この章は、「歴史が証明する日本の力」について、お伝えします。
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もうひとつ、歴史の話をしておきましょう。日本が英米の植民地にならずに済んだのは、旧幕臣たちの知恵があったからだという話です。
たとえば小栗上野介(おぐりこうずけのすけ:小栗忠順)がそうです。
彼は、江戸時代末期の幕臣のひとりですが、1860(安政7)年、日米修好通商条約批准のためアメリカの軍艦「ポーハタン号」で渡米します。そして帰国後は多くの奉行を務め、江戸幕府の財政再建に力を尽くします。
ちなみに、江戸幕府に開国を最も強硬に迫っていたのはイギリスでした。しかし小栗は「まあイギリスの五十年前のことを見ると、今のわれわれと同じぐらいだ。日本は五十年遅れているだけで、我々は後から勉強するんだからもっと早く追いつける」と判断します。
そしてイギリスやフランスが日本を手なずけようと画策するのを逆に利用して、フランス公使レオン・ロッシュに依頼して洋式軍隊の整備を進め、さらに横須賀製鉄所の建設などを行い、小銃・大砲・弾薬などの兵器・装備品の国産化を推進して、陸軍の力を強化しました。
その結果、日本はイギリスの植民地になることを免れたのです。
小栗はその後、徳川慶喜が薩長に恭順の意を示すのに反対し、薩長への主戦論を唱えたものの受け入れられず、1868年に罷免(ひめん)されて領地である上野国群馬郡権田村(群馬県高崎市倉渕町権田)に隠遁(いんとん)しますが、同年、薩長軍に逮捕され、斬首されてしまいました。
しかし、その後すぐに彼への評価は変わります。大隈重信や東郷平八郎は彼の業績を称(たた)え、彼の後を継いだ旧幕臣たちが明治政府の軍幹部となって、日清戦争や日露戦争を戦い、勝利を勝ち取っていったのです。
こうしたことは欧米では見られないことです。欧米では戦争に負けたら、皆殺しにされるか、奴隷になるしかないのが当然のこととされていました。しかし、日本は決してそんなことはしなかったのです。
そういう意味では、日本のほうが欧米よりはるかに文明度が高かったとも言えるのです。そしてそのおかげで日本は欧米の植民地にならずに済んだのです。
(日下公人著書「『日本大出動』トランプなんか怖くない(2016年6月発刊)」から転載)
---owari---
トップの技量で世の中の運命が左右されるのは
何処の国も同じですね
そういう意味では日本人というか
大和魂は賢かった(過去形)
今は・・・情けないとしか言いようがありませんね
コメントありがとうございます。
大和魂といえば、幕末の英雄たちに大きな影響を与え、30歳の若さで散った吉田松陰先生を思い出します。
先生の辞世の句、
「身はたとえ 武蔵の野辺に 朽ちるとも 留めおかまし 大和魂」
そして、先生が江戸に護送される途中、高輪(たかなわ)・泉岳寺(せんがくじ)を過ぎるときに詠んだ歌は、
「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」
でした。
松陰先生の望むらくは、やはり「志」だと思います。志の大きさが、志の強さが大事だと思われるのです。根本は、「志が、誠実で、まっすぐで、理想が、どれほど大きくて、真っ直であるか」ということだろうと思うのです。
自らを常に見つめ直し、そして、「真実、理想のために邁進する」という努力を忘れないようにしたいと思います。
ありがとうございました。