット族は太陽も月も大地も生命を持つ精霊信仰(アニミズム)を持っており、その考え方を竹倉氏はこう説明しています。

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人間の肉体は霊魂にとっての衣服のようなものです。人間と動物の霊魂は同種のものであり、いわば着ている服がちがうだけです。ある霊魂は人間の衣装を身に着け、また別の霊魂は動物の衣装を身に着けているといった具合です。したがって人間と動物とのあいだに明確な境界線は存在せず、兄弟姉妹のような関係であると考えられています。
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いかにも山川草木、すべてが神の分け命とする日本神話とよく似た生命観です。

しかし仏教のように人間の霊魂が虫になって生まれ変わったりする、などとは考えないようです。人間は人間、虫は虫と、同類の中で生まれ変わります。ただ、来ている服が違うだけで、同じ霊魂だという同胞感はあります。

したがって人間の集落どうしが、それぞれの祖霊を持ちながら平和に交易関係を続けているように、人間も動物も虫も魚も草木も、それぞれに祖霊がある、と考えれば、そこに一種の同胞感が生まれます。ある動物を捕りすぎて絶滅させてしまったら、その動物の祖霊に悪をなしたことになり、自分自身が祖霊になれなくなってしまいます。

要は、我々は様々な霊と共に生きているという生命観となり、祖霊信仰も精霊信仰も一つのものになります。共同体の和も、自然との和もそこから生まれてくるのでしょう。

こういう考えを、現代人は未開な原始信仰と見下せるでしょうか。現代の科学は霊魂については何も語れませんし、かつては「高等宗教」と自慢したキリスト教の「最後の審判の日に天国に行くか地獄に行くか審判される」という死生観よりは、よほど合理的に感じられます。

いずれにせよ、縄文人の祖霊信仰は、現代日本人のお盆やお墓参りにも生きており、そこから生まれる子孫への利他心が、我々の持つ強み、すなわち巨大建築技術、精密加工技術、デザイン、交易などを生みだしているようなのです。
 (文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)

---owari---
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