この章は、「歴史が証明する日本の力」について、お伝えします。
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日本は、明治維新を契機として近代国家として成立していったとされています。
それまでは日本は鎖国していましたし、近代帝国主義の戦争には参加することなど考えてもいませんでした。日本は日本として単独で存在していたと言ってもいいでしょう。
そこにやってきたのが、アメリカです。「日本をやっつけて、儲けてやれ」ということで、ペリーが黒船でやってきて、日本は大騒ぎになりました。
そして、ショックを受けた日本は明治維新へと歴史を進めていきますが、私はこの「維新」という言葉もいかにも日本らしいと思います。「革命」ではないのです。
「これ新たなり」ですけど、変革して昔に戻ることを意味しています。
「徳川幕府はもうやめてくれ。二百五十年間ご苦労さんでした」ということで、これからは天皇が何もかもやるぞと「天皇親政」を掲げました。
そして出されたのが「五か条のご誓文」です。
それがまた、四民平等とか万機公論に決すべしとか、なかなかよくできているので、庶民はそれを見て「このとおりやるんなら明治維新だ。それを天皇がやってくださる。われわれもついていこう」となったのです。
それに対して、たとえばフランス革命は、暴動を起こした庶民が教会の財産を取り、次は王様の財産を奪うという形で起きています。
その結果、金持ちになった庶民は「市民」を自称し、さらに暴動は「市民革命」という名前になりました。
しかし、財産を奪うだけ奪ったら、もう取るものがなくなって、今度はお互いの中で喧嘩を始め、敵対した者を次々とギロチンにかけて殺していきました。
こうした歴史を見ても、維新と革命の違いは明らかでしょう。
明治政府は徳川十五代目の将軍を殺しませんでしたし、奪うこともしませんでした。それどころか、徳川慶喜は従一位勲一等公爵、貴族院議員になっています。また、大名の財産も没収せず、後に伯爵・公爵という称号も与えました。つまり、日本人は劇的な大変化は良くないと思っているんです。歴史の流れを断ち切ることなく、なんとなく、穏やかに、少しずつ変わればいいと思っています。
(日下公人著書「『日本大出動』トランプなんか怖くない(2016年6月発刊)」から転載)
---owari---
維新と革命の違いは
今風に言えば・・・
維新は世の中をカスタマイズ
革命は世の中の支配
と受け取りました
いつも勉強させて頂いています
ありがとうございます
度々のコメント、ありがとうございます。
「維新は世の中をカスタマイズ」はとても分かりやすい表現ですね。
思わず、「革命は世の中のリプレース」と言葉がでました、
ハードウェアとソフトウェアの違いは大きいですね。
またのコメントお待ちしております。