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国史百景: 職人たちの新宮殿造営(後編)

2023年03月22日 | 日本
「国民の手で後世に残す宮殿をつくりあげたい」という思いで職人たちが作りあげた「真っ正直な、ごまかしのない姿」

(「新宮殿に納める品は、日本人の創造した椅子にしたい」)
宮殿に用いる木材には2年4ヶ月をかけて、北海道から九州まで全国の調査をもとに選りすぐった良材が集められた。

たとえば、杉は熊本県人吉の山上にある神社の参道脇に立つ樹齢8百年を超える古木が使われた。製材してみると、「美しく乱れた木目があたかも越前和紙の墨流しを見るように現れた」と言う。

豊明殿の長押(なげし、柱どうしをつなぐ横材)には宮崎県えびの高原の栂(つが)が用いられた。材質は堅牢で年を経るにしたがって木目の美しさが際立っていく。

椅子には丈夫な栗が使われたが、なかなか最良の栗の木が見つからなかったが、結局は九州高千穂のものが使われた。それを使って漆工の名人・黒田辰秋が「新宮殿に納める品は、日本人の創造した椅子にしたい」と制作に当たった。

白木に生漆を染みこませ、木目に漆をつめ、その上で砥石で磨いて再び漆を塗る。この工程を何度も繰り返し、仕上げは朱溜(しゅだめ)と呼ばれる漆をかけて完成する。「2千年たっても色が変わらないのが本当の漆工です。これは、そんな作品です」と黒田は感無量の思いを語る。

石材の選定にも苦心があった。昭和29(1954)年正月の一般参賀の際に、人並みが折り重なって転倒負傷するという事故に心を痛められていた昭和天皇は、庭に敷きつめる石は、ぜひ滑りにくいものを選定して貰いたい、と指示をされた。

高尾らが詳細な調査を行い、香川県高松市に近い石山の安石岩が採用された。滑りにくい上に、淡い黄色と青の二色が優しい雰囲気を醸し出した。

(純朴な農村の女たちのたゆみない作業)
饗宴や夜会が催される豊明殿と長和殿「春秋の間」の絨毯は、杉山寧(やすし)画伯の原画により、それぞれサーモンピンクとあやめ色の華やかな抽象図形が描かれた。


  
その原画を絨毯として織り上げていったのは、熟達した農家の主婦たちだった。豊明殿は山形県山辺、「春秋の間」は兵庫県網野の主婦たちが、手織りで織り上げた。現地で、手織りの現場を視察した高尾は次のように語っている。

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織子たちは織機の台上に並んで腰をかけ、速度をあわせて縦糸に糸を結び、房にして先端を切りそろえる。手先の速さは驚くべきもので、旁に立つ私などの目には、ただ手が上下しているだけのように見える。房を切る刃物を研ぐのに、専属の男が一人、終日かかりきりだと聞いた。

・・・純朴な農村の女たちのたゆみない作業がつづいて、およそ一年有余。夢の絨毯はようやく現実のものとなった。
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(海国日本と永遠の生命感を象徴する“波と岩”)
宮殿の内部を飾る絵画や工芸作品には、現代日本を代表する芸術家たちが腕を振るった。二重橋に近い南車寄から長和殿に入り、階段を上がった所にある大壁画は東山魁夷(ひがしやま・かいい)の作品である。高尾は東山にこう依頼した。

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この場所は、外国からのお客様が必ずお通りになります。その方々がここの壁画に目をとめて、日本へ来たという実感を抱かれる。そんな図柄が望ましいと思います。
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東山は一年ほど思案した挙げ句、「やっと海国日本と永遠の生命感を象徴する意味をこめ“波と岩”を主題にすることにきめました」 そして全国の海岸を行脚し、数多くのスケッチを重ねた。その中から一枚を選び出し、それを横幅15メートル、高さ5メートルに及ぶ巨大絵画として描く。

これまでのアトリエは狭くて制作が不可能なため、自宅の庭に仮設アトリエを建てた。高さ5メートルもの絵を描くために、昇降自在のクレーンを設置し、空調設備も設置した。


 

一番の懸念は失火だった。高尾は所管の消防署長に面会して、警備をお願いした。署長は事の重大さから、署と直結した非常ベルを設置し、署員のパトロールまで手配して、万全を期した。

かくて完成した大壁画は、朝日の陽光のもと、海面から突き出た岩礁に大波が打ち寄せるという清新な風景を現し、「朝明の潮」と名付けられた。

壁画が新宮殿に飾られた時、東山はこんな感想を漏らしている。
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雄大な規模と簡潔な構成をもつ新宮殿のお部屋に運ばれ、壁に取り付けられた時、この壁画は、私のアトリエで近い距離からのみ眺めていた時よりも、構図も色彩もいかされて見えた。このお部屋を壁画に因んで「波の間」と名付けられたことも、恐れ多いことと思われる。
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(「真っ正直な、ごまかしのない姿」)
冒頭に登場した小林秀雄は、こうも言っている。

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あの宮殿の姿ですね、あれは大変純粋な感じで、宮殿をつくるという日本の建築家のモチーフの純粋性を、そのままあらわしているといった感じがしましたがね。・・・あらゆる要素が建築の姿をつくるために協力している。・・・
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「モチーフ」とは、大和言葉で言えば「思い」である。その純粋性とは、高尾の言う「国民の手で後世に残す宮殿をつくりあげたい」ということであろう。その思いを共有して「一つの旗の下に」建築家、鳶職人、農家の織子、画家、漆工まで、現代日本の一流の職人たちが完成したのが新宮殿だった。

小林秀雄は宮殿の「真っ正直な、ごまかしのない姿」から、それを作り上げた人々の純粋な思いを感じとった。それはそのまま日本人が美徳とする「真っ正直な、ごまかしのない」姿勢の表れである。

宮殿は我が国の「客間」である。多くの海外からの賓客は新宮殿で迎えられて、その「真っ正直な、ごまかしのない」姿を感じとるだろう。

我々一般国民も、新年や天皇誕生日の一般参賀、修学旅行などでの一般参観、皇居内の勤労奉仕などで、宮殿を拝観できる。そして宮殿の「真っ正直な、ごまかしのない姿」から、我が先人たちの思いを受け継ぎたいものだ。
 (文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)

---owari---
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