(奈良の大仏である毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)が表しているものとは)
東大寺の大仏、すなわち、毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)として祀(まつ)られている仏は、人間としてインドに生まれ、八十年余りの生涯を送った人間・釈迦(しゃか)とは違います。あれは仏陀(ぶっだ)の「法身(ほっしん)」の部分であり、要するに、「法を説く部分」をかたちに表したものなのです。つまり、奈良の大仏である毘盧遮那仏は、地球神エル・カンターレの姿を表しているのです。
また、奈良の大仏は、当時の国家予算の二倍以上の費用で建てられたというのですから驚(おどろ)きであり、この信仰心はかなり篤(あつ)いと思います。
今であれば、国家予算は百兆円ぐらいはありましょうから、二百兆円かけて大仏をつくったことになります。「貧しいにもかかわらず、当時の人の信仰心がどれほど高かったか」がよく分かります。やはり、国家予算の二倍というのは普通ではありません。
例えば、秦(しん)の始皇帝(しこうてい)が万里の長城(ちょうじょう)をつくった際、あまりの税金の重さと労役(ろうえき)のきつさから、彼の死後、反乱がたくさん起きましたが、奈良の大仏も、国家予算の二倍以上の費用を使ってつくっているので、大変だったとは思います。
ただ、大仏建立(こんりゅう)によって、「日本の仏教がガチッと根付き、神仏習合(しんぶつしゅうごう)の国になった。そして、日本の国体ができた」ということが言えるのではないでしょうか。背骨(せぼね)が一本、バシッと通った感じがします。
その意味では、日本は非常に尊(とうと)い国なのです。
---owari---
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