太宰治が入水自殺をしたことで知られる玉川上水が完成したのは、1654年のこと。豊富な水量で、江戸市民の生活水を供給し続けた日本が誇るべき上水事業だ。
玉川上水の長さは西多摩から四谷に至る全長43キロメートル。その長距離間を同じ速度で水が流れるという驚くべき技術が発揮された上水道だった。しかも、昭和の時代までの300年間にわたり飲料、水田用水にと利用され人々に貢献してきたのだから、その規模もさることながら技術の精巧さにはただ驚くばかりだ。
さらにびっくりするのは、工事にあたったのが武蔵国(むさしのくに)の無名の農民だったことだ。その農民土木技術者とは、庄右衛門(しょうえもん)、清右衛門(せいえもん)という兄弟。江戸前期にして、日本の農民にはこれほどまでの高度な技術が備わっていたわけだ。
玉川上水工事の着工は、1653年4月。それからわずか1年余りで完成するスピードも特筆ものだ。玉川上水の優れている点はほかにもある。凸凹のある江戸の町の中を一定の傾斜を保ちつつ掘り進んだ土木技術の緻密さも見逃さない。
しかも、一度下に落とした水を再び上に上げる、サイフォンの原理まで応用している。当時、こんな上水道は世界のどこにも見ることはできない。
この頃の世界的上水道としてはローマ水道が有名だが、そのローマ水道にしてもサイフォンの原理を応用するまでの技術はなかったのである。
上水道の完成後、取り入れ口の堰(せき)を切ると、水流は1日で四谷まで達したというから見事というしかない。コンクリートのない時代に漏水止めの工夫もしっかり施されていたようである。
後に、玉川上水の支流に野火止用水が作られるが、これは完成後水流が上流から下流に達するまで、3年を要した。このことからも庄右衛門、清右衛門兄弟の仕事の確かさを知ることができるのである。
古代以来、上水道の土木工事を施した文明・文化はいくつもあるが、規模、技術、寿命において、玉川上水に勝るものはないといっていいだろう。
この時の農民兄弟の知恵と技術は、まさに国際水準を超えていたのである。
---owari---
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