(「今から先、自分たちにできることは何か」を常に考える)
時代というのは、今、もうすでに地上に命を持っている私たちが選べるものでもないし、地域というものも選べるものではないんですね。すでに、そういう場所に、そういう時代に生きているわけですから、そういう時代に生まれてくる子供たちもまた、そういう運命を担(にな)って出てくるわけです。
ですから、選べないもの、もうすでに生じているものについて、あれこれと煩(わずら)うのは無駄なことです。
大事なことは、「今から先、自分たちにできることは何か」ということを、常に考えることなんですね。
急にここから、キリスト教から仏教にかわるのですけれども、仏教の根本というのは、結局、「宿命論」を否定したところにあるのです。
「宿命」で言いますと、もうどうしようもないところがあります。
仏教で言う「因果の理法」というのは何かというと、結局こういうことです。「原因と結果が連鎖している」というのは、「その原因行為をつくるのは、個人個人の心と行いなのだ」と、「そこからすべてができてくるのだ」ということで、宿命論みたいなものを、ある意味で切って捨てているのです。
大きな意味での宿命はもちろんありましょうけれども、「個人個人の自己責任でやれるからこそ、その結果についても享受(きょうじゅ)しなければいけなくなるのだ。天国・地獄も出てくるのだ」と、そういうことですね。
ですから、もう考えて煩っても変えることができないものは諦(あきら)めましょう。しかし、今、私たちが考えることによってできることは、今日から一つでも、小さなものからでも始めていきましょう。
たとえ、今世(こんぜ)、実らなくても、よい種をまけば、必ずどこかでそれは実ることになっているのです。種をまいたときに、霊的にはもう、それは成長していくことになっているものなのです。
---owari---
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