この章は、「歴史が証明する日本の力」について、お伝えします。
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戦後70年以上が経って、日本の戦後史を見直そうという動きも出てきたようです。そのひとつが「東京裁判史観から脱却すべきだ」という議論です。
戦後、戦争に負けてしまった日本は、連合軍の占領下で行われた「東京裁判」で一方的に裁かれた。その結果、日本国民は、東京裁判で下された判決の内容はすべて正しいと刷り込まれた。すなわち、「満州事変から始まり、戦争が終わるまでに日本が関与した事件・事変・戦争はすべて東京裁判の被告たちによって引き起こされた侵略戦争であって、戦前、戦中の日本の行為・行動はすべて悪であった」と信じ込まされたというわけです。
確かに、そう考える人も一部にいたと思います。しかし私は東京裁判なんてそんなに重要だとは思っていませんでしたし、日本人の大半も東京裁判の結果を鵜呑みにしたわけではありませんでした。アメリカ人はどうせ小細工して、悪いことをするということをよく知っていたからです。
なぜ、そんなことが言えるかというと、戦争が終わった昭和21~23(1946~1948)年頃の新聞というのはほんとうに薄っぺらで、紙一枚しかありませんでしたが、そんな薄っぺらな新聞の一面には大きなスペースを取って、毎日のように「昨日の東京裁判」という記事が連載されていました。
ところが、その記事に証言者として出てくるのは、あるひとりの陸軍少将ばかりなので、私はずいぶん偏っているなと思っていました。日本の軍人で裁判に行って証人になろうという人は、その人ひとりしかいないのかと――。
そりゃ、敵の裁判に行って証言するのは誰でもイヤでしょうが、それにしても証言者がひとりだけというのはおかしいでしょう。無理やりひとりだけ見つけてきて、彼を免責して証言者に仕立てていることは明白でしたね。
他に読むものがない時代だから読んでいましたが、そもそもなんて浅はかな記事だと思っていましたから、東京裁判史観なんて全然身につきませんでしたね。大半の日本人がそうだったと思います。
そりゃ、勝ったほうはなんとでも言うでしょう。それに日本の新聞社がおめおめと追従していたということです。
話を聞くと、新聞社は、GHQ(連合国最高司令官総司令部)から、「言うことを聞かないと新聞の原料になる紙のパルプをやらない」と脅されて、仕方なくそんな記事を掲載していたと言いますが、それにしてもそれで東京裁判史観に染まった日本人がいるのかねと思っていました。
マッカーサーが書かせただけの記事を、その時代を知っている日本人が信じたはずはありません。その後、十年、二十年経つと、若い人ばかりの日本になり、さらに日本の復興が始まって、国民は忙しくなりました。経済発展のほうに夢中になりました。
(日下公人著書「『日本大出動』トランプなんか怖くない(2016年6月発刊)」から転載)
---owari---
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