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世界の正義と日本の正義

2016年07月03日 | 外国

昨日に発生したダッカ襲撃事件に巻き込まれ、お亡くなりになった皆様に哀悼の意を表します。

今回のブログはこの事件を念頭に置いたものではありません。テロに正義はありません。誤解がないようにご了解ください。

 

私たちは、通常「正義」という名で呼んでいるものの中身を深く考えることなく正義という言葉を使い、また聞いてきたでしょう。ただ、この地球時代の今、世界で使われている「正義」という言葉は、残念ながら日本人の大多数が思っている正義とは違うのです。

 

世界の多数の人びとの心は、神のお心がどこにあるかという意味での正義を求めています。しかし、日本人の正義は人間が作ったものの正義です。人間が作った制度、憲法や法律の枠組みのなかの正義です。ここに大きな隔たりがあるということを知っていないと、私たちは現代という時代に生きておりながら、世界の流れを読み違えることになります。

 

全世界の多数の人びとが今、求め、探しているのは神の正義なのです。それを私たちは知らなくてはなりません。通常、正義という名で呼ばれているものは、秩序の維持を目的とするものです。神の創られた世界のなかで、人間をはじめとする万象万物がその生命を維持してゆくためには、調和ある秩序というものが必要とされます。ゆえに通常の場合には、秩序を維持するための考え方と行動とが正義と見なされます。

 

そして、秩序を破壊しようとする動きに対して、説得力を含めたさまざまな強制力が働き、混乱から秩序を回復しようとする動きがあります。これを通常、正義と呼んでいます。

 

国内ではたとえば、さまざまな暴力や犯罪に対して、警察が実力を行使することによって治安を保っていることにも相当しましょうか。この秩序回復、秩序維持というのが通常の場合の正義です。

 

しかし、世界が混乱するときはこの限りではありません。正義にはもうひとつの大きな側面があります。すなわち、新しい秩序の創造という名の正義が出てくることがあるのです。

 

この場合、私たち人間の目には、秩序を守ろうとする正義と、新しい秩序をつくろうとする正義がぶつかり合っている姿として見えるために、どちらが真実であるかがわからないままに、時代の波間で翻弄されることになります。

 

この新秩序創造のための正義は、結局のところ、時間の流れのなかでその所在が証明されてゆくことになります。新しい秩序を創ったことが多くの人びとを幸福にし得たかどうか、という結果で判断されてくるようになります。

 

日本において、明治維新が百年以上経った今日でもなお肯定されている理由は、明治維新で成し遂げられた事業によって、その後の日本が発展したからであり、決して逆戻りの方向には動かなかったからです。それがすなわち、百年以上前に幕府という秩序が壊されたときに、それを壊す側にまわった人たちの方向に神の正義があったと言われるゆえんです。

 

ところが世界を見れば、必ずしもそのようにばかりなっているわけではありません。私たちはこのことを知らねばなりません。

 

たとえば、明治維新と同じようなことがイランという国でもありました。パーレビ王朝が政権を握っていたときに、アメリカのほうからさまざまな援助をして、イランの近代化を図ろうとしてゆきました。しかし、その近代化があまりにも進み過ぎたということがあり、イランのイスラム教徒たちの文化を維持することができなかったために、ホメイニという人が出て、ホメイニ革命と言われる古い時代への復古運動が起きました。イランでは、日本の明治維新のようにはならなかったわけです。

 

また、同じようなことはいくらでもあります。今問われているのは、今から九十年余り前にソ連で起きたロシア革命とはいったい何であったのか、ということです。七十年の壮大な文明実験の結果、残ったものはいったい何であったのかが問われているわけです。

 

中国でも同じようなことが言えましょう。従来の政府が台湾に移り、そして毛沢東の指導のもと、革命により共産主義政権が成立しましたが、その体制自体がはたして善であったのか悪であったのか。善をこの世に実現することが正義であるとするならば、それははたして正義であったのか悪であったのか。このようなことが今、歴史のなかで問いかけられています。

 

逆もあります。今から四十年以上も昔、アメリカが南ベトナムに介入し、ベトナム戦争が起きたときに、アメリカのなした行為ははたして正義であったのか否かは、まだ問われていません。議論のなかで結論が出されていません。敗北した国がいまだに世界最大の強国でもあるために、結論が出せないでいるのです。しかし、ベトナムでは二百万人の人が亡くなりました。いったいその死は何だったのでしょうか。

 

その当時流行していたのは、ドミノ理論というものであって、世界のどこかで共産主義が自由主義のほうを倒して勝利を収めると、隣接する国々が将棋倒しのように共産化して世界各地へ波及し、自由主義社会は危機に陥る、だからその最初の土手が崩れるのを防がねばならない、ということでもって、ベトナムへの介入は行われたのです。

 

その結果、二百万人の命が奪われ、結局は北ベトナムの解放戦線のほうが勝利して、社会主義下において統一されたままになっているわけです。この場合の正義とはいったい何であったのでしょうか。

 

このようなことをさまざまに考えてゆくときに、新しい秩序というものが形成されるときには、どうやら人間が通常の生活をしていくなかでの正しさとは違ったものがあるということを、私たちは知るようになります。

 

たとえば、通常の生活において、もし待行く人を刃物で傷つけて死に到らしめるとしたならば、その人間は九十九パーセント地獄というところに行くことになります。

ところが、戦争というものが起きたときに、では兵士として戦った人たちはみな地獄に行くかと言えば、必ずしもそのようにはなりません。なぜ、そうならないのでしょうか、そこには平和時の小さな正義に対して、もっと大きな正義が現われてくるのです。

 

すなわち、小さな正義は大きな正義のために殉ずるときに、一見敗北したように見えますが、その結果大いなる幸福というものが現われたときに善悪は超えられるという、そういう法則があるのです。

 

善であるのか悪であるのかは、その時点ではわかりません。ただ、結果論として、そのような進出がその国の人たちを幸福にしたときには、善とされ是とされるという傾向があったこともあるでしょう。そうでなかった場合には、激しい抵抗運動、独立運動が各地で起きて、血を流すことになってゆきました。

 

私たちは「国民を護り、世界の平和に寄与する」という一点を貫くべきであって、そのなかで、「正義の行為とは何であるか」「愛の行為とは何であるか」ということを具体的につかみ取らなければなりません。「強い決断力と実行力」「世界に対する発信力」「やってのける力」それらの行為が、同時に「神仏の願う正義」とも一致していくように努力していくべきではないでしょうか。

 

---owari---

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