アメリカ人と日本人の感性の違いについておもしろい話があります。慶應大学からアメリカのハーバード大学へ留学した池田成彬(しげあき)の話です。
池田は出羽国(現在の山形県米沢市)に米沢藩士の長男として生まれます。彼は1890年に、ハーバード大学からの派遣教師から「奨学金の話はつけといてやるから、行きなさい」と言われてアメリカに渡ったのですが、その奨学金の話がついていませんでした。
しかし今さら日本に帰れないということで食うものも食わず勉強を続けていたのですが、あまりの窮状を見かねたアメリカの金持ちが、「あんたにお金をあげます」と申し出ます。
そこで彼が「なぜくれるんですか」と聞くと「いや、見るに見かねてあげるんだ」という返事です。そこで彼は「じゃあもらいません。痩せても枯れても私は武士の子です。人の情けは受けません」と断ります。
しばらくして、アメリカの金持ちは、「もう見てられん。金をやるからもらってくれ」と申し出ます。
そこで彼は、「貧乏だからと言われちゃもらえない。せめて、あんたは頭が良くて勉強できるから奨学金であげるんだと言ってくれ」と頼みます。ところがそれに対して、アメリカの金持ちは、「あんたが頭がいいかどうかは、半年か一年経って成績が出なくちゃわからない。だから、そういうことは言えない」と言ったんだそうです。
結局、池田はいったん日本に帰ってきます。そして福澤諭吉に会って、かくかくしかじかで日本に帰ってきましたと報告すると、福澤諭吉は笑って、「なるほど、それはおもしろい。国際理解というのは難しいものですね。慶應にも奨学金はあるんだから、慶應の奨学金で勉強しなさい」と手配してくれました。
その後、池田は成績優秀で無事にハーバードも卒業して、三井銀行に入りました。その頃、三井銀行は日本で一番の銀行でした。そこに入って三井財閥の総帥にまで登りつめ、1937年には第14代日本銀行総裁に就任、戦後も吉田茂首相の相談に乗っていたそうです。
日本人には独特の精神の世界があります。それがアメリカ人にはわからないのです。
痩せても枯れても武士の子だから施しの金はもらわない。どうしても私に金をくれたいのなら、頭がいいから奨学金として渡すと言ってくれ・・・・・。日本人には池田がそう言った理由が理解できますが、アメリカ人には難しいらしい。
さて、そこで今の日本の話です。日本は今、世界中に経済援助をする立場になっています。ただし、そのとき援助する国に対して、きちんと援助する理由を説明できているかどうかということです。「いやまあ気にするな。もらっとけ」ということでは、日本の真意が相手に理解されるまでに十年以上かかるでしょう。
やっぱり、あげる側ともらう側のギャップはあるんだということをしっかり認識することが大切です。
アラブの世界にはアラブの世界の理屈があるし、東南アジアの国々には東南アジアの国々の理屈がある。それを知ったうえで、しっかり説明する必要があるということです。
私が学生のとき、知り合いの家の引っ越しの手伝いに行ったときのことです。いろんながらくたが出る。私は欲しいなと思うんですがそうも言い出せない。向こうも貧乏学生にやっちゃってもいいんだけど、使い古したものだし、失礼だからあげるとも言いにくいわけです。
そういうことを何回も経験しましたね。後になってみると別にもらわなくても暮らせたんだから、まあ言わなくてよかった。でもあのときはほんとうに欲しかった。もらったら助かるだろうという気がしたものです。
今のODA援助でも、そんなことが繰り返されているんだろうと思います。
たとえばインドに行くでしょう。日本が援助だと言って灌漑(かんがい)事業とか発電事業とか、いろんな事業にお金を出して仕事をしてやっています。
向こうはサンキューサンキューと言いますがそれで終わり。「ほんとうにありがたいと思ってるのかね」と言いたくなります。
実際、思っていないでしょうね。インドにはいろいろな宗教がありますが、基本的に金持ちが金を出すのは当たり前だと思っていますし、それどころか、「サンキューと言ったら功徳(くどく)が減る」と考えるお国柄ですからね。
そういう意味では、日本はもっと他国との付き合い方を勉強していかなければなりませんが、それはまあ、これからの若い人たちの仕事です。
(日下公人著書「『日本大出動』トランプなんか怖くない(2016年6月発刊)」から転載)
---owari---
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